第29話 本拠地の構築
グレンフォードに戻ったのは4日後だった。
ベラに報告した。大森林の怪物討伐の経緯を説明した。依頼書に該当する案件ではなかったため、報酬は発生しなかった。
「精霊族の頼みで動いたのか」
「はい」
「無報酬か」
「そうです」
ベラが少し眉を上げた。
「黒い翼らしくない判断だな」
「そうですか?」
「普通の傭兵団はそういう動き方をしない」
「普通でなくて構いません」
ベラが短く笑った。
「まあ、いい。次の依頼を持ってこい。Dランクの案件が溜まっている」
「少し待ってください。拠点を移します」
「どこへ?」
「黒森峠の向こうです」
ベラが少し間を置いた。
「……イグレアか」
「知っていましたか?」
「噂には聞いている。あそこは——」
「縁起が悪い場所ですか?」
「そう思う者もいる」
「構いません」
ベラがナナを見た。しばらく見ていた。
「グレンフォードとの取引は続けるか?」
「続けます。ただ依頼の受け方が変わります。使者を通すか、定期的に来るかします」
「分かった。口座はそのままにしておく」
「ありがとうございます」
ベラが立ち上がりかけて、止まった。
「ナナ」
「はい」
「精霊族に何かしたのか? 昨日、リーベンスの商人から話を聞いた。大森林の南縁が静かになったと」
「依頼を果たしただけです」
「……そうか」
ベラが何か言いたそうな顔をした。それから、黙った。
「気をつけろ」
「はい」
その夜、リーファから伝言が届いた。
リーファ自身ではなく、風だった。
窓から風が入ってきた。葉の音がした。ナナの耳に、言葉が届いた。
「——ソルが逝った。穏やかだった。ありがとう」
ナナは少し間を置いた。
(そうか)
ヴァルが静かに言った。
『……逝ったか』
(ああ)
『100年以上、守り続けた。よく生きた』
(そうだな)
『……我より長く生きた。我が滅んだ後も、ずっと』
ヴァルはそれきり黙った。
ナナは窓の外を見た。夜の街道が見えた。人が歩いていた。明かりが揺れていた。
(引き継いだ。守る)
それだけ思った。
翌日、全員に話した。
「拠点をヴァル=イグレアに移します」
食堂に19人が集まっていた。エリスとリーファも座っていた。
「時期は?」
ダリオが聞いた。
「3日後です。荷物の整理と宿の精算をして、移動します」
「19人分の荷を運ぶ手段は?」
「馬車を1台借ります。荷物だけ載せます。人は歩きます」
「資金は?」
「オズ、説明してください」
オズが帳簿を開いた。
「現在の手持ちは金貨5枚と銀貨6枚です。帰還後のグレンフォード滞在費として銀貨3枚を使用しています。実質の手持ちは金貨5枚と銀貨3枚です。ここから馬車の借用代が銀貨8枚。移動に4日かかりますので食料代が銀貨6枚。到着後の最低限の資材購入に金貨1枚。合計で金貨2枚と銀貨5枚の支出です」
「残りは?」
「金貨2枚と銀貨8枚です」
「再建の最低費用は金貨15枚でしたね」
「そうです。現状では金貨12枚以上不足しています」
ダリオが腕を組んだ。
「足りないまま移動するのか?」
「はい」
ナナはオズを見た。
「依頼を続けながら積み立てます。Dランクの依頼を月に4件こなせば月に金貨2〜3枚の純利益が出ます。4ヶ月で届きます」
「拠点を整える前に依頼を受けるのか?」
「整えながら受けます。並行してやります」
ダリオが少し間を置いた。
「……急がないのか?」
「急ぎません。ですが、止まるつもりもありません」
サルが短く言った。
「分かった。俺は賛成だ」
カイルが頷いた。他の古参たちも順に頷いた。
ナナは地面に枝で図を描いた。イグレアを中心に、周囲の地形を示した。
「防衛の基本を説明します。三層で考えています」
「三層?」
「第一層——黒森峠です。ゴルドーが守っています。北からの侵攻路はここだけです。ゴルドーがいる限り、北は安全です」
「ゴルドーは俺たちの仲間なのか?」
「同盟者です。命令はできません。信用はできます」
「第二層は?」
「精霊の大森林です。東側を守ります。リーファの精霊族が大森林を守る限り、東からの大規模侵攻は困難です」
ナナはリーファを見た。
「精霊族も今は人手が足りない。当面は大森林の内側を守ることで精一杯です。東縁の外側まで目が届かない可能性があります」
「そこは私たちが補う?」
リーファが聞いた。
「そうです。定期的に東縁を巡回します。精霊族と連携して警戒線を引きます」
「分かった」
リーファが少し間を置いた。
「ナナ」
「はい」
「精霊族も——イグレアに入っていい?」
ナナは少し間を置いた。
「構いません。なぜですか?」
「ソルが言っていた。ヴァルの砦には、昔、精霊族も住んでいたと。人族も魔族も精霊族も、一緒に」
「知っています」
「だから——戻りたい。ソルの代わりに、私が戻る」
ナナはリーファを見た。目が少し赤かった。声は平静だった。
「来てください。歓迎します」
「ありがとう」
「第三層——イグレア本体です。城壁を修復し、居住区を確保します。ここが崩れれば全て終わります。最優先です」
グリムが言った。
「南は?」
「南が最大の弱点です。街道が通っています。グレンフォード方面からの侵攻が来た場合、正面から受けるしかありません」
「対策は?」
「今はありません。ただ——」
「ただ?」
「南に機動部隊を置きます。私たちが南方の依頼を受けながら、同時に警戒します。依頼をこなしながら防衛線を張る形です」
グリムが少し考えた。
「……依頼を受けながら南を守るか。金も稼げるし警戒もできる、ということだな」
「そうです」
「一石二鳥だな」
「そのつもりです」
エリスが手を挙げた。
「私はどこにいればいい?」
「イグレアです。拠点の魔法防衛を担当してほしいです」
「魔法防衛?」
「結界ではなく、警報です。敵が近づいた時に知らせる仕組みを作れますか?」
エリスが少し考えた。
「できると思う。師匠に聞けば確実な方法が分かる」
「お願いします」
リーゼが静かに言った。
「1つ確認する。イグレアに移ったとして、生活はどうなる? 食料、水、寝る場所」
「水は井戸があります。食料は当面は依頼の報酬で買います。寝る場所は——崩れていない建物が3棟あります。修復すれば19人は入れます」
「3棟で19人か。狭くないか?」
「最初は我慢します。修復が進めば広くなります」
リーゼが頷いた。
「分かった。文句は言わない」
ジャックが言った。
「廃墟暮らし、なんか面白そうだけど。虫とか出ない?」
「出ます」
「……それは嫌だな」
「我慢してください」
ジャックが肩をすくめた。
オズが帳簿を閉じた。
「1つ提案があります」
「なんですか?」
「移動の際、グレンフォードで売れるものは売ってから出発した方がいいです。不要な荷物を換金します。おそらく銀貨4〜5枚になると思います」
「お願いします。オズに任せます」
「承りました」
オズが帳簿に書き込んだ。
ヴァルが静かに言った。
『……準備が整いつつあるな』
(まだまだだ)
『そうだな。我の時代は、こういう段取りが苦手だった。お前は得意なのか?』
(得意ではない。ただ必要なことだと知っている)
『……それが我との違いかもしれない』
ナナは19人を見た。
ダリオが地図を見ていた。グリムが腕を組んでいた。リーゼが静かに聞いていた。オズが計算していた。ジャックがジョンに何か言っていた。リーファが膝を抱えて座っていた。エリスが手帳に何かを書き込んでいた。
(ここから始まる)
「3日後、出発します。準備をお願いします」
全員が動き始めた。食堂が静かな騒ぎになった。
グリムだけが動かなかった。ナナの隣に来た。
「ナナ」
「はい」
「イグレアに着いたら——残りを話してくれると言っていたな?」
ナナは少し間を置いた。
(そうだった。まだあると言ったまま、留めていた)
「はい。着いたら話します」
「急かしているわけじゃない。ただ——」
「ただ?」
「あそこが本当に始まりになるなら、その前に聞いておきたかった」
ナナはグリムを見た。
「分かりました。イグレアで話します。約束します」
グリムが頷いた。それだけで、戻っていった。
ナナは窓の外を見た。北の方角に、山が見えた。
ヴァルが静かに言った。
『……ここまで来たな』
(そうだ)
『グレンフォードに降り立った時、お前は1人だった』
(今は19人だ)
『ソルも逝った。精霊族も来る。あとは——』
(あとは、続けるだけだ)
ヴァルは何も言わなかった。ただ、いつもより静かにそこにいた。
山の向こうに、イグレアがある。




