第16話 魔の胎動
北西の街、モンタリアまで残り半日程度。
私は野営の準備を進めつつ、プリメラさんから、とても重要な魔法を教えてもらっていた。
「この魔法のイメージは、水を生成し、お湯へと変化。それを霧状に拡散させた後に風で一気に巻き上げる感じだ。このようにな」
プリメラさんの手に水の玉が生まれ、瞬時に湯気を放ち、パッと空中に散ったかと思うと、プリメラさんの周囲を風が巻き上がってゆく。
ビュウゥゥッ!
風が空へと拭き去った後に現れたプリメラさんの装備や顔からは、汚れが取れ、ピカピカになっていた。
「裸になってこれを使えば、風呂に入った程度には汚れを落とせる。何かがあって水が使えない時などに重宝するが、まさか旅でこの魔法がこんなにも重要になるとはな」
「そうなんです! ジークとの旅の途中、これだけが本当に困って。そうそう水場があるわけでもないですし、プリメラさんがいてくれて、本当に良かったです」
はらはらと涙を流して彼女の手を握りしめる私に、プリメラさんは困ったように横を向く。
「まあ、なんだ。お前が覚えるまでは外の汚れは私が落としてやるし、お前相手なら体の汚れも落としてやる。だがあの男のは死んでもごめんだぞ?」
「彼には私から伝えますから」
「お前が落としてやればいいだろ? 好きな男の裸なら構うまい?」
「かっ、構います!!」
するとジークが薪集めから戻ってきた。
かなり拾ってきてくれたが、どこからこんなに拾ってきたのだろう?
小さい枝だけでなく、ヘタをしたら小さな木の幹ではないかと思うようなものまである。
「ジーク、ありがとうございます。その……多いですね」
「あぁ、少し前に派手な戦闘があったようだ。かなり枝が折れて地面に散らばっていた。毎晩探すのも手間だからな、少し多めに取って持ち歩こうと思ったのだ」
するとプリメラさんが固い表情になる。
「戦闘? また人同士か?」
「いや、おそらく魔物同士だな。人の痕跡のようなものはなかった」
「魔物同士が戦うのですか?」
「やつらも魔物という一枚岩ではないからな。魔物同士の戦いなど当たり前にあるぞ?」
なるほど、この間のエルフの森襲撃のように、ジークの中の『破滅の龍』という目的があれば争いはしないが、目的がなければ争うこともあるのだろう。
それが縄張り争いなのか、違う何かなのかはよく分からないけど。
ジークが薪を降ろして焚き火の準備を始めたので、私も用意していた鍋を持ち、そばに近付く。
すると少し固い声でジークが告げた。
「やはり早めに移動した方がよさそうだな」
「何故です?」
「魔物同士の戦闘はあるとは言え、あまりこのような街道近くで起こるものではない。やつらも知能があるからな。人に見つかるリスクは心得ている」
胸を押さえてジークは続けた。
「『破滅の龍』の復活が近づき、魔物も活性化してるんだろうさ。自分たちの神が蘇るとな」
「む? 何か血の匂いがしてこないか?」
突然のプリメラさんの一言に緊張が走る。
ジークは剣を抜き、プリメラさんは灯りを増やして視界を上げる。
私は魔力の壁を作った。
「防御壁!」
これでよほどの威力でもない限りは、不意打ちを受けても問題ない。
「エリアナの魔法を初めて受けたが、この練度は素晴らしいな。たいした腕だ」
「そうだな、出会った時にこれを張られていたら、我々の弓矢は完全に無力化されていただろう」
二人の歴戦の戦士に褒められ、つい舞い上がりそうになる。
しかし灯りが増えたとは言え、視界の悪い中、どこから何が来るか分からない。
私は頬を軽く叩いて気合を入れ直した。
「ジーク、こちらの方角だ」
プリメラさんが自分の前方を小さく指さした。
「俺が見てこよう。プリメラはエリアナを頼む」
「バカ者。暗闇で目が利かないお前が行っても役立たずだ。ここは夜闇を見通せる私に任せておけ」
言うが早いかプリメラさんはゆっくりと前に足を進め、次第に闇の中へと消えていった。
「ふぅ、あの無鉄砲さにはエテルノも苦労させられたろうな」
「あら、私のお友達を悪く言うと、ジークと言えど承知しませんよ? ――ところで、プリメラさんはこの中で普通に動けるんですか?」
「あぁ、エルフは夜の暗さもあまり苦にはならないそうだ。なんでも精霊の放つ淡い光で、暗闇でも見えるらしい」
そうなると精霊がいないところでは見えないということだろうか?
プリメラさんが戻ってきたら聞いてみよう。
……しかし、なかなかプリメラさんは戻ってこなかった。
緊張が続く中、私の顔を汗が伝う。
私の前に立つジークは、石像に戻ったかのように微動だにせず、ただその視線だけを右に、左に走らせていた。
すると、遠くの方からハァ、ハァという息切れが聞こえてきた。
たぶんプリメラさんだ。
ジークが私の手を掴み、そちらへと駆け出す。
程なくして灯りが届く範囲ギリギリのところでプリメラさんの姿が見えてきた。
パッと見は特に怪我などはしていなそうなことに、胸をなでおろす。
どうやら誰かをおぶっているようだ。
「プリメラ、変わろう。重かったろう、済まなかったな」
「バ、バカにするな。このくらい、ハァ、ハァ平気だ」
「プリメラさん、代わってください。あなたも休まないと」
私の言葉に渋々従い、背中の人物を降ろす。
若い女性のようだ。
右腕に大きな引っかき傷を負っている。
「ジーク、彼女を灯りの下へ。私が診ます!」
ジークが彼女を抱きかかえ、灯りの下にマントを敷いて寝かせてくれた。
たまにこういう細やかな気遣い見せるのは、騎士団で習ったことなのだろうか?
「プリメラさんすいません、灯りを彼女の傷口に寄せてもらえますか?」
座り込んで息を整えていたプリメラさんが何かを呟くと、灯りがふよふよと漂い、私の手元に降りてきた。
これで確認出来る。
傷口を丹念に調べてみる。
鋭い爪で引っ掻いたように、肌が抉れてはいるが、毒などに冒されている様子は見られない。
ひとまずホッと息をついた。
毒に冒されていては、傷を塞いでも毒ごと塞ぐことになるので、この事前確認は徹底して覚えさせられた。
するとジークがお酒を渡してくれた。
……いつの間に持ってたのか、後で問いただそう。
彼から受け取ったお酒で傷口を洗い、さらにそれを水で流す。
「治癒」
世界の魔力をほんの少し借りて、私は彼女の傷に手を添えた。
「んっ!」と、一瞬彼女は顔を歪めたが、意識が戻ったわけではなさそうだ。
それほど時間はかからず傷口は塞がったが、目に見えたものを塞いだだけで、もしかしたら他に傷を負ってるかもしれない。
「プリメラさん、すいませんが手伝っていただけますか? ジーク、彼女の体を調べますので、すみませんが向こうへ。鍋を火にかけてスープを作っておいてください。そのまま火にかければ出来上がりますので」
私の指示に二人が素早く反応して動く。
プリメラさんの手を借りて、彼女の服を脱がせながら全身を確認していく。
……恐れていた服の下の傷や、毒を受けたような形跡も見られない。
良かった、後は彼女が起きてきたら事情を聞いてみよう。
再び服を着せて、ジークに彼女を焚き火の近くへ運んでもらった。
「魔物……だろうな、あの傷は」
「そうだな。街が襲われて、命からがら逃げてきたといったところだろう。私が見つけた時は近くに魔物の気配はなかったので、誰かがうまく逃がしてくれたに違いない」
街を魔物が襲うことは、今までもなかったわけではない。
しかしそのために各村や街では自警団を組織していたり、国からも一人は騎士や衛兵が派遣されているはずだ。
それが機能しなかったということは……。
「魔物同士の戦いだけではなく、街や村も安心出来ない状況になってきているということだな」
ジークの言葉に私とプリメラさんは頷く。
話をしながら一通りの食事が済み、片付けようとしていると、少女が目を覚ました。
「……こ、ここは?」
頭を押さえながら上半身を起こしてきた彼女は、一瞬バランスを崩して手をついた。
まだ体力が戻ってないのだろう。
私は彼女のそばに寄り添い、背中を支えた。
「ここはおそらくモンタリアの街から半日ほどの場所です。私たちが野営をしている近くであなたが倒れていたので、運ばせてもらいました。体は大丈夫ですか?」
私の言葉に右腕を確認した彼女は驚きの表情を浮かべる。
「ないっ!? 確かに傷を受けたのに!」
「治癒させてもらいました。私の名はエリアナ。旅の巫女です」
「あなたが? あ、ありがとう、私はフィリパ。でも、私はそんなお金……」
「バカなことは言わないで。私が勝手にしたこと。こんなことでお金はいただけません。それより何があったのですか?」
すると彼女はぽつり、ぼつりと話始めてくれた。
彼女はモンタリアの馬商人、コルセルさんの一人娘で、今日の昼過ぎに突如魔物の軍勢がモンタリアを襲い、コルセルさんのお店の馬が真っ先に狙われたそうだ。
コルセルさんが馬を救おうと、護身用の剣を抜いて立ち向かったところ、魔物三匹を切り倒したところで魔物の爪に倒れ、その魔物にフィリパさんも襲われて右腕に傷を負ったそうだ。
彼女にもとどめを刺そうと魔物が迫ったところで、倒れ伏していたコルセルさんは最後の力を振り絞って、魔物の足を掴んで引き倒し、剣ごと倒れ込み魔物にとどめを刺した。
そしてフィリパさんに、「逃げろ!」と叫んで、果てたそうだ。
……モンタリアの街が襲われたこともショックだったが、目的のコルセルさんも馬もすでにいないことに目の前が暗くなる。
「ポルテイロ様のお気遣いが無駄になってしまったな……」
プリメラさんが懐から馬の絵が彫られた割札を出して、悔しそうに眺めた。
するとフィリパさんがそれを見て叫びを上げた。
「それ、父さんの! どこでそれを!!」
慌てて立ち上がろうとする彼女を、私はなんとか抑えた。
まだ体力も戻っていないのに、無理をして欲しくない。
「あれは、昔、あなたのお父様の命を救った、エルフの女性から預かったものです。私たちは今からコルセルさんのところへ馬を譲っていただくために旅をしていたのですが……」
「その話なら聞いたことがある。父さんが引退したら、私にその約束を守り継いで欲しいって、何度も聞かされてた」
「ええ、そのような真摯な方を亡くすとは……惜しいことをしました」
するとプリメラさんが割札を私に投げてよこした。
「つまりそれは、私たちにはもう役立たずというわけだな。女、お前にくれてやる」
「プリメラさん、何で素直に父親の形見代わりに譲ると言えないんですか! あと、投げない! 怒りますよ!!」
私の剣幕にたじろぐプリメラさんを尻目に、私はその割札をフィリパさんへ差し出した。
「あなたのお父様の真心が詰まった割札です。お父様のものとは違いますが、きっとあなたを守ってくれる。どうか受け取ってくれませんか?」
「いいの? あなた達の大切なものじゃ……」
私は首を横に振り、彼女の左手を取って、その上に割札を置いた。
「この割札は、きっと私たちとあなたを引き合わせるためのものだった。その役割を終えた以上、元の持ち主へ、その後継者のあなたへ返すのが筋というものです」
割札の上から私は手を重ねて、彼女を見つめた。
彼女の顔がゆがみ、浮かび始めた涙は、あっという間に決壊し、頬を濡らす。
それが合図かのように、彼女は力いっぱい私に抱きついてきた。
「うわぁぁ、父さん、父さーん! ……ううっ」
彼女の力強い腕に手を置く。
小さく震える彼女の体を私は抱きしめ、髪を撫で続けた。
少しでも、彼女の痛みが軽くなるよう。
そんな都合の良い願いを。
世界に満ちる魔力たちへ祈り続けた。
◇◆◇
「それで、フィリパさんは行くアテはあるんですか?」
泣き止んだ彼女へ、温め直したスープと、明日の私のパンを渡して、お腹を落ち着かせてもらいつつ、私はこれからについて聞いてみた。
「……モンタリアの街から北西へ四日行ったところ、ドワーフの集落で叔父が酒造りをしてるの。そこを頼ろうかと」
「ドワーフだと!?」
ジークが突然強い声で反応したので、フィリパさんはビクッと体を震わせた。
私はジークを軽く睨みつつ、フィリパさんの肩を掴んだ。
「ちょうどいいわ、私たちもそこを目指していたの。ただ、なるべく早く着きたくて。そのためにコルセルさんに馬を譲ってもらおうとしてたのよ」
するとフィリパさんは口に手を当てて、しばし考え込む。
私たちは彼女の言葉を待つ。
すると、
「モンタリアの街から西に一日行ったところに、馬たちが暮らす草原がある。私の家の馬は、そこから連れてきた馬を育てていた。そこでうまく馬を捕まえることが出来たなら、早く移動できるかもしれない」
と、呟くように話してくれた。
そして私の前に手を付き、頭を下げた。
「頼む、私を一緒に連れてってくれないか? 馬の捕獲も手伝う。それに料理も私が全部準備する。それに……」
そこまで言ったところで、私は彼女の手に上から手を重ねた。
急な接触に驚いた彼女は、頭を上げて私の顔を見つめる。
「やめてください。料理は私の楽しみなんですから、取らないでくださいよ。それに、あなたを連れて行くことなんて、もう決まってますよ。ね、ジーク、プリメラさん?」
二人は顔を見合わせ、同時に苦笑し、それぞれ頷いた。
私の勝手な人助けに、何を思っていても、結局は手を貸してくれる二人には、感謝しかない。
「でも、馬のことは専門外ですので、それだけは協力をお願いします」
今度は私の方から彼女へ頭を下げた。
少しの間、何も返事がなかったが、私が頭を下げ続けていると、
「あ、ああ。ああっ、協力するよ。ありがとう、エリアナさん」
彼女は私の手を取り、目を潤ませながら、何度も頭を下げた。
こうして私たちの旅路は、フィリパさんという新しい仲間を迎え入れ、一路馬の住処へと向かう。
その中でジークは生涯の友となる馬と出会うこととなる。




