第32話 二つの約束
食堂に全員が集まった。
ナナは地面に描いた図をそのまま板に写した。ガルドの動き、先遣隊の配置、転移の位置を書き込んだ。
「今日の交戦を整理します。先遣隊20人、将校1人。将校はガルドと名乗りました。転移を使います。速度は——想定より上でした」
誰も口を挟まなかった。
「今日は追い返しました。次は本気で来る可能性があります。南の防衛を早急に固めます」
ダリオが腕を組んだ。
「城壁の修復を南側から優先するか」
「はい。南門周辺を最優先にします。ただ——城壁だけでは止められません」
「転移があるからか」
「そうです。城壁の内側に転移されれば、外の守りは意味がなくなります」
エリスが手を挙げた。
「転移対策、さっき教えると言っていたけど」
「はい。転移には気配があります。魔力が一瞬収縮する感覚です。慣れれば読めます。エリスには城壁の上で、その気配を感じる練習をしてほしいです」
「練習、か。どのくらいかかる?」
「私が転移をやります。繰り返せば慣れます」
「……なるほど。実地訓練か」
「はい」
リーゼが静かに言った。
「南の巡回を増やす。ジャックとジョンだけでは目が足りない。第3班を南の警戒に回してもいいか?」
「お願いします」
「分かった」
グリムが言った。
「ガルドという将校——次に来た時の対応はどうする?」
「私が前に出ます。グリムには別の役割をお願いします。ガルドが転移で私の背後に回った場合、グリムにはその瞬間を見ていてほしい」
「見ていて、どうする?」
「転移の直後、着地が一瞬不安定になります。そこを突いてください」
グリムが少し間を置いた。
「……転移の直後が隙か」
「はい。私が前を引きつけます。グリムがその隙を狙う。2人で1人に当たります」
「了解した」
会議が終わった。
オズが麦の粥を出した。誰も文句を言わなかった。黙って食べた。
ジャックが食べながら言った。
「強かったんだな、あの将校」
「そうですね」
「ナナが避けなかったら、刺されていたか?」
「そうです」
「……怖くなかったの?」
ナナは少し間を置いた。
(怖かった。しかし——それを言う必要はない)
「次に来た時の準備をします。それで十分です」
ジャックが少し黙った。
「……そっか」
それきり黙って粥を食べた。
翌朝、ナナはグリムに言った。
「ゴルドーに報告に行きます。来ますか?」
「行く」
2人で峠へ向かった。道が静かだった。鳥の声がした。峠の手前で空気が冷たくなった。
ゴルドーは入口にいた。2人を見た。
「来たか」
「報告があります」
「聞いた」
ナナは少し間を置いた。
「聞いた、とは?」
「昨日、南の方角で魔力の気配がした。戦闘があったと分かった。お前たちが無事で戻った、ということは——追い返したのだろう」
「はい。将校がいました。ガルドという名前でした」
ゴルドーが少し目を細めた。
「……ガルドか」
「知っていますか?」
「名前は聞いたことがある。第六魔王の配下で、数少ない理性のある将校だ」
「理性のある、とは?」
「第六魔王は破壊の象徴だ。配下のほとんども理性がない。だがガルドは違う。考えて動く。それだけ厄介だ」
(やはりそうか。戦闘中にも感じた。計算して動いていた)
「転移を使いました」
「そうか。使えるとは聞いていた」
「次に来た時の対策は取っています」
「お前が避けたのか?」
「はい」
ゴルドーがしばらくナナを見た。
「……お前、転移の気配が読めるのか」
「使えますので」
「なるほど」
ゴルドーが戦斧を地面に突き立てた。岩に刃が食い込んだ。
「1つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「怖かったか?」
ナナは少し間を置いた。
(怖かった。ジャックにも昨日、同じことを聞かれた)
「はい」
ゴルドーが少し目を細めた。
「正直だな」
「嘘をついても意味がありません」
「強がらないのか」
「強がって何かが変わりますか?」
ゴルドーが短く笑った。
「変わらんな」
「怖いと思うことは正しいと思っています。怖くない相手は、危険を正確に見ていない」
「……なるほど」
ゴルドーがグリムを見た。
「副団長、お前はどうだ?」
グリムが少し間を置いた。
「俺は——怖かった。ガルドが転移した瞬間、体が動かなかった。一瞬だったが、動けなかった」
「正直だな、2人とも」
「隠す必要がない」
グリムが静かに言った。
ゴルドーが頷いた。
「怖いと分かっている者は、怖さに慣れることができる。慣れれば動ける。俺が100年以上ここにいられたのは——怖さを知っていたからだ」
ナナは黙って聞いた。
「ガルドは次も来る。その次も来る。いずれ本格的な侵攻になる。お前はそれを知っているか?」
「知っています」
「それでも、ここに残るか?」
「残ります」
「なぜだ?」
ナナは少し間を置いた。
「ここを守ると誓いました。精霊族に。ヴァルに。それだけです」
ゴルドーが少し間を置いた。
「……ヴァルに、か」
「はい」
「ヴァルも同じことを言っていた。100年前、ここを守ると言って——滅んだ」
「知っています」
「怖くないか?」
「怖いです。でも——」
ナナはゴルドーを見た。
「怖いまま、戦い続けます。それが私にできることです」
ゴルドーが長い間、ナナを見ていた。それから、深く頷いた。
「……分かった」
ゴルドーが戦斧を岩から引き抜いた。肩に担いだ。
「1つ、約束する」
「何ですか?」
「お前がここを守り続ける限り、俺はこの峠を守り続ける。北から何が来ても、通さない」
ナナは少し間を置いた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。だが——」
ゴルドーがナナを見た。
「生きろ。ヴァルより長く」
ソルと同じ言葉だった。
ナナは少し間を置いた。
「生きます」
「約束だ」
「約束します」
ゴルドーが頷いた。
「また来い。何かあれば、すぐ来い」
「来ます」
2人で峠を下った。
グリムが隣を歩いた。しばらく黙っていた。
「……ゴルドーは、ヴァルを知っていたのか」
「知っていたようです」
「100年以上生きているなら、そうだな」
グリムが少し間を置いた。
「お前が怖いと言ったのは——初めて聞いた」
「聞かれたので」
「今まで聞かなかった俺が悪かったな」
「そんなことはありません」
「……そうか」
グリムが前を向いた。
「俺も怖い。ガルドが来た時、動けなかった。あれが続けば——いずれ使えなくなる」
「なりません」
「なぜだ?」
「グリムは昨日、動けなかったと気づいた。気づいた者は、次は動けます」
グリムが少し間を置いた。
「……お前は、そういう見方をするのか」
「前世で学びました」
「前世、か」
グリムが空を見た。
「イグレアで、残りの話を聞かせてもらう約束だったな」
「はい。今夜、話します」
「……待っていた」
道が広くなった。イグレアが見えてきた。
城壁の足場が陽に光っていた。ダリオたちが動いていた。煙が上がっていた。
ナナは歩きながら思った。
(怖い。ガルドは強い。次はもっと強い者が来るかもしれない。本格的な侵攻が来れば——今の戦力では足りない)
ヴァルが静かに言った。
『……怖いと分かっているなら、準備できる』
(そうだ)
『我は怖さを認めなかった。最後まで。それが——誤りだった』
(分かっている)
『……お前は正直だ。それがお前の強さだ』
ナナはイグレアを見た。
廃墟だった。まだ廃墟だった。煙が上がり、声がした。生きていた。
(ここから、続ける)
グリムが隣を歩いていた。2人でイグレアへ戻った。




