神獣との出会
北へ向かう街道は、想像以上に過酷だった。
「……これ、ほんとに人通る道か?」
リクは荒い息を吐きながら、ぬかるんだ山道を登っていた。
町を出てから五日。
最初は草原だった景色も、今では完全に岩山へ変わっている。
吹きつける風は冷たく、空気も薄い。
当然、整備された道など存在しない。
途中から完全に獣道になっていた。
しかも、問題は寒さだけではなかった。
ガサリ。
背後で草が揺れる。
リクは反射的に振り返った。
「っ!」
そこには巨大な灰色狼がいた。
肩までの高さだけでリクの胸近くある。
黄色い目が、じっとこちらを見ていた。
だが狼は襲ってこなかった。
代わりに、鼻をひくつかせている。
視線の先は――リクのリュック。
正確には、その中に入っている“進化の実”。
「……これのせいか?」
銀色の実を少し見せる。
すると狼は耳を伏せ、ゆっくり後退した。
どうやら進化の実には、普通の魔獣を威圧する効果があるらしい。
おかげで何度か助かった。
だが問題は別にある。
「腹減った……」
食料だ。
北へ行くほど補給地点が減る。
町で買った保存食も残り少ない。
リクは川辺に腰を下ろし、小さな鍋を取り出した。
そこへ、道中で採取した薬草とキノコを放り込む。
味は薄い。
だが温かいだけでありがたかった。
食べ終わった後、リクは空を見上げる。
北の空は灰色だった。
雪雲が近い。
「……遠いな」
まだ目的地まではかなりある。
正直、不安だった。
戦闘能力は普通。
北方の危険地帯を単独で進めるほど強くない。
それでも足を止められない。
吹雪の中で、独り待ち続ける白い獣。
その姿が頭から離れなかった。
その夜。
吹雪が来た。
ゴオオオオ……!!
「うわっ!?」
テントが激しく揺れる。
外は完全な白銀世界だった。
視界ゼロ。
寒さが骨まで染みる。
「このままでは凍死する・・」
リクは歯を食いしばり、吹雪の中へ飛び出した。
一歩進むたび、雪に足を取られる。
風が顔を殴る。
指先の感覚が消えていく。
「くそっ……!」
遭難。
その言葉が頭をよぎった時だった。
――ウォォォォン。
遠くで遠吠えが響いた。
低く、長い声。
不思議と恐怖はなかった。
むしろ。
“こっちだ”
そう呼ばれている気がした。
リクは顔を上げる。
吹雪の向こう。
一瞬だけ。
巨大な白い影が見えた。
「……っ!」
次の瞬間、視界の端に岩壁が見える。
洞窟だった。
リクは転がり込むように中へ飛び込む。
直後。
外では猛吹雪が荒れ狂った。
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら、リクは入口を見る。
誰もいない。
だが。
雪の上には、巨大な足跡だけが残っていた。
白銀の獣の足跡が。
洞窟の中は、思ったより暖かかった。
外では猛吹雪が荒れ狂っているというのに、内部には不自然なほど風が入ってこない。
「助かった……」
リクはその場に座り込み、震える手で火打石を取り出した。
乾燥した枯れ枝へ火を移す。
ぱちぱちと小さな炎が灯った瞬間、全身から力が抜けた。
あと少し遅れていたら危なかった。
リクは火に手をかざしながら、洞窟の奥へ視線を向けた。
暗い。
だが、妙に広い。
自然洞窟というより――人工的だった。
「……遺跡?」
壁には薄く模様が刻まれている。
雪と氷で隠れているが、何かの文字にも見えた。
リクはリュックを開き、残っていた干し肉を取り出す。
「あと三日分くらいか……」
かなり厳しい。
本来なら途中で補給する予定だったが、北へ進むほど村も人影も消えていった。
ほぼ未開地だ。
普通の冒険者が来ない理由がよく分かる。
その時だった。
入口の向こうに、巨大な影が現れた。
「――っ」
白銀の巨狼。
吹雪を纏いながら、静かに立っていた。
黄金の瞳が、まっすぐリクを見る。
近くで見ると圧迫感が異常だった。
だが、白狼は襲ってこなかった。
ただ静かに、こちらを見つめている。
その瞳には敵意がなかった。
むしろ――。
長すぎる孤独だけがあった。
リクは無意識に、胸ポケットへ手を伸ばす。
進化の実。
銀色の果実を取り出した瞬間。
白狼の目が大きく見開かれた。
洞窟の空気が変わる。
白狼は一歩、前へ出た。
ズシン、と地面が揺れる。
「……その匂い」
低い声だった。
長い間、誰とも話していなかったような掠れた声。
だが確かに、人の言葉だった。
リクは息を呑む。
「しゃ、喋った……」
白狼は進化の実から目を離さない。
黄金の瞳が、微かに震えていた。
「何故……お前が、それを持っている」
リクはゆっくりと口を開く。
「神様からの依頼だ」
その瞬間。
白狼の身体が止まった。
吹雪の音さえ遠くなる。
「……主、から?」
その声には。
驚きと。
信じられないという戸惑いと。
そして。
ほんの少しだけ。
救われたような響きがあった。
リクは静かに頷く。
「もう守らなくていいってさ」
白狼の瞳が揺れる。
何百年も凍りついていた感情が、初めて動いたみたいに。
そして神獣は。
ゆっくりと、その場に座り込んだ。
まるで。
ようやく長い役目を終えられると知ったように。




