12話
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『おうたいし!』
『くる』
風の精霊の言葉を聞いた水の精霊たちは、パシャパシャと海面を跳ね回っていた。
エウフェミアは息を呑む。
「ライオネル殿下が……?」
胸の奥がざわついた。
忘れたはずの王都の日々が一瞬で蘇る。
婚約者として過ごした、色あせた日々。
関心の無い、冷たい目線。
そして――あの日の婚約破棄。
オーシャンは静かに海を見つめていた。
「随分早い知らせだったな」
「オーシャン……」
「安心しろ。お前が望まぬかぎり、誰にも連れて行かせない」
低く、落ち着いた声だった。
その瞬間、ざぁ……と波が大きく揺れた。
エウフェミアは、小さく息を吐いた。
「……逃げたくはないわ」
「ほう?」
オーシャンは片方の眉を上げた。
「きちんと、お話はするつもりよ。見て見ぬふりは出来ないわ」
オーシャンは少しだけ目を細めた。
「優しいな、本当に」
その声音にはどこか複雑な色が混ざっていた。
*****
一方、その頃。
港町へ続く街道を、数台の馬車と馬が進んでいた。
かつては灌漑水路に沿って、小麦畑が黄金色に揺れていた。
だが、今は違う。
水路は干上がり、もう何日も水が流れていないのか、ひび割れた土だけが残されている。
風が吹くたび、乾いた土埃が舞った。
枯れた作物は茶色く縮れ、ところどころ白く塩が浮いている。
「……ここも、もう駄目か」
そんな風景をライオネルは、馬車の窓から暗い顔で眺めていた。
「少し休憩をしましょう」
側仕えが言った。
「いや、このまま進ませろ。今は一刻も惜しい」
「しかし、馬が潰れてしまいます」
険しい顔で無理を言うライオネルを側仕えは窘めた。
「……はぁ。だから馬車ではなく、馬で駆けてゆくと言ったのに」
ライオネルは不満そうに呟いた。
「そんなわけにはいかないでしょう。今にも滅びそうな国だとはいえ、仮にも王太子ですよ、あなたは。護衛などどうするのですか?」
「分かっている」
未だ不満そうなライオネルをチラリと見て、側仕えは周りを駆ける騎士たちと御者に休憩をするよう伝えた。
側仕えが飲み物を配る中、ライオネルはふと顔を上げた。
乾いた風が、街道を吹き抜けていく。
その風に混じって、微かに笑い声が聞こえたような気がした。
ライオネルは眉をひそめた。
子供の笑い声にも似ていたが、周囲に人影は無い。
不意に、乾ききった空気の中へ、わずかに湿り気を帯びた風が混ざる。
乾いた砂の匂いに加え、潮の香りが漂ってきた。
「……海か」
ぽつりと呟く。
まだ、港町までは距離がある。
当然海など見えるはずがない。
それなのに、どこか胸がざわついた。
「殿下?」
怪訝そうに側仕えが声をかける。
ライオネルは小さく首を振った。
「……いや、何でもない」
胸騒ぎだけは、いつまでも胸の奥で燻っていた。
*****
一行が港町に着いたのは、その日の夜だった。
王都に比べ、明らかに活気がある。
「今日の夕飯はカレーだから早く帰るよ!」
「カレー! おれ、カレー大好き!」
王都ではあまり見かけなくなった、子供たちの無邪気な声もそこかしこから聞こえてくる。
井戸端では女たちが水を汲み、店先では魚を洗う水音が響いていた。
その光景に、ライオネルは思わず目を見開く。
――水がある。
それも、人々が日常的に使えるほどに。
(――なぜここだけ、こんなに水が豊富なのだろうか)
通りの脇では、子供たちが水を掛け合って遊んでいた。
ぱしゃり、とはじけた水音に、ライオネルは思わず息を呑む。
王都では、叱責どころでは済まない。
水は今や、金貨にも等しい価値を持っているのだから。
*****
宿に腰を落ち着けたライオネルは、水差しの水を口に含んだ。
「……うまいな」
思わず目を見開く。
その水は、今までに飲んだことのないほど、まろやかで口当たりが良かった。
渇いた喉へ、すっと染み渡っていく。
ふと、昔のことを思い出す。
まだ干ばつが深刻ではなかった頃。
ルミナリエ公爵家で飲んだ紅茶は、いつも妙に香り高かった。
――あれも、水が違ったのだろうか。
昔の記憶を思い出していると、ドアがノックされた。
「失礼します」
側仕えが入ってくる。
「入浴の用意が整いました」
側仕えの言葉に、ライオネルがわずかに目を瞬かせた。
「……湯浴みが出来るのか?」
「はい。この宿は毎日湯を張っているそうです」
「何でも、ここの宿の湯に浸かると、肌が綺麗になったり、古傷や膝、腰の痛みが和らぐそうですよ」
ライオネルは思わず絶句した。
王都では、王族ですら湯浴みの回数を減らしている。
それなのに、この港町では宿屋が毎日湯を使えるらしい。
「……本当に、別の国のようだな」
ライオネルは低く呟いた。
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