第二話「予兆の暗雲」 7
「ニーベルス殿は先日まではブリュナダに滞在されていた。エリュシールへの着任が遅れていたのもその為で……」
(ブリュナダ?)
「ここから北にある大都市ですよ」
聞き覚えのない単語に困惑した事が表情に出ていたのか、ミナーシェが耳打ちしてきた。彼の微かな吐息が耳に掛かり、背筋が少しゾクリとしてしまう。無論、良い意味で。
「北方の守りの要と称されるほどの重要拠点なんです」
「じゃあ、あのニーベルスって人はやっぱり凄い人なの?」
「ええ。軍事国家の多数犇めく西方に比べればマシですが、北方もかなりの激戦区といえます。広大な領土を誇るトルメリア聖教国を筆頭に、ギデリア王国、オフレ山脈特別自治区、ラヘダ盗賊団……一番の脅威であるトルメリア聖教国とは和平を結んでいるとはいえ、王国もかなりの数の部隊を駐留させています。当然、上層部にも有能かつ信頼のおける人材が配置されますから、そんな地域で監査隊のリーダーを務められていたという事は」
「王国からの評価が高い人間……ってわけか。でも、北方の事に随分と詳しいのね」
「昔、北の方にいたんですよ」
水色髪の青年は薄く笑った。
「え、そうなんだ……やっぱり、傭兵活動とかで?」
「まぁ、そんなところです」
ミナーシェと密かに会話している最中も、ニーベルスの紹介は続いている。
「……騎士団からの出向という形だが、このエリュシールにおいては副隊長の任に就かれる事となる。気づいた者もいると思うが、ニーベルス殿は有能な文官を多数輩出されているワーズベルト家の出身だ」
再び、室内が静かなざわめきに包まれる。ワタシの隣にいたメッシェも、
「あ、やっぱりそうなんだ……」
と、驚きながらも合点のいったような表情をしていた。
「ニーベルス殿は騎士団においても仕事ぶりを高く評価されており、彼のような優秀な人材がエリュシールに加入した事は、私も心強く思う。皆も、色々と学ぶ事があるだろう……残りの二名は、セデック・ステトー殿とメイシラ・ヒューネック殿だ」
名前を呼ばれた二人が頭を下げる。セデックという男は短く浅い簡素な礼を返し、メイシラと呼ばれた女性は丁寧に深く長く一礼する。
「二人は監査隊でニーベルス殿の部下を務められていた。彼らもまた、ニーベルス殿の補佐官としてエリュシールの一員となる。色々と不慣れな事も多いので、教えてあげるように。では、ニーベルス殿、着任の挨拶を」
ゼルリックに促され、金髪の青年が一歩進み出た。堂々とした、どこか気品ある立ち振る舞いだ。
「初めまして、皆さん。ゼルリック隊長から御紹介に預かりました、ニーベルス・ワーズベルトです」
彼は丁寧に一礼する。
「皆さんの御活躍は、ブリュナダに滞在していた頃から、かねがね伺っておりました。何でも、選りすぐりの傭兵を揃えた圧倒的武勇を誇る集団で、数々の困難な任務を完遂してきたとか」
口調こそ慇懃。だが、彼の丁寧な態度の中に、ワタシは不遜な響きを何となく感じ取った。
そして、その予感は的中する。
「そのような精名高き鋭部隊の副隊長に任命された事……心より光栄に思います。ですが、残念な評判も耳にしました。そう……裏切り者が出たという知らせです」
ニーベルスはゆっくりと首を横に振る。一方、ゼルリックやミナーシェ等の僅かな例外を除いて、エリュシール隊士達の表情は一気に凍り付いていた。
(あのニーベルスってヤツ……いきなり何て事言い出すのよ!?)
その話題は、今のエリュシール隊士達にとって、最も触れられたくない事柄。極めてデリケートな問題なのだ。外部から着任してきたばかりの、それも騎士団出身者である人間が、軽々しく首を突っ込んでよい事情ではない。
だが、ニーベルスは隊士達の様子などお構いなしといった態度で、無遠慮な言葉を連ねていく。
「しかも、その人物は敵対組織である影の後継者の首領であり、あろう事か私の前任として副隊長を勤められていたそうで。その上、昨夜もまた、情報を洩らしていた内通者を捕縛したばかりだとか……いやはや、多少は不真面目な輩もいるとは思いましたが、こうまで風紀が乱れていようとは。私が北方からわざわざ呼び戻された理由も分かるというものです」
嘆かわしげに、ニーベルスは額に手を当てる。会議室は今や、背筋の凍り付きそうなほどに静まり返っていた。物音一つしない異様な雰囲気の中、
「この組織を正す為に、私はここへ来ました」
とても好意的と呼べない眼差しを一心に浴びつつも、ニーベルスは不遜な微笑を口元に浮かべた。
「組織には規範が必要です。人員を余すところなく統率し、不正を働く者に厳罰を処する為の、絶対的な規範がね。しかし、ルールを決めただけでは、誰も従いません。情に流される事なく不正を見抜く事の出来る観察者が存在して初めて、規範というものは機能します」
(まるで、自分こそ観察者とやらにふさわしいって暗に公言しているような口振りね……)
「私が副隊長として就任したからには、エリュシールをより良き方向へと変革させていくつもりです。この件については既にゼルリック隊長に承諾を取っておりますし、乱れつつある隊内の気風を正す事こそ、私に求められている役割だとも自負しております」
(最初からいけ好かない男だと思っていたけど、どうもその印象通りの人間のような気が……って、隊長から承諾!?)
思わず、ゼルリックの方を見つめてしまった。鮮やかな紅髪の下、エリュシール隊長の面持ちは至って平然としていた。全く微動だにせず、ニーベルスの話に耳を傾けている。
(こんな嫌味な奴に隊の改革を任せるなんて……ゼルリック、貴方は何を考えているのよ……)
「そして、彼らについてですが。ゼルリック隊長の話にありました通り、ブリュナダにいた頃からの部下です」
ニーベルスが、横に控える男女を手振りで示した。
「何分、一人では手の回らないところもあるでしょうからね。優秀な人材である彼らにも、引き続き私の補佐官として……」
副隊長の長々とした演説から程なくして、着任式は終了した。解散が知らされた途端、会議室から隊士達が続々と出ていく。普段なら、集会の緊張を解す軽快な私語がそこら中で繰り広げられるのだが、彼らは固い表情のまま、黙々と退室していくばかりだった。
(そりゃ、そうよね……あれだけ好き放題言われたんだもの。気を悪くしない人なんて聖人くらいだわ)
階下に降りた隊員達の間では。あまり宜しくない会話が繰り広げられているかもしれない。そんな事を考えていると、
「あの、マナミさん……よね?」
「え……はい。そうですけど」
おもむろに声を掛けられて、戸惑いつつ視線を向ける。先ほど紹介を受けていた女性の騎士ーーメイシラが、いつの間にかワタシの側に来ていた。彼女の肩越しに、ゼルリックと話し込んでいるニーベルスと、彼に付き従うセデックの姿が視界に映る。
「初めまして。メイシラ・ヒューネックです」
上品な微笑に釣られて、麗しいシルバーブロンドの髪が穏やかに揺れる。
「女同士、これからよろしくね」
「は、はい。ワタシの方こそ、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる相手に、慌てて一礼を返す。
(こういう人の良さそうな相手だと、何となく敬語になっちゃうのよね……)
こうも育ちの良い印象を受けると、思わず恐縮して畏まってしまう。まぁ、自然と悪態をつきたくなる相手が同僚になるより、遙かにマシなのだけれど。
「確か、この隊に女性は私達だけなのよね。ゼルリック隊長から、貴女の事についてはお願いされているの。この世界の作法とか分からない事も多いだろうから、私が一つ一つ説明してあげるわね。私の方も、王都やエリュシール隊について、まだまだ知識不足なところがあるから……先輩の貴女から色々と教えて頂けると助かるわ」
それじゃ、今から本部内を案内してもらう予定になっているから。そう言って気品ある笑顔を残した後、彼女はニーベルス達の元へと戻っていった。
「感じの良さそうな人でしたね」
女同士の会話を黙って眺めていたミナーシェが、囁くような声で口を開く。
「ええ、そうね」
肯定を返しながら、遠ざかっていくメイシラの後ろ姿を眺めていると、不意に視界の端に幾筋もの影が映る。視線をやると、窓の向こうで篠突く雨が絶え間なく降り注いでいた。いつの間にか、天気が悪くなっていたらしい。
(何はともあれ、これでエリュシールが良い方向に変われば、ワタシもそれでいいんだけど……)
心穏やかならない気持ちで、ワタシは降りしきる雨を見つめた。




