015 「プライバシーがあるのです」
美護冬音との入れ替わり生活五日目、初めての週末。
俺たちは再び、神矢邸に集合した。
目的は今日までの振り返りと、出来事のすり合わせ。
こういうとき、確実に安全な場所があるというのは便利だ。
この生活は、いつも気が休まらないからな。
ただ、ひとつ不思議なことがあって――。
「……なんでまたいるんだ、お前は」
リビングのテーブルの向かいに座るそいつ、鳳城亜梨紗に向かって、俺は尋ねた。
璃奈に入れてもらった紅茶を飲みながら、亜梨紗は当然のような顔で言った。
「私だって関係者なんだから、いるに決まってるでしょ。巻き込んどいてよくいうわ」
「巻き込んだっけ……? まあ、助けてくれるぶんにはありがたいから、いいけどさ」
どっちかといえば、俺は迷惑かけたくなかったんだけどな。
こいつも忙しいだろうし、なにより、それこそいつまでも巻き込みたくない。
とはいえ、協力者は多いに越したことはないのも事実だ。ここは、お言葉に甘えよう。
「……っていうか、私のときは一週間の振り返りなんてしてなかったわよね。なんで今回はこんなに手厚いわけ?」
「えっ……まあ、前回の反省を活かしたんだよ。情報共有はマニュアルでやってるとしても、直接話した方がいいこともあるだろうし」
「でも、そもそも入れ替わり中は、あんまり会わない方がいいでしょ。一緒にいるところ、誰かに見られたらマズいんだから」
「それは……まあそうだけど、ここなら大丈夫だろ」
「……ふんっ」
と、亜梨紗はなぜか不満そうだった。
怒っているというより、拗ねているように見える。
これは一ヶ月入れ替わってたからこそわかる、かすかな違いなのだけれど。
「さてと……じゃあ本題だけど、この一週間、なにか困ったことあったか?」
リビングのソファにいる美護に、そう声をかける。
美護は俺の姿で三角座りをしていたが、初日よりも少しリラックスして見えた。
この家にも、入れ替わり状態にも、ちょっとずつ慣れてきたのかもしれない。
いいこと、なのかどうかは微妙なところだな。
「日記は毎日読んでるけど、そこに書いてないような、細かいことでもいい」
「うーん、まあやっぱり、着替えとかトイレは大変かなぁ……。でも、それ以外はけっこう大丈夫かも」
「おお、そうか。そりゃよかった」
普通に嬉しいぜ。
まあそれも、美護の度胸、というか落ち着きと、演技力のおかげだろうけども。
「亜梨紗はもう、大変だったからな。特に初期は、常に半ギレ状態だったし」
「は、半ギレじゃないわよ! 心配することが多くて、ずっと気を張ってたの!」
「あはは、悪かったって」
とはいえ、こんな軽口を叩けるくらいには、もう許してくれてるんだろうと思う。
「でも男の子って、なんかいいね。人間関係っていうか、友達同士の会話があっさりしてて。女の子より気楽かも」
「あぁ、それは私も思ったわ。女子はいろいろあるしね、駆け引きじゃないけど、空気の読み合いみたいなやつ」
「えっ、そうなのか。あんまり感じ取れてないかもしれん……」
「あんたは鈍感だもん。ふんっ」
と、軽くディスられてしまった。
ただ、鈍感だというのは否定できない。細かいニュアンスとか苦手だし。
「あとは、えっと……神矢くん、友達少ないもんね。誰かとずっと一緒にいる、とかあんまりないから、わりと平和です」
「だろ? ぼっちに徹してた甲斐があるってもんだな」
「お兄ちゃん……私は悲しいです」
今度は妹に同情されてしまった。
やめてください。わざとなのに、惨めになっちゃうんでね。ぐすん。
キッチンを片付け終えたあと、璃奈はそのままお菓子を用意して、リビングのテーブルに置いてくれた。
それを機に、俺と亜梨紗もソファの方に移動する。
「逆に、男子はくだらない会話も多いから、気をつけなさいよ。下ネタみたいな」
「ほぇっ……そ、そうなの?」
「まだないのね。私のときはあったわよ、何回か。女子の誰がエロいとか、いつ誰のパンツが見えたとか」
「こら、やめなさい。そういう暴露は卑怯ですよ。彼らにもプライバシーがあるのです」
恥ずかしい秘密は守ってやってくれ。
ただ、実は女子の方でも、そういう類の会話は何度かあった。
誰がイケメンだとか、誰と誰がなにをやったとか、どこまでいったとかいかないとか。
内容が男子のそれより生々しいぶん、むしろ気まずさは上かもしれない。
ともあれ、高校生なんて男女問わず、みんなそんなもんなのだろう。
まあ、男子の下ネタがくだらないのは否定しないけどな。
「だ、大丈夫かな、そういう話題……ちょっと苦手かも」
「でも、ちょっとなんですね」
「あっ……! え、えっと、すごくです!」
璃奈の確認に対して、美護は慌てて訂正していた。
意外と悪いやつだぜ、璃奈。
「あ、でも美護さん、ちょっと立ち方とか、気をつけた方がいいわよ」
「えっ……立ち方?」
「ああ、それは俺も思ってた。内股気味だぞ、常に」
「あと、笑うときに口に手を当てるのもね。そんな男子いないもん」
「ひぇっ……ごめんなさい……つい」
美護はしょんぼりと小さくなっていた。
まあ、それくらいなら特に問題ないだろうけどな。俺も、指摘するつもりなかったし。
しかし、よく見てますね、亜梨紗さん。
「そういや、演技はともかく、亜梨紗は上手かったよな、そういう仕草系」
「だから、意識してたんだってば……努力よ、努力」
亜梨紗はやれやれと首を振った。
それは苦労をかけました。ありがとうございます。
「まあ、学校でピンチになったら、とりあえずトイレの個室に避難して深呼吸ね。あと、休み時間はイヤホンしてると、話しかけられにくいわよ」
「な、なるほど……勉強になります」
亜梨紗はそのまま、美護にいくつかのアドバイスを送っていた。
登校はギリギリの方がいい。
遊びに誘われたら、家事をやるって言えば断りやすい。
女子とは喋らない方がいい。
さすが、なんだかんだいって面倒見がいい。先輩風を感じる。涼しいぜ。
まあ、最後のはあんまり理由がわからないけれども。
「とにかく、大丈夫そうでよかったよ。家ではどうだ? 不便はないか?」
「あ、うん。璃奈ちゃんがすごくよくしてくれるし、いろいろ助けてもらってるから」
「そうか。さすが俺の妹」
兄として鼻が高いです。
見ると、璃奈はクッキーをかじりながら照れくさそうにしていた。
かわいい。さすが俺の妹。
「私も璃奈にはお世話になったわ。ホントいい子だもん。琉依の妹なのに」
「おい……まあいいか、たしかに出来すぎた妹ではあるし」
家事全般いけて、しっかり者。
まあ苦手なものは多いが、そこもまたかわいい。
いや、ちょっとキモイな、俺。
「でも、ごめんね璃奈ちゃん。お家のこと、全然手伝えてなくて……」
「いえ、とんでもないです。むしろ、家事してばかりですみません」
璃奈はペコリとお辞儀をした。
ちなみに、美護は家事や料理はからっきしらしい。
俺もここ数日で、美護家で任されることはほぼなかった。
こういっちゃなんだが、それなら手を出さない方が嬉しいだろうな、璃奈としても。
俺がいない分仕事は増えるだろうが、まあ今は頼るしかない。
「逆に、私のうちはどう? 神矢くん、困ってない?」
「ん、ああ。まあ、さすがに多少はな。けど平気だ、マニュアルもあるし、これまでの対策が生きてるからな。スキンケアもバッチリだぞ、たぶん」
あんまり効果は実感できないけどな。
まあ、こういうのは密かに効いてるはずだ。美護、肌すべすべだしな。
「お母さんは? なにか……言われたりとかしてない?」
「なにか? いや……特には。まあ、厳しそうな人だな、とは思うけど。怒られたりとかはないな、今のとこ」
「……そっか。ならいいんだけど」
美護はホッと胸を撫で下ろしながらも、まだ少し不安げだった。
母親とは、普段そんなに会話が多いわけでもない。
よくある、姉妹みたいな親子、って感じじゃないのは確かだ。
ただ少なくとも、険悪ってことはないと思う。
強いていえば、この前夕食のときに、演技のことについて多少、詳しく聞かれたくらいだが……ふむ。
「ただいまー」
と、不意に玄関の方から、そんな声が聞こえてきた。
そういえば、今日だったな、帰ってくるの。
「璃奈ー? お客さん……って、そりゃそうか」
リビングに顔を出した人物――俺と璃奈の父親は、部屋を見回しながらそう言った。
天パ気味の髪とラウンド型のメガネ、ひょろっと高い身長。
歳よりも若く見えるが、最近はだんだんと、白髪が増えてきている。
シャツに若干シワがあるのが、いかにも中年雑誌記者らしい。
「お帰りなさい、お父さん。お仕事お疲れさまでした」
「ああ、璃奈も悪かったね、家のこと任せて。えっと……琉依?」
父さんは美護の身体であぐらをかいていた俺に目を止めて、自信なさげに言った。
自分の子どもがこんな状態になってるなんて、災難な親だな。
まあ初めてじゃないけども。
「そうだよ。せっかく戻ったのに、またしばらくはよその子だ」
「あはは……お前も苦労するね」
父さんは苦笑いだった。
もはや最近は、本来の身体で顔を合わせることの方が珍しいな、やれやれ。
「亜梨紗ちゃんも、ちょっとぶりです。なんなら、元の姿で会うのは初めてかな。その節は本当にありがとう」
「いえ。こちらこそ、お世話になりました」
亜梨紗が立ち上がって、ペコリと頭を下げた。
父さんも同じようにして、なんだかおかしな時間が出来る。
前回の入れ替わりで、このふたりは同じ家で過ごしていた。もちろん顔見知りだ。
まあ父さんは仕事が忙しいせいで、普段あんまり家にいないのだけれど。
「で、きみが今回の……」
「あ、はいっ。美護冬音です! お世話になってます……!」
父さんは最後に、俺になっている美護の方を向いた。
たしか、ここは初対面のはずだ。これはおそらく……。
「ほんとーーーーーに、申し訳ないっ!」
ガバッという音を立てて、父さんはリビングの床に勢いよく跪いた。
出たな、大人のマジ土下座。
まあ、そうしたくなる気持ちは痛いほどわかる。けど、ビビってるぞ、美護が。
「え、えっと……いえ、そんな」
「いやいやいや。これはもう、本当に僕らの責任というか、許されることじゃないというか、とんでもない大迷惑をかけてるわけで……」
「こら、やめろって。いや、謝るのは止めないけど、土下座は逆によくない」
「お父さん、冬音さんが困っていますよ」
「し、しかし……‼︎」
父さんはなお顔を上げず、それどころか額を床に擦り付けていた。
璃奈とふたりがかりで身体を引き上げようとしても、びくともしない。
俺の力が美護だからだ。
なんだこの光景。
「おじさま、やめてください」
「あ、亜梨紗ちゃんまで! これは僕のけじめとして――」
「私もそれされましたけど、普通に怖かったので。あと、ちょっと迷惑です。入れ替わりと同じくらい」
「ガーーーン‼︎」
と、口で効果音を出して、父さんは打ちひしがれたように倒れ込んだ。
実の息子と娘より、他人の亜梨紗のセリフが一番効くらしい。ちょっと気の毒だけど。
「ごめんなさい美護さん……あと亜梨紗ちゃんも」
「いえ。じゃあ、ひとまず着替えてきてください。お疲れでしょうし、ついでにお風呂も沸かします」
「は、はい……ありがとうございます」
父さんは力のない声を出し、よろよろと自分の部屋へ歩いていった。
なんという手際か。さすが亜梨紗、扱い方が上手い。
というわけで、リビングはまた静かになった。
まあ美護と父さんには、俺が帰ったあとに話してもらえばいいだろう。
「なんかすごいね……神矢くんのお父さん」
「まあ、境遇が普通じゃないからな。俺だって、自分の息子がよそ様と入れ替わってたら、死ぬほど申し訳ないだろうし」
「でも、おじさまはやりすぎよ。こっちはそんなに怒ってないのに」
と、風呂を沸かすスイッチを入れてきた亜梨紗が言った。
神矢家の設備に慣れ過ぎだ。そして、めちゃくちゃ怒ってただろお前は。
「でも、ホントに家族の人も、入れ替わりのこと知ってるんだね……」
「まあそりゃな。遺伝、っていうか、家系の問題だし。それに、姉貴も同じだったから」
「えっ、お姉さん? いるんだっけ?」
美護は驚いたように目を丸くした。
マニュアルには書いてあることだが、どうやら読み逃しているらしい。
それ自体は、美護には気をつけてもらわなきゃいけない。
綻びは、こういうところから出るからな。
まあとはいえ、ただでさえ分量も多いし、あんまり無理強いはできないけれど。
「今年から大学生で、ひとり暮らしだ。俺より先に入れ替わりの五年が始まって、あと一年くらいで終わる」
「そ、そうなんだ……! ご挨拶した方がいい……よね?」
「いや、姉貴はいいよ。ほとんど帰ってこないしな。今回の入れ替わり中も、会うタイミングないと思う」
「あ、そうなの……? でも、いいのかな……」
美護は不安げに首を捻っていた。
三十日は短いようで長い。けれど長いようで、やっぱり短いのだ。
わざわざ会ってもらう必要もないだろう。
最低限、今回のことは璃奈が電話で伝えてくれてるしな。
「ただ来年は、今度は璃奈が十五歳になる。まだしばらくは、この苦労も終わりそうにないな」
「……そっか。大変なんだね、神矢家の人たちは」
まあ、大変じゃないといえば、さすがに嘘になるだろう。
とはいえ、巻き込まれた亜梨紗や美護たちにとっちゃ、そんなのは関係ないことだ。
「……ん、どうしたんですか? 冬音さん、そわそわして」
父さんのカバンを片付けていた璃奈が、戻ってくるなりそう言った。
たしかに、美護はさっきからキョロキョロと首を動かして、なにやら落ち着かない。
どうしたんだ、こいつ。
「あれ……? えっと、今さらなんだけど……」
「?」
「神矢くん、お母さんは……? てっきり、お父さんと一緒に帰ってくるのかと思ってたんだけど……」
「……ああ、そういうことか」
姉貴のことを知らないなら、マニュアルの家族欄は、まるまる全部読めてないはずだ。
だが、むしろ重要度でいえば、姉貴よりもこっちの方が上だな。
こうなると、やっぱり家族のことについては、こっちから口頭で説明しておくべきだったかもしれない。
俺としたことが、うっかりしてた。いや、というよりは、無意識に……。
「……」
なんとなく口が渇いて、俺はテーブルに置いていた紅茶のカップに手を伸ばした。
べつに、どうってことはない。もう昔のことだ。
だから亜梨紗、そんな顔するなよ、バカ。
「母さんは、死んだんだよ。俺が小学生の頃に、な」




