008 「だ、ダメだって、バカ」
人生二度目の入れ替わり生活、二日目。
俺は女子の制服を着て、美護冬音として家を出た。
本来なら、もう一日くらい学校を休んで、準備を整えたい。
けれど、初日を両親に内緒で休んでいる以上、あまり休みが続いて家に連絡が入ったりすると厄介だ。
そして美護の方も、妙に俺の出席日数を気にしてくれていた。
まあそんなわけで、俺と美護は相談の末、今日から登校を再開することに決めた。
昨日の夜は、美護冬音になりきるため、寝る直前まで美護マニュアルを熟読していた。たぶん、向こうも同じだろう。
経験者としては、しばらくマスクの着用を勧めておいた。
口調や仕草と違い、表情というのは意外と真似するのが難しい。
だからこそ、顔の半分を隠しておけるマスクは、入れ替わりの初めにはかなり重宝する。
それに、風邪気味ということにしておけば、口数を減らしても違和感がない。
昨日学校を休んだこととの整合性も取れるし、一石三鳥だな。
「……さて」
昇降口で靴を履き替えて、教室の前に辿り着く。
幸いここまで、誰にも声をかけられてはいない。が、教室に入ればそうもいくまい。
一度深呼吸をして、不安な心を落ち着ける。
亜梨紗との入れ替わりでも、こんな感じだったなぁ。
まあ今回は、その亜梨紗がいてくれるだけ、マシってもんだろうけどさ。
「……せいっ」
意を決して、ドアを開けた。
マヌケな声が出てしまったのはご愛嬌だが、意外と美護のイメージからは遠くもないのがおもしろい。
教室には、すでに半分くらいのクラスメイトがいた。
その中には鳳城亜梨紗と、神矢琉依――もとい、美護の姿もある。
美護は俺の席に座って、ちらりとこっちを見た。
俺も視線を送り、かすかに頷く。
マスクのせいで口元はわからないが、たぶん、緊張した顔をしているのだろう。
ちなみに、亜梨紗は自分の席から離れ、美護の近くで友人と話していた。
きっと、あえてあの位置取りをしてくれているんだと思う。
美護になにかあったら、すぐにサポートできるように。
さすが、頼もしいやつだ。
俺は亜梨紗ともアイコンタクトを交わし、頭に入れておいた美護の席に移動した。
カバンをかけて、ひとまず一限の準備をする。
が、誰かが近づいてくる気配を背中に感じて、俺は顔が強張るのを自覚した。
「おはよー、冬音」
声をかけられた。
冬音、と呼んでいる。つまり、俺のことだ。
さっそく、会話イベント発生だな。まあ仕方ない。
「あ、おはよぉ」
美護の口調をトレースして、返事をする。
同時に、手足や腰、顔、身体のパーツ全てに、俺が思う美護を憑依させた。
振り返ると、メガネをかけた三つ編みの女子が、心配そうな顔をして立っていた。
「体調もう平気なの? 珍しいね、冬音が風邪なんて」
「う、うん。もう大丈夫。ちょっと咳出るけど」
美護には、よく一緒に行動する友達がひとりいる。
それがこいつ、今回の入れ替わりにおける要注意人物その1、歌原静久だ。
昨日も急な病欠を気にかけるLINEが来て、美護の指示のもと返信をしておいた。
美護いわく、しっかり者で頭がよく、気が強い。けれど、優しくてかわいい。
まあ最後のはともかく、切れ者なら少し、厄介かもしれない。
なにせこいつにも、入れ替わりのことは隠し通すつもりだからな。
「安静にしときなよ。無理しないこと」
「うん。ありがとー、おしず」
呼び方も、昨日の予習通りだ。向こうも、特に違和感を持った様子はない。
ひとまず、こっちは問題なさそうだな。
となると……。
「……」
本物の美護は俺の席からこちらを見て、そわそわしたような、ホッとしたような、微妙な表情をしていた。
どうやら、心配されていたらしい。
任せろって、こっちは二度目なんだから。
それよりも、お前の方が――。
「あ」
そのとき、突然ひとりの男子が、美護の正面に立った。
思わず、俺の心臓が跳ねる。が、美護の方がもっとドキッとしているはずだ。
「よーう神矢、復活か? ラッキーだったな、面倒な実験パスできて」
そいつは両手を頭の後ろで組んで、なははと軽薄そうに笑った。
春近修哉、要注意人物その2。
マニュアルにも書いておいたが、昨日直接、美護にも伝えてある。
なにを隠そう、春近は友人ではない。
というか、俺はもともと、友人関係をかなり絞っているのだ。
つまり、友達がほとんどいない。
べつにコミュ障なわけじゃなく、入れ替わりが起こったときのために、わざとだ。いやホントにな。
交流が広がったり、特定のグループに入ったりすると、入れ替わり相手の対応が難しくなる。
それを防ぐための、やむを得ない対策だ。寂しくなんかないもんね。
だが、そんな俺の孤高の努力も、最近はあの春近によって、若干脅かされている。
ちょうど亜梨紗との入れ替わりが終わった頃くらいから、なぜかは知らないが、やたらと絡んでくるのだ。
入れ替わりさえなければ、そこまで問題じゃない。というか、たぶん普通のいいやつだ。
が、今はまさにその入れ替わり中なわけで……。
初っ端から厄介な相手で気の毒だが、頼むぞ美護。
「お、おう。おはよう」
と、美護の滑り出しはまずまずだった。
さすが元天才子役、口調再現度は高い。
ただまあ、あんまり男子同士はおはようって言わないかもな。
おっす、とか、うす、とか?
うーん、なんかこう思うと、男子ってアホっぽいな。
「ところで、数学の宿題やった? 俺今日当てられそうなんだよなー」
「あ、ああ、一応やったけど」
おっと、そこは「やったけど見せないぞ」が自然かな。まあ、これは難易度高いか。
とはいえ、宿題の進捗状況もしっかり頭に入ってるのは、やっぱり偉いな、美護。
「よし、見せてくれ」
「え……えっと……だ、ダメだって、バカ」
おい、断り方かわいいな。
なんかこう、頑張って雑にしようとしてるのがわかってほほ笑ましい。
ただ、それをやってるのが自分だと思うと、普通に恥ずかしいけれど。
しかし、やっぱり演技が上手くても、ワードのチョイスは別問題なんだな……ふむ。
「っていうか、俺昨日休んでたんだから、普通立場逆だろ」
「あはは、まあたしかに。んじゃ、当てられないことを祈るか、神に」
とぼけた調子でそんなことを言って、春近はゆらゆらと去っていった。
ひとまず、第一関門クリアか。
それに、最後のセリフはかなりよかった。
慣れさえすれば問題なさそうだな。
「……お疲れ。ありがとよ」
ひどくホッとした様子で胸に手を当てている美護を見ると、自然とそんな言葉が出た。
今回の入れ替わり相手が、あいつでよかった。
まだ、始まったばかりだけれど、そう思う。
前回の亜梨紗といい、正直俺は、相手にはかなり、恵まれてるに違いない。




