最終話「想い、遙か」 4
――はぁ……もう寝込んじゃいたい気分。
正気を取り戻したとはいえ、頭の上に重くのし掛かってくる憂鬱感が消え失せる事はなく、ワタシは額を押さえて小さな息をついた。ミナーシェはというと、ワタシの意気消沈している理由に思い至っていないのか、いつものようにニコニコと笑顔を振りまいている。
ワタシ達は食堂を目指して歩いていた。今から朝食を取りに行く旨を伝えると、ミナーシェの方から付いてきたいと申し出があったのだ。早朝から急に仕事を言い渡された事もあって、起きてからまだ何も口にしていないのだという。
「朝っぱらから物も食わされずに働かされるなんて、人使いが荒いってレベルじゃないわよね」
「いやあ、もうお腹がペコペコで、早く何か口に入れたいです」
他愛もない雑談に興じつつ、両脇に若々しい植物の立ち並ぶ道を進むと、前方に横長の建物が見えてきた。ワタシは彼と連れだってその中に入る。途端、広いスペースに一定の間隔で配された円卓に椅子のセットと、あちこちで談笑する男達の姿が視界に入った。奥には手入れの行き届いた銀色のキッチンが見受けられる。ただ、、雇われコック達がフライパンを忙しく動かしていたり、大量のスープが入った鍋をかき混ぜたりしている光景は見られない。
それもその筈、エリュシールで配給されている食事は、全てが城の料理人達の手によって調理されているのだ。早朝・昼前・夕方の三時刻に城内へ料理を取りに行く係もキチンと存在していて、その任は隊員が交代で受け持っている。そういうわけで、本部に備わっている厨房は全く機能していなかったりするのだ。ワタシ自身は何故か免除になってたりするのだが。
――確か、城の人とあまり関わらないようにって理由だったっけ。
そんな事を考えながら、青年と共にカウンターへと赴く。運良く人の入りの少ない時間帯だったらしく、並んでいる隊員は数人だった。行列に加わって自分の番を待ち、料理の載ったトレーを係の者から受け取り、列から少し離れたところである事を思い出す。
「……あっ、そういえばワタシって、いつも自室で食べるように言われてるの」
ワタシの後に食事を受け取り、近づいてきたミナーシェは穏やかな笑みを浮かべて、
「大丈夫ですよ、一緒に食べましょう。これくらいで咎められたりはしないでしょうから」
「でも」
「あの命令はマナミさんがまだ入隊したての頃のものです。少しくらい破ったって平気ですよ。それに、いつまでも自分だけ兵舎で食事を取るというわけにもいきませんし、少しずつここにも慣れていかないと」
「……うーん」
そう言われてみると、確かにその通りなような気がした。空気清浄機も換気扇も存在しない環境で、自室が食べ物臭くなるのも困り物だ。実際、大量のスープを部屋中にぶちまけてしまい、数日間その臭いに悩まされた事があった。町の魔法使いが売っている魔道具とやらを用いれば汚れもすぐに落ちるとルトレーから聞いたが、かなり値が張るらしかったので購入は諦めた。
窓を開け放って空気を入れ替えるだけでは限界もあるし、将来的にはここで食事を取った方が良さそうだとはワタシ自身も考えていたのだ。
「そうね、ここで食べようかな」
半ば雑談室の側面が強い食堂の一角に、ワタシ達は丸テーブルを挟んで腰掛けた。
久しぶりに人と食べる食事は、とても楽しいものだった。
食堂を出たワタシ達は、午後から始まるルトレーとの鍛錬のため、裏庭へと続く道を進んでいた。歩きながら喋っているうち、話題が他愛もないものから都を襲う一連の出来事へと移っていく。
「ミナーシェはこの前の事、どう思う?」
「この前って、祭の最終日に起きた事件の事ですか?」
「うん」
コクリと頷くと、青年は腕を組んで空を見上げた。今日の天気は晴れていたが、それでもなお、くぐもった色彩の雲が青空のあちこちに蔓延っている。
「そうですね……」
彼は宙に浮かぶ灰色の塊をじっと見つめながら、
「まだ、ハッキリした持論は浮かばないですね。マナミさんの方はどう思います?」
と、逆に質問を返してくる。
「ワタシは……」
彼と同じく晴れた日にふさわしくない暗雲へ視線をやりながら、ワタシは思い切って本音の一部分を打ち明けた。
「何だか妙な感じがするの」
「妙な感じ、ですか?」
「うん」
戸惑ったような表情を向けてきたミナーシェに対し、ワタシは小さく首を縦に振った。
「あまりにも、出来すぎているような気がするのよね」
「と、いうと?」
「だって、ヴォリアンって凄腕の魔法使いだったんでしょ? 性格は難ありありって感じだけど」
「彼はエリート中のエリートでしたからね」
僕はほとんど面識が無かったので性格については分かりませんが。青年はそう前置きして言葉を続けた。
「魔法の実力に関していえば、宮廷魔術師達の中でも一、二を争う程だったとは聞いています」
「ワタシが気になるのは、そんな男が、あんな簡単に正体をバラすようなヘマを普通するのかって事なのよ」
前から二人の隊員が談笑しつつ歩いてきたので、ワタシはいったん口を噤んだ。彼らは前方からやってくるワタシ達の姿を捉えるなり興味深そうに目を瞬かせたが、すれ違いざまに軽い挨拶を交わした後、そのまま横を通り過ぎていった。男達が十分に離れたのを振り向いて確認した後、ワタシは再び口を開いた。
「見るからに狡猾そうで、悪知恵が働くってタイプっぽいのに。城の宝物庫に忍び込んで見つかったって聞くけど、それなりの権力を持ってたんなら、前もって人払いをしておけば簡単に済んだ話じゃない? それに、祭途中で警備が厳重な期間をわざわざ実行日に選んだのも謎だわ。だって、ワタシなら祭りが終わって、全員が仕事疲れで一息ついている所を狙うもの」
大仕事が終了間際で、兵士達の緊張の糸が切れかかった頃を見計らったのかもしれないが、それこそ『疲労が溜まっているだろうから警備を変わろう』とでも適当なタイミングで声を掛ければ良かった筈だ。そうすれば、怪しまれず簡単に目的を果たす事が出来ただろう。
「うっかりミスを犯してしまいました、って風には全く思えないのよね。何か他の思惑があったんじゃないかって気がするのよ」
いびつで不自然なくらい穴だらけに感じられる作戦。今まではずっと疑問を胸の中にしまってきたが、いざ口にしてみると、ルトレーと共にヴォリアンと退治した時の事まで訝しく思えてきた。
わざわざ、こちらを挑発するような言動に行動。一秒でも早く追跡を振り払いたいと逃走している人間が、悠長に足を止めたりするだろうか。幾ら瞬間移動の魔術を操れるのだとしても、念には念を入れるのが賢い者の取る定石ではないのか。
そう、あれではまるで。
――わざわざ自分から足を止めて、ワタシ達が追ってくるのを待っていたような……。
疑問は幾らでも脳内に降って湧く。しかし、どれだけ頭を悩ませても、納得のいく答えは思い浮かばなかった。程なくして、思案の中から現実へと意識を戻したワタシは、
「……ミナーシェ?」
傍らの青年を目にして、自然と戸惑いの呟きを洩らしていた。彼が何時になく深刻な面持ちになって、蒼く澄んだ瞳を揺らしていたからだ。まるで、隣にいるワタシの事など忘れ、自らの心中に没入しているかのように。
――どうしたんだろう。
彼の並々ならぬ様子に深刻なものを感じ取ったワタシは、無意識のうちに唾を飲み込んでいた。




