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第106話 人族の反乱

 戦いの翌日、グリムの右腕の具合を確認しに行った。


 部屋のドアが開いていた。グリムが椅子に座って、自分で腕に布を巻いていた。ナナが入ると、一度だけこちらを見た。それから視線を腕に戻した。


「深くはない。3日もすれば動く」


「見せてもらえますか?」


「医者に見せた。問題ないと言った」


 グリムが巻き終えた布を押さえた。ナナはそれ以上は言わなかった。部屋の隅の椅子に腰を下ろした。


「昨日の戦い、引かせることができました」


「ああ。ただ、また来るだろうな」


「はい。補給が続く間は続くと思います」


 グリムが少し黙った。


「補給を止める手はないか?」


「考えています」


 それだけ言った。グリムが頷いた。ナナは立って、部屋を出た。



 その日の午後、セインから急便が届いた。


 ミラ港経由の速達だった。封を開けた。


 「ヴェルナー公爵が動いた。宗教国家の補給部隊がフォルケン領内の街道を通過しようとしたところ、公爵が直接拒否した。兵を出して道を塞いだ。補給部隊は迂回を余儀なくされている。セイン」


 ナナは文書を一度置いた。


 (ヴェルナー公爵が自ら動いた)


 文書で怒りを表明することと、兵を出して道を塞ぐことは違う。前者は意思表示だ。後者は行動だ。公爵は行動した。フォルケン領内で、宗教国家の軍の通行を直接拒んだ。


 それだけのリスクを取った、ということだった。



 翌朝、ストーンフォールからガリン経由で知らせが来た。


「王から言葉を預かってきた」


 ガリンが短く告げた。


「山道を封鎖した。宗教国家の荷運びが使っていた北の迂回路だ。今後は通さない」


 ナナは少し間を置いた。


「ストルム王に伝えてください。助かります、と」


「わかった」


 ガリンが出た。


 地図を広げた。フォルケン領内の街道が使えなくなった。ストーンフォールの山道が封鎖された。宗教国家の補給路が一気に細くなった計算になる。外海から直接届けるルートは残っているが、陸路が2本消えた。


 (大陸の人族が宗教国家を拒絶し始めた。外海からの補給だけでは足りない)


 外海ルートは時間がかかる。天候にも左右される。陸路の速さと安定性には及ばない。補給が遅れれば、前線に物資が届かなくなる。長く戦えない。


 宗教国家が傲慢に振る舞うたびに、周囲の人族が離れていった。先日家族を引き離した。その結果が、今この形で出ている。



 昼過ぎに、セインからもう一通届いた。


 「宗教国家の内部で補給の問題が議論になっている。人族の協力が得られないことで物資が不足し始めている。前線への送り込みが遅延しているという情報がある。セイン」


 ナナは文書を読みながら、窓の外を見た。中庭でヴォルクが新しく来た難民の整理をしていた。3人だった。今日来た者たちだろう。最近、少しずつ流れてくる人数が増えている。宗教国家の通過を嫌って逃げてきた者が多かった。


 宗教国家が締め付けるほど、人が逃げてくる。逃げてきた者がイグレアに入る。


 そういう流れになっていた。



 夕方、ナナはフォルケンへ文書を書いた。


 ファルク宛てではなく、ヴェルナー公爵宛てに直接書いた。


 「このたびの行動に感謝します。道を塞いでくださったことで、補給の遅延が生じているという情報があります。ありがとうございます。ナナミア=ヴァル=ミリス」


 短く書いた。余分なことは書かなかった。公爵は余分な言葉を好まない人だと、これまでのやり取りで分かっていた。



 返答は翌々日に来た。


 公爵直筆だった。


 「礼はいりません。あれは我々の仲間ではない。以上。ヴェルナー」


 ナナは文書を読んで、少し間を置いた。


 「あれは我々の仲間ではない」という言葉が、公爵の立場をすべて言っていた。人族の聖戦を掲げながら、人族の村人を攻撃する。人族の領主に圧力をかけて協力を求める。それが人族の仲間のやることか、という話だった。


 公爵は怒っている。静かに、しかし確実に怒っていた。


 その怒りが今回の行動を動かしていた。



 同じ日の夕方、ミュリエが来た。


 いつもと違って、何かを持っていた。丸めた紙だった。広げて見せてきたのは地図だった。宗教国家の陣地周辺の手書きの地図で、細かく描き込まれていた。


「補給路の話、聞いたわ」


「はい」


「それでね、こっちの話。宗教国家の後方、ここに谷があるの」ミュリエが地図の一点を指した。「補給隊が必ず通る場所。道が1本しかない。幻術を展開したら、どうなると思う?」


 ナナは地図を見た。指された場所は、宗教国家の陣地と外海ルートの補給線の間にある細い道だった。


「補給隊が止まります」


「そう。動けなくなる。私の幻術の範囲内よ」


「一時的ですね」


「一時的。ただ、前線に物資が届くのが遅れる。補給がすでに滞ってるなら、その遅れが積み重なる」


 ナナは少し考えた。ミュリエが地図を持ったまま待っていた。


「やってもらえますか。無理はしないでください」


「無理はしないわ。美しくない戦い方はしたくないけど、これは美しくないというより、賢いと思う」


 ミュリエが地図を丸めた。


「任せておいて」


 そう言って出ていった。



 夜、ナナは地図の前に座っていた。


 補給路が細くなった。フォルケンの街道が塞がれた。ストーンフォールの山道が封鎖された。ミュリエが谷間の道に幻術を仕掛けようとしている。


 宗教国家は外海からの補給だけになりつつある。外海ルートは時間がかかる。前線に物資が届くまでの間、戦い続けることができるか?


 (補給が細くなれば、長く動けない。長く動けなければ、大規模な攻撃は維持できない)


 それはこちらにとって有利だった。有利になったからといって、戦いが終わるわけではない。宗教国家はまだ前線を維持している。補給が苦しくなれば、一気に決めようとして大きく出てくる可能性もある。


 余裕を持ちすぎないこと。


 有利な状況で緩むのが一番危ない。


 ナナは地図に目を戻した。明日の配置を確認し始めた。手が動いた。

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