少女ユーコ誕生
焚き火の火が、ぱちぱちと音を立てる。
洞窟の外では吹雪が弱まり始めていた。
リクは木の器へスープを注ぎながら、向かい側に座る少女をちらりと見る。
数時間前まで、巨大な白銀の神獣だった存在。
今は十五歳ほどの少女の姿になり、借り物のようにぎこちなく毛布へ包まっていた。
だが、その黄金の瞳だけは変わらない。
リクは腕を組み、考え込む。
「うーん……、なあ、ユーコっていうのはどうだ?」
少女はしばらく黙っていた。
焚き火の光が、白銀の髪を赤く照らす。
そして。
「……ユーコ」
自分の名前を、確かめるように呟く。
その声はどこか不思議そうだった。
何百年も“守護獣”としてしか扱われなかった存在。
役目だけを与えられ、
ただ守り続けてきた神獣。
そんな彼女が、“名前”を呼ばれる。
ただそれだけのことなのに。
なぜか洞窟の空気が少し柔らかくなった気がした。
「……悪くない」
ぽつり、とユーコが言う。
その声は少しだけ嬉しそうだった。
リクは笑う。
「じゃあ決まりだな。これからはユーコで」
「うん」
小さく頷く。
リクは焚き火へ薪を放り込む。
炎が大きくなる。
洞窟の中に、暖かな光が広がった。
その夜。
神代から生き続けた神獣は、
初めて“ユーコ”として眠りについた。
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翌朝、吹雪は、いつの間にか止んでいた。
洞窟の外へ出たリクは、思わず足を止める。
「……景色、変わってる?」
ついさっきまでは風の音しかない世界だった。
生き物の気配など何一つ感じなかった。
だが今は違う。
木々がざわめいている。
鳥の鳴き声が聞こえる。
どこかで小動物が走り回り、虫の羽音まで耳に届いていた。
まるで。
長い冬が終わったみたいだった。
「あ、結界も解けてしまった」
隣で、ユーコがぽつりと呟く。
リクは彼女を見た。
「結界?」
「この辺り、ずっと我が封鎖していた」
「え」
「外敵を近づけないため」
どうやら、神獣だった頃のユーコは、この北方一帯そのものを封印していたらしい。
だから生き物も寄りつかなかった。
だが今、その役目が終わった。
結果。
世界が少しずつ“戻り始めている”。
ユーコは雪原の先を指差した。
「遺跡の前には道もある。近くには町もある」
「町?」
「昔はもっと栄えていた」
リクは驚いた。
こんな極寒の地に人が住んでいるとは思わなかった。
だが同時に理解する。
結界が解けたことで、人の流れも変わる。
この場所はこれから大きく動く。
リクは焚き火のそばへ戻り、干し肉を齧った。
「……で、改めて聞くけど、この世界ってどうなってるんだ?」
ユーコは少し考え込むように目を細めた。
そして静かに語り始める。
「元々、神様は一つの国を作った」
「一つ?」
「同じ言葉、同じ習慣、同じ文化を持つ国」
火の粉が夜空へ舞う。
「その国では、人間も百五十歳くらいまで生きた。能力も今より高かった」
「百五十……」
かなり長寿だ。
しかも能力まで高いとなれば、まるで別種族である。
だがユーコは続ける。
「一方、自然の生き物――魔物はもっと強かった」
その声が少し低くなる。
「魔王のような存在もいた」
リクは黙って聞いていた。
「人間は協力した。団結した。強敵がいたから」
だが。
「魔王を倒した後、人間は変わった」
ユーコの黄金の瞳が、焚き火を映す。
「争いを始めた」
富。
土地。
権力。
強敵を失った人類は、今度は互いを敵にした。
「そして、国は滅んだ」
静かな声だった。
だが重い。
何百年も、その終わりを見続けてきた者の声だった。
リクは小さく息を吐く。
「……それで今の世界になったのか」
「うん」
ユーコは頷く。
「神様は失敗したと思った」
だから。
今度は世界を七つに分けた。
「七つの大陸。七つの国」
それぞれ異なる言語。
異なる文化。
異なる価値観。
「寿命も短くした。百歳くらい」
「なんで?」
「長生きすると、人は淀む」
あまりにも神様らしい調整だった。
リクは苦笑する。
「ずいぶん雑な世界運営だな。で、ここは何国なんだ?」
「ここは何国でもない。最初の国の始まりの地であり、終わりの地でもある」
ユーコは素っ気なく答えたが、ユーコにとっては何百年と守った遺跡なのであった。




