第三話「意識改革、不満と不安と」 1
翌日。宿舎で惰眠を貪っていたワタシの目を覚ましたのは、規則的にドアを叩く音だった。
「はーい、今開けますー」
ノックの音に、寝ぼけ眼を擦りながら、ベッドの上から起き上がる。
身体は未だ熟睡中なのか、ひどく動きが鈍い。
外から差し込むぼんやりとした陽光が目に染みる。
(こんな時間帯に、一体誰なのよ。まだ、早朝じゃない……)
カーテン越しに薄白い光がうっすらと差し込んでいるとはいえ、朝日が昇るにはまだまだ掛かる時間帯。そんな早朝から訪ねてくるなんて、誰だろう。まさか、何か急を要する事態でも起こったのだろうか。
(急な任務か何かかしら。にしては、ノックが打ち鳴らされているわけでもないし、急いでいる様子じゃないけど……)
ぼやけた頭で色々と考えていても、結局は応答した方が真実まで辿り着くには手っとり早い。寝癖を手早く直しつつ、ワタシはドアノブに手を掛けた。
金属の軋む鈍い音がして、扉がゆっくりと開く。
「はい、何でしょうか……あれ?」
瞬間、外に待ち受けていた人物を目の当たりにして、ワタシはひどく驚いた。
「おはよう、マナミさん」
「メイシラさん……?」
にこやかな笑顔で兵舎の前に佇む女性を、ワタシはまじまじと見つめる。
「どうしたんですか、こんな朝早くから」
「副隊長からの指示を伝えて回っているんですよ。皆、中央広場に集合するように、だそうです」
「中央広場に?」
メイシラの言に、意図が分からず首を傾げてしまう。
(副隊長って、あのニーベルスって奴よね。なんでまた、こんな朝っぱらから号令掛けたりなんかするのよ。固っくるしい朝礼じゃあるまいし……)
中央広場とは、本部の門を入ったすぐのエリアの名事だ。馬車などが本部内を通過出来るよう十分な幅を有していて、小規模の集会くらいなら開ける広さがある。
しかし。中央広場で集会の類が開かれた事など、ワタシがエリュシールにやってきてからは一度も無かった。
「ワタシは他の宿舎に行かなきゃだけど、なるべく急いでね」
「あ、はい。着替えたらすぐに行きます」
メイシラが去っていった後、扉を閉めて手早く着替えを済ませる。宿舎を出た瞬間、ひんやりとした外気がワタシの肌を撫でた。
「うー、やっぱり眠い……」
砂利を鳴らしながら道を歩いていき、中央広場に向かう。門の前には既に多くの隊士達が集まっていた。皆、大小の差異こそあれ、それぞれが困惑の表情を浮かべている。やはり、突然の召集に戸惑いの色を隠せないらしい。朝っぱらから叩き起こされてロクな起床が出来なかった者も多いらしく、寝癖や服装の細やかな乱れも目立った。
「あっ、マナミさん」
名前を呼ばれて振り向くと、ミナーシェがいた。普段通り疲労知らずの平然とした佇まいで、にこやかに手を振っている。いつもと変わらない落ち着いた物腰には、予定外の起床を強いられた残滓は欠片も見られない。
「流石に眠そうですね」
「当たり前よ、寝てたところを叩き起こされたんだもの」
自然と欠伸が出てきて、口元を手で覆う。
「睡眠不足は肌にも悪いのに……ミナーシェは良いわよね。あまり身体に堪えていないみたいだし」
「あはは、ソレ、この前にも言ってませんでしたっけ?」
水色髪の青年が困ったような笑みを浮かべた、その時。
「全員、揃いましたか?」
静かながらよく響く声がして、ワタシとミナーシェは聞こえてきた方角に視線を向けた。いつの間にか、エリュシール新副隊長、ニーベルスの姿があった。集合する隊士達の前方に立っていて、彼の傍らにはセデックとメイシラが控えている。部下である二人は真面目な面持ちで何やら言葉を交わしていた。
「これから、何が始まるんでしょうね」
「有り難いお説教か何かの発表って線が妥当じゃないかしら……まぁ、面倒になる事を言わなければ、何でもいいんだけれど」
早いところ用事が済んでお開きにならないだろうか。背筋を伸ばしながら頭の片隅で溜息を付いていると、先ほどとはまた別の声が耳に届いてくる。
「ニーベルス、これは一体どういう事だ」
ゼルリックが本部からやってくるところだった。表面上の口調こそ穏和だが、言葉の芯には有無を言わせない力強さが込められている。部隊を統率するに足る強靱な威厳を纏い近づいてくる様は、遠目に見ているだけのワタシにも背筋のピリピリするような感覚を与えていた。しかし、
「ああ、隊長ですか」
ニーベルスは落ち着いた様子で応対した。
「朝からの点呼をと思ったのですが、誰も来ていない様子でしたのでね。こちらから召集を掛けさせて頂きました。騎士団の規則通りに、ですが」
「騎士団規則?」
「ええ。騎士団の規則通りに、です」
眉を顰めたゼルリックに対し、ニーベルスはゆったりとした口振りで同じ言葉を続ける。彼の立ち振る舞いに、隊長に対する狼狽は全く見られない。
「正規騎士団に在籍していた隊長なら、よく御存知の事と思いますが……王に忠誠を誓う騎士たる者、国の象徴たる太陽の光が燦々と降り注ぐ昼間であろうと、闇に紛れて不届き者共の忍び歩く月夜であろうと、何時如何なる時も仕える主君の為に最善を尽くせるよう、備えを怠ってはなりません。朝早くから全体点呼に顔を出す事は言うなれば、騎士の肩書きを持つ末端の者にとって当然の義務とも呼べるべき心掛け。これを破った上で非難の矢で以て射られない例外は、名誉の負傷を受けた者達や、課せられた任務に従事している最中の者達のみに限定される筈です」
だというのに、と彼は苦々しげに言葉を続けた。
「窓から様子を観察していれば、姿を見せた者は守衛か任務を終えて帰還した者くらい。自主的に鍛錬に望む者は皆無、あまつさえ朝の召集も掛けられていない。正規騎士団の人間であればとっくに起床している時間帯だというのに、この部隊の者達の多くは惰眠を貪っている有様です」
ニーベルスは嘆かわしいとでも言いたげに頭を振った。
「全く、騎士は本来であれば兵士達の模範となるべき存在であるというのに。この体たらくは、どれだけ弛んでいるのかと厳しい言葉を掛けずにはいられません。やはり、この部隊には根本からの改革を促す指導者が必要のようですね」
(ちょっと……幾らなんでも、言い過ぎなんじゃないの!?)
頭に血が上ってしまい、ともすれば大声を上げてしまいそうになる自分を、手の甲に爪を立てて必死に抑える。
それでも、ともすれば義憤を口に出してしまいそうだった。
ニーベルスの言い分は、あまりに無茶苦茶だ。
確かに、彼の言う通り、エリュシール隊は時間に厳粛な気風を有していない。
任務開始ギリギリまで居眠りをするルトレーが注意を受ける事こそ多々あるものの、逆に言えば目につくのもそれくらいで、起床、訓練、食事を取る時間などの生活スタイルは隊員によって全く異なる。流石に重要な任務となれば召集が掛かるものの、普段は各自が各自のリズムで日々を過ごしている。
だが、その現状は個人の怠惰や組織の腐敗がもたらしたものでは断じてない。
課せられる任務が膨大な上に人手不足で、休養は取れる時に取っておかないと身体が保たないのだ。
ルトレーが仕事直前まで眠っているのも、あまりに熾烈な任務スケジュールが故の事なのである。
(まぁ、アイツは元からサボリ屋気質な可能性も否めないけれど……)
兎にも角にも。現在のエリュシールの気風は偏に過酷な労働条件が招いた結果であり、一般的なエリュシール隊士には何の落ち度も無い筈なのだ。
にも関わらず、あの新参者の副隊長は、着任してまだ二日目だというのに、朝っぱらから疲労の抜けきらない隊員達を叩き起こし、挙げ句の果てには隊長に向かって言いたい放題。
北方の都市だかでどのような実績を積み上げてきたかは知らないが、あまりに度が過ぎるとしか思えなかった。
(大体ね、みんなが疲労困憊なのも、元はと言えば騎士団の奴らがちゃんと仕事をしてないからじゃない。……肝心な任務は全部エリュシールに押しつけて、良いとこ取りばっかしてくる癖に。身内贔屓もいい加減にしなさいよ)
ワタシが心の中で不満を爆発させていると、
「ニーベルス、お前の考えは分かった」
腕組みをして黙って部下の話を聞いていたゼルリックが、静かに口を開いた。
「だが、此処はエリュシール。王家直属の特務部隊だ」




