暗躍する者たち49
その契約書類を再度見返してから、一度アイにも見せて確認させる。
「これでいいか?」
「はい、ありがとうございます。
では私も・・・ご確認ください。」
主の女性の拇印を確認してすぐに、アイもその書類に自身の右手の親指を使って拇印を押す動作をする。
すると実体が無いはずなのに、何故か書類にアイの拇印が押されていた。
主の女性はそのことには何も言わず、内容の確認を終えると、別の気になった点について質問してくる。
「・・・確かに。
だがいいのか?」
「何がです?」
「契約書類はこちらに一枚だけだ。」
暗に結果次第では、主の女性の好きなようにできてしまうとの警告だったが、それは杞憂に終わる。
「ご心配なく。
こちらにも同様の内容の書類がありますから。」
そう言ってアイはもう一枚の契約書類を手に持って主の女性へと見せた。
そこには目の前にある書類と全く同じ内容で、尚且つ自身とアイの寸分違わぬ親指の指紋の拇印が押されていた。
これはさすがに気になったようで、主の女性が質問してきた。
「いったいどういう仕組みだ?」
「これは遠隔地であっても同期する書類です。
先程ツクヨミさんが居住空間を行き来した際に、こっそり送っておきました。
詳しい仕組みは説明を省きます。
まぁ寸分違わずに、そちらの内容がこちらへ反映され、こちらの内容もそちらへ反映される、そういうものだと思ってください。」
理屈は理解したものの、原理については謎だけしかないのだが、主の女性は現状を受け入れるだけに止めた。
「わかった。
とりあえず納得はしておく。」
そのためアイもそれ以上は説明しなかった。
「ありがとうございます。
これにて正式に契約成立となります。」
そうアイが口にした瞬間、双方の契約書が拇印を押した者に向かって光りを放つ。
するとそれぞれの右手首にその光が巻き付いた。
消えることなく留まり続ける光に内心困惑しながらも、表面上は冷静に主の女性が不満を口にする。
「っ!?・・・事前に何も聞いていないが、これは何だ?」
警戒する主の女性にアイが説明を行う。
「安心してください。
何も害はありませんよ。
それはただの契約の証です。」
「契約の証?」
「今回の契約者に対して、その状況を表しています。
今は契約が完了した意味で光っていますが、すぐに収まりますよ。」
アイがそう説明している間に、互いの右手首の光は収まり、代わりに指先程の太さの黄色の線が残った。
「これは?」
「その黄色の線の状態は、契約完了後で条件達成確認の開始前であることを表しています。
開始されて確認中になると灰色に変わります。
その後、そちらが条件達成すると白色、達成できないと黒色に変わります。
契約相手である私は貴女とは逆ですね。
最後に報酬を、黒側が支払い、白側が受け取ると、契約満了となって線は跡形も無く消えます。」
「つまり、この線がいつまでも残っていると、契約違反となって相応のペナルティを受けることになるわけか。
だがさすがにこれは・・・」
主の女性が不手際として文句を言おうとしたが、先にアイが訂正する。
「別にペナルティはありませんよ。
さっきも言いましたが、それはただの証、目印です。
それ以外の機能はありませんよ。」
「わざわざそのためだけに付けたと?」
「そうです。
まぁあえて言うなら、いつまでも契約報酬を支払わずに逃げている債務者の証、といったところでしょうかね。」
「なるほど。
己の恥を周囲にさらし続けたくなければ契約を満了させろ、そう促すためか。
だが証がこの場所なら、袖で少し隠せば当人たち以外にはわからなくなると思うが?」
あまり意味が無いことを指摘してきた主の女性だったが、これについてはアイが否定する。
「隠せませんよ。」
「何だと?
まさか・・・何っ!?」
試しに主の女性は袖で隠してみたが、何故か数秒後には袖がズレて右手首があらわになってしまう。
何度やっても結果は変わらなかった。
その様子を確認してからアイは説明の続きを口にする。
「試していただいた通りです。
それは周囲に自分以外が存在していると、証の部分が隠せないようになっています。
タイムラグがあるのは、少しも隠せないと普段の生活に支障が出るからです。
例えば服を着るときなどは不便ですからね。
ちなみに隠せなくなるのは、今の黄色と黒色の状態のときだけです。」
アイの説明自体に穴が無かったので、主の女性は視点を変えて今度は抗議へと変える。
「・・・状況は理解した。
だが、こういうことは最初に言っておくものではないのか?
説明不足はあきらかにそちらの落ち度だと思うがな。」
主の女性の抗議に、アイもすぐさま反論する。
「どちらも害が無いことと、こちらからそちらへ一切害を及ぼさないことは契約書に記載されています。
こちらの説明責任という意味では、それで十分のはずです。
また契約書に関して、そちらは内容について確認しただけで、契約書自体については事前に何も聞かれませんでした。
これは契約書の機能の延長でしかありませんから、同様に説明は不要と判断しました。
むしろ事前確認を怠ったそちらの落ち度だと思いますが?」
「うっ・・・しかしだな・・・」
雲行きが怪しくなってきた主の女性が更に食い下がろうとしたところへ、アイが有無を言わさぬ決定的な正論を突き付ける。
「そもそも既に契約は締結されています。
これを今更白紙に戻すのは不可能です。
それとも何もせずにそちらから契約破棄しますか?
当然その場合は、そちらがこちらへ報酬を支払ってもらうことになりますがね。」
もう引き返せない状況であることを理解させられた主の女性は、観念して最終確認だけ行うしかなかった。
「・・・本当に今説明を聞いた通り、こちらに害は無いんだな?」
「ありません。
先程説明しましたが、契約書に記載されている通りです。
もし契約不履行があれば、既にこちら側が黒色に変わっています。
いまだに黄色の状態を保っていることこそ、契約書の内容に嘘偽りが無い証です。
違いますか?」
アイの右手首の線が黄色で、自身の右手首の線も黄色であったため、渋々ではあったが、この場は主の女性がおとなしく引き下がった。
「そう、か・・・いいだろう、これについてはこちらが譲歩しよう。」
「そうですか。」
しかし転んでもただでは起きなかった。
「だがその代わりと言っては何だが、一つ確認がある。」
「聞きましょう。」
「後出しで申し訳ないが、試技の回数についてある程度多くを希望する。
そちらの言葉だけを鵜呑みにするほど、私も愚かではないのでな。
全力を出して居住空間が壊れてしまっては元も子もない。
加減を探る意味でも、余裕を持った回数を試したい。
まさか駄目とは言わぬだろうな?」
ここであえて言わずに取っておいた自分たちに有利な条件を提示してきた主の女性だったが、これはアイからすんなり許可が下りた。
「別に構いませんよ。
納得できるまで、ですと際限無いので、回数ではなく時間制限ではどうでしょう。
例えば、開始の合図から一時間以内、とかどうです?」
せいぜい数分、良くても十五分程度だと考えていた主の女性としては破格の条件であった。
そのためアイの気が変わらない内に、二つ返事でこの条件を了承する。
「良いだろう。
今更取り消せんぞ。」
「問題ありませんよ。」
「決まりだな。
いつその余裕が崩れるか楽しみだ。
それで、場所は何処で行うつもりだ?」
「そうですね・・・最初は居住空間の入り口を外側から、と思っていました。
しかしそれでは、余波でこの場を損傷するかもしれないと気になって本気を出せなかった、などと言い訳されても困りますからね。
そこで提案です。
ツクヨミさん、入り口を入って一番奥のドアの先に、何も無い少し広めの部屋があったことは確認していますか?」
「はい、確認しております。
入り口のドア以外、天井、床、壁、その全てに凹凸が一切ございませんでした。
それ以外は何も置かれていない、ただの部屋でございました。」
「そこで、その部屋のドアを閉めた状態で内側を傷付ける以上のことができるか、というのはどうでしょう?」
アイに問われ、まずツクヨミが主の女性に自分の考えを伝える。
「私は契約書の記載内容もございますので、問題無いかと判断いたします。
いかがでございますか、主様?」
「ここまできて、私たちを閉じ込めることも、ここに戻れなくすることも、今更無いだろう。
私もツクヨミと同じく問題無いと判断する。」
「ありがとうございます、主様。
アシュラはどうでございますか?」
主の女性から同意を得たツクヨミは、最後にアシュラにも確認を求める。
すると同意を得られたものの、追加で要望が加えられた。
「私も場所は問題無いと思うよ。
ただ、行くなら全員で行くべきだね。」
「それは戦力を分散させず、常に私たちが主様の傍に控えるべき、ということでございますか?」
「そういうことだぜ。」
「しかしそれでは万が一に対応できないのではございませんか?」
「今回の場合、こちらからあちら側に出向くことになる。
つまり既知の場所から未知の場所へだ。
そんな場所で主の護衛を手薄にする方が万が一に対応できない可能性が高いと考える。
それでも全滅するのであれば、分散しても各個撃破されて、結局は同じ結果だ。」
「なるほど、一理あります。
主様、いかがでございますか?」
「私もアシュラの案に賛成だ。」
「承知いたしました。
ではそのようにいたします。」
「任せてよ、主。」
「他には何かございますか、アシュラ?」
「ついでにアイも私たちの目が届く場所にいてもらうべきだぜ。」
「アイさんも、でございますか?
しかしこの場に実体がないアイさんでは、あまり意味が無いのではございませんか?」
「だが右手首の線の色の状態は常に確認できるようにしておくべきだ。
一応万が一を考慮して、主との変化の違いがわかるようにな。」
「なるほど。
アイさん、よろしいでございますか?」
「もちろんいいですよ。
私が見ていないところで行っても、後で諍いの原因になりますからね。
元々そのつもりでした。」
「でしたら、そのようにお願いいたします。」
「わかりました。」
「私からは以上でございます。」
「では、そろそろ話も出尽くしたと思いますので、早速挑戦しますか?」
アイに問われ、三人は同時に答える。
「ああ。」
「はい。」
「うん。」
「それでは皆さん、私について来てください。」
そう言ってアイはドアを開け、居住空間の中へと入って行く。
その後を、ツクヨミ、主の女性、アシュラの順でついて行ったのだった。




