第21話 黒森峠
Dランク昇格の翌日、ベラが掲示板に新しい依頼書を貼り出した。
ナナはその1枚を手に取った。
「黒森峠の北側、廃集落周辺に出没する怪物の調査および駆除。報酬金貨2枚。期間5日以内」
グリムが隣で確認した。
「Dランクか」
「はい。初めてのDランク依頼です」
「黒森峠——北の山脈か。遠いな」
「2日かかります」
ナナは地図を広げた。グレンフォードの北、山脈に向かう街道が細く伸びていた。峠の手前に集落の跡があった。峠の先——山脈の向こうに、小さく記された地名があった。
イグレア。
「峠の先にイグレアという地名があります」
グリムが地図を見た。
「何かあるのか?」
「確認したいことがあります。依頼を終えた後、少し足を延ばせますか?」
「峠の向こうか。何があるんだ?」
「廃墟です。——行ってみる価値があると思っています」
グリムが少し間を置いた。
「……分かった。依頼を終えてからな」
「はい」
リーゼが掲示板の前で腕を組んでいた。
「全員で行くか?」
「はい。金貨2枚なら17人を動かす価値があります」
「それと、峠に着くまでに寄りたい場所があります。リーベンスです」
リーゼが少し目を細めた。
「またか」
「エリスさんに話があります。1時間で済みます」
「……分かった」
翌朝、17人で出発した。
北の街道は広かった。しばらく行くとリーベンスへの分岐が現れた。
「少し待っていてください」
ナナが分岐を曲がった。グリムが後ろから付いてきた。
「1人で行くと言いましたが?」
「お前が1人で動くと心配だ」
「……では一緒に来てください」
2人でギルドに向かった。
エリスはいた。ナナを見て、またすぐに顔が明るくなった。
「いらっしゃい!今度は連れがいる」
「グリムです。副団長です」
エリスがグリムを見上げた。グリムがエリスを見下ろした。
「でかい人だね」
「子供だな」
「20歳です」
「……そうか」
エリスがナナを見た。
「今日は何の用?」
「北に向かいます。黒森峠の先に廃墟があります。もし調べることがあれば、後で教えてほしいことがあります」
「廃墟? どんな廃墟?」
「イグレアという地名です」
エリスが少し首を傾けた。
「聞いたことある気がする。師匠なら知ってるかも」
「マルセルさんに聞いていただけますか?」
「うん。何を知りたいの?」
「その場所に、何が残っているか。以前何があったか。それだけです」
「分かった。帰り道に寄ってくれれば調べておく」
「ありがとうございます」
「気をつけてね。黒森峠、あまりいい噂を聞かないから」
「どんな噂ですか?」
「峠に番人がいるって。通してもらえないことがあるって」
グリムが少し眉を上げた。
「番人?」
「うん。詳しくは知らないけど——師匠は知ってるかも」
ナナはグリムを見た。グリムが肩をすくめた。
街道に戻り、17人で北へ向かった。
1日半歩いた。山が近づくにつれ、木々の色が変わった。針葉樹が密生して空を塞ぎ、道に差し込む光が薄くなった。黒森という名に偽りはなかった。
峠への道が細くなった。
廃集落はすぐに見つかった。建物が数棟、崩れかけていた。井戸が1つ残っていた。
怪物の痕跡があった。引っ掻いた跡。大きな足跡。骨が散らばっていた。
「ジャック、ジョン。偵察を頼みます」
2人が動いた。
15分後に戻ってきた。
「4頭います。大型の狼に似た怪物です。狼より大きい。ヴァルグと呼ばれる種だと思います」
前魔王が言った。
『ヴァルグか。群れで動く。リーダーを倒せば統率が崩れる。前の依頼と同じ考え方でいい』
(分かった)
「グリムとリーゼが前衛。レンとジョンが遠距離。ダリオは側面を抑えてください。残りは後方で待機」
「4頭なら多すぎないか?」
ダリオが言った。
「慣れないうちは余剰戦力があった方がいい。今回はDランクの初戦です」
ダリオが少し間を置いた。
「……分かった」
ヴァルグが廃集落の奥から現れた。
4頭。予測通りだった。ただ速かった。野犬の倍以上の速さで地面を蹴り、間合いを一気に詰めてきた。
リーダーが正面からグリムへ向かった。グリムが大剣を構えた。リーダーが跳んだ。グリムが半歩動いて牙をかわし、すれ違いざまに横腹を叩いた。リーダーが転がり、立ち上がろうとした瞬間、レンの矢が首に刺さった。動かなくなった。
残り3頭の統率が乱れた。
左の1頭がダリオへ向かった。ダリオが槍を構えた。正面から受けず、右に半身をずらした。槍の穂先がヴァルグの肩に入った。深くはなかった。ヴァルグが向きを変えた。ダリオが追わなかった。
「ジャック」
ダリオが短く言った。
ジャックが左から走り込んでいた。短剣を2本持っていた。ヴァルグの側面に入り込んで首筋に刺した。一撃で仕留めるほどではなかったが、動きを止めた。そこにダリオが槍を入れた。
右の1頭がリーゼへ向かった。リーゼが剣を抜いた。ヴァルグが跳んだ瞬間、リーゼが地面に伏せた。飛び越えたヴァルグの腹を下から斬り上げた。着地したヴァルグが数歩よろけて、倒れた。
最後の1頭が後方へ向かった。オズたちがいる方向だった。
(まずい)
ナナが風を叩きつけた。ヴァルグが横に吹き飛んだ。ジョンが矢を2本放った。止まった。
ナナは後方を確認した。オズが帳簿を胸に抱えて壁際に張り付いていた。ミラが薬入れを背に庇うように立っていた。手に短剣を持っていた。
(短剣を持っていたのか)
戦闘終了まで、12分だった。
怪我人はなかった。
ダリオが剣を拭きながら言った。
「ジャック」
「何すか?」
「次は俺が追った後、先に入れ。タイミングが遅かった」
「……はい」
ジャックが素直に頷いた。
ナナはダリオを見た。
「良い動きですね」
「当たり前だ。これくらいできなくてどうする」
ダリオが短く言って、剣を鞘に収めた。
依頼を完了して、翌朝に峠へ向かった。
黒森峠の入口は石造りの門のような地形だった。岩が両側から迫っていた。道幅が狭くなっていた。
そこに、人がいた。
1人だった。
大きかった。グリムより頭2つ分はあった。戦斧を肩に担いでいた。革の鎧を着ていた。年齢は40代後半か。顔に深い傷があった。目が鋭かった。
17人が近づくと、男が動かずに言った。
「止まれ」
低い声だった。よく通った。
ナナが前に出た。
「黒い翼です。峠の向こうに用があります」
男がナナを見た。ゆっくりと、上から下まで見た。
「嬢ちゃんが団長か?」
「はい」
「16人連れて?」
「はい」
男が少し口の端を動かした。笑ったのかもしれなかった。
「俺はゴルドーだ。この峠の番人をしている。通したくない者は通さない」
「基準を教えてもらえますか?」
「俺が危ないと判断した者だ」
「私たちは危険ですか?」
「さあな」
ゴルドーがナナを見続けた。
「嬢ちゃん、魔力があるな?」
「あります」
「かなりある。子供にしては異常だ」
「そうです」
「……正直だな」
「隠しても分かるでしょう?」
ゴルドーが少し目を細めた。
「その魔力で、俺と戦えるか?」
グリムが少し前に出た。ナナが手で制した。
「分かりません。試したことがないので」
「試してみるか?」
「必要がありません」
ゴルドーが少し眉を上げた。
「なぜだ?」
「あなたを倒す理由がありません。通してもらいたいだけです」
「倒せないから言っているのかもしれんぞ」
「そうかもしれません」
ナナはゴルドーをまっすぐ見た。
「倒せるかどうかより、倒す必要があるかどうかの方が先です。今は必要がない」
ゴルドーが黙った。
しばらく、ナナを見ていた。
それから、ゆっくりと笑った。今度ははっきり笑った。
「面白い嬢ちゃんだ」
ゴルドーが戦斧を地面に突き立てた。
「峠の向こうに何の用だ?」
「イグレアに行きます」
ゴルドーの表情が変わった。笑いが消えた。
「……イグレアか」
「はい。廃墟と聞いています」
「廃墟だ。100年前から誰も住んでいない」
「知っています」
「なぜ行く?」
「確認したいことがあります」
「何を?」
「行ってみなければ分かりません」
ゴルドーがナナを見た。また長い間、見ていた。
「嬢ちゃん、名前は?」
「ナナです」
「ナナ、か」
ゴルドーが戦斧を持ち上げた。肩に担いだ。
「通っていい」
グリムが少し息を吐いた。
「……さっきまで戦う気だったのにあっさりしてるな」
「嬢ちゃんの目が気に入った。それだけだ。戦う理由がない者と戦うほど暇じゃない」
グリムが少し黙った。
「……それはこちらの台詞だ」
ゴルドーがグリムを見た。それから笑った。
ゴルドーがナナを見た。
「帰りにも寄れ。話を聞きたい」
「はい」
「約束できるか?」
「約束します」
ゴルドーが頷いた。道を開けた。
17人が通り始めた。
ナナが通る時、ゴルドーが言った。
「嬢ちゃん」
「はい」
「イグレアで何かを感じたら——怖がるな。あそこは、そういう場所だ」
ナナは少し間を置いた。
「どういう意味ですか?」
「行けば分かる」
それだけだった。
ゴルドーが道の端に立った。17人が峠を抜けていった。
グリムがナナの隣を歩きながら小さく言った。
「怖がるな、か。何があるんだ?」
「分かりません。行けば分かります」
「お前が分からないと言うのは珍しい」
「分からないことは分からないと言います」
グリムが短く笑った。
峠を抜けた。
山の向こうに、広い盆地が広がっていた。
遠くに、廃墟が見えた。城壁の跡だった。崩れていた。塔が1本だけ残っていた。
前魔王が静かに言った。
『……来たか』
(知っている場所か?)
『知っている。我が最後に立っていた場所だ』
ナナは足を止めた。
(そうか)
盆地に風が吹いた。草が波打った。
『……行くか?』
(行く)
ナナは歩き始めた。廃墟へ向かって、まっすぐ歩いた。




