第105話 本格侵攻
夜明け前に、レンが来た。
戸を叩く音は2回だった。急ぎの時の音だった。
「来る。今日だ」
ナナは起き上がった。外套を手に取りながら立った。
「規模は?」
「前の4日間とは違う。本隊全部が動いている。砲も全部出てきた。数えた限りで10門以上」
「勇者は?」
「3人とも前線にいる。並んで歩いてきている」
ナナは外套を着た。
「全員を起こしてください」
レンが出た。廊下を走る足音が遠ざかった。
夜明けと同時に、城壁の上から宗教国家の本隊が見えた。
前の4日間とは、密度が違った。前の戦いは先遣隊だった。今回は本隊だ。横に広い隊列が、地平のあたりからこちらへ向かってきていた。砲を引いた馬が何頭もいた。歩兵の数が多い。旗が何本も立っていた。
城壁の上にグリム、ドーガ、リーゼ、エリスが並んだ。全員が同じ方角を見ていた。
グリムが先に口を開いた。
「前より多い」
「はい」
「どうする?」
「動きます。グリムは機動部隊で歩兵の先頭を崩してください。ドーガは集団で圧力をかけてください。エリスは砲を優先して。リーゼは全体を見ていてください」
4人が頷いた。城壁から下りていった。それぞれが走り始めた。
ナナは城壁の上に残った。全体を見渡せる場所に立った。
戦いが始まった。
最初に動いたのはグリムだった。城門を出た機動部隊が、宗教国家の歩兵の先頭に向かって斜めに突っ込んでいった。速かった。先頭の隊列が崩れた。崩れた隙間にドーガの集団部隊が入った。圧力をかける。前の列が後ろを押せなくなる。前線が詰まり始めた。
東の空の端に、砲声が鳴った。
1発目は城壁の手前に落ちた。距離を測っている。2発目が来る前に、エリスが動いた。魔法隊が砲の位置を特定して、熱制御を始めた。砲身が過熱する。砲が撃てなくなる。前の戦いで機能した手法だった。
今回は砲の数が多い。
エリスが1門を止めている間に、別の砲が動く。クルトが土の壁を展開して軌道を変える。セルマが風で砲弾をずらす。ロスが別の砲に向かって走った。3人が分散して対処していた。
(機能している。限界はある。砲が10門を超えれば、3人では足りなくなる)
ナナは城壁から跳んだ。
地面に降りて、前線に向かって走りながら魔法を構えた。宗教国家の歩兵の中に雷鎚陣を展開する。地面に魔力陣が走り、密集した部隊に雷撃が通った。隊列が崩れる。グリムの部隊がその隙間を使った。
正面から圧力をかけながら、砲の位置を確認した。3門、動いていた。エリスが手を離せない砲の隙間を突いてきている。クレモアが改良した小型砲だ。展開が速い。
「雷鎚陣!」
2度目の魔力陣を展開した。今度は砲の周囲に向けた。砲兵が散った。砲が止まった。
魔王化は温存する。まだそこまで使う局面ではない。通常魔法で足りている間は通常魔法で戦う。
戦いの中盤、ミュリエの幻術が展開された。
城壁の上から何かが広がっていくのが分かった。空気が変わった。宗教国家の後方部隊が乱れた。幻術が見えている者は動きを止める。動きを止めた者の周囲が崩れる。連鎖だった。
前線の勇者3名は止まらなかった。
剣の勇者がミュリエの幻術を一瞥して、前を向いた。そのまま歩いてきた。
「前に来た時に見た。実体がない」
槍の勇者が続いた。弓の勇者が後方から矢を放ち続けていた。幻術の霧の中で、3人だけが目標を見失っていなかった。
(学習している。経験を積んでいる。前の4日間で見たものを、今日も覚えている)
道具は経験を積まない。命令を実行するだけだ。経験を積んで、記憶して、次に活かす。それは道具のやることではない。
ナナはその3人を見ながら、前に出た。
剣の勇者と正面から向き合った。前の4日間でグリムと交戦した相手だ。今日はナナが前に出た。
相手が剣を構えた。ナナが魔法障壁を展開した。剣が障壁に当たった。硬い音がした。弾かれた剣が、また来た。速い。前よりも速い気がした。
ナナは障壁を維持しながら、反撃の魔法を構えた。黒閃斬を細く絞って、相手の足元に向けた。跳んで避けた。着地の瞬間を狙って、もう一度。相手が体勢を崩した。退いた。
退いた、が、逃げたわけではなかった。距離を取って、まだ戦う構えをしていた。
(今日は引かせない。ここで止める)
リシュアが後方で動いていた。
宗教国家の指揮官を一人ずつ削っていた。指揮官がいなくなった部隊は命令を受けられなくなる。動きが止まる。止まった部隊の穴にドーガが入る。崩す。その繰り返しだった。
城壁の後方では、レンが弓を構えていた。
その隣に、リアがいた。
今日が初めての実戦だった。弓を構える手が、見ている限りでは震えていなかった。レンが何か言った。リアが頷いた。矢を放った。前線の歩兵に当たって倒れた。
レンが次の目標を指した。リアが向いた。また放った。
命中した。
ナナはその光景を視界の端で見ながら、正面に向き直った。槍の勇者が来ていた。槍の間合いは剣より長い。障壁を張りながら後退した。後退しながら、足元に魔力陣を展開した。
「雷鎚陣!」
槍の勇者が跳んだ。雷撃を避けた。空中で体を回して、槍を構え直した。着地の瞬間、もう一度魔力陣を走らせた。
勇者の足に当たった。膝をついた。立ち上がって退いた。
退かせた。
日が傾く頃、宗教国家の前線が止まった。
止まった、というより、動けなくなった。グリムが先頭を崩し続け、ドーガが圧力をかけ続け、エリスとクルトとセルマとロスが砲を封じ続け、リシュアが指揮官を削り続け、レンとリアが後方から射続けた。
前線に穴が開いた。後続が追いつかなくなった。
宗教国家の本隊が、少しずつ後退し始めた。
ナナは前線で魔法を使い続けていた。体が重かった。魔力の消耗が出てきていた。それでも、まだ立っていられる。まだ通常魔法で戦える。魔王化は温存したままだった。
グリムの部隊が後退する敵を追った。ドーガが追撃の隊列を組んだ。
ナナが声を出した。
「深追いしません。城壁の範囲まで戻ってください」
グリムが振り返った。頷いた。部隊に合図を出した。追撃が止まった。
夕暮れ、城壁の内側に全員が戻ってきた。
グリムが右腕を押さえていた。何かを受けた跡だった。ドーガの革鎧に切れ目が入っていた。エリスが額に汗をかいていた。ロスが地面に座り込んで、「生きてます」と言った。
怪我人の確認をリーゼが始めた。重傷者はいなかった。
ナナは城壁の内側に立って、全員が戻るのを確認した。数えた。欠けていなかった。
リアが戻ってきた。レンの少し後ろを歩いていた。弓を持ったまま、少し顔が青かった。それでも歩いていた。
ナナと目が合った。リアが小さく頷いた。
ナナも頷いた。
(今日は引かせた。止めた)
宗教国家の本隊は退いた。今日だけで終わりではない。また来る。今日は守った。前の4日間と違って、今日はこちらが先に動いた。動きながら守った。それが機能した。
空が赤くなっていた。
ナナは城壁に背を向けて、内側を見た。食堂の方向から炊事の音がしていた。今夜の食事を作っている音だった。煙が上がっていた。
戦いの日の夕方でも、その音は変わらなかった。




