最終話「想い、遙か」 24
「……え?」
不意を突かれた質問に、何故か頭が真っ白になる。
――もし明日、帰れるとしたら……。
まだ召喚されて間もない頃だったなら、こんなに迷わずに済んだのかもしれない。けれど、今の自分の心中には、紛れもないこの世界に対する愛着が存在していた。
――現実に帰ったなら、二度とここには来れないかもしれない……。
そう思っただけで、チクリと胸が痛くなった。ゼルリック、ルトレー、そしてミナーシェ。この国で出会った数々の人々の姿が、心の中に浮かんでは消えていく。皆、ワタシにとって掛け替えのない者達だ。元の世界に戻ろうとすれば、嫌が応でも皆との別れが待ち受けている。
もう一度、逢って話をしたいと願う彼とも、二度と再会出来ないかもしれないのだ。
「……先の事はまだよく分からないけど、まだ暫くはこっちにいようかなって考えてる」
悩んだ末、ワタシはそう口にした。
「あれっ」
と、ミナーシェはビックリしたように目を瞬かせる。
「そんなに意外?」
「いや、そういうわけではないですけど。だいぶ迷ってる様子だったのに、あんまりキッパリとした言い方だったので」
「え、そんな感じだった?」
自分でも意識していなかったので、ワタシの方まで驚いた。
「あの、理由とか聞いてもいいですか?」
青年の問いかけに、ワタシはうーんと唸りながら腕を組んだ。
「理由は色々あるかな。ここって食べ物も美味しいし、こういう雰囲気の生活っていうのも新鮮で楽しいし、仕事だってやりがいがあるし。後はやっぱり……フーレンスの為にも、かな」
「フーレンスさんの?」
「うん」
またもや、彼は虚を突かれたような表情を浮かべた。ワタシは足下の芝生に視線を落とし、胸中に秘めていた思いを明かす。
「彼だって、この国の未来を真剣に考えてた。勿論、手段はあまりに強引過ぎた。けど、彼のやろうとしてた事を否定したワタシが、この国に残っている数々の問題をほったらかしにしたまま、一人だけ自分の世界に帰るのはやっぱり無責任だと思うの。だから」
いったん言葉を切り、ミナーシェの方を向く。彼は真剣な面持ちでこちらの話を聞いていた。
彼の顔を見つめながら、ワタシは再び口を開く。
「ワタシはここに……エリュシールに残る。彼の成そうとした志の為に、少しでも自分に出来る事をしたい。ううん、しなきゃいけないんだって思う」
「成そうとした志、ですか」
彼の言葉に、ワタシはゆっくりと頷いた。
「多分、ワタシなんかに出来る事なんてたかが知れてる。でも、それがフーレンスの行いを否定したワタシの、負わなきゃいけない責任だと思うから」
全てを打ち明け終えると途端に気恥ずかしさが襲ってきて、ワタシは照れ隠しに俯いた。
「やっぱ、ちょっと変かな」
「ぜんぜん変じゃないですよ」
「え?」
温かな言葉が返ってきて、顔を上げる。視線の先にあったミナーシェの顔は、穏やかに微笑んでいた。
「誰かの想いを継いで生きていくというのは、それだけで立派な事だと思いますよ」
そう言った後、彼もまた照れくさそうに頭を掻いた。
「微力ですけど、僕もお手伝いします。僕は別の国の生まれですけど、ここは住み心地が良いですしね」
「ミナーシェ……ありがとう」
「いえ、マナミさんの気持ちはよく伝わりましたから。僕の方こそ、不躾な質問をしてすみません」
「ううん、謝らなくていいよ……ミナーシェと話した事で、ワタシ自身も気持ちの整理がついたような気がするから」
今日、外に出て良かったと改めて思った。自室で塞ぎ込んだままだったら、きっとこういう晴れ晴れとした心境にはなれなかっただろう。
「とにかく、たとえ明日に元の世界に戻る手段が判明したとしても、実際に帰るのはもう少し後になると思う」
「じゃあ、しばらくは此処に?」
「まだ先の事はよく分からないけど、出来ればエリュシールにいたいなって考えてる」
ぼんやりと頭の中にあった将来への構想を纏め上げるように、ワタシは言葉を紡いでいった。
「この部隊にいれば、少なくとも城の人達と繋がりは出来るでしょう? 本当は国の中枢に入っていければそれに越したことはないんだろうけど、ワタシには後ろ盾も何にもない。きっと、フーレンスもそれで内部からの改革を断念したんだと思う。けど、彼と違って、ワタシには少しだけアドバンテージがあるの」
「アドバンテージ?」
オウム返しに問いを投げかけてきたミナーシェに、ワタシはうんと首を縦に振った。
「ほら、ワタシってミナーシェ達にとって、別世界の人間でしょ? 今はみんなに保護されているから城の人と喋る機会なんて殆どないけど……王様も研究者達も、きっとワタシの持ってる情報を知りたがってると思う」
「なるほど、エリュシールは王家直属の特務部隊ですから、ここに所属していれば、いつかは謁見の機会があるでしょうね」
「そういう事……それに」
と、ワタシは自分の胸に手を当てる。
「ワタシの中には、まだアズレードの力が残ってる。向こうだって簡単に手放そうとしない筈だわ」
体調が回復して間もない頃、本部に戻ったワタシは兵舎の中で魔法の詠唱を試みた。結果、備え付けられていた装置に魔力を吸われ尽くされていたにも関わらず、術は今まで通りに発動した。つまり、ワタシは未だ精霊アズレードの『器』であるということだ。未遂に終わったとはいえ、一国を揺るがすほどの計画に使われようとしたこの力を、既に情報を得ただろう王が放置しておくわけがない。
ここに――エリュシールにいれば、必ずフーレンスの意志を継ぐチャンスが巡ってくる。
確証はなかった。けれど、確信はあった。
「じゃあ、僕達はもう少し仲間でいれますね」
ミナーシェは朗らかな笑顔を浮かべ、その白くほっそりとした手を差し出してきた。
「改めて、これからもよろしくお願いします」
「うん、よろしく」
ワタシは彼に笑い返しながら、握手に応じる。すると、
「……少し、ホッとしました」
「え?」
ポツリと声を洩らした青年の顔を、ポカンと見つめる。そんなワタシを見て、はにかむような笑顔を浮かべた後、彼は視線を逸らして、
「マナミさんがすぐに帰ってしまったら、きっと寂しくなっていたと思いますから」
――ミナーシェ……。
吐露された言葉に彼の本音がにじみ出ているような気がして、ワタシは返事に詰まった。同時、顔が熱を帯びていくのを感じる。
暫く静かな時間が過ぎた後、
「すみません、しんみりするような事を言って」
場の空気を和ませるようにように、ミナーシェはやけに明るく口を開きつつ、照れたように頭を掻いた。彼の顔には仄かな朱が現れている。
「ううん、いいよ」
同じく何でもないように振る舞いながらも、心臓の鼓動は高鳴っていた。
「いつまで一緒にいられるかは分からないけど……帰るのはまだ先の事だから」
「そうですね」
「うん」
やがて訪れた沈黙は、気まずい雰囲気に包まれるようなものではなく、むしろ甘酸っぱいものだった。無言で空を見上げるミナーシェの視線を目で追いながら、ワタシは想いを巡らせる。いつか、皆と別れなければならない日が来るだろう。先ほど発した言葉は気休めに過ぎないと、自分でも分かっていた。
それでも、必ず訪れる離別の事を今は考えないで。
彼とこうして寄り添っている、今を大事にしたい。
――残してきた人達が全然恋しくないっていえば嘘になるけど……。
心中で呟きながら、隣にいるミナーシェの肩に頭を預ける。彼は黙って、ワタシの行動を受け入れてくれた。
仄かな彼の体温を感じながら、うっとりと瞳を閉じる。
――この世界でずっと生きていくっていうのも、いいかもしれない。
暖かな木漏れ日の中、再び目を開いたワタシの頭上には、穏やかな異世界の空が広がっていた。




