第28話 あるべき場所へ
『破滅の龍』は目の前で起きたことをただ見ていた。
ジークフリードは我の血を取り込んでいる。
ゆえに、いずれ目覚める。
それにも関わらず女は世界から魔力を集めてジークフリードの体へと注ぎ込んだ。
しかも自分が扱える限界を超えた量の魔力を集めてまで。
結果、女は倒れ伏してジークフリードは目覚めない。
『ククッ』
笑い声が漏れる。
『クックックッ』
非常に愉快だ。
なぜなら初めてのことだったから。
『破滅の龍』が、己の肉体を砕いたことのある相手に勝ったことが。
千五百年前にこの世界へ召喚されて以来、我は幾度も倒されてきた。
屍を踏み越えて押し寄せる戦士たちに。
命を捧げた魔導師たちの極大魔法に。
そのたびに肉体を砕かれ、眠りにつき、目覚めた時には仇はすでに土の下だった。
三百年前。
自分の喉を切り裂いて炎を吐く器官を傷つけて暴走させ、あろうことか何度も同じ個所に切りつけ、そこへ手を差し入れて魔法で中から焼くという、捨て身の戦法で自らの肉体を損なわせられた。
そして今……。
『ガーッハッハッハッハッ! そうだ、しょせん人間どもなどこの程度のものよ。残念だったなジークフリード』
痛快だ。
一度負けた相手に勝つことのなんという甘美なことか。
千五百年、幾度も肉体を砕かれながら、一度として味わえなかった蜜。
それが今、舌の上に落ちていた。
そしてこれほどまでに甘美な想いには、さらなる美酒が必要だろう。
先ほど消した仲間二人と同様にここにいる二人も焼き払い、跡形もなく消し飛ばしてやろう。
そう思い『破滅の龍』が口を開こうとしたその時、ジークフリードの体からとてつもない魔力の奔流が迸る。
体に穿たれた穴は、それこそ魔法でも見ているかのように次の瞬間にはまるで傷などなかったかのような、健康な地肌をのぞかせていた。
カッと目が見開かれ、クンッと背筋の力だけで立ち上がったジークフリードは、そばに落ちていた大剣を拾い上げ、すると不思議そうに全身から吹き上がる魔力の奔流を眺めていた。
「これは、いったい……」
『貴様、なぜそのような……いや、そこの女の仕業だな』
「女? ……エリアナ!」
そばで倒れ伏す女に駆け寄ると、ジークフリードはその胸がかすかに上下していることに安堵し、体の力を抜いた。
そして我に向き直り、ふざけたことを言い出した。
「先に謝っておこう。今の俺にとって、貴様はもう敵ではないかもしれん」
『何を世迷言を』
「俺の中から湧き出るこの魔力。エリアナの残してくれた力。今なら世界すらも断ち切れそうな、そんな感覚を覚えるのだ」
『そうか、ならばその勘違いを抱いたまま、再び一人になれぃっ!』
グワッ!
我は今までで一番大きく口を開き、この洞窟の空気すべてを吸い尽くす勢いで空気を取り込む。
そして喉元から過去に使ったことのないほどの炎を生み出した。
最後に、ジークフリードめがけて遥か海の彼方へ吹き飛べと言わんばかりに力強く炎を混ぜた息を吐きだした。
ゴオォォォォォッ!
フハッ、フハハハッ、予想以上の勢いの炎だ。
この世界へ召喚されて以来、初めてこのような炎を吐いた。
あと数秒後、我の目の前には溶けた地面と灼熱する溶岩のみを残し、あの二人の姿など影も形も残るまい。
我はそう確信した。
◇◆◇
スウゥゥゥ。
『破滅の龍』が息を吸い終わる。
次の瞬間にはヤツの『火炎』が吐き出され、ここら一帯は焼き尽くされるだろう。
先ほどまでは命からがら逃げまわり、隙を見つけて攻撃をするしかなかった。
今すぐエリアナを掴んで逃げ出すべきだろうと思うが、そんなことは不要だと体から立ち昇る魔力の奔流が俺に呼びかける。
手にした大剣に一度だけ目をやる。
三百年前、『破滅の龍』討伐に向かうとはまだ知らない頃に、王都に店を構えていた高名なドワーフの鍛冶師に打ってもらっていた逸品。
第一騎士団で支給される剣は細すぎて俺が全力で振るうと、まるで木の枝を折るようにポキンと折れてしまう。
それを相談した時に、どんな力で振るおうとも折れず、そして切れ味が出来る限り落ちないような最高の剣を仕上げてみせると豪語した彼に、俺は一縷の望みを託した。
出来上がった剣を受け取り、次の出撃から帰ったら高い酒を浴びるように飲もうと約束し、それっきりになってしまった。
「また、頼む」
俺は大剣を両手で握りしめ、大きく振り上げそのまま背中にピタリとくっつけた。
チラッとエリアナを見る。
まだ息はしているが、どうも呼吸が浅い。
早くここをどうにかしてそばに付いてやらねば。
この剣と、エリアナから与えてもらった力、そして俺。
三つの力を掛け合わせ、俺は必ずまた道を切り開いて見せる!
『破滅の龍』が開いた口の奥に、チロッとした火の端が見えた。
来るっ!!
ゴオォォォォォッ!
今までの炎、三百年前の戦いと比べても特に最大の炎がまっすぐ俺たち目がけて奔る。
ハハッ、お前も勝負をかけに来たということだな?
あの、世界で恐れられている『破滅の龍』が、こんな一介の騎士を相手に全力とは。
嬉しいではないか、なぁ、『破滅の龍』よっ!!
奥歯を噛みしめ、腕は力を抜いてムチをしならせる様に。
柄を握る手も大剣がすっぽ抜けない程度に握る。
足の踏み込み、腰のひねり、腕の振り下ろしのすべての力をただ一点に向けて集める。
これらの動作は本番までの助走に過ぎない。
『破滅の龍』の『火炎』と、俺の大剣が交差するそのすぐ直前、腕よ張り裂けろと言わんばかりに、柄など壊れてしまえと言わんばかりに、すべての力を込めて剣を振りぬいた。
『界砕斬!』
後から考えたら錯覚だったとは思う。
だがその時の俺には確かに見えたのだ。
振りぬいた剣が地面を切り裂き、遥か地中深くに眠る何かを目覚めさせた。
そして確かにこちらを見たような気がした。
それが何かは分からないが、その時俺は勝利を確信した。
振りぬいた剣の衝撃波が炎を二つに分けたかと思うと、それが『破滅の龍』の口元へすさまじい速さで遡っていく。
それを見て俺は右足に力を溜めて、一気に解き放った。
衝撃波が『破滅の龍』の口元に届くと、そのままヤツの口を縦に切り裂く。
『グギャアァァァァァァッ!』
ヤツの悲鳴とも聞こえる叫び声を聞く頃、俺はやつの真下に到達し、そのまま大きく飛翔した。
狙うはヤツの喉元。
先ほど剣を弾かれた、あの黒い鱗に覆われた部分。
今の俺ならばこの壁すらも砕ける!
「『円舞斬』!」
空中で剣を振り下ろし、遠心力をそのままに『破滅の龍』の首へ迫る。
「おぉぉぉぉぉっ!」
ザシュッ!
先ほどは無情にも弾かれた大剣が、今度はまるで薄絹を切り裂くかのように深々と『破滅の龍』の鱗を切り裂き、その先にチラチラと燃える炎が姿をのぞかせた。
そして次の瞬間、炎は喉からあふれ出し、『破滅の龍』の身を焼き始めた。
『ガフッ、グゥゥッ、ガアアッ!』
着地した俺は、喉を切り裂かれ、もはや長く叫ぶこともできなくなった『破滅の龍』を見上げた。
体から立ち昇る魔力が先ほどと比べて弱まり始めている。
さあ、最後の仕上げだ。
念のため炎の届いていない背中へと回り込み、背中を一歩一歩登ってゆく。
そして『破滅の龍』という山の中腹、ちょうど身体の中心あたりに立ち鱗を斬り裂いた。
今までならこれくらいの傷を与えたら多少の反応は示していた『破滅の龍』だが、どうやら今は炎との格闘で忙しそうだ。
こちらにまったく気づいた素振りがない。
身体に残った魔力を右手に集め、俺は魔法を詠唱する。
「|猛き炎を司る、原初の聖火よ 《オー・フォーゴ・サグラード・プリモルジアウ、セニョール・ダス・シャーマス・フェローゼス》 |我が手に集い、竜となれ 《ヘウーニ・チ・エン・ミーニャス・マォンス・イ・トルナ・チ・ウン・ドラガォン》 |鋭き爪と猛き牙をもって《コン・ガーハス・アフィアーダス・イ・プレーザス・フェローゼス》 |我らが敵を焼き尽くせ《コンソーミ・アテ・アス・シンザス・ウス・ノッソス・イニミーゴス》」
右手に炎が生まれ、猛り、うずまき、次第に竜の形になっていく。
「今度こそ永遠の別れだ。さらば、『破滅の龍』!『火炎龍!』」
切り裂いた皮膚に手を差し込み、竜を解き放つ。
傷口から巨大な火柱が上がり、火柱は次第に体内へと吸い込まれていった。
『グガアッ、ガハッ、グゥゥ……』
声こそ出ないが身体は大きく暴れまわり、俺はその反動で背から振り落とされ、近くの岩壁に叩きつけられる。
「グハッ!」
そのまま地面に落ちそうになるが、なんとか剣を岩肌に突き立て……ようとして、右手が炭化していることにも気付かずに剣を取り落とし、俺もそのまま落下した。
なんとか左手で受け身を取り、身を起こす。
わずかに残った魔力で右手を回復させた。
『破滅の龍』に目をやると、外から中から火が上がり、もはや山火事のようだ。
しかしそれも程なく落ち着いてゆく。
燃えるものがなくなって来たのだ。
巨躯を支え続けた『破滅の龍』の足が崩れ、目の前でゆっくりと地面に倒れ伏した。
「終わった……のか?」
『あぁ、終わった。またしてもやられたぞ、ジークフリード』
『破滅の龍』の声が、直接頭の中に響いてきた。
「なっ、貴様まだっ!」
『……いや、終わりといった。初めて、我を倒したものへの復讐が果たせるかと思ったが。強いな、ジークフリード』
俺は注意しながらも『破滅の龍』の顔の横に移動する。
後ろから見ていたが、前はより酷かった。
もはや前面は黒焦げになっており、背面の黒い鱗と合わせて、どこまでが鱗かもよく分からないような状態だ。
「中への対策は出来なかったようだな。そうされていたら負けていたかもしれん」
『ふっ、『断界の剣』を使うのだろう?』
「あぁ、さっそくな」
俺は……そうだっ!
「エリアナっ!」
息が浅かった。
肌の色がいつも以上に白かった。
そんなの分かっていたはずなのに。
もっと早く思い出さなければいけなかったはずなのに。
俺は、俺は――!
何よりも早く、過去のどんな戦よりも早く俺は駆ける。
エリアナはさっきとまったく変わらぬ姿勢でそこにいた。
うつ伏せのままだったので抱き起し、口元に手を当てる。
息は……している。
しかしさっきよりも呼吸が浅い。
見た限りでは外傷はない。
ならば何が彼女をこれほどまでに衰弱させている?
『はは、魔力欠乏症とはな。貴様に魔力を与えすぎた報いだ』
「魔力欠乏症!?」
聞いたことがある。
魔力を自分の限界以上に使いすぎると体の魔力が完全にゼロになる。
するとそこで意識を失い、外部から魔力を与えない限り放っておけば死に至る。
だが、俺に魔力を融通する魔法は使えない。
「くっ! 魔力、魔力をどうすればエリアナに――」
『ジークフリード、我の血を飲ませればよい。まだ我の体内に残っているはずだ。見たところ愛する女なのだろう? 我を滅ぼさねば二人で永遠に生きられるぞ?』
『破滅の龍』の言葉が俺の頭に甘い霧をかけてくる。
エリアナと永遠に?
あの三百年の孤独も、彼女と一緒であれば……。
その時俺の脳裏に三百年前に共に戦ったヨハン殿、レオン、エリーの姿が。
そしてプリメラとフォーゴの姿が浮かび上がった。
そうだ、俺のワガママを通すということは、共に戦い散っていった彼らの魂を侮辱することとなる。
……だが、このままではエリアナが。
「どうすればっ、俺はどうすればいいっ! 教えてくれ、エリアナ!!」
彼女の顔は何も変わらない。
自分はやり切ったという顔をして、静かに息をしている。
俺は、俺は……。
『ええ。一般的に考えれば教会に従事する人が使えるべきは『神』ですよね? けれど、そんな常識を打ち破り、自分の人生すべてをかけてその人に尽くしたい。神の力すらも捧げて。そう思わせてくれる人のことを『仕えるべき人』と呼ぶのです』
ハッ!
『仕えるべき人』?
自分の人生すべてをかけて?
そうだ、俺はあの時誓ったじゃないか。
『もう泣くことはない。俺は君に起こされた。なら、この命は君のために使おう』
ハハッ、何を悔やむことがあったのか。
魔力なら、俺の中にずっとあったじゃないか。
エリアナが意識を失っても、ずっと支え続けてくれた。
これを、今あなたに返そう。
俺は『破滅の龍』を振り返った。
「残念だったな、『破滅の龍』。最後のチャンスはなくなったぞ」
『チャンス? 別に命乞いなどではない。貴様が何を選ぼうと、我は……』
そこで、『破滅の龍』の体が塵となり消えていく。
……ひとまず、終わったのだな。
エリアナの傍らに跪く。
彼女の手を取り、今度はきちんと手の甲に口づけを落とした。
俺の体が魔力を吸い続けている限り、エリアナは満たされない。
ならば、流れを断てばいい。
あの夜、彼女に起こされたこの体を、もう一度石へ戻せばいい。
エリアナの手を彼女の胸に戻し、俺はその体勢のまま、魔法を唱えた。
「『魔力遮断』」
俺の体を魔力の膜が覆い、すべての魔力の流れを遮断した。
つま先から次第に俺の体が石化していく。
「エリアナ、後は頼んだぞ」
やがてジークは完全に石となる。
倒れ伏したエリアナ。
『破滅の龍』との戦いの激しさはすでになく、ただ静寂だけがこの空間を満たしていた。




