最終話「想い、遙か」 15
――アイツは!
急ぎ足で室内に入ってきた男を見て、ワタシは頭に血が上ってくるのを感じた。一方、フーレンスの方は先ほどまでのそれとは打って変わった冷静な語調で、
「何かあったのですか」
と、来訪者に問いかける。
「敵の襲撃です!」
陰湿さが現れたような面持ちを動揺に歪め、慌てた様子で返事をしたのは、他ならぬヴォリアンだった。何故、この男がアジトに残っているのか。『影の後継者』の構成員達は皆、都での暴動に参加しているのではないか。そんな疑問が首をもたげたが、すぐに解決する。宮廷魔術師達のトップにまで立っていたヴォリアンのことだ。恐らく、この組織の中でも重要なポストを占めていたに違いない。そして、王国に反乱を起こした後の事を考え、フーレンスは主立った幹部クラスの人間を王都襲撃作戦に参加させなかったのだろう。
だが、一つの疑念が解消されると、今度はヴォリアンの発言に興味が向いた。
――敵の襲撃?
「どういう状況なのですか? 相手は?」
そう訊ねるフーレンスの眉間には皺が寄っていた。ヴォリアンの方はというと、相変わらず取り乱した様子で、片方の手でしきりに脂ぎった髪を撫でつけ、もう片方の手で額に浮かぶ大粒の汗を拭いながら説明を始めた。
「と、突入してきたのは、エリュシールの部隊です!」
途端、フーレンスの顔に僅かな動揺の色が走る。
「エリュシール……? 馬鹿な、ありえません。彼らは今頃、私が副隊長として出した命令に従い、陽動部隊を鎮圧している最中の筈」
「いえ、間違いなく彼らです! この特徴的な鎧を見間違えようがありません!」
ヴォリアンはワタシの着用している紅い鎧を指さしつつ叫ぶ。彼の報告に、フーレンスは神妙な面持ちで顎に手をやりながら、
「まさか、一体何処から私達のアジトを嗅ぎつけたというのですか。少なくとも私が本部を出るまでは、そのような報告はなかった……いえ、今はこのような詮索をしても仕方ありませんね」
最後は半ば、独り言のような呟きだった。やがて、彼は小さく首を振り、配下であるヴォリアンに視線を向けて、
「敵の数はどれくらいです」
「具体的な規模は不明ですが、かなりの部隊が投入されています。既に、入り口付近は敵に制圧されてしまいました。現在、防衛部隊は後退つつ、敵の侵攻を何とか遅らせている状況です」
「あまり芳しくありませんね。指揮を執っているのは誰ですか」
「それが……」
ヴォリアンが口を開きかけた矢先。
「ぐああああっ!」
通路の方で絶叫がしたかと思うと、一人の男が制御室の床まで吹っ飛んできた。黒ずくめの格好をしているところからみると、『影の後継者』の構成員だろう。恐らく、ヴォリアンの先ほど話していた防衛部隊のメンバーに違いない。全身に酷い傷を負っていて、もはや戦う余力は残されていないような状態だった。
「どうしたんです!」
ヴォリアンの問いかけに対し、満身創痍の男は息も絶え絶えに、
「防衛ライン、既に突破されました……もはや、部隊は壊滅状態です」
「なっ……」
「ふむ……」
ヴォリアンが驚愕に目を見開き絶句する一方、フーレンスは険しい顔つきで考え込む。先ほどまで彼の表情に張り付いた余裕はすっかり消え失せてしまっていて、代わりに焦りの色が顔を覗かせていた。
「この土壇場で私達の動きを察知して行動したと仮定して、あまりに制圧の手際が良すぎます。部隊の練度の差があるとはいえ、普通なら防衛に徹している相手にここまでの進撃は出来ない筈です。指揮している者の技量が卓越していると考えた方が自然ですね。となれば、突入作戦を実行に移したのは……」
「お褒めに預かり、光栄だな」
通路の向こうから馴染みある力強い声がしたかと思うと、一人の騎士が颯爽と姿を現した。全身を美しき鎧に包んでいるその男の髪は着用している防具のように鮮やかな真紅色をしていて、瞳の色は強靱な精神を現すような漆黒だ。威風堂々とした足取りには彼の持つ気高さや勇猛さがにじみ出ていて、鍛え上げられた腕には彼の扱う立派な剣を携えている。
彼の凛々しい姿が視界に入った途端、ワタシの胸に強烈な希望が湧いてくる。だが、彼に駆け寄りたいという強い衝動は、壁に縛り付けられている所為で叶わなかった。代わりにワタシは声を張り上げて、誇り高き騎士である彼の名を呼ぶ。
「ゼルリック!」
「マナミさん、お怪我はありませんか?」
エリュシール隊長は磔にされているワタシの姿を目に留めるなり、張りつめる緊張感を秘めた語調で問いかけてきた。その鋭い双眼は、眼前に佇むかつての部下を見据え続けている。
「大丈夫。手足縛られて動けないけど、それ以外は問題なし……です」
返事を発している最中に、ワタシと彼は上司部下の関係である事を思い出し、口調はだんだんと尻すぼみな敬語になっていく。
――そういえば、さっきゼルリックのことを呼び捨てにしちゃった……。
やってはならないミスをやらかしてしまったと気がつき、頬が自然と熱くなる。だが、名前で呼ばれた当の本人は全く気にしていないらしく、自身の目の前にいる二人の男を睨みつけたまま、微動だにしない。その態度に並々ならぬ迫力と殺気を感じ取り、先ほどまで感じていた羞恥の感情はあっという間に薄れ、ワタシは思わずゴクリと唾を飲み、三人の様子を見守った。
「そうですか。御無事で何よりです」
こちらの方を向かないまま、ゼルリックは穏やかな語調で言った。しかし、その顔つきは険しいままだ。彼の言葉を皮切りに、
「何故、貴様がここに!」
痺れを切らしたらしいヴォリアンが、姿を現した敵対組織のリーダーに向かって叫ぶ。口調こそ突っかかるような物言いだが、その声色は明らかに震えていている、顔は真っ青に青ざめ、頬はひきつり、ルトレーやワタシの前で見せていた強者の余裕や、能力に劣る者を見下すような雰囲気は微塵も感じられなかった。むしろ、自らの力量では叶う筈のない強大な相手と相対した恐怖が、怯えきった仕草の節々に表れていた。
まさに、強がった小物。そう形容出来るような振る舞いだった。
ヴォリアンの醜態を眺めているうち、先ほどまで彼に抱いていた嫌悪や怒りといった感情が、ワタシの中でだんだんと薄れていくのを感じた。
――ちっぽけな男……。
代わりに湧いてきたのは、哀れみとやるせなさ。こんな器の小さい男が城に仕える魔術師達の頂点に立っていたのかと思うと、ワタシはフーレンスの強く主張していた考えを肯定したくなった。自分より権威を持つ者に上手く取り入り、自分より地位の弱い者を嘲笑し、世界を巧みに渡りながら出世していく者達。そんな奴らが、国の頂点というべき場所に蔓延っている。彼らのような卑怯者達を一人残らず城から駆逐し、組織を正常な状態へと戻そうとするなら、正攻法の道を取れば並大抵ではいかないと容易に察しがつく。
国を一度完全に壊し、その後で理想的な形に再建する。
フーレンスの提示した案は、ある意味では確かに魅力的だと思えた。
けれど。皮肉なことに、そのような感情をワタシに抱かせているのは、彼の腹心ともいえる部下の存在だった。
――フーレンス、やっぱり貴方は間違ってる。
たとえ大義の為であっても、結果を欲するが故に過程を蔑ろにしてはいけない。彼はきっと、その点で過ちを犯してしまっているのだと気づいた瞬間、胸にチクリと痛みが走った。
だが、ワタシの心中を余所に、時間は着実に進み続ける。




