第15話 魔力の理
パシャ、パシャ……
泉の中央へと一歩進むごとに、私の体に何かが入ってこようと圧力がかかる。
ふくらはぎまで進むと、圧力のせいでまるで足がつったように感じられた。
思わず足が止まり、バランスを崩して右手を着く。
すると今度は、指先から鋭いものを突き刺されたような痛みを覚え、
「あぁっ!」
と悲鳴をあげてしまう。
右手に一気に力を入れて、なんとか立ち上がる。
思わず右手を見ても、血も出ていなければ、腫れてもいない。
先ほどの痛みがまるで嘘だったかのようだ。
「これ! 止まるな、進み続けなければ体に負担がかかるだけだぞ」
ポルテイロ様から叱咤の声が飛ぶ。
「はいっ!」と叫び、その言葉に縋るように、私は足を進めた。
しかし、下半身が泉に浸かりきったところで異変が起きる。
今までよりも急激に泉の魔力が体の内部へと入り込んできたのだ。
外から押され、中から押され、私の下半身は二つの力で押しつぶされそうになる。
「グゥッ!」
耐えられないっ!
そのまま私は前のめりに泉の中へと倒れ込んだ。
すると、先ほどの比ではない圧力が全方向から私を襲う。
頭から、顔、腕、足、ありとあらゆる部位からひどい力がかかり、私の体を押しつぶそうと迫りくる。
そして口から力が流れ込んだとき、私は息をすることが出来なくなる。
(てっ、手をついて立ち上がらないと……)
しかし、先程まではすぐ足元にあった泉の底がどこにもなく、手は虚しく水中をかき分けるのみ。
(どうして!? ダメッ、こんなところで……私、は……)
ガボリ
私に残された最後の空気が、喉を通り、口から漏れて、無常にも体から離れていった。
決して止まることもなく、緩むこともなく、一定のスピードで空気は昇っていく。
そして、私は次第に何も考えられなくなった。
(ジーク……ごめんなさい……)
すると、私の頭の中に景色が流れ始める。
ディヴィザ岬の教会で、騎士たちとの戦闘で、エルフの森で。
私が先に倒れたことにより、ジークが蘇れず、また石化してしまい、次々と体が打ち砕かれてしまう。
次から次へと、そんな場面が何度も繰り返された。
私がいれば、彼ならどの危機も相手にならずに乗り切っていただろう。
私が、彼をこの世に繋いでさえいれば……。
――ダメだっ!
私の命は私だけのものじゃない。
私は、ジークの命も預かっている。
私がいることで、初めてジークも生きる。
何のための挑戦だ!
負けるためじゃない。
二人で『破滅の龍』に打ち勝ち、未来を掴み取るため。
これは、勝たなきゃいけない挑戦だ!
ジークへの想いを胸に、私は水に向かって叫ぶ。
「ジーク!」
私の声は水の中にも関わらず、空気として発せられることなく、水を震わせ声として響く。
これは……。
「ジーク!!」
先程よりも強く水が震え、気のせいか、私を押し包む圧力が弱まった気がする。
私はお腹の下に力を入れ、この場からあの人の呪いすら解けよと、私の全存在をかけて声を放った。
「ジーーーークッッ!!」
すると、先ほどまで私を押し包んでいた力が、急になくなり、その代わり私の中から、抑えきれないほどの何かが湧き上がってきた。
◇◆◇
エリアナが泉に浸かり、もう五分は経ったろうか?
「……遅いな」
そうつぶやき、ポルテイロ様は静かに水面を見つめ続ける。
エリアナ……。
初めて会った時は、戦う力もなく、ただ危険に身を晒すしかなかった。
なぜこんなやつがエルフの森に、のほほんと物見遊山で訪れたのかと不思議で仕方なかった。
しかし、私がジークに負けて、尊厳を傷付けられる直前、私の仲間へケンカを売ってまで私の尊厳を守ってくれた。
……情けなかった。
戦う力もない、弱い人間ごときに。
集落でも有数の力を持つ私が、守られるなんて。
ジークへの好意を自覚してからのあいつは、見違えるように強くなった。
それは、力や魔法よりも難しい。
覚悟に殉じる強さ。
そして、今まさにその覚悟に殉じて、命の灯が消えようとしている……。
――ダメだ。
私は、まだあいつに返せてない。
何の力もないのに私の前に出てきた、あの覚悟に応えるだけのものを、返せてない。
こんなところで――死なせてたまるかっ!!
「……風の精霊よ、我が呼び声に応えよ」
「っ! プリメラ、バカ者! 泉に魔法など打ち込んでは、泉がっ!!」
「かまうものかっ! エルフのしきたりがなんだ、私はあいつにまだ返せてないっ!!」
「……激しく舞い踊り、全てを巻き込む嵐となれ! 風の螺旋!」
私の手から、風の渦が巻き起こり、泉を撃つ。
(……このまま、渦を縦に、高さを抑えて)
「やめろ、やめんかっ、プリメラ! 我らエルフの秘中の秘の地が!」
ポルテイロ様の手から無数のカマイタチが放たれ、私の腕を、足を裂いていく。
痛みに顔をしかめてしまうが、集中力を切らしたら負けだ。
エリアナを救うチャンスはここしかない。
「エリアナ、聞けぬのであれば、お主の命を絶つ。それでも良いのだな?」
「あぁ、構わない。しかし忘れるな。私の命を絶ったが最後、私たちが同族殺しと蔑み、見下している人間どもと、あなたは同じになるのだということをな!」
顔を歪めるポルテイロ様。
しかしすぐに覚悟は決まったようだ。
「私は『泉の門番』。与えられた役割を果たすためなら、喜んでその汚名を被ってやるさ」
……ここまで、か。
エリアナが風の渦から弾き飛ばされてもいないし、渦の中にもその姿が見えない。
まだ泉のどこかにいるのだろう。
すまない――二人とも。
その時、渦の中から直視出来ないほどの眩い光が放たれる。
目を灼かれ、思わず集中力が途切れてしまった。
「まずいっ!」
風に巻き上げられていた泉の水が、滝のように泉へと落ちていく。
あっという間に泉は満たされていき、ほぼ元の水位を取り戻していた。
そんなことよりも、私とポルテイロ様の視線は、泉の上に浮いている光に釘付けになっていた。
「エリアナ、お前……」
その光は、エリアナの体から発せられていた。
白く、やわらかな光は、泉を、森を、そして私たちを照らし続けていた。
◇◆◇
……あたたかい。
強い光に目を開けることが出来ない。
それでも、私は体を包む溢れんばかりの魔力に、安心して身を委ねることが出来た。
泉が教えてくれた。
魔力は人の中だけにある力ではない。
世界のどこにでも存在する力。
この泉は特に魔力が高いだけ。
そこに人やエルフが入れば、元に戻ろうとして私たちの中へ無理やり入り込もうとする。
だから、『ここに私はいる』。
そう、泉に教えるだけで良かった。
境界線を作るだけ。
無理に跳ね返そうとするから、泉もまた抵抗をするのだ。
そして『魔法』とは、その世界の魔力を借りて行使するもの。
世界に『私』という境界線を作り、私の魔力をきっかけにして、顕現するもの。
私が火種、世界の魔力が薪のようなものだ。
私は少しだけ無意識にそれを使っていたらしい。
だからジークを呪いから解いた状態を維持し続けられた。
……世界の、魔力を分けてもらって。
これを自覚できた今、私はもう少しだけ世界にお願いが出来る。
「光よ、収まって」
私の言葉に強い光が収束していき、私はようやく目を開けることが出来た。
私の眼下に『魔力の泉』が広がり、小さくポルテイロ様とプリメラさんが見えた。
……私、浮いてる?
なっ、何で浮いてるの!?
慌てた瞬間、そこにあったはずの見えない足場のようなものが消え去り、私の体は泉へと落下を始めた。
「キャーーッ!」
泉の水面にぶつかるかと思われた瞬間、力強い何かが私の体を受け止めた。
そして、続けざまに体の上にバサッと何かをかけられた。
目を開くと、
「無事かっ、エリアナ!」
顔面蒼白なジーク。
おかしい、たしかにいつものジークだ。
私はまだ呪いを解いていないのに。
「大丈夫か? 体に痛みやおかしなところは? あぁ、いや、ベッドを借りよう。まずは体を休ませねば」
普段あまり見たことのない、慌てふためくジークに、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、ジーク、そのように慌てないで。私は大丈夫ですよ」
「そ、そうか?」
安心したのだろう、ジークは顔を伏せた。
しかし、違ったようだ。
「そ、その……すまん。見てしまったのは、本当に偶然で、あの場で変なことを伝えて集中力を削ぎたくなかっただけで、いや、それでもすぐに伝えるべきだった。申し訳ないっ!」
……そういえば、裸を見られてたっけ。
なんでだろう?
今となってはどうでもいいことに思えてきた。
何より消えそうになっていた私を、私の命を繋いでくれたのは、紛れもなくジークがいてくれたから。
私だけなら、きっと負けてしまっていた。
「もう……いいですよ。こうして今度は覆ってくれてますし。でも、素肌を触られるのは、その、恥ずかしいので、早めに降ろしていただけると……」
「このマントでは体を包めないのでな。少し待っててくれ」
言うが早いか、ジークは私を抱えてあっという間に泉の岸へと駆け戻った。
早すぎて、危うくマントが剥がれるところだったけど。
「よくぞ生き残ったの、エリアナよ」
「ほら、また巻いておけ。今度ははだけさせるなよ」
ジークから降ろしてもらい、私はプリメラさんから受け取ったシーツで再度全身を覆った。
水に濡れた体にシーツが張り付いてしまい透けていたが、これはプリメラさんが風魔法ですぐに乾かしてくれた。
おかげで問題なく体が覆えている。
……この間、ジークはきちんと後ろを向いていてくれたみたいだ。
「ジーク、もういいですよ」
「う、うむ。しかしさっきのようなことがやいよう、俺はこちらを向いておこう」
「私がいいと言ってるのです。向いてください」
そこまで言って、ようやく彼はこちらを向いてくれた。
彼の全身を確認する。
どうやら石化している部分は本当にないようだ。
「まだ解呪していないのに、どうして?」
「うむ、それについては、途中何か光に包まれたような記憶がある。おそらくそれではないかと思うのだが」
「そういえば私も渦の中から強烈な光が放たれて、すぐに目を逸らしてしまったが、もしかしたらその時の光だったかもしれん」
「渦?」
そう聞くと、ポルテイロ様が少し怒りながら事の顛末を話してくれた。
「プリメラさん……心配をおかけしてすみませんでした」
「ま、まだ借りも返せてないからな。こんなところで死なれたら、私が困る。それだけだ」
私が深くお辞儀をすると、プリメラさんは、そっぽを向きながらも、顔を赤らめる。
命をかけてまで私を救おうと動いてくれた彼女は、前よりも近づいてきてくれている。
思わず頬が緩んでしまう。
そして彼女の手足に傷を確認したので、泉の試練の効果を早速試してみる。
今までは私の魔力を傷へ送ろうとしていた。
そうではなく、周りの魔力に少しずつ集まってもらうイメージで……。
「治癒」
すると、見る間にプリメラさんの傷はふさがり、元の綺麗な白い肌を取り戻した。
「ふぅん、これが人間の治癒の術か。見事なものだな」
プリメラさんは腕と足をしげしげと見つめる。
そして私の肩を叩いた。
「魔力の本質、掴めたようだな。これで少しは役立たずなどと思わなくて済むようになるんじゃないか?」
その言葉に私は満面の笑みで答えた。
◇◆◇
元の装備に着替え終わった頃、ポルテイロ様が話しかけてきた。
「お主ら『破滅の龍』を倒すそうだが、倒す術は持っているのか?」
倒す術?
ジークが倒した時に、特別な何かを使ったとは聞いてはいないけれど。
ジークを振り向くと、彼も首を横に振る。
「はぁ。まさか龍を倒せば終わりと思っているとはな。あれはヤツの仮初めの姿に過ぎん」
あまりに突然の話に私は口を手で覆う。
「ヤツが三百年ごとに蘇るのは、真の魂の容れ物に戻り、力を蓄えるため。だからヤツを真に倒すには、その容れ物とヤツの魂そのものを消滅させるための武器が必要なのだ」
「ポ、ポルテイロ殿、その容れ物と武器はどこにあるのだ?」
ジークが椅子から立ち上がって聞くが、ポルテイロ様は首を横に振る。
「容れ物は分からん。昔、集落のエルフが『破滅の龍』との戦いに参加したことがあり、その際に仮初めの肉体から離れていく魂――まぁ、魔力だな――を感じたので、そう推察しただけのことだからな。容れ物がどこにあるか、どういう形をしているかも不明だ」
「で、では武器は?」
「こちらはまだ希望はあるぞ。この国に住むドワーフたちの、一族の宝として祀られている一振りの剣。それが魂を消滅させられるとウワサに聞いておる」
ドワーフ。
エルフのように交流を絶ってはいないものの、彼らもまた自分たちのエリアからは出てこようとはしない種族。
酒と武器の交換で流通をしていると聞いたことはあるけど。
「ドワーフか。そちらには残念ながら知り合いはいないな」
ジークがそう言って頭をかく。
少し期待を込めてプリメラさんに視線を送るが、
「私たちは私たち以外の種族とは、交流がないからな。もちろん知らないぞ」
と、にべもなく返されてしまった。
居住地が分かっていることだけが不幸中の幸いか。
「どちらにせよ、真の魂の容れ物を見つけても、武器がなければ仕方ない。まずは武器を手に入れにいくとしよう」
そう言うとジークが一瞬うめき声をあげて、片膝をついた。
「ジーク!」
「大丈夫だ、エリアナ。一瞬、俺の中の『破滅の龍』の血の魔力が跳ねた。かなり復活が近いようだ。急がねばならん」
「急ぎであれば、街道に戻って北西にある街で、馬商人のコルセルにこれを見せなさい。二十年ほど前に魔物から逃れてこの森に入り込んでな。命を救ってやった恩がある。まだ存命なら力になってくれるだろう」
そう言うとポルテイロ様は、精巧な馬の絵が彫られた割札を渡してくれた。
「よろしいのですか?」
「私が馬に乗ってどこなりと行くものかね。使わないものを持っていても仕方ない。必要なところで使ったほうがいいのさ。あと、プリメラ!」
ポルテイロ様は何かをプリメラさんに投げてよこす。
「次期族長のしるしをみだりに使うもんじゃないよ。しっかり大切にしまっておきな」
次期族長!?
道理でエテルノ様が気にかけるわけだ。
「しかし、ポルテイロ様、私は掟を……」
「ふん! 黙っててやるから、今度取っておきの酒を送ってよこしな……私も昔、似たようなことがあったからね。気持ちは分かるんだよ。けどね、族長になったら種族のことを考えるんだ。忘れるんじゃないよ」
「は、はい! 決して忘れません」
「今生の別れでもあるまいし。ほら、さっさと行きな」
こうして、私たちはまず北西の街モンタリアを目指す。
しかし、『破滅の龍』の胎動は、国の魔物を活性化させはじめ、私たちの旅が今までよりも苦しいものになるとは、この時は思いもしなかった。




