第20話 リーベンスへ
翌朝、グリムに言った。
「リーベンスに行ってきます。1人で」
グリムが少し目を細めた。
「1人でか?」
「用がある相手がいます。報告しておかなければならないことがあります」
「魔法使いギルドか?」
「はい」
グリムは少し黙った。
「何日かかる?」
「往復で2日。向こうで1日。合計3日です」
「……分かった」
ナナがグリムとリーゼを見た。
「3日、頼めますか?」
「構わない、が」
リーゼがナナを見た。
「留守の間も金はかかる。依頼を進めておく。それでいいか?」
「お願いします。オズと相談して、動ける依頼を選んでください」
オズが帳簿を開いた。
「昨夜確認した範囲では、Eランクの依頼が2件取れます。報酬は合計銀貨12枚。3日分の宿と食事が銀貨18枚ですので、差し引き銀貨6枚の赤字になりますが——」
「Dランクの試練結果はいつ出ますか?」
「ベラさんに確認が必要です。昇格が認められれば依頼の報酬が上がります」
「分かりました。今日ベラさんに確認してください」
「はい」
レンが言った。
「1人は危ない」
「街道です。問題ありません」
「……前もそう言った」
ナナはレンを見た。返す言葉を探して、やめた。
「今回は紅き牙には会いません」
リーゼが短く笑った。
「行ってこい。3日以内に戻れ」
「はい」
グレンフォードを出たのは朝だった。
1人で歩くのは久しぶりだった。3人になってから、ほとんど1人で動いていなかった。17人になってからは一度もなかった。
街道が静かだった。
風が吹いた。ローブの裾が揺れた。
前魔王が言った。
『1人の方が気楽か?』
(気楽ではない。静かだ)
『違うのか?』
(17人いると、考えることが多い。静かだと、考える必要がなくなる分、別のことが気になる)
『何が気になる?』
ナナは少し間を置いた。
(昨夜の契約のことだ。16人が全員残った。それが——予想外だった)
『驚いたか?』
(驚いた。何人かは迷うと思っていた)
『魔王だと知っても、か?』
(そうだ)
前魔王は少し黙った。
『……我には理解できないことだが』
(私も完全には理解できない。ただ——)
『ただ?』
(今日まで一緒に動いてきた。それだけだと思う)
前魔王がまた黙った。しばらくして言った。
『簡単なことだな』
(そうだ)
街道が続いた。
リーベンスに着いたのは翌日の昼前だった。
魔法使いギルドに向かった。
扉を開けると、エリスがいた。カウンターに本を広げていた。ナナを見て、顔が明るくなった。
「いらっしゃい!」
「こんにちは」
「来てくれると思ってたけど、もう少し先かなって思ってた。思ったより早かった」
「用ができました」
「師匠に?」
「はい。それと——エリスさんにも」
エリスが少し目を丸くした。
「私に?」
「はい。後で時間をもらえますか?」
「もちろん! 師匠、今日は在室してるから。ちょっと待って」
エリスが奥に向かった。しばらくして戻ってきた。
「通っていいって」
マルセルの書斎は前回と同じだった。本が積み上がっていた。マルセルが机の前にいた。ナナを見て、少し目を細めた。
「来たか。座りなさい」
ナナは座った。
「報告があります」
「聞こう」
「魔王化が発動しました」
マルセルが少し間を置いた。
「いつだ?」
「3日前です。Dランク昇格試練の帰り道で、仲間が人質に取られました。その瞬間に発動しました」
「指輪は?」
「抵抗しましたが、抑えきれませんでした」
「どのくらい発動していた?」
「5分ほどです。恐怖のみで相手を退却させました。戦闘にはなりませんでした」
マルセルが頷いた。
「黒霧の領域か。意図して出したか?」
「意図していません。気づいたら出ていました」
「魔王名は?」
「名乗りました」
「……そうか」
マルセルがしばらく黙った。窓の外を見た。
「指輪があっても、仲間の危機には勝てなかったということだな」
「そうです」
「それがお前の精神的弱点だ。今後も同じ状況になれば、また発動する可能性が高い」
「分かっています」
「対策は考えているか?」
「仲間との事前の取り決めです。発動した場合の動き方を決めておけば、発動後の被害を最小化できます」
マルセルが少し目を細めた。
「魔王化を防ぐのではなく、発動後の運用を設計するということか」
「はい。今の私には、感情を完全に制御することはできません。ならば発動後を管理する方が現実的です」
マルセルがゆっくりと頷いた。
「……賢い判断だ。前の第七魔王は発動を恥じて1人で抱え込んだ。お前は違う」
「前魔王の記録に学びました」
「そうか」
マルセルが立ち上がった。棚から小さな瓶を取り出した。
「これを渡しておこう。魔力を安定させる薬だ。魔王化の直後に飲むといい。昏睡を短くする効果がある」
「ありがとうございます」
「それと——」
マルセルがナナを見た。
「仲間が16人になったと聞いたが」
「はい。紅き牙が合流しました」
「全員に魔王化を見せたのか?」
「見せてしまいました。その後、全員に正体を明かし、契約を結びました」
マルセルが少し眉を上げた。
「契約を?」
「はい。16人と」
マルセルが窓の外をまた見た。しばらく黙っていた。
「……前の第七魔王は誰とも契約を結ばなかった。お前は随分と違うことをするな」
「前魔王の失敗から学んだ結果です」
マルセルが少し笑った。皺が深くなった。
「生き延びてくれ。それだけだ」
「はい」
書斎を出ると、エリスが廊下で待っていた。
「終わった?」
「はい」
「何の話をしてたの? 難しい顔してたけど」
「近況報告です」
「ふうん」
エリスが少し首を傾けた。
「私に話があるって言ってたじゃない」
「はい。少し時間をもらえますか?」
「もちろん。外に出よう。ここだと師匠が聞き耳立てるから」
エリスが扉をちらりと見た。
「立てないわよね!師匠」
扉の向こうから低い声がした。
「立てる」
エリスが笑った。ナナも笑った。
ギルドの裏手に小さな庭があった。石のベンチが2つあった。
2人で座った。
「何の話?」
エリスが聞いた。真剣な顔ではなかった。ただ、興味があるという顔だった。
「前回、魔力が変だと言っていたでしょう」
「うん。師匠もそう感じてたって言ってた。普通じゃない量だって」
「正確には、魔力の種類が普通ではないんです」
「どういう意味?」
ナナは少し間を置いた。
「魔法使いには言えないことがあります。ただ——」
「ただ?」
「エリスさんは信頼できる人間だと思っています」
エリスが少し静かになった。
「……ナナ」
「はい」
「私、秘密を守れる方だよ」
「分かっています。だから来ました」
エリスが頷いた。
「私の魔力が異常なのは、生まれつきです。制御が難しく、感情が高ぶると暴走します。3日前に一度、暴走しました」
「大丈夫だった?」
「仲間は全員無事でした」
「ナナは?」
「消耗しましたが、問題ありません」
エリスが少し間を置いた。庭の草を見ていた。
「……それを私に話しに来たの?」
「はい。あなたは魔法使いです。今後、もし何か気づいたり、力が必要になった時に頼める相手でいてほしいと思いました」
「頼れる魔法使い、か」
「はい」
エリスが少し笑った。
「友達に頼む、って言えばいいじゃない」
ナナは少し間を置いた。
「……友達ですか」
「そうでしょ。違う?」
「違わないと思います」
「じゃあ言って。友達だから頼む、って」
ナナは少し間を置いた。
「……友達だから、頼みます」
「よし」
エリスがベンチから立ち上がった。
「私にできることは何でもする。魔法の知識なら師匠よりは劣るけど、調べることはできる。それと——」
「それと?」
「何かあったら話しかけてきていいよ。師匠は怖い顔してるけど、私は話しやすいでしょ」
「はい」
「……即答するんだ」
「事実です」
エリスがまた笑った。
庭に風が吹いた。草が揺れた。
「また来てね」
「来ます」
「約束?」
「約束します」
エリスが頷いた。それで十分だという顔をしていた。
翌朝、リーベンスを出た。
帰り道、前魔王が言った。
『友達、か』
(そうだ)
『お前に友達ができるとは思っていなかった』
(私もそう思っていた)
『……どんな感じだ?』
ナナは少し考えた。
(悪くない)
前魔王は何も言わなかった。
(前魔王には友達がいなかったか?)
少し間があった。
『……いなかった。最後まで』
(そうか)
『うらやましいとは思わない。大事にしろ』
(分かっている)
グレンフォードへの道が続いていた。
2日後、グレンフォードに戻った。
宿の前にグリムが立っていた。
「戻ったか」
「はい。依頼は?」
「2件こなした。銀貨12枚。オズに渡してある」
「ありがとうございます」
「それと——Dランクの昇格、認められた」
ナナは少し間を置いた。
「いつからですか?」
「今日から。ベラが書類を出している」
(Dランク。依頼の幅が広がる)
「よかったです」
「お前がいない間に決まったがな」
「問題ありません。結果が出たことが重要です」
グリムが鼻から短く息を出した。
「相変わらずだな」
「はい」
宿の扉を開けた。
16人分の声がした。
ナナは中に入った。




