第103話 クレモアの影
レンが戻ってきたのは昼前だった。
靴の泥が乾いていた。夜明け前から出ていたことが分かった。部屋に入るなり、持ってきた紙を広げた。スケッチだった。鉛筆で描いたもので、荒いが形は読める。
「砲の形が違う。前より小さく、数が多い」
ナナはそのスケッチを引き取った。
前の4日間で戦った砲とは、確かに輪郭が異なっていた。砲口が細く、車輪が小さい。小型化されている。小さくなれば運搬が楽になる。運搬が楽になれば展開が速くなる。
「後方に何門ありましたか?」
「確認できたのは6門。荷台がまだある。全部出てくれば10を超えると思う」
「前線への距離は?」
「今の位置からなら、半日で展開できる」
ナナはスケッチを机の端に置いた。レンが出ていく前に、一言だけ言った。
「引き続きお願いします」
レンが頷いて出た。足音が廊下を遠ざかった。
(クレモアが改良した。宗教国家の戦力を上げている)
前の戦闘でエリスが熱制御攻撃を使って砲を7門落とした。その結果を見て、改良してきた。小型化して数を増やした。1門あたりの破壊力を下げても、数で補う発想に切り替えた、ということだ。エリスの攻撃法が有効だったから、対策を打ってきた。
それはクレモアらしかった。
感情で動く相手ではない。実際に起きたことを見て、計算して、最適な答えを出してくる。戦場で一度見せた手は、次には対策済みになっている。
午後、ドーガを呼んだ。
スケッチを見せた。ドーガが腕を組んで、しばらく黙って見ていた。
「小さくなった分、射程も落ちているはずだ。その分、機動力が上がる。どこにでも運べる」
「対応できますか?」
「数が増えた分、エリスの負担が増える。1人で全部は無理だ。エリスと話しておく」
「お願いします」
ドーガが出た後、エリスを呼んだ。スケッチを渡して、ドーガと同じ説明をした。エリスがスケッチを持ったまま、角度を変えて何度か見た。
「熱制御の範囲を広げれば対応できると思う。ただ、同時に複数を狙うのは今の私には難しいかな。クルトとセルマと役割を分ければ何とかなるかもしれない」
「分けて動いてもらえますか?」
「やってみる」
エリスが出た。扉が閉まった。
夕方になって、使いの者が封書を持ってきた。
差出人の名前を見た時、ナナは少し手を止めた。
アルヴィスだった。
クレモアの側近だった男だ。クレモアが宗教国家に合流してからは消息が途絶えていた。セインも位置を掴みきれていなかった。その人物から、直接、封書が来た。
封を切った。
「クレモア様からではありません。私個人から。クレモア様は宗教国家の名目に従っています。内側で動いています。何をしているかは私にも分かりません。ただ、あなたに伝えておくべきだと思いました。アルヴィス」
ナナは一度、読み終えた。
もう一度、最初から読んだ。
それから、折り畳んだ。
(アルヴィスがクレモアを案じている)
クレモアの側近が、クレモアではなく自分の判断でナナに書いてきた。クレモアに従いながら、クレモアが何をしているか自分には分からないと書いた。内側で動いている、とだけ伝えてきた。
アルヴィスはクレモアを信頼している。裏切っているわけではない。それでもナナに伝えておくべきだと判断した。
(クレモアが内側で何かをしている。それは宗教国家のためではない)
宗教国家のためであれば、アルヴィスが別ルートでナナに接触する必要はない。宗教国家の利益になる動きなら、アルヴィスが案じる理由もない。
クレモアは宗教国家を使っている。使いながら、別のことをしている。それが何かをアルヴィス自身も分かっていない、という意味だった。
セインへの返信を書こうとして、手が止まった。
セインはこの件を知っているか? アルヴィスがミラ港経由でこの封書を送ってきたなら、セインの目には入っていないかもしれない。アルヴィスが「私個人から」と書いたのは、そういう意味かもしれなかった。
セインには伝えておこう。内容は慎重に選ぶ必要がある。アルヴィスが動いた、という事実だけを伝えて、文書の細部は書かない。アルヴィスとの接触を続けられる状態を壊さないために。
書き直した。
「アルヴィスから接触がありました。クレモアが内側で動いているという情報のみ。詳細は不明。引き続き動向を確認してください」
それだけにした。
夜、城壁に上がった。
東の空が暗かった。宗教国家の陣地の方向に、いくつかの焚き火が見えた。前の4日間と同じ位置ではなかった。陣地を少し動かしている。砲の配置換えかもしれなかった。
スケッチの砲が頭の中にあった。小さく、数が多い。どこにでも運べる。
エリスが「やってみる」と言った。クルトとセルマと役割を分けると言った。3人が連携して複数の砲を同時に対処する。前の戦いで機能した手法を、相手が変えてきたから、こちらも変える。
変えながら、守る。
それは最初から変わらないことだった。
西の方角に目を向けた。ミラ港の方角だ。夜でも薄く、居住区の明かりがその方向に続いている。人が増えるたびに、明かりの数が増えてきた。
アルヴィスの封書がまだ手元にあった。城壁に上がる前に持ってきていた。もう一度広げる気にはなれなかった。ただ、持っていた。
クレモアが宗教国家内部で動いている。
クレモアの目的は、合理的な判断で世界を動かすことだった。宗教国家の傲慢さはその目的に合わない。だから内側から変えようとしている。変えた先に何を置こうとしているのか、まだ分からない。
(分からないまま、今夜は終わる)
それでいい。分からないことを分からないまま置いておける間は、余裕がある、ということだ。焦って結論を出しても、見えていないものは見えない。
風が来た。東からではなく、北から来た。少し冷たかった。
ナナは封書を外套の内側にしまった。城壁の石に手を当てた。前の4日間も触れた石だった。ガリンが昨夜補修した箇所は、まだ新しい石の白さが残っていた。
同じ場所に立っている。それだけが今、確かなことだった。




