最終話「想い、遙か」 23
「ん、何ですか?」
ジュースを嗜んでいたミナーシェは、コップから顔を離してこちらを見る。
「あの、さ」
ワタシは目を伏せながら問いかけた。
「フーレンスの事だけど……ミナーシェはどう思う?」
「どう、というと?」
「その……」
思っている事を言葉にするのが躊躇われ、ワタシは言い淀んだ。しかし、意を決して口を開く。
「本当に、彼は死んじゃったのかなって」
調査中の本隊より先に帰還した者達の報告によると、崩壊したアジトの中からフーレンスとヴォリアンの遺体は発見出来ていない。王の血縁者という事実の判明した『影の後継者』のリーダーと、国の中枢に深く関わっていた元宮廷魔術師。王国は血眼になって二人の行方を追っているものの、有益な情報は未だ入ってきていないとの事らしい。都や付近の町に立ち寄った形跡も全くなく、役人達の大多数は、彼らが瓦礫の下敷きとなって埋もれているという見解を支持していると聞く。
けれど、ワタシの心にはどうしても、それで納得したくない気持ちがあった。
「ねえ、ミナーシェ。貴方の考えを聞かせて」
彼が口を開くまで、少し間があった。
「マナミさん」
おもむろに発せられた彼の言葉には、穏やかながら真剣な響きが込められていた。
「貴女は、どうあってほしいと願っていますか?」
「え?」
思わず、ワタシは俯かせていた顔を上げた。質問に質問で返された事を不服に思ったわけではなく、彼の言葉の意図を読めなかったからだ。ミナーシェは庭の木々を見つめていて、その端正な横顔は意味深な哀愁を含んでいる。彼が何を思い、何を感じているのか。傍らにいても全く読めなかった。
暫し迷った末、ワタシは自分の本音を彼に打ち明ける。
「……ワタシは、フーレンスに生きていてほしいって思う。確かに、ワタシがこっちの世界に召喚されて、あんな目に遭ったのは彼のせいだし、『影の後継者』が起こした数々の事件で傷ついた人も沢山いる。だから、理由はどうあっても、彼のやった事は許されない事……けど」
一旦、口を閉ざす。気持ちを上手く表現出来る言葉が、すぐに思い浮かばなかったのだ。悩んでいる間、水色髪の青年はワタシの話に口を挟むことなく、じっと次の発言を待っていてくれた。
「……それでも、この場所で一緒に過ごした時間は、本物だったから。彼が見せてくれた優しさや思いやりは、嘘偽りない真実だったって思うから。だから、ワタシは彼に生きていてほしい。犯してきた罪を生きてしっかりと償って……そして、彼が本当に望んでいた夢を手に入れて、幸せになってほしい」
「マナミさんは優しいんですね」
「えっ?」
喋り終えた途端に告げられた不意打ちの賛辞を受け、かあっと頬が熱くなった。
「ううん、優しいとかそんなんじゃない。ただ……」
「分かってますよ」
ミナーシェは木々からワタシへ向き直ると、穏やかに笑った。
「マナミさんも、フーレンスさんの事を信じてるんですよね。僕と一緒なんだ」
「え、じゃあ」
「はい、僕も同じ考えですよ」
と、水色髪の青年は遠い目で空を見上げた。
「あの人が、そんな簡単にくたばる筈がありませんから。きっと、何処かで生きていますよ」
彼の言葉に、ワタシは胸の痛みが和らいでいくのを感じた。
「そっか……そうだよね」
言葉を口にすると、肩が荷物をおろしたようにすっと軽くなる。そこでようやく、自分の体がずっと強ばっていた事に気がつく。
「また、会いたいな」
無意識のうちに、そんな言葉を洩らしていた。
「会って、いろんな話をしたい。今度はきっと、分かりあえると思うの」
「叶いますよ、いつかきっと」
「うん……あのさ、ミナーシェ」
ふと脳裏にある推測がよぎり、ワタシは彼に訊ねた。
「ひょっとして、ミナーシェは途中から勘付いていたんじゃない? フーレンスが『影の後継者』のリーダーだって」
何時だったか、ワタシがアズレード祭での事件について意見を求めた時、彼が妙な態度を見せていた事を思い出したのだ。当時、彼は言葉を濁して本心をはぐらかしていたが、今にして思えば、あのとき既に彼は真相に行き当たっていたのかもしれない。自分の敬愛する上司が、国に仇なす裏切り者である事実に。
しばらく、返答はなかった。
「……さあ、どうでしょうね」
ミナーシェは頭上を漂う白い雲を見つめ続けたまま言った。口調こそ彼らしい爽やかな雰囲気だったが、そのトーンは普段より少しだけか細かった。彼の声を聞き、ワタシの心中には後悔の年が広がった。さっきのはきっと、過ぎた質問だったのだ。
これ以上、追求して彼を困らせるのは止めよう。
そう思い、話題を変えようと口を開きかけた矢先。
「……僕も、信じたかったですから」
それは半ば独り言のような呟きだった。時間が止まった。そう錯覚してしまうような静けさが、辺りを包む。小鳥のさえずりや木の葉のざわめきが、やけに騒々しく感じられた。彼の発した言葉の重みが、痛いほどよく分かった。
相槌を打つだけで、精一杯だった。
「……そっか」
しばらく、会話が途切れた。傍らの青年に倣い、ワタシも目線を上げる。この蒼く澄み渡った空を、何処かでフーレンスも見つめているのだろうか。そんな事を考えていると、通り過ぎたそよ風がやけに寂しいものに感じられた。
「そういえば」
やけに明るい口調で、ミナーシェが話題を変えた。
「結局、うやむやになっちゃいましたね。マナミさんが自分の世界に帰還する方法」
「あっ」
思わず、口から間抜けな声が洩れ出てしまう。彼の言う通りだった。故意に破かれていたワタシを現実へ戻す送還術式のページを、フーレンスは所有していると話していた。しかし、当の本人が消息不明となったこの状況では、その方法もまた依然として行方知れずのままだ。彼の私室であった副隊長室にも調べが入ったらしいが、問題のページが発見されたという報告は未だ聞いていない。
つまり、フーレンスという唯一の手がかりを失った今、現実世界への帰還という目標はまたもや振り出しーー情報皆無の状態に戻ってしまったというわけだ。
「……もしかしたら一生帰れないかも。いや、帰れても無断欠勤でクビになってたらむしろ地獄じゃない。今から転職の準備をしておくにこした事はないわね。けど、ここじゃロクに資格の一つも取れないし……」
「ま、まぁ。まだ分かりませんよ」
完全に気持ちがブルーになったワタシを案じてか、水色髪の青年は慌ててフォローを入れてきた。
「もしかしたら、アジト跡に向かった調査隊の皆さんが、破られたページやら有益な情報やらを持ち帰ってくれるかもしれませんし」
「希望的観測を頼りにして収穫がゼロだったら、余計にショックが大きくなったりしない?」
「あ、それはありますね」
「でしょう?」
はぁ。自然に溜息を吐いてしまう。一難去ってまた一難とはこの事だ。
「ルトレーが渡された本って、結構なレア物だったりする?」
「結構どころか、かなり希少価値の高い書物ですね」
「同じ物が見つかる確率は?」
「……正直、かなり低いと思います。かなり昔の時代に記された代物なので、二冊目が現存しているかどうかも怪しいですね」
「望み薄って言ってるようなモンじゃない」
死刑宣告にも似た説明に、ガックリと肩を落とす。
「そこまで悲観しなくても、きっと大丈夫ですよ。今は昔に比べて魔法に関する知識も高度なものになっているでしょうし、城の魔術師達も例の召喚術の構造を必死になって解明しようとしていますから」
「それ、いつまで掛かるの?」
「……はは、まぁ、気長に待ちましょう。いつかはきっと成果が出ますって」
「気長って……はぁ」
すっかり意気消沈し、脱力してうなだれる。一方、ミナーシェはあっけんからんとした様子でワタシを励まし続けてくれた。
程なくして、彼の言葉の助けもあり、ネガティブ思考からようやく立ち直りかけた頃。
「あの、マナミさん」
改まった様子で、ミナーシェがそう呼びかけてきた。
「もしも明日、元の世界に戻る方法が見つかったとしたら……マナミさんはどうしますか?」




