第二話「予兆の暗雲」 5
その日の午後。兵舎の一室で束の間の休日を堪能していると、不意にミナーシェが訪ねてきた。
「副隊長に就任される方が、もうすぐ本部に到着されるそうですよ」
「へぇ、もう来るんだ」
あまりの続報の早さに、驚いて目を瞬かせる。
「今、ゼルリック隊長が都の門まで迎えに行っている途中らしいです」
「えっ、ゼルリックがわざわざ迎えに行ったの? ていうか、都の門? 城じゃなくて? アーゼンロイス騎士団の本部は城の中にあるでしょ?」
不思議に思い、ワタシは首を傾げた。部隊長が部下となる者を直々に出迎えに赴くなど、現実世界では聞いた事のない話だが、アーゼンロイス王国流の礼儀作法なのだろうか。或いは、ゼルリックがそこまで丁重に扱わねばならない程の人物なのだろうか。
「新任の方は遠方の都市から来られるんだそうです。長い旅路を労う意味もあって、隊長自らお迎えするんだと思いますよ」
「あー、そういう事ね。ゼルリックのやりそうな事かも」
ミナーシェの分かりやすい解答で、疑問は即座に氷解した。名声高い家系に生を受けたゼルリックは、普段の振る舞いも騎士然としている。厳しい自己鍛錬に加えて確かな経験を積んだ、有能かつ部下想いの素晴らしい上司だ。彼ならば、王都アズレードに遠路遙々やってきた新しい部下に対して心細やかな気配りを利かせてもおかしくない。
(あっ、副隊長がずっといなかったのって、別の土地から移ってくる関係もあったのかな……でも、わざわざ遠くから着任者を募るのも珍しいわよね。王都にいる騎士団の人材を任命すれば済む話だろうし。もしかして、複雑な事情があったりして?)
一難去ってまた一難とは少し違うものの、疑問が解決した側から新たな疑問が次々と降って沸いて出る。そうやって思考の渦に頭を悩ませていると、
「就任挨拶は本館二階の会議室で行われるそうです。さぁ、行きましょう」
「え、ちょっと待って。今すぐに? 流石に、この格好のままじゃちょっと」
彼の言葉に、慌てて自分の有様を確認する。ミナーシェの来訪を受けて外面だけでも整えているとはいえ、根本はラフな部屋着状態のままだ。この格好のままで隊士全員の集合している場に赴くなど、女としての面子に関わる。
「大丈夫ですよ」
激しく狼狽えるワタシを安心させるように、ミナーシェは朗らかな笑みを浮かべた。
「新しい副隊長の方が到着するまで、まだ時間が掛かるそうですから。今からゆっくり着替えて、ゆっくり本館に向かっても、十分に間に合います」
エリュシールの本部は大きく分けて二つの空間に大別される。唯一の出入り口である門から見て右手に連なる兵舎区画と、左手に位置する実務区画だ。
兵舎区画には文字通り、エリュシール隊士の居住する兵舎が連なっている。簡素ながら全ての家屋が一軒家という有様で、そこら辺の待遇は流石特殊部隊といったところ。ちなみに、ワタシの兵舎は敷地の突き当たりに位置した所にあり、以前は空き家だった。兵舎の奥には容高い塀がそびえ立っているので、安全性も一応保たれている。
セキュリティの万全を期す為、より安心出来る中央の兵舎に移動しないかと提案はされたのだが、荷物を移動させるのが億劫というのと、先日まで男性の使用していた住居というのも少し抵抗があって、現状維持を願い出た。
「なんだか、楽しみ半分怖さ半分ってカンジ」
「どんな人でしょうね」
少しどんよりとした曇り空の下。連なる兵舎に挟まれた道のりを歩きながら、ワタシはミナーシェと新しく来る副隊長について会話を交わしていた。
そのうち、兵士達の住居群を抜け、開けた空間に出る。大きめの馬車が一台、悠々通れる程の広さだ。右手にはエリュシール本部唯一の出入り口である門がそびえ立ち、二人の隊士が見張り任務に従事していた。
一方。視界の奥、実務区画では大きさの違う二つの建造物が存在を強く主張していた。門に近い小さめの建物が『エリュシール本部本館』、三階立ての建造物で、エリュシール隊の機能はここに集約されていると形容しても過言ではない。
一階は団欒室を始めとした憩いの空間となっており、隊士達が任務や訓練の合間に休息を取る場となっている。門に最も近い建物なので、有事の際に出動しやすいようにという思惑もあるそうだ。
二階に存在するのは、中々の規模を誇る会議室や事務室、副隊長室など。こちらは階下と打って変わって実務的な側面を持つ。三階は隊長室だが、一般の隊員は三階への出入りを基本的に禁止されていて、特別待遇であるワタシも入った事が無い。余談だが、二階より上は魔術による防音加工がある程度施されているという。完全ではないのは外の異変を即座に察知出来るようにとの配慮らしい。
本館の後ろにある『エリュシール本部別館』は、前者と比べると倍以上の規模を誇る。別館はエリュシールの戦闘訓練を行う複合施設となっているからだ。戦闘の手ほどきを受ける為に武道場を利用した事があるが、西洋風という違いこそあれ、機能は現代日本のそれと殆ど変わっていない。ただし、在籍している純粋な魔術士が一名だけである影響か、ワタシにとって最も肝心な魔術用の訓練施設が存在しないのが悲しいところ。
補足しておくと、門から真っ直ぐに歩いていった先には食堂や倉庫、厩等の施設が立ち並び、本館の裏手には美しい庭が広がっている。
「あっ、ミナーシェさんにマナミさん」
大通りのような開けた道をミナーシェと並んで突っ切っていると、右手の方から少年の声がする。目を向けると、メッシェが正門を抜けてこちらに歩いてくるところだった。
どうやら、何処かへ外出してきたらしい。
荘厳な騎士姿ではなく地味な私服姿で、両手には茶色の紙袋を抱えている。
「やぁ、メッシェ。昨日はお疲れさま」
片手を上げて、ミナーシェが朗らかに挨拶する。
「体調はどうだい?」
「疲れは殆ど残ってないです。お二人ほどは働いていませんでしたから」
「何処に行っていたの? お買い物?」
「城下町で外食していたんです。今日は任務免除でしたし、ちょっと自分を労いたい気分もあって」
「あー、分かる分かる。仕事の後、美味しいもの食べたくなる時ってあるよね……じゃ、その紙袋は?」
彼が大事そうに抱えている物を、ワタシは見つめる。それなりの大きさで、だいぶ張っている。ぎっしり、何かが詰め込まれている事は間違いない。
「帰りにパン屋さんに寄ってきたんですよ。小腹が空いた時に食べようと思って」
メッシェは至極あっさりとした調子で質問に答えた。
「……そうだ! お二人にも少し分けましょうか? 新発売の美味しそうなパンがあって、ちょうど三個買ってきたんですよ。ハーブチキン&ジューシーステーキサンドって言うんですけど」
「え、美味しそう! でも、いいの? せっかく買ってきた物をワタシ達が頂いても」
「気にしないで下さい。そんなに高い買い物では無いですから……ほら、コレなんですけど」
「わぁ、すっごく肉厚! ……ちょっとカロリー高そうだけど」
「ボリュームたっぷりだね、疲労回復には良さそうだ……ところでメッシェ、新しい副隊長の話は知っているかい?」
「えっ、どういう事ですか」
メッシェは驚いたように紫の瞳を瞬かせた。どうやら、外出していた為に知らせが伝わっていなかったようだ。ミナーシェが着任式について手短に説明すると、
「それじゃ、急がないとですね。分かりました。今から兵舎に戻って準備してきます」
そう最後に言い残し、黒髪の少年は今し方ワタシ達の来た道を、小走りに戻っていった。




