第28話 調停者の遺言
翌朝、リーファが言った。
「会ってほしい人がいる」
「誰ですか?」
「魔王だ」
ナナは少し間を置いた。
「会えるんですか?」
「昨夜、許可が出た。精霊たちから聞いた。あなたが契約を結んだことが、魔王に伝わった」
「魔王が会いたいと?」
「そう」
グリムが隣で聞いていた。
「ナナ1人でいくのか?」
リーファがグリムを見た。
「そうしてほしい。魔王は今、人が多いと消耗する」
「……分かった」
グリムがナナを見た。
「気をつけろ」
「はい」
リーファがナナを案内した。
森の奥へ向かった。木が高くなった。光が届かなくなった。それでも暗くはなかった。木の幹が仄かに光っていた。精霊の光だとナナは思った。
15分ほど歩いた。
開けた場所に出た。
大きな木があった。他の木とは違った。幹が白く、枝が広く伸びていた。葉が光を集めていた。根元が地面を大きく持ち上げていた。
その根元の窪みに、人がいた。
精霊族だった。リーファと同じ長い耳。髪が白かった。肌が透けるように薄かった。目が閉じられていた。横になっていた。
エルドランが傍に座っていた。大柄な男だった。髪が濃い緑色だった。ナナを見て、頭を下げた。
「来てくれたか。エルドランだ。族長をしている」
「ナナです」
「聞いている。精霊たちから」
エルドランが横になった人物を見た。
「魔王だ。ソル=フィオーネという。今は——声を出すのも難しい。意識はある」
ナナは近づいた。
ソル=フィオーネが目を開けた。
目の色が深かった。緑でも青でもない。森の奥の色だった。年齢が見えなかった。古いものの目だった。
長い間、ナナを見ていた。
それから、かすかな声で言った。
「……来たか」
「はい」
「小さいな」
「そうですね」
「ヴァルも、最後は小さかった」
ヴァルが静かに言った。
『……ソルか』
(知っているのか?)
『知っている。100年前から精霊族の魔王だった。我よりずっと長く生きている』
(そうか)
「ヴァルのことを覚えていますか?」
「覚えている。対話を求め続けた魔王だ。我らは友人だった」
ヴァルは黙った。何も言わなかった。
「あなたに聞きたいことがある」
ソル=フィオーネが言った。声が細かったが、言葉ははっきりしていた。
「はい」
「ヴァルの意志を、継ぐつもりがあるか?」
ナナは少し間を置いた。
「調停者として、ということですか?」
「そうだ。対話を求め、争いを調停し、ここに生きるものが共に生きられる場所を作ること。それがヴァルの意志だった」
「……はい。継ぐつもりがあります」
「なぜだ?」
「それが私の目標と一致しているからです」
「目標?」
「この世界で生き延びること。そのために防衛国家を作ること。人族・魔族・精霊族が共に生きられる場所を作ること。それが私の目標です」
ソル=フィオーネがしばらくナナを見ていた。
「……ヴァルと同じことを言う」
「ヴァルから聞いています」
「そうか……」
「ヴァルが果たせなかったことを、果たしたいと思っています。同じ目標で、違う結果を出したい」
ソル=フィオーネが少し目を細めた。
笑いなのか別の何かなのか、ナナには判断できなかった。
「聞いていたか、ヴァル」
ナナの頭の中に語りかけるように言った。
ヴァルが答えた。
『……聞いていた』
「お前の後継者は、お前より明確だ」
『……そうかもしれない』
「羨ましいか?」
『羨ましくはない。誇らしい』
ソル=フィオーネがナナに目を戻した。
「1つ、頼みがある」
「なんでしょうか?」
「この森を守ってくれ。精霊族だけでは、もう長くは守れない。私が死ねば均衡が崩れる。次の魔王が現れるまでの間——」
「精霊契約を結びました。昨日、リーファと」
ソル=フィオーネが少し間を置いた。
「……そうか」
「誓いました。この森に生きるものを、力の及ぶ限り守ると」
「そうか」
ソル=フィオーネが目を閉じた。少し間があった。
「ならば——頼まなくてもいいな」
「はい」
「……よかった」
静かな声だった。
エルドランが少し顔を伏せた。
ソル=フィオーネがまた目を開けた。
「ナナミア=ヴァル=ミリス」
「はい」
「お前の名前の意味を知っているか?」
ナナは少し間を置いた。
「ナナミアは、ヴァルの記憶から滲み出た名前です。ヴァルは——」
ナナは前魔王に問いかけた。
(ヴァルとは何だ? 私の名前にも、イグレアの地名にも入っている)
ヴァルが答えた。
『……今まで言っていなかったな。ヴァルは称号だ。第七魔王の血統と意志を継ぐ者に刻まれる言葉だ』
(称号、か)
『お前がその名前を持っているということは——転生した時点で、お前はすでに後継者として選ばれていた。我が選んだのではなく、世界が選んだのかもしれない』
(世界が、か)
「ヴァルは第七魔王の後継者を示す称号です」
ソル=フィオーネが頷いた。
「そうだ。その名を持つ者が現れることを、我らは100年間待っていた」
「100年間」
「長かった」
ソル=フィオーネの声が少し細くなった。
「お前に、この森と領地を遺す。精霊族は——お前の下で戦う。エルドランがその意志を継ぐ」
エルドランが頭を下げた。
「異存はない」
「ありがとうございます」
「礼はいい」
ソル=フィオーネがナナを見たまま言った。
「ヴァルより長く生きろ。それだけだ」
ナナは少し間を置いた。
「努力します」
「努力ではなく——生きろ」
「……はい。生きます」
ソル=フィオーネが目を閉じた。それきり、動かなかった。
エルドランが静かに言った。
「眠っている。もう長くはない。ただ——今日ではない」
「そばにいていいですか?」
エルドランが少し目を細めた。
「……いていてくれるか?」
「はい」
ナナは根元の近くに座った。
森が静かだった。
ヴァルが言った。
『……ソルは、我が滅んだ後もここを守っていたのか』
(そうだ。100年間)
『知らなかった。伝えに行けなかった』
(後悔しているか?)
『……している。ただ——お前が来た。それで十分だ』
ナナは白い幹を見た。枝が風に揺れていた。精霊の光が揺れた。
(ヴァルという名前を持って生まれた。世界が選んだのかもしれない。それでも——)
ナナは自分の手を見た。
(私が選んで、ここにいる。それだけは確かだ)
しばらくして、エルドランが言った。
「黒い翼の仲間が心配しているだろう。戻っていい」
「はい。また来てもいいですか?」
「いつでも来い。この森はお前のものでもある」
ナナは立ち上がった。ソル=フィオーネを見た。
静かに眠っていた。呼吸が細く、穏やかだった。
「また来ます」
エルドランが頷いた。
ナナは森の奥を出た。
リーファが入口で待っていた。
「どうだった?」
「会えました」
「……魔王は何か言っていたか?」
「ヴァルより長く生きろと言っていました」
リーファが少し目を赤くした。
「そう」
「リーファ」
「何?」
「魔王は100年間、この森を守っていたんですね」
「うん。ずっと」
「……重かったと思います。それだけ長く、1人で」
「1人じゃなかった。精霊たちがいた。エルドランがいた。ただ——魔王という責任は、1人で負っていた」
ナナは少し間を置いた。
「私が継ぎます。その責任を」
リーファが頷いた。
「知っている。だから契約した」
2人で森を歩いた。光が戻ってきた。草地に出た。
グリムが待っていた。ナナの顔を見た。何も聞かなかった。
ただ、隣を歩いた。




