最終話「想い、遙か」 22
――数日後。
「あっ、ここにいたんですか」
何する事もなく裏庭に寝ころんで空をぼうっと眺めていると、快晴の下にふさわしい爽やかな声がした。視線を道の方向に向けると、こちらにゆっくりと歩いてくる水色髪の青年の姿が目に入る。彼の両手には、橙色に混濁した液体の入ったコップがそれぞれ握られていた。愛用の武器を所持していないのは、恐らく兵舎にでも置いてきたのだろう。
「それ、何?」
上体をゆっくりと起こしながら問いかけると、彼――ミナーシェは人懐っこそうな笑みを浮かべた。
「林檎ジュースですよ。甘くて冷たい飲み物でもどうかなと思いまして」
「わぁ、ありがと」
お礼を告げて差し出されたガラスのコップを受け取り、両手で支え持って、口をつける。途端、果汁の濃厚な甘さが口一杯に広がった。今日は普段より外の空気が温暖なこともあり、水分が渇いた喉に染み渡っていっそう美味に感じられる。
「どうですか?」
そう問いかけながら、ミナーシェはワタシの隣に腰掛けた。
「うん、凄く美味しい」
素直な感想を告げると、彼はニコリと笑って、
「そうですか、お口にあったようで良かったです」
と、自身もジュースを一口飲んだ。
「今日は良い天気ですね」
「そうね、絶好の日向ぼっこ日和だわ」
「ああ、だからここにいたんですか」
「そういうこと。宿舎に閉じこもっておこうかとも思ったんだけど、流石に三日も篭もりっきりは堪えちゃって」
「気分転換に、町へ出てはどうです? 美味しい物でも食べに行ったりとか」
それも考えたんだけど……みんなが毎日忙しそうに働き続けてるのに、一人だけ遊びに出掛けるのは気が咎めちゃって。それで、ここに来たの。裏庭なら滅多に人が来ないし、誰かの邪魔になることもないだろうから」
「マナミさんが外出しても怒るような人はいませんよ。貴女はこれまで起きた一連の事件の被害者なんですから」
「そういってもらえるのは有り難いんだけど……やっぱり、気が咎めちゃって」
会話を続けているうちにいつの間にか、しんみりとした雰囲気が裏庭を包んでいた。ワタシは再びジュースを一口飲み、顔を上げて頭上を見やる。澄み渡るような青空の下で、幾つもの白くふわふわした雲がゆっくりと移動していた。燦々と輝く太陽は、暖かな陽光を地上へ発していて、町の方からは人々の賑やかで楽しげな声が大気に乗って耳に届いてくる。辺りを見回すと、生い茂る野草の中に降り立った二羽の小鳥が、地面をつつきながらせわしなく動いていた。彼らの様子を見守るように立ちつくしている木々は、枝の先についた若々しい葉を風に揺らめかせている。穏やかな時間に包まれた、安らかな日常がここにはあった。
けれど、頭の片隅ではどうしても、少し前まで起きていた一連の出来事を思い出してしまう。
――こうしている今も、みんなは忙しく働いてるんだろうなぁ……。
『影の後継者』が引き起こした事件が終結して、既に三日が経っていた。とはいえ、残党退治やアジト跡地の調査など、まだまだエリュシールは多数の任務を抱えている。それだけでなく、敵の首謀者が部隊内部の者、それも指揮官クラスの人員だったという事実が影響し、隊員達は代わる代わる城の方で尋問を受ける羽目にもなっていた。調査に派遣されている部隊や巡回中の隊員達にも、監視役として正規騎士団の下っ端兵士数人が洩れなく同行しているのだという。そこまでするくらいなら重要な任務を全部取り上げればいいのにと思うのだが、どうやらあちらのお偉い様達はこういう時にも面倒事を押しつけずにはいられない性質らしい。
「どうですか、身体の具合は」
「大丈夫、だいぶ良くなったから」
おもむろに問いかけてきたミナーシェに、ワタシは笑みを返した。
「まだ少しダルさは残ってるけど……不調といったらそれくらい。後はもうすっかり元気。治療が早かったのが良かったんだと思う」
フーレンスによって石柱の拘束から解き放たれた直後、例の装置によって体力を消耗しきっていたワタシは、すぐに気を失ってしまった。従って、あれからの事は何一つ覚えていないのだが、後にルトレーから聞いた話だと、ミナーシェに抱きかかえられるようにして、ワタシはみんなと共に燃え盛る敵の本拠地から脱出を果たしたらしい。その後、ゼルリックから指示を受けたミナーシェがワタシを王都まで運び、回復魔法を操る術士のいる施設に預けたのだという。そこはかつて、同じような形で気絶したワタシが治療を受けた場所でもあった。
魔術師達の決死の介抱により、ワタシは丸一日眠り続けた後に目を覚ました。彼らから安静にするよう命令されて割り当てられた個室でじっとしていると、ルトレーが訪ねてきた。
「隊長がさ、お前には早く真実を知らせた方がいいって。それで、俺を使いに出したんだよ。俺も仕事が全くないってわけじゃないけど、他の奴らよりかは幾分かマシだからさ」
そう前置きして、些かくたびれた様子の青髪の少年は木製の椅子に腰掛け、事件の全容をベッドに寝ているワタシに語った。その殆どは前にフーレンスから受けた説明とほぼ同じものだったが、中には初耳の事実もあった。ワタシの捕らえられていた場所は王都から少し離れた場所に位置する山の中で、『影の後継者』は斜面をくり貫いて拠点とし、王国の者達に発見されないよう巧みに偽装していたらしい。彼らが切り札としていた魔力砲は制御室の他に居住スペースのような空間も要していたそうで、建造物と一体化するような形で隠されていたそうだ。
『影の継承者』が計画の最終段階を実行に移した当日、エリュシールの隊員達は副隊長の指示を疑いもなく受け取り、王都で騒ぎを起こしていた陽動部隊の鎮圧に乗り出していた。事態を急転させたのは、長らく部隊を離れていた隊長の帰還だった。彼のもたらしたフーレンスの離反という情報に、当然ながら隊内外は大きな動揺に包まれた。中には副隊長の裏切りを信じようとしない隊員も大勢いたが、しかし本部に彼とワタシの姿が見えないという報告が入ると、彼らもまた隊長の話を受け入れざるを得なくなった。
ゼルリックは都の各地に散らばっていたエリュシールの人員を集結させ、正規騎士団の方へ陽道部隊の鎮圧を任せる旨の伝令を送ると、部隊を率いて『影の後継者』の本拠地へと向かった。場所は事前に得ていた情報通りで、アジトを発見したゼルリック達はすぐさま敵の正面から突入を開始した。
「後は大体、お前も知っている通りだよ」
ルトレーは気だるげに背伸びをしながら、
「強襲は成功して、敵の本拠地は壊滅。都で抵抗を続けていた別動隊も、計画の失敗を知らされたらすぐに降伏したってわけ」
「今、アジトの方はどうなってるの?」
「完全に崩壊してしまって、今頃じゃ瓦礫と砂に埋もれてる筈さ。調査の部隊が向かったけど、そろそろ報告が来る頃じゃねえかな」
じゃ、俺も仕事が溜まってるから。そう言って、ルトレーは椅子から立ち上がった。
「ま、色々と思うところはあるだろうけど、あまり神経使わないようにして、今はしっかり休んどけよ。後処理なんかは全部俺達の方でするから」
と最後に言い残し、彼は部屋を出ていった。ドアを静かに閉められた後、ワタシはふぅと小さく息を吐いて再び枕に頭を乗せ、両目を閉じた。そのまま眠ろうとしたのだが、やはりなかなか寝付けなかった。ルトレーは心配してくれてあのような言葉を掛けてくれたのだろうが、事件について何も考えずに頭を休ませるなど、土台無理な話だった。網膜に焼き付いた彼の最後の姿が、どうしても脳裏から離れなかった。
そして、それは今も続いている。
「……ねえ、ミナーシェ」
回想から覚めたワタシは、傍らの彼に問いかけた。




