第22話 ヴァル=イグレア
廃墟まで、盆地を半時間ほど歩いた。
近づくにつれて、規模が分かってきた。
城壁の跡が広かった。大人が歩いて1、2分かかるほどの広さだろう。石造りの城壁が崩れ、所々に瓦礫の山ができていた。正門だったと思われる場所に、石の柱が2本残っていた。柱に何かが刻まれていたが、風化して読めなかった。
グリムが柱を見上げた。
「大きかったんだな」
「はい」
「何があったんだ、ここは?」
ナナは少し間を置いた。
「後で話します」
グリムが少し目を細めた。それ以上は聞かなかった。
城壁の内側に入った。
17人が静かになった。
誰も話さなかった。ジャックも口を閉じていた。
かつて建物があったと思われる基礎の跡が残っていた。広場らしき石畳がかろうじて形を留めていた。井戸が1つ、縁だけ残っていた。中央に向かう道の跡がうっすらと見えた。
中央に、建物の残骸があった。
塔だった。半分以上が崩れていたが、根元の部分だけが残っていた。石が黒く焼けていた。
(ここで戦ったのか)
前魔王が言った。
『……ここで終わった』
(話してくれるか?)
少し間があった。
『……いい。ここまで来たなら、話す』
ナナは塔の根元に近づいた。グリムが後ろから付いてきた。他の15人は入口付近で止まっていた。リーゼが手で「ここで待て」と示していた。
ナナは焼けた石に触れた。
冷たかった。
『100年前、我はここにいた』
(知っている)
『いや、知らない。お前が知っているのは記録だ。我が話すのは記憶だ』
ナナは黙って続きを待った。
『この場所は砦だった。ヴァル=イグレア——我の名を冠した砦だ。誇らしかった。我が作ったのではなく、住人たちが作ってくれた。人族・魔族・獣族が混じって住んでいた』
(混じって、か)
『この世界では珍しかった。今も珍しいかもしれんが——我はそれが誇らしかった。種族が違っても同じ場所に住める。それを証明したかった』
(調停者、という名前の由来か)
『そうだ。我は戦うことより、対話することを選んだ。他の魔王たちに何度も手紙を送った。会いに行った。お前たちと争う気はないと言い続けた』
(それで滅んだ)
前魔王が少し黙った。
『……そうだ。第一魔王と第六魔王が動いた。純血主義と破壊本能——まるで違う動機だったが、我を邪魔だと思う点では一致していた。包囲された。住人たちを逃がした。最後は1人でここに立っていた』
(1人で、か?)
『仲間がいたが——逃がした。一緒に死なせたくなかった。それが正しかったかどうかは、今も分からない』
ナナは石から手を離した。
(後悔しているか?)
『何を?』
(1人で立っていたことを)
前魔王が長い間、黙った。
『……後悔している。逃がしたことが、ではない。最後まで対話しようとしたことが、甘かったと思っている』
(甘かった、か)
『第一魔王は対話する気がなかった。最初から、なかった。我はそれを最後まで認めたくなかった。それが判断を鈍らせた』
(同じ過ちを繰り返さないために、私に残ったのか?)
『そうだ』
ナナは広場を見た。
石畳の隙間から草が生えていた。100年間、誰も踏まなかった草だった。
(ここを再建する)
『……何?』
(ここを再建して拠点にする)
前魔王がしばらく黙った。
『正気か?』
(正気だ)
『廃墟だぞ。城壁は崩れている。水が出るかも分からない。住人もいない』
(今は、そうだ)
『資金がない。人手がない。何より——ここは前魔王の死地だ。縁起が悪いと思う者が多い』
(縁起が悪い場所を再建する方が、意味がある)
前魔王がまた黙った。長い間、黙った。
『……お前は我と違うな』
(そうか?)
『我は作られたものを守ろうとした。お前は——これから作ろうとしている』
ナナは少し間を置いた。
(前魔王が作れなかったものを、作る)
『……そうか』
前魔王はそれきり黙った。
グリムが隣に来た。静かに立っていた。しばらくして言った。
「さっきから、考え込んでいるな」
「はい」
「何を考えていた?」
「ここを拠点にしようと思っています」
グリムが少し目を見開いた。
「……廃墟をか?」
「はい」
「正気か?」
(前魔王と同じことを言う)
「正気です」
「資金は? 人手は? 食料は?」
「今はありません」
ナナはグリムを見た。
「Dランクになりました。依頼の幅が広がります。稼ぎながら少しずつ整えます。急ぎません」
グリムが廃墟を見た。城壁の跡。崩れた建物の基礎。焼けた塔の残骸。
「……大変だぞ」
「分かっています」
「なぜここにこだわる?」
ナナは少し間を置いた。
「ここは意味のある場所だからです」
「どういう意味だ?」
「後で話します。今はまだ、言えないこともあります」
グリムが少し黙った。
「……分かった。ただ」
「はい」
「全員に話せ。俺だけ聞いても意味がない」
「分かりました」
グリムが入口の方へ向かった。16人に集まるよう手で示した。
17人が広場の中央に集まった。
ナナは全員を見た。
「ここを拠点にしたいと思っています」
しばらく沈黙があった。
オズが手を挙げた。
「費用の試算をしてもいいですか?」
「お願いします」
オズが帳簿を開いた。広場を見渡した。城壁を確認した。塔を見た。井戸を見た。それから帳簿に書き込み始めた。
ダリオが腕を組んだ。
「城壁が崩れている。修復に何年かかる?」
「全部は修復しません。まず居住できる区画を作ります。残りは順番に整えます」
「水は?」
「井戸があります。使えるかどうかはこれから確認します」
「食料は?」
「周辺の地形を見る限り、耕せる土地があります。でも当面は依頼の報酬で賄います」
ダリオが少し間を置いた。
「……考えてきたわけじゃないのに、よく答えが出るな」
「今考えています」
サルが言った。
「ここ、何かあるのか? ただの廃墟じゃないだろ」
ナナは少し間を置いた。
「100年前に、この場所を作った者がいます。その者は滅びました。でも——この場所が目指したものは滅びていません」
「目指したもの?」
「種族を問わず、共に生きられる場所です」
サルが少し黙った。
「……盗賊出身の俺たちも、か?」
「はい」
サルが少し間を置いた。それから鼻を鳴らした。
「まあ——悪くない」
ジャックが言った。
「俺は賛成。ここに住めるなら面白そうだし」
「住めるようになるまで時間がかかります」
「どのくらい?」
「最低限の居住区画なら、半年あれば作れます。依頼を続けながら、並行して整えます」
「半年か——」
ジャックが廃墟を見回した。
「……まあ、気長にやろう」
ミラが静かに言った。
「井戸を確認してもいいですか? 水質を見ておきたいです」
「お願いします」
ミラが井戸に向かった。ジョンがついていった。
オズが帳簿を閉じた。
「試算が出ました。最低限の居住区画の修復に、金貨15枚かかります」
静かになった。
「現在の手持ちは金貨1枚と銀貨6枚です。今回の依頼報酬の金貨2枚を加えても金貨3枚。12枚不足します」
「分かりました。依頼を続けます」
「急ぐとどのくらいで貯まりますか?」
「Dランクの依頼を月に4件こなせば、月に金貨2〜3枚の純利益が出ます。4〜6ヶ月で届きます」
「ではその計画で進めます」
オズが頷いた。また帳簿に書き込んだ。
リーゼがナナの隣に来た。
「いつからここを目指していた?」
「今日、ここに来てから決めました」
リーゼが少し目を細めた。
「……今日、か」
「はい」
「来る前から、何か感じていたんじゃないのか?」
ナナは少し間を置いた。
「感じていたものはあります。ここに来て、見て、決まりました」
リーゼが広場を見た。
「面白い場所を選ぶな」
「そうですか?」
「廃墟に拠点を構える傭兵団など聞いたことがない」
「最初になります」
リーゼが短く笑った。
ミラが井戸から戻ってきた。
「水が出ます。臭いも色も問題ありません。飲めると思います」
「よかった」
「ただ——」
ミラが少し躊躇った。
「井戸の縁に、何か刻まれていました」
ナナは井戸に向かった。
縁の石に、文字が刻まれていた。風化して薄かった。かろうじて読めた。
古い文字だった。前魔王の知識が流れ込んできた。
(読める)
声に出して読んだ。
「——ここで水を飲む全ての者に、安らかな眠りを」
前魔王が静かに言った。
『……住人が刻んだ文字だ。我が作ったのではない』
(100年間、ここにあったのか?)
『そうだ。誰も読まないまま、100年間』
ナナは文字から手を離した。
17人が静かに立っていた。
グリムが言った。
「……いい場所じゃないか」
誰も反論しなかった。
夕暮れが始まっていた。
廃墟の石が、夕日を受けて少しだけ赤くなった。
ナナはその光を見た。
(ここから始める)
前魔王は何も言わなかった。
塔の影が、ゆっくりと長くなった。




