第31話 第六魔王の影
イグレアに来て5日目の朝、ジャックが走って戻ってきた。
定時の報告の時間ではなかった。
ナナは城壁の修復作業を止めた。
「報告してください」
「南の街道に部隊が見えます。旗を立てていました。黒地に赤い竜の紋章です」
グリムが横で聞いていた。顔が変わった。
「第六魔王の紋章だ」
「規模は?」
「20人ほどです」
ジャックが少し間を置いた。
「先頭に1人、他と装備が違う者がいました。鎧が違います。将校だと思います」
(先遣隊だ。偵察か、それとも威力偵察か)
「距離は?」
「南の街道を歩いていました。このまま来れば——半刻でここに着きます」
ナナは少し考えた。
(20人。黒い翼は19人。拠点の中なら地形を使える。城壁の修復中だが、南門周辺は使える)
「全員を集めてください。5分以内に」
ジャックが走った。
食堂に全員が集まった。19人とリーファだった。
「第六魔王の先遣隊が南から来ます。20人程度。将校が1人います」
誰も騒がなかった。
「迎撃します。逃がさない——ということではありません。追い返すことが目標です。ここに来た代償を与えて帰す。それだけです」
「殺さないのか?」
ダリオが聞いた。
「殺す必要があれば殺します。今は第六魔王の出方を見たい。先遣隊を全滅させれば次は大軍で来ます。追い返せば情報を持ち帰る。どちらが有益か、状況次第で判断します」
「分かった」
「配置を説明します」
ナナは地面に枝で図を描いた。
「南門の外、城壁に沿って第1班と第2班が待機します。城壁の上にレンとジョンが上がります。第3班と第4班は南門の内側で待機。私は前に出ます」
グリムが眉を上げた。
「お前が前に出るのか?」
「将校への対応が必要です。私が直接当たります」
「護衛は?」
「グリムに来てほしいです」
「……分かった」
「エリスは城壁の上から後方支援をお願いします」
エリスを見た。
「将校が転移を使う可能性があります。突然位置が変わります。対応できますか?」
「転移?」
「空間魔法です。瞬間的に場所を移動します。私も使えます。向こうも使う可能性があります」
「分かった。動きに気をつけて見る」
「リーファ」
リーファが頷いた。
「森の縁で待機してください。南から迂回しようとする者がいれば、精霊の風で知らせてください」
「分かった」
「オズとミラは城壁の内側、北の建物に待機です。動かないでください」
「承知しました」
「以上です。全員、配置についてください」
南門の前で待った。
空が高かった。風が南から吹いていた。
グリムが隣に立った。
「将校の相手を1人でやるつもりか?」
「グリムがいます」
「俺では荷が重い相手かもしれない」
「状況次第で魔法を使います。グリムには私の横にいてほしいです」
「護衛か?」
「はい」
グリムが少し間を置いた。
「……了解した」
しばらく待った。
南の街道に影が見えた。近づいてきた。20人の集団だった。先頭に1人、重い鎧を着た男がいた。背が高かった。竜人族の特徴——鱗が首から頬にかけて走っていた。目が細く、鋭かった。
50歩ほどの距離で止まった。
将校がナナを見た。少し目を細めた。
「……お前が第七魔王か?」
「そうです」
「小さいな」
「よく言われます」
将校が少し口の端を動かした。笑ったのかもしれなかった。
「俺はガルド。第六魔王カオス=ベルゼの配下だ。偵察に来た」
「偵察なら、見たものを持ち帰ってください。それだけで結構です」
「随分と余裕だな」
「余裕ではありません。戦わずに済むならその方がいい」
ガルドが城壁を見た。修復中の足場を見た。旗を見た。19人の配置を確認するように視線を動かした。
(情報を収集している。将校として優秀だ)
「イグレアを再建するつもりか?」
「はい」
「100年前に滅んだ場所だ。縁起が悪い」
「縁起は関係ありません」
ガルドがナナを見た。しばらく黙っていた。
「……1つだけ聞いていいか?」
「どうぞ」
「お前はここを守り切れると思っているか?」
ナナは少し間を置いた。
「守り切ります」
「根拠は?」
「必要なものを揃えているからです。まだ途中ですが——揃えます」
ガルドがまた口の端を動かした。
「面白い答えだ」
次の瞬間、ガルドが消えた。
ナナはすでに動いていた。右に半歩。
ガルドが背後に現れた。剣が来た。ナナのいた場所を通り過ぎた。
「——速い」
ガルドが声を上げた。驚きが混じっていた。
(転移の気配は読んでいた。ただ速度は想定より上だ)
ナナは振り返り、ガルドと向き合った。
「転移を使うと思っていました」
「読んでいたのか?」
「私も使えます。気配の読み方は知っています」
ガルドが剣を構えた。目が変わった。偵察から戦闘に切り替わった。
グリムが横から動いた。大剣を抜いた。
ガルドが少し後退した。グリムを見た。ナナを見た。城壁の上のレンとジョンを見た。撤退の計算をしていた。
(将校として正しい判断だ)
「今日はここまでにする」
ガルドが言った。
「見るべきことは見ることが出来た」
「そうですか」
「また来る」
「来る前に使者を送ってください。その方がお互いに無駄がありません」
ガルドが少し目を細めた。
「……第七魔王らしくない物言いだな」
「調停者ですので」
ガルドが短く笑った。今度ははっきり笑った。
「覚えておく」
ガルドが後ろの部隊に手を振った。集団が南へ向かって動き始めた。ガルドが最後にもう一度ナナを見て、背を向けた。
南の街道を歩いていった。影が小さくなった。消えた。
全員が南門に集まった。
「怪我はありませんか?」
誰も手を挙げなかった。
ダリオが言った。
「……将校が転移を使ったな」
「はい」
「お前が読んでいなければ、背後から刺されていた」
「そうですね」
「次に来た時は、もっと本気で来るな」
「分かっています」
ダリオが少し間を置いた。
「南の防衛を早急に固める必要がある」
「はい。それが今日分かったことです」
グリムが静かに言った。
「ガルドという将校——強かった」
「はい」
「次に来た時、俺では止められないかもしれない」
「私が前に出ます。グリムには別の役割をお願いします」
「……魔王化するのか?」
ナナは少し間を置いた。
(できれば避けたい。ただ——状況次第だ)
「最終手段です。それより前に手がいくつかあります」
「そうか」
レンが城壁の上から降りてきた。
「弓の射程には入らなかった。距離を詰めれば当てられたが——」
「今日は追わなくて正解です。撤退する相手を追えば、次は大軍で来ます」
「分かった」
エリスが城壁の上から降りてきた。少し顔が青かった。
「転移って——ああいうものなんだ」
「はい。慣れると読めます」
「私には読めなかった。全然分からなかった」
「対応策があります。後で教えます」
エリスが頷いた。
リーファが森の縁から来た。
「迂回しようとした者はいなかった。まっすぐ来て、まっすぐ帰った」
「偵察として正しい動きでした」
ナナは南の街道を見た。もう影はなかった。
(第六魔王が動いている。先遣隊を送るということは——本格的な侵攻を検討している。時間はあまりない)
ヴァルが静かに言った。
『……第六魔王が動いた。100年前も同じだった。奴は常に先を動かす』
(どういう意味だ?)
『先遣隊を送るのは偵察ではなく、威圧だ。相手の反応を見ている。お前が逃げるか、戦うか、あるいは——交渉を求めてくるか』
(交渉は求めない)
『分かっている。ただ——奴はそれも計算に入れている。お前が動じないことも、すでに報告される』
(それでいい。動じないことを示した方が有益だ)
『……そうだな。我はそこで判断を誤った。動じないふりをして、実は揺れていた』
(私は揺れていない)
『……知っている。だから——任せる』
ナナは全員に言った。
「今日の戦闘結果を整理します。食堂に集まってください」
全員が動いた。
南の空に、雲が流れていた。




