013 「下手だったな」
「まず柚葉。Aという人間をどう解釈したか、言ってみろ」
「は、はいっ……! Aは職場の上司の鈴木さんに不満があって、でも自分もあんまりマジメに働いてなくて、ちょっと意地悪な人……かな」
「なるほど。だとすれば、このセリフはどう捉えた? 『ああいうタイプの人は、もっと上に行ってくれた方がいいんだよ。適材適所でさ』」
榊先生は台本の一部を指差した。
中盤、Aが一杯目のビールを飲み干してから言うセリフだ。
「え? えっと……鈴木さんと離れたい?」
「ふむ。なら、べつに上に行けとか、適材適所って言う必要はあるか?」
「それは…………うーん、どうだろ……」
「AはBに、終始気を遣っていない。鈴木と離れたいだけなら、早く異動してくれ、で充分だ。なら、なぜこんな言葉を選んだのか」
「……な、なんでですか?」
「それはお前が考えろ。私が答えを与えるものじゃない」
あっさりそう言って、榊先生はひらりと手のひらを動かした。
心なしか、ほかの生徒たちがゴクリと、息を呑んだような気がした。
「すべてのセリフには意味がある。私に質問されて、すぐに自分なりに説明できない時点で、読み込みが足りていない」
「は、はいっ……! すみません……」
「謝らなくていい。演技そのものは、まあ悪くなかったよ。Aに対する解釈だって、間違ってるとはいわない。だが、《《やってる》》やつには負ける演技だ。それがいやなら、徹底するんだな」
「はい! ありがとうございます!」
柚葉が座ったまま、勢いよく頭を下げた。
ほ、本格的だ……! そして、この先生、かっこいい! 美人だし!
なるほど、これがプロの演技指導か……勉強になります。
「じゃあ次、冬音」
「は、はい!」
と、思わず神矢琉依モードで返事をしてしまった。
まあ敬語だし、さすがに大丈夫だとは思うが。
それより、なにを言われるのか……。
「……うん、下手だったな」
「ぐふっ」
おっと危ない、変な声が……。しかも、また神矢琉依モードで。
けど、反射的に漏れてしまったものは仕方ない。
下手だったか……そっかぁ。
「現実の会話なら、まあそんなもんだろう。だが、これは演技だ。ドラマや舞台じゃ、自然であるのがそのままいいわけじゃない。もっとわかりやすい抑揚が、多少必要になる。お前のは……そうだな。実際に、その人間になりきってるみたいだった」
お、おぉ……なんと的確な。その通りです、はい。
しかし、そうかぁ。
入れ替わり相手を演じるのと、こういう演技って、別物なんだな。
いわれてみれば、たしかにドラマとかの登場人物って、現実より大袈裟だもんな……。
「すみませぇん……改善します」
やっと美護モードを取り戻しつつも、セリフには本音が漏れてしまった。
やっぱり、そんなに甘い世界じゃないんだなぁ。
「いや、だが悪くない」
「……えっ」
意外なセリフに、伏せていた顔を上げる。
すると、榊先生は思いのほか柔らかい表情で、こっちを見つめていた。
「うん。お前の演技は、いつもどこか型にはまってた。優等生の演技で、おもしろみにも真実味にも欠けていた。以前も、何度か言ったな」
「は……はい」
言われていたらしい。
さすがに、そんなことまではマニュアルには書いてなかったな。
……。
「だが今日は、よかったよ。力が抜けていて、自然体だった。なにか、心境の変化でもあったか?」
「えっ……いえ、特には」
「……ふむ、そうか。まあいい。今回は下手だったが、いい方向に進んでるよ。その調子でやりなさい」
「は、はいっ。ありがとうございます……?」
それっきり、俺と柚葉の番は終わり、指導は次のペアに移っていった。
どうやら、褒めてもらえたらしい。
素人の初回にしては、まあ上出来だったんじゃないだろうか。
……ただ。
「冬ちゃん、よかったね」
「……うん。ありがと」
労ってくれた柚葉に返事をしながら、思う。
美護は、どんな演技をするんだろう。
普段、どんな感じで、ここに通っているんだろう。
入れ替わり相手の事情に想いを馳せるのは、よくないことかもしれない。
けれどそんな器用な真似ができるほど、この生活は単純じゃないのだ。
「ただいまぁ」
稽古が終わって帰宅すると、美護家のリビングには両親がいた。
母親はキッチンでエプロンを着けており、夕食の準備をしているようだった。
「おかえり。レッスンお疲れさま」
「うん。お腹すいたぁ」
と、美護っぽいセリフを言っておく。
食事制限があるとはいえ、腹は減るからな。
「おかえり」
「あ、うん。お父さんもお仕事お疲れさま」
リビングのソファでは、ワイシャツ姿の父親がニュース番組の画面を眺めていた。
昨日は俺がずっと部屋にいたせいで、父親とちゃんと顔を合わせるのは今回が初めてだ。
穏やかそうな顔つきに、どこか美護に似た雰囲気を感じる気がする。
こいつが似たのは、おそらく父親の方なのだろう。
父親は横目で自分の娘を見ると、今度はキッチンにいる母親の方を一瞥した。
なにか言われるかもしれない。
そう思って身構えたが、父親は黙ったまま、またテレビの画面に戻っていった。
「ご飯もうできるから、そのまま食べちゃいなさい」
「あ、はぁい」
母親に返事をして、俺はダイニングのイスに腰掛けた。
入れ替わり中は、できればひとりの時間を多くしたい。
が、どうせ両親との接触は避けられないのだ。
ならここで、ある程度勝手を掴んでおいた方がいいだろう。
ちなみに、美護家では食事の準備は、娘も父親も、あまり手伝わない文化らしい。
夕食を待つあいだ、俺は不自然にならない程度に、部屋の中を見回してみた。
間取りは頭に入っているが、小物の場所や種類は、直接見て把握するしかない。
高そうなコーヒーメーカーに、空気清浄機、デカいクッションがある。
あとは棚の上に家族写真と、あれは……なにかの記事の切り抜きか?
おまけに、そのそばの壁には賞状のようなものが、額に入れて飾られている。
『日本テレビドラマ大賞チャイルドアクター部門』……十年前の日付だ。
受賞者名は『美護ふゆね』、か。
要するにあの一角は、冬音ゾーンなんだろうな。
ただ、今でもああして見えるところに飾ってあるのは、ちょっと意外だな。
それに、手入れも行き届いてそうだ。
美護家は全体的に綺麗だが、あそこは特に。
……ふむ。
「お待たせ。あなたもこっち来て」
少しすると、母親がテーブルに夕食の皿を並べた。
焼き魚とサラダ、豚汁。
献立は普通だが、具材が多く、手がかかっているのがわかる。
ただ、美護と母親に盛られた米は、茶碗の半分ほどだった。
ダイエットって程の制限じゃないが、体型維持には重要なんだろう。
今でもこんなに細いのに、大変だな、ホント。
三人で座って、「いただきます」をする。
この辺はどこの家も同じなんだな、と思いつつ、箸を動かしながら、ふたりの動きにも目を光らせる。
この生活は、食事中も気を抜けないからな。
「どうだったの、レッスンは?」
不意に、母親が言った。
父親は食事の手を止めず、手元の焼き魚を見つめていた。
「あー、うん。いつも通りかなぁ」
なんと答えるべきか、少し迷った。
榊先生に褒められたのは、たぶん珍しいことなのだろうと思う。
が、だからってここで口に出すのは、リスクもある。
まずは様子見がしたい。
「いつも通りって……なにかないの? 今の自分の課題とか、先生に言われたこととか」
「えっ……うーん、どうだろ」
母親の声音と表情は、思いのほか真剣そうだった。
どうやら、それなりに具体的な返答を求められていたらしい。
しかしこうなると、ますます返答に迷う。
黙ってるわけにもいかないが、だからってヘタなことは言えない。
さて、どうしたもんか……。
「お母さん、心配だから聞いてるのよ? あなただって――」
「おい。飯の時間はやめてくれって言っただろ」
と、俺がなにか上手い言い逃れを考えていると、父親が母親のセリフを遮った。
父親はなおも顔を上げず、ただ呆れたように首を振っていた。
「……わかったわよ。冬音、早く食べなさい」
「あ……うん」
それ以来、母親は黙って料理を口に運び始めた。
誰のものかわからないため息が聞こえたっきり、部屋にはつけっぱのテレビの音が、静かに流れるだけだった。
助かった。
そう思いながらも、俺は念のため、こういうときの返答を考えておこう、と心に決めたのだった。




