最終話「想い、遙か」 14
「ワタシ、よく知ってるわ。貴方が優しい人だって」
フーレンスはこちらを振り向かないまま、黙って耳を傾けている様子だった。彼の心に届いてくれるよう祈りながら、ワタシは穏やかに語りかける。
「エリュシールでも、貴方は沢山の隊員に慕われてたじゃない。みんな、副隊長である貴方を信じてた。ううん、今でも信じて戦ってる筈よ」
「……上官の命令を聞くのは、組織にいる人間ならば当たり前の事でしょう」
「そんな事ない」
やや間を置いて発せられた声を、ワタシはすぐに否定した。フーレンスはまだ、こちらを振り向いてはくれない。その背中に、心に届くよう、懸命に言葉を紡いでいく。
「ミナーシェだって、貴方の事をあんなに慕っていたじゃない。貴方だって、目をかけていた筈よ」
「ミナーシェ、ですか。彼はなかなかの切れ者でしたので、他の隊員よりも強く警戒していましたよ。親しくしていたのも、私に対する余計な疑いを持たれないよう立ち回っていたというだけです。貴女にそうしていたようにね」
「嘘言ってる」
「嘘ではありませんよ。私がエリュシール内部で危険人物だと判断していたの者は数えるほどでした。中でも、彼と隊長であるゼルリックは特に洞察力が鋭くてね。私も大いに気を揉みましたよ。隊長の方は本部を留守にしがちでしたので、あまり行動を阻害されずに済みましたが」
「私が嘘と言いたいのはそういう事じゃない。分かってるでしょ?」
今度は、返事がなかった。ワタシは再び沈黙を纏う彼に対し、
「エリュシールにいる時の貴方は、仲間達の事を本当に大切にしていたもの」
「信頼を受ける為に、そう振る舞っていただけですよ」
「ううん、貴方は本当に誠実な人よ。ワタシには分かる」
「何を根拠に……」
「女の勘よ」
「……理論的ではありませんね」
「感情的で結構よ。ワタシには、貴方がこんな強引な方法を心の底から望んでいたなんて思えない。今からでも考え直せばきっと」
「言ったでしょう。もう、遅いのです」
「遅くなんてないわ。貴方だって、本当は真っ当な手段で国を変えたいと願って」
「そんな事はありません!」
突然、フーレンスは声を荒げてワタシの言葉を否定した。
「嘘!」
ワタシもまた、顔を見せない彼に叫び返す。
「じゃあ、どうして貴方はわざわざエリュシールに入隊したのよ!」
フーレンスが少なからず動揺したのが、後ろから眺めてもよく分かった。
「……先ほど、説明した筈ですよ。私があの部隊に潜り込んだのは、国の中枢に近づく為です」
「ワタシ、そうじゃないと思う」
小さく息を吸った後、ワタシはゆっくりと口を開いた。
「当時の貴方は内部からこの国を変えようと考えてた。誰も傷つけない方法を取ろうとしてた。そして、実の父親の側に少しでも近づきたかった。だから、エリュシールに入ったのよ。違う?」
返答まで、しばらく間があった。
「……ええ、そうですよ」
彼はぼそりと呟いた。
「確かに、最初はそう思っていましたよ。功を稼ぎ出世すれば、私にもこの国を変える事が出来る。父に近づくチャンスだってある。そう信じ、私は必死に働きました……しかし」
だんだんと、フーレンスの語気が強まっていく。
「何も変わらなかった……何も変わらなかったんです! この国の政治において必要とされるのは個人の能力でも民からの支持でもない! どれだけ名のある家の生まれなのかが最も重要視される! どれだけ実力の伴っていない者でも出自が良ければ優遇され、低い階級の生まれであれば末端の席さえ与えられない! 大臣達はこぞって自らの利を貪ろうとし、そのおこぼれに預かろうとする者達を利用してライバルを蹴落とす事だけに全力を尽くす! こんな愚かな慣習がある限り、真に民衆を思いやる政治が訪れるわけがない! 誰かが断ち切らなければ駄目なんです! ……それに」
高ぶっていたフーレンスの声が、そこでトーンを落とした。
「……王は、用事で城に赴いていた私の姿を目に留めても、全く何も感じていない御様子でした。私は自分の父親に、血を分けた実の息子だと気がついてもらえなかった。それどころか、仲睦まじく過ごす家族の姿を、至る所でまざまざと見せつけられたのです。彼らの様子を見て、私は自らの正体を打ち明ける事を諦めました。王にとって最早、私の存在は邪魔なのだと気づいたのです。今更、私が出向いたところで、温かな家庭を壊す事にしかならないのだと」
「だから、それは」
「分かりますよ。『逃げ』だと言いたいのでしょう?」
と、フーレンスは笑い声を洩らした。その自嘲するような響きに、ワタシが言葉に詰まっていると、
「……さて、もうそろそろ長話は終わりにしましょう」
彼は止めていた手を、再び動かし出す。私は慌てて叫んだ。
「待って!」
「マナミさん、貴女の魂胆は読めていますよ。大方、発射までの時間稼ぎを、あわよくば私を説得しようと試みていたのでしょう? ですが、これ以上は無駄です。お止めなさい。私にとっても、既に残り時間が少ない。都に放った部隊が鎮圧されてしまうまでに、第一射を終えなければ後の予定に支障が出てしまいますからね」
そう告げたフーレンスの口調に、迷いの感情は微塵も含まれていなかった。
――そんな……。
最早、彼を止めることは出来ない。そう悟った瞬間、全てを諦める気持ちが心中を埋めていった。そう遠くない未来、フーレンスは魔力砲とやらを起動させ、ワタシの中に眠るアズレードの魔力を用い、王都を攻撃するだろう。城下町は瞬く間に火の海と化し、大勢の人々が犠牲となるに違いない。しかし、もうどうしようも出来ない。ワタシ一人が訴えかけたところで、長い年月の間に募り続けた彼の固い決意を揺らがせることは出来ないのだ。
絶望感に打ちひしがれているうち、ワタシの脳裏には二人の男の姿が浮かんできた。一人は、いつも爽やかな微笑みを絶やさない、淡い水色の髪の青年。もう一人は、ツンツン伸びた青髪が特徴的な、怠け者ながらも情に厚い召喚術士の少年。
――ミナーシェ、ルトレー、みんな……。
今頃、二人は与えられた命令を実行している最中だろう。もうすぐ彼らの命が潰えてしまうかもしれないと思うと心が苦しくなり、ワタシは自然と俯いた。
エリュシールの皆に思いを馳せているうち、今度は燃えるような赤髪をした男の姿を思い浮かべる。
――ゼルリック、貴方は今、何処にいるの?
彼は国王から受けた特命の任に着いていると聞いているものの、だからといって都の外で活動しているとは限らない。もしかすると、城や町外れで何らかの調査を続けているのかもしれなかった。そうであるなら、彼もまた、フーレンスの放とうとしている魔力砲の犠牲者となりえる。
――もっと、彼を信じていれば良かった……。
悔やんでも悔やみきれず、胸が痛くなる。真の黒幕であったフーレンスの言に騙され、ワタシはずっと彼を疑ってしまっていた。ゼルリックはずっと、ワタシの味方だったのに。
「……安心して下さい」
悲しみに苛まれるワタシを現実へと引き戻したのは、フーレンスの静かな声だった。その口調に仄かな優しさを感じ取り、ワタシは虚を突かれる。
「え?」
思わず戸惑いの呟きを洩らしつつ、伏せていた顔を上げて前を見やった。フーレンスは相変わらずワタシに背を向けて、両指で忙しそうにパネルを叩いているいる。
操作を継続しつつ、彼はなおも口を開いた。
「全てが終われば……この計画が成功すれば……私は貴女を、元の世界に戻すつもりでいますから」
――現実世界に、帰れる?
彼の言葉に、ワタシは驚きから両目を見開いた。こちらの動揺を知ってか知らずか、フーレンスは作業の手を緩めないまま、
「元々、貴女に罪はありません。アズレードの器と成り得る存在を求めて、ワタシが勝手に貴女を異世界から呼びだしただけに過ぎない。この期に及んで何を言っているのかとお思いになるでしょうが、貴女にだけは本当に申し訳なく思っています。この計画を成し遂げ、王家や貴族達を都から追放したとしても、利権を奪われる者達によって、必ず幾つもの惨禍が繰り広げられることでしょう。別世界の住民である貴女をこれ以上、巻き込むわけにはいきません」
「で、でも。どうやって? 確か、ワタシを元の世界に戻す術は分からないって、ルトレーが」
「彼に渡すにあたり、書物は前もって一部のページを破り捨ててありました。ですが、私はその該当箇所を保管しています。従って、送還術式はまだ失われていないのです」
「それじゃ……」
「ええ、貴女を元いた世界へ戻す事は可能なのです」
フーレンスは作業の手を止め、ワタシの方に振り返った。その眼差しはとても真摯なもので、かつてワタシがエリュシール本部で見た時のように、誠実で優しげな光が灯っていた。
「マナミさん……貴女は必ず、私が無事に元の世界へ還します。それが、巻き込んでしまった貴女への、せめてもの償いです」
彼の言葉に、ワタシが返事をしようと口を開きかけた、その矢先。
「フーレンス様! 大変です!」
聞き覚えのある声が、通路の奥から響いてきた。




