第29話 神なき世界の始まり
「ん……?」
目を開けると洞窟の天井が見えた。
あ、『破滅の龍』は?
身を起こすために右手を着こうと軽く身をひねった時、視界に見覚えのある石像が目に入った。
ジークが地面に跪き、まるで私に『仕える』ようにそこにいた。
「ジークっ!」
慌てて身を起こし、彼の全身を確認しようとすると、彼の周りに障壁が張られていることに気付いた。
「これは……『魔力遮断』?」
周囲から自分に届く魔力を遮断する魔法だ。
魔力のみなので、魔法で生み出した火や氷などの物理的なものは防げない。
例えば魔力に過敏に反応してしまう魔力過敏症の一時的な対策や、戦などで『防御壁』などが敵にかけられる前にかけて、敵を強化させないなどといった用途で使われる。
前者の理由から、私たちのような神官や巫女も修めている魔法だ。
なぜジークがこんな魔法を知っているのだろう?
それになぜこの魔法を自分に?
っ……!
そこで気が付いた。
きっと魔力欠乏症を起こした私のためだと。
あたりを見回してみても『破滅の龍』の姿はどこにもない。
きっとジークが復活して倒した後にこの処置を施してくれたのだ。
私は彼を抱きしめる。
涙があふれてきた。
隣に立ち、彼を守るとあれだけ豪語したにも関わらず、肝心な時に役に立てなかった。
「ごめんなさい、ジーク……」
すると、私の頭の中に声が聞こえてきた。
『ほぅ、覚醒したか。ジークフリードの判断は正しかったということだな』
この声は……『破滅の龍』!
洞窟奥の神像に目をやると、そちらから強大な魔力を感じる。
きっとあそこに。
私は腰から『断界の剣』を外し、左手に鞘を持ち、そのまま神像へと近寄って行った。
洞窟の最奥。
まるで最初からそこに鎮座するためにあつらえたような神像がそこにはあった。
「まだいたのね。『破滅の龍』」
『クックッ。それを分かって退治しに来たのだろう?』
「そうね」
私は腰に下げた『断界の剣』に手をかけてゆっくりと剣を抜く。
三百年前にジークの仲間を殺し、ジークが三百年の孤独を過ごすこととなった一因。
そして今回、少し素直ではなかったけど、心根はとても優しく、誰よりもみんなのことを見てくれていたプリメラさん。
一緒の時期こそ少なかったけど、その軽口で過酷な使命を一時忘れさせてくれた、フォーゴさん。
たくさんの犠牲を生んだ『破滅の龍』。
ジークがたった一人で頑張って、肉体を滅ぼしてくれた。
そして、今とうとう私の手で、すべてを清算させる。
神像の前に立ち、剣を振り上げた。
剣術の心得などない私に、ジークのような難しいことは出来ない。
ただ上げて、振り下ろす。
たったそれだけ。
「覚悟はいいかしら?」
『覚悟? お前たちは何か勘違いをしているな』
「何のことですか?」
『我は残ろうと消されようと、もはやどうでもよい。覚悟など最初からあるわけがないだろう』
その言葉に一瞬気圧される。
だけど、覚悟があろうがなかろうが、私のやることに変わりはない。
そう思い、あらためて頭上で剣を構え直した。
「ならいいわ。『破滅の龍』、その罪を償うため、この世界から消え去りなさいっ!」
力を込めて神像に剣を振り下ろした。
片手を掲げてまるで民へ救いを与えようかという神を象った、その頭上に剣が迫る。
甲高い衝撃音に備えて肩に力が入った。
しかし、何も起きなかった。
いや、正確には非常識なことが起きた。
剣は頭に振り下ろされると、まるでそこに何もなかったかのようにスゥッと素通りし、力を込めた勢いそのままに、神像の置かれた岩棚に刃をめり込ませた。
ガンッ!
「痛っ!」
思った以上の衝撃に手が痺れ、思わず手を離す。
『断界の剣』は岩を切りつけたそのままに、ただそこにたたずんでいた。
「な、なんで?」
『ははっ、『断界の剣』は魂へ作用する剣だ。容れ物などに煩わされんよ』
「『破滅の龍』っ!? なぜ? 私はたしかに神像へ、剣を……」
思わず両手を見る。
まだ先ほどの痺れが取れない。
ふるふると指先が震えていた。
『簡単なこと。魂が大きければ、離れるまで時間がかかる。我ほどのものならばまだしばらくかかる。それだけだ』
「しばらくというのは?」
『日が沈む頃には離れているだろう』
その答えにホッとして胸を撫で下ろす。
しっかりと務めは果たせた。
日が沈むまでならあと二時間ほどだろう。
あと二時間、『破滅の龍』が消えるのを見届ければおしまいだ。
私は突然降って湧いたこの時間で、確認してみたいことがあった。
「『破滅の龍』、あなたはこの世界に神がいると思いますか?」
私の人生のほとんどを教えに捧げてきた。
そして、私が命の危機の時には何もしてくれなかった。
どんなに祈ろうとも。
古代の生き残りのエスケさんは、神はいるが力を貸すものではないと。
自らの心の内にあり、共に力を合わせて生きるものだと言っていた。
それならば、神がいる理由は何なのか?
心に残るわずかなトゲ。
『破滅の龍』なら、なぜか答えを知っていそうな気がしたのだ。
『神か……いた。だが、今はいない。』
「いた時代があったのですか!?」
『世界は神によって作られる。世界があるということは、神がいたという証拠だ』
たしかに、言われてみればこの国だけでも広く大きい。
さらに周辺には他の国も様々とある。
そんな想像すら難しい広大な大地がどのように作られたかと考えたら、『神』という存在は必要不可欠なのかもしれない。
「ならば、なぜ――」
『いなくなったのか? 貴様ら人間が世界から追い出したのだ。神から与えられた『魔法』という理。それをよりによって神に向けてな』
「まさか。神と呼ばれるような存在が、人間に負けるなど」
『神は自らが作った地に、直接介入出来んのだ。何故ならその地に住まうすべてが己の力なのだからな。自らを殺すことに等しい』
初めて聞く話ばかりで、頭がついていけていない。
神が人間に手出しを出来なくて追い出される?
そんなことが本当に……いや、『破滅の龍』が私を騙して?
滅びを目の前に私に嘘をつく理由は?
ダメっ、分からない。
「そもそもなぜ追い出すのですか。そんなことをしても何も……」
『支配のためだ。魔法を使う者、『魔導師』たちは、自分たちと別の理で生きる『神官』たちが邪魔だった。しかし神官たちは修行により神の力を引き出し、強大な力を行使できた。ならば大元の『神』をなくせば、やつらの力も消える。道理だろう?』
「支配をする理由は?」
『自らたちこそが最も優れた人種と示すためだな。『魔法至上主義』と言い換えても良い』
私は思わず大きなため息をついてしまった。
なんて自分勝手でどうでもいい理由なのだろうか。
人との違いを認め合い、分かり合える時こそがもっとも自分が成長出来る時だというのに。
「追い出された『神』はたまったものではありませんね」
『あぁ。導いた我が子に裏切られるというのはあまりの驚きとともに、激しい怒りを感じたぞ』
……変な言葉が聞こえた気がした。
『破滅の龍』がまるで当事者のような言い方をしている。
ま、まさか――。
「『破滅の龍』、まさかあなたが昔この世界を創造した『神』だというのですか!?」
『クックックッ、それを話したのは貴様が初めてだがな。女、名をなんという?』
「エリアナ、エリアナ・クルスです」
『エリアナよ。我がこの世界の創造神、『デウス・クリアドール』だ。元、だがな』
「『神』がなぜ『破滅の龍』などという対極の滅ぼす存在などになったのですか!?」
『言わなかったか? 激しい怒りを感じたと。この世界を追い出された我は、わずか一本の因果の線を残し、どことも知れない空間を三千五百年、漂い続けたのだ。その間に怒りは我の体を、存在を少しずつ作り替えていった。その結果が先ほどの姿よ』
先ほどの姿というのは龍としての肉体ということだろう。
ならば、本来は別の肉体だったものが、少しずつ変化して、あの形になったということになる。
『そして千五百年前に我を呼び出した者たちがこのような神像に我が魂を封じ込めてしまった。本来呼び出すだけの術式を未熟な人間どもが使ったがために、結果がねじ曲がってしまったのだ』
「エスケさんたちサグラードの大神官の召喚の失敗のせいで、本来自由に動けたあなたが、神像に魂を縛られてしまうことになった?」
追い出した存在をまた呼び出し、そのつもりがなかったとはいえ、魂を縛ってこの世界から離れられないようにした。
人生――というのは言葉がおかしいかもしれないが、――を弄ばれた『破滅の龍』の怒りは想像に難くない。
『龍としての肉体を得て、もはや神の頃の清冽な魂は怒りにより濁りきった。この世界へ呼ばれた時に理解した。世界への干渉が可能となったことにな。なれば、我がすることなどただ一つ。我を弄んだこの世界を滅ぼすこと。エリアナよ、我は間違っておるか?』
遠い昔の人間たちのしたことであって、それは私たちには関係ない。
そう断じることは簡単だ。
しかし『破滅の龍』にとっての復讐の対象は、自分をそんな運命に追い込んだこの世界。
きっと私たちは最初から敵対するしかなかったんだ。
「あなたにも事情があったのですね……。しかしだからと言ってプリメラさんとフォーゴさんを焼いたことは許せはしません」
『エリアナよ。貴様は剣を突き立てようとしてきた相手へ、何も抵抗せずにそのまま刺されよというのか? 我とて譲れぬものがある。ならばどちらが生き残るかだけの話しだろう』
「分かってますっ! そんなことはあなたなんかに言われなくても。でも、それでもっ、あの二人はかけがえのない仲間でした。それが、遠く昔の人間のせいで失われたかと思うと、悔しいのです」
膝から崩れ落ち、その場に手をつく。
もしかしたら『破滅の龍』とは戦わなくても良かったかもしれない。
昔の人間の凝り固まった権威主義のせいで、彼は『神』から『破滅の龍』へとその身を堕とした。
それさえなければこの世界には今でも『神』がいて、ジークだって三百年前の時代で、あんな孤独を背負わずに済んだかもしれない。
プリメラさんやフォーゴさんのような、まだ若い、優秀なエルフやドワーフを失うことはなかったかもしれない。
これは……何のための戦いだったの。
『エリアナ、そしてそこで石になっているジークフリード。お主らには感謝している』
唐突に『破滅の龍』がそんなことを伝えてきた。
互いの存在をかけて戦った者同士。
滅ぼされた方が滅ぼした方へ感謝するなど、その理由が皆目見当がつかない。
『この世界から追放された時、我とこの世界は一本の細い因果の糸で結ばれていた。そのため他の世界へ行くことも出来ず、ただただ何もない空間に繋がれていた。お主たちのおかげで完全に因果の糸が断ち切れた。これでようやく新たな世界へと旅立てる』
「ちょっ、ちょっと待ってください。世界というのはそれほどたくさんあるのですか?」
『人の身では分からぬよ。果てしなく広がる空間の中に、様々な神の作った、様々な世界がある。一柱の神がいくつも作ることもあれば、一つの世界を大切にする神もいる。我はまた新しい世界を作り、そこでの『神』となる。今度こそ裏切られぬようにな』
正直理解できたかと言えばまったく理解できなかった。
ただ『破滅の龍』……いえ、『デウス・クリアドール』の言ったことをそのまま記憶をする。
この世界との因果を絶たれて、今初めてようやく彼は『神』の道をあらためて歩いていけるのかもしれない。
そんなことを思った。
「この世界に神がいないことで何か不利益はあるのですか?」
『何かあったか? ないだろう、我は五千年この地の守護者としての任を外れていた。それでも人間は勝手に生き、勝手に争い、勝手に繁栄していった。何も変わらんよ』
「そうですか……」
『そろそろ時間のようだ。エリアナよ、最後にわずかに残った魔力をお前に渡そう。これだけあれば仲間を癒すこともたやすいはずだ』
「仲間……ジークは見たところ怪我をしていないですから、あなたが消えたら石化も解けます。何も問題はないと思いますが」
私の言葉には耳も貸そうとせず、神像から強い魔力の塊が浮き出てきて、私の前にとどまる。
それを両手で受け取ると、まるで体中に沁みわたるように手のひらから魔力が全身に行きわたる。
あの『魔力の泉』のような、暴力的な侵入とは違い、まるで私の体すべてを癒してくれるような、そんなやさしい魔力だった。
「ふふっ、『デウス・クリアドール』様、あなたがいらした時代に私が生きていれば、きっと神を信じ、その教えに従って生きていたでしょうね」
『何を馬鹿なことを。だが、この世界で最後の話し相手がお主で良かった。エリアナ・クルスよ、我が最後の信徒として、永久の幸せを願っておるぞ』
「はい、『デウス・クリアドール』様も、次の世界で心安らかに過ごせることを、信徒、エリアナは心よりお祈り申し上げております」
私は片膝を立てて、両手を合わせて神像へ祈りを捧げる。
初めて神に祈るのではなく、神のために祈った。
私がその場で祈り続けていると、つい今までそこにあった不思議な圧がふっと消えてなくなった。
おそらく旅立ったのだろう。
戦いが始まる前にはまさかこんな結末を迎えるとは思わなかった。
今、私の胸にはこの上ない充足感が満ちていた。
そんな感慨に浸っていると、後ろの方でバゴンッ!と岩を砕くような音が響いた。
振り返ると、そこには穏やかな顔をしたジークの姿があった。
彼は私の姿を認めると、一歩、二歩と足を進め、次第に早足となり、ついには駆け足で私へと近づいてきた。
そしてそのまま抱き着いてくる。
「エリアナっ! 無事か、体に不調はないか」
彼の背中に手を回し、私も強くジークを抱きしめた。
「ふふっ、大丈夫ですよ。むしろ魔力をもらえて今はいつもより元気なくらいです」
「魔力をもらった? 誰からだ?」
「『デウス・クリアドール』様です」
そう言うとジークは不思議な顔をして私の顔を覗き込む。
あとできちんと話してあげよう。
魔力の受け渡しの時に分かった、本当は心優しい神がこの地にいたこと。
そして悲しい行き違いのあったことを。
それよりも私は一つ気にかかっていることがあった。
『デウス・クリアドール』様の言葉。
『これだけあれば仲間を癒すこともたやすいはずだ』
傷を負っていないジークに癒しは必要がない。
なら、この場所に癒しを必要としている人がいる。
そんなの聞くまでもない。
「ジーク、『破滅の龍』がいたあたりまで行きましょう。もしかしたらプリメラさんたちが生きているかもしれません」
「なんだとっ!? し、しかし……」
「いいのです、もしかしたらです。探して駄目なら諦めますが、探しもしないうちから諦めたくはありません!」
私の勢いに押されたのか、ジークは不承不承頷き、私を抱えて『破滅の龍』がいたあたりへ駆けていく。
二人が『火炎』に巻き込まれたあたりは、地面がガラス化しているので、すぐに場所が分かった。
ここで炎に巻き込まれて、私たちは洞窟の奥へ進路を取ったのならば、私たちが気付けなかったとしたらその反対側……。
「手分けしましょう。私はこっち、ジークはそっちを探してください」
魔物の気配もない。
今なら分かれて問題ないだろう。
私は岩の陰をあちこち見てひとつひとつ探していく。
……なんでここはこんなに岩陰が多いのか。
戦闘中は少し助かっていたが、目的がこうなると邪魔で仕方がない。
そして十何度目かの岩陰をのぞいた時に、真っ黒な塊を二つ見つけた。
まるで人一人……というか、この大きさはきっとプリメラさんに、フォーゴさんっ!
「ジークっ!」
私の叫び声にジークはすぐに反応して駆けてくる。
そして黒い塊を見て、やはりすぐに思い至ったようだ。
「プリメラにフォーゴか? くっ、いや、形が残っただけでも……」
私はプリメラさんらしき塊の胸あたりに手を当てて、また手を離す。
あれ、おかしい。
てっきり表面の黒さは炭の黒さだとばかり思っていたが、私の手には何もついていない。
あらためて手を置いて集中すると、ほんのわずかに魔力を感じられる。
これ、炭じゃなくて何かの膜だ。
私はその膜を解除するために、この旅を始めてから、初めて神に祈った。
祈るべき相手はもうこの世界にいない。
けれども、どうしてか祈りたくなったのだ。
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『デウス・クリアドール』様に回復された魔力。
ジークの石化を防がなくて良くなったため、戻ってきた魔力。
そして『魔力の泉』で繋がることができた世界の魔力。
すべての持てる魔力を二人を包む黒い幕へと注ぎ込む。
これで、二人が無事であれば。
どうか無事でいて、プリメラさん、フォーゴさん!




