第43話 帰路
ガルフォートを出たのは昼前だった。
5人で街道を歩いた。グリムが前、レンが後ろ、エリスとリシュアがナナの両脇という形で、武装は解いていなかった。空気が冷たく、足音だけが街道に続いた。
しばらく歩いてから、グリムが口を開いた。
「……整理しておくか」
「はい」
「ルゼ。どう見る?」
「最も警戒する相手です。ただ直接ぶつかる相手ではない。今のところは。カオス=ベルゼという共通の問題がある間は動きを抑えると思いますが、その問題が片付いたら——分かりません。ルゼが最後に言った言葉が気になっています」
「筋が通っていることと正しいことは別だ、か」
「あれは警告でもありますが、自分自身への言葉でもあると思います。純血主義が正しいと信じている。その確信が揺らいでいない。論理で崩せる相手ではない」
グリムが少し間を置いた。
「クレモアは?」
「危険です。ただすぐには動かない。リシュアの件は気づいていますが確信がなく、確信を得るまでは表には出さないと思います。まだ情報を集めている段階です」
「ミュリエは?」
「今のところは脅威ではありません。ただあの平和主義は頑固で、何かの拍子に大きく動く可能性があります。善意は時として論理より動かしにくい」
グリムが頷いた。
「……お前はよく見ている」
「見るしかありません。戦力では全員に劣っています」
「劣っていると思っているのか?」
「純粋な戦闘力では、はい」
グリムが前を向いたまま、少し間を置いてから言った。
「……俺はそう思わないがな」
「ありがとうございます」
「お世辞じゃない」
「分かっています」
街道が続いた。レンが後ろで足音を立てなかった。エリスが空を見ていた。リシュアが前を向いたまま口を開かなかった。5人の間に話がなかった。それで十分だった。
夜、街道を外れた林の中で野営した。
レンが警戒に出て、焚き火が起き、食事が並んだ。全員で黙って食べた。木の枝が燃える音だけがしていて、風はなかった。森の奥が暗かった。
グリムが焚き火を見たまま、低い声で言った。
「……ミラに、報告できていないな」
火が小さく弾けた。誰も口を開かなかった。
「会議のことを話したら、あいつは何か言っただろう。くだらない冗談か、妙に鋭いことか、どっちかだ」
エリスが少し目を伏せた。リシュアが焚き火を見た。グリムはそれ以上言わず、食事に戻った。
しばらくして、エリスが焚き火を見ながら言った。
「会議——どうだった?」
「疲れました」
「そりゃそうよ。魔王が4人も集まってたんだもの」
「エリスはどう見ましたか?」
「私?」 エリスが膝を抱えて、少し考えた。「ルゼが怖かった。座ってるだけで怖かった。ミュリエは——あれは善意なんだと思う。本物の善意。だから難しい。クレモアは……笑顔が怖かった。アルヴィスと同じ笑い方だったから、師弟か、あるいは同じ考えを持つ者を集めているのかもしれないって思った」
「私も同じことを思いました」
エリスがナナを見た。
「ナナ——疲れてる?」
「疲れています」
「それ以外は?」
「それ以外?」
「なんか——ずっと考えてるでしょ。会議のこと以外にも」
ナナは焚き火を見た。炎が揺れていた。
「……少し」
「話せる?」
「まだうまく言葉にできません」
エリスが少し頷いた。
「イグレアに帰ったら——話して。聞くから」
「はい」
エリスが焚き火に薪を1本足すと、火が少し大きくなった。
リシュアがナナの隣に来た。グリムが少し離れた場所で目を閉じていて、エリスが焚き火の反対側にいた。
「1つ聞いていいか」
「どうぞ」
「クレモアと——庭で何を話した?」
「合理統治の話でした。能力のある者が適切な役割を担う世界を作りたいと言っていて、各魔王の領域を整理し感情や慣習ではなく合理的な判断で世界を動かすと。私への接触も、その枠組みの中でナナの意図を確認したかったのだと思います」
リシュアが焚き火を見た。炎が顔に当たっていた。
「……私のことも、そういう目で見ているんだろうな」
「そう思います。あなたの能力を把握していて、適切な役割に置きたいと考えている。腕輪もそのためかもしれません」
「……お前はどう思う。クレモアの言っていることは——間違っているか?」
「論理としては筋が通っています。ただ誰が評価するかという問題が解決されていない。評価基準を作る者が実質的に全権を持つ仕組みは、合理統治ではなく支配です」
「お前はそう言った?」
「はい。クレモアは笑っていました」
リシュアが短く息を吐いた。
「……あの男は笑うのが得意だな。アルヴィスも同じだ」
「似た人間を側に置く——それも合理的な判断だと思います」
リシュアが少し間を置いた。火を見たまま、それから言った。
「……私はクレモアに戻るつもりはない。念のため言っておく」
「分かっています」
リシュアが焚き火から少し離れ、毛布を手に取って横になった。
レンが戻ってきた。
「異常なし」
「ありがとうございます。休んでください」
レンが荷物の傍に座り、空を見上げてから目を閉じた。火が静かに燃え続けた。
2日目の昼過ぎ、丘の向こうにイグレアが見えた。
石造りの城壁で、修復した跡がある壁面に黒い翼の旗が立っていた。グリムが少し足を止めた。
「……帰ってきたな」
「はい」
エリスが少し目を細めた。
「思ったより、ちゃんとある」
「ダリオたちが守っていました」
5人で城門に向かった。リーゼが門の前に立っていて、5人を見て短く言った。
「遅かった」
「2日かかりました」
「分かってる。異常なしだ。エリスの結界も無事だった」
「ありがとうございます」
城門をくぐった。ナナは少し立ち止まった。中庭の石畳が広がっていて、食堂の扉が見えて、壁に昼の光が当たっていた。戦闘があった場所だった。今は静かだった。
(戻った)
帰還から3日後の夜、エリスが部屋に来た。
ノックしてから、返事を待たずに少し開けた。
「話せる?」
「はい」
エリスが入って椅子を引いて座った。ナナの向かいで、しばらく机の上の書類を見てからナナを見た。
「帰ったら話してって言ったでしょ」
「はい」
「まだ言葉にできない?」
「……試してみます」
エリスが頷いた。それ以上は何も言わず、待っていた。
ナナは机の上を見た。
「会議の間——ずっと考えていました。ルゼが言った言葉を。筋が通っていることと正しいことは別だ、というあれが、ルゼ自身の話でありながら私にも当てはまると思っています。私がやっていることは筋が通っています。守るために戦う、仲間を増やす、同盟を結ぶ——論理として正しい。ただそれが正しいのかどうか、私には分かりません」
エリスが黙った。
「戦うたびに誰かが死ぬ可能性がある。私の判断が原因で——実際に死にました」
「ミラのこと?」
「はい」
エリスが少し間を置いた。
「ナナのせいじゃないよ」
「判断の結果です」
「でも——」
「エリス」
ナナがエリスを見た。
「責めているわけではありません。ただ——私の判断が原因の1つであることは変わらない。それを受け入れた上で続けています。それが正しいのかどうか、まだ分かりません」
エリスがしばらく黙った。口を開きかけて、閉じた。
「……怖い?」
「怖いです。次に誰かを失うことが怖い。判断を間違えることが怖い。——ただそれより怖いのは」
ナナが少し間を置いた。
「怖くなくなることです」
エリスの目が止まった。
「怖くなくなること?」
「仲間が死ぬことに慣れることが一番怖い。前世では、慣れた人間を見ました。慣れた人間は早く判断できます。感情が邪魔をしない。ただ——何かが欠けていました。何が欠けていたのか、今でも言葉にできません」
エリスが黙った。ナナも黙った。灯りが揺れた。しばらく時間が経った。
「……前世、って?」
「私はこの世界の人間ではありません。別の世界から来ました。転生しています」
エリスが少し間を置いた。
「……知ってた」
「え?」
「なんとなく。ずっと思ってた。この世界の10歳の子供が、あんなふうに動かないから。傭兵の動かし方も、情報の扱い方も、交渉の仕方も——全部どこかで学んだものでしょ。この世界で10年生きて身につくものじゃない」
「……気づいていたなら、なぜ聞かなかったのですか?」
「あなたが言い出すまで待つって決めてたから」
ナナは少し間を置いた。エリスを見た。エリスが真っ直ぐ見返していた。
「前世は——兵士でした。現代の、別の世界の。グリムには話してあります。この世界より技術が進んでいて、空を飛ぶものがあり、遠くの人間と声で話せます。戦争のやり方も違います。ただ生き残る技術を知っているだけで、特別なものは何もありません」
「生き残る技術」
エリスが静かに繰り返した。手が膝の上で少し動いた。
「前世でも守りたいものがありました。ただ守れませんでした」
ナナは少し間を置いた。言いかけて、止まった。エリスが待った。急かさなかった。
「……仲間がいました。小さな部隊でした。全員死にました。私だけ生き残りました。詳しくはまだ話せませんが——だから今、守りたいと思っています。守れなかった分を取り返すつもりはありません。同じことを繰り返したくないと思っています」
エリスがしばらく黙った。灯りが揺れた。
「……ナナ」
「はい」
「私、魔王契約してない」
「はい」
「したい、と思ってる。ずっと思ってた。でも——タイミングが分からなくて」
「今でもいいですか?」
「今?」
「はい」
エリスが少し間を置いた。口元が少し動いた。
「……うん」
ナナは右手を差し出した。エリスが握った。手が冷たく、指が少し震えていた。掌が少し湿っていた。
契約の光が出た。静かな光で揺れず、ゆっくりと広がってから消えた。部屋の灯りだけが戻った。
「……あったかかった」
エリスが手を離した。右手を見て、それからナナを見た。
「友達だよ。前世があっても、10歳じゃなくても——関係ない」
「……はい」
「それだけ」
エリスが立ち上がった。
「外、星が出てたよ。見てきたら?」
「そうします」
エリスが出た。扉が閉まり、部屋の中に灯りだけが残った。
中庭に出た。星があり、冷たい空気だった。
ヴァルが静かに言った。
『……話せたか?』
(少し)
ナナは上を向いたまま少し間を置いた。星が多かった。ミラが死んだ夜も、同じくらい出ていた。
(守り続けます)
ヴァルは何も言わなかった。風が少しあり、旗が低く鳴った。
ナナはそのまま立っていた。




