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2話『蒼穹』

1


 ユンカリス共和国首都リンファ。  カフェ・ノースライト。

 古びた四階建てビルの一階にある小さな喫茶店は、今日もいつもと変わらぬ姿でそこにあった。

 深い飴色へと変わった木製の扉。

 柔らかな照明。

 磨き込まれた木目のカウンター。

 壁には、店主が長い年月をかけて集めたのであろう年代物のカップが並んでいる。

 小さなスピーカーから流れているのは、穏やかなジャズだった。

 カウンターの奥では、挽いたばかりの豆に湯が注がれている。

 細く伸びた湯気とともに、深く香ばしいコーヒーの香りが店内へ広がった。

 わずかな苦みを含んだ、温かな香り。

 本来なら、それだけで肩の力が抜けるはずだった。


 だが。

 今日だけは、その香りでも拭えないものが店の中にあった。

『――ユンカリス共和国北部国境では、本日未明より、ゼルカスト人民共和国軍との戦闘が再び確認されています』

 店の隅。

 いつもならさほど気にも留められないテレビへ、客たちの視線が集まっていた。

 画面には、遠く霞む山並みが映っている。

 その手前。

 何本もの黒煙が空へ立ち昇っていた。

『現地からの情報によりますと、ゼルカスト軍は複数のACTを国境線付近へ展開。これに対し、ユンカリス共和国軍もACT部隊を投入し――』

 映像が切り替わった。

 荒れた大地を、巨大な影が横切る。

 二十メートルを超える人型兵器。  ACT。

 遠距離から撮影された映像でさえ、その大きさは容易に理解できた。

 丘陵の向こうから一機が姿を現す。

 その直後、白い閃光。

 数瞬遅れて、大地が弾けた。

 土煙が巨大な柱となって吹き上がり、映像そのものが大きく揺れる。

 店内の誰かが、小さく息を呑んだ。

『なお、ユンカリス共和国政府は住民に対し、国境付近へ近づかないよう呼びかけています』

 リュミア・ルシエルは、カウンターの中で立ち尽くしていた。

 黒い髪が肩のあたりで小さく揺れている。

 細身の身体。

 まだ十五歳の少女には、店の制服もどこか少し大きく見えた。

 普段なら客から声を掛けられるだけで、すぐに柔らかな笑顔を返す。

 その笑顔が、今日はない。

 緑色の瞳はテレビへ向けられたまま、動かなかった。

 再び、画面の中で光が走った。  爆発。

 黒煙。  そして。

 人の姿を模して造られた巨大な兵器が、その煙の中を歩いている。

 リュミアは知らず、エプロンの裾を指で握っていた。

「……おじさん」  小さな声だった。

 カウンターの奥でヴォルグ・ハウゼンが顔を上げる。

 大柄な男だった。  身長は百八十五センチ。

 厚い胸板と太い腕。  銀色の髪。

 喫茶店のカウンターに立っているよりも、もっと荒々しい場所の方が似合いそうな体格をしている。

 だが、その大きな手が扱っているのは武器ではない。

 陶器のドリッパーだった。

 ヴォルグはゆっくりと最後の湯を落とす。

 急がない。

 テレビの音が聞こえていないはずはなかった。

 それでも、いつもと同じ手順でコーヒーを淹れていた。

「ん?」  リュミアは少しだけ迷った。

 それから、テレビへ視線を戻す。

「……また、始まったんだよね」  

 ヴォルグは答えなかった。

 抽出を終えたドリッパーを外し、カップを一つ持ち上げる。

 白い陶器から、湯気が静かに立ち昇っていた。

「この前は……すぐ終わったのに」

「ああ」

「デイビッドさんが追い返して……それで終わったと思ってた」

「ああ」

 短い返事だった。

 それだけに、リュミアはヴォルグを見る。

 ヴォルグはコーヒーの入ったカップをカウンターへ置いた。

 陶器と木が触れる、柔らかな音がした。

 店内のテレビでは、緊迫した声が続いている。

『政府関係者によりますと、国家元首ラウル・カルダーは現在、アウロラネクサスを訪問しており――』

 リュミアの表情がさらに曇った。

「……この国、大丈夫かな」

 ヴォルグの手が止まった。  

 ほんの一瞬だけ。

 だが、すぐに動き出す。

 布巾を取り、何度も磨かれて艶の出たカウンターをゆっくりと拭いた。

「分からん」  

 あまりにも簡単な答えだった。

 リュミアが目を瞬く。

「分からないの?」

「分からんものは、分からん」

「おじさん、そういうところ適当だよね」

「適当じゃねぇよ」  ヴォルグは顔を上げた。

「分からねぇことを、分かったような顔で言わないだけだ」

 リュミアは黙った。 ヴォルグはテレビを見る。

 ほんの数秒。

 それから、またカウンターへ視線を戻した。 「ただまあ」

「うん」

「今ここで、俺たちがテレビに睨みきかせても、国境の連中が引き返すわけじゃねぇ」

「……それはそうだけど」 「だから」

 ヴォルグは、まだ湯気の立つカップをリュミアの前へ少し押した。

「飲め」

「え?」

「余り」

「絶対いま淹れたよね?」

「余りだ」

「嘘」

「十五の小娘が細けぇこと言うな」

「おじさんが雑なんだよ」

 それでも。 リュミアはカップを両手で包んだ。

 温かかった。

 指先から、じわりと熱が伝わってくる。

 鼻先へ、コーヒーの香りが届く。

 いつもの匂いだった。

 何度も嗅いできた、ノースライトの匂い。

 リュミアは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

「……ねえ、おじさん」

「ん?」

「ここは、大丈夫だよね」

 ヴォルグは答えなかった。  すぐには。

 少女の緑色の瞳を見つめる。

 不安を隠そうとしている。

 だが、隠し切れてはいなかった。

 ヴォルグは小さく息を吐いた。  そして。

 いつもの豪快な笑みを、ほんの少しだけ浮かべた。

「店を開けられるうちは、いつも通りだ」

「……それ、答えになってない」

「俺の店じゃ、それが答えだ」

 リュミアはしばらくヴォルグを見つめていた。

 やがて。

「変なの」  

 小さく笑った。

「ああ。よく言われる」  

 ヴォルグも笑う。

 テレビの中では、まだ砲火が続いている。

 国境では巨大な兵器が戦い。  煙が上がり。

 人々が逃げている。

 それでもノースライトでは、ジャズが流れていた。

 コーヒーの香りが漂っていた。

 磨かれた木のカウンターも。

 壁に並ぶ古いカップも。

 昨日までと何も変わっていない。


 ただ。  その日。

 リュミアは初めて感じていた。

 これまで遠くにあったはずの戦争が。

 ほんの少しずつ。

 自分たちのいる場所へ、近づいてきていることを。




2


 ユエラン基地、司令部。

 壁一面を占める大型戦術モニターには、ユンカリス共和国北部の地図が表示されていた。

 国境線。 ハイユン国際空港。

 ハイユン医療センター。

 そして、各地を移動する部隊を示す無数の光点。

 青。 赤。 白。

 光点が動くたび、その位置関係も変わっていく。

 通信卓から絶え間なく声が飛んでいた。

「ハイユン国際空港、依然として戦闘継続中!」

「共和国軍地上部隊、空港南側へ展開!」

「第二十七機動艦隊所属歩兵部隊、現地部隊との合流を確認!」

 警告音。 通信音。

 オペレーターの声。

 それらが重なり合い、広い司令部を満たしている。

 ロベルトは腕を組み、大型モニターを見上げていた。

 視線の先。

 ひとつの光点が、他の部隊とは違う動きをしている。

 国家元首、ラウル・カルダー。

 アウロラネクサス訪問を終えた彼は、帰国に際して着陸先を秘密裏に変更していた。

 首都リンファではない。  ハイユン国際空港。

 安全を考慮しての判断だった。

 そのはずだった。

 国家主席の専用機には、様々な回線で通信を試みている。

 だが、その空域には強力な電波妨害が施されており、現状の危機を伝えることはできていない。

 そのまま、ハイユン国際空港を目指し。着陸するだろう。

 もしかしたら、考えたくはないが、ユンカリス政府内で、陰謀じみたなにかがあるのかもしれない。


「全く……」

 ロベルトが小さく息を吐く。

「秘密ってのは、知ってる人間が増えるほど秘密じゃなくなるねえ」

 傍らに立つ副官、リディアが横目を向けた。

 長い付き合いなので、二人きりになると口調が崩れる。

 個人的には、こちらの方が落ち着く。

 だが、優秀な軍人らしく、他者の目があるときにはほぼ完璧な立ち居振る舞いを崩さなかった。

「感心してる場合かい、司令」

「してないよ」

「そうは見えないけどねえ」

「昔からこういう顔なんだ」

「便利な顔だね」  

 遠慮がない。

 ロベルトは返事をしなかった。

 視線はモニターから離れない。

 ゼルカスト軍は、カルダーの帰国先を知っていた。

 偶然では済まされない。  だが。

 情報がどこから漏れたのかを調べるのは後だ。

 今は、人を生かす。 「主席の容態は?」

「銃創ひとつ。一応、命には別状なし」

 リディアが端末を操作する。

「空港襲撃直後、側近が脱出させた。随行員にも負傷者が出てる。現在はハイユン医療センターへ収容」

「そう」  ロベルトの眉間に、わずかに皺が寄った。

 リディアも同じ場所を見ていた。

 ハイユン医療センター。

 民間の大規模医療施設。

 そこに今、国家主席がいる。

「……面倒なことになったね」

「ああ」

 今度のロベルトの声には、いつもの気の抜けた響きがなかった。

「病院は戦場じゃない」

「敵さんがそう思ってくれりゃいいけどねえ」

「そうなんだよねえ」  

 カルダーを狙った襲撃。

 空港で取り逃がしたからといって、ゼルカスト軍が諦める保証などない。

 むしろ――。

「共和国軍には?」

「空港へ増援。うちの歩兵も出したよ」

「医療センターは?」

「共和国側へ警戒を要請済み。こちらから回せる兵は限られてる。歩兵は特に少ないからねえ。うちのボスはケチだから」

 リディアが舌打ちする。

 女王陛下の顔が浮かんだ。

 確かにそうだと思った。


「こんなときに国境までお祭り騒ぎとはね」

 ロベルトは、北部国境を示す戦術表示へ目を移した。

 そこでも赤と青の光点が激しく入り乱れている。

 ゼルカスト軍ACT部隊。

 それを迎撃する第二十七機動艦隊ACT部隊。

 戦力を好きな場所へ、好きなだけ投入できるほど、戦場は親切ではない。

 空港。  

 国境。

 そして医療センター。

 ひとつの火事へ人員を回せば、別の場所が手薄になる。

 それは司令部のモニター上では、単なる光点の移動に見える。

 だが。 その光点の一つ一つには、人間がいる。

 兵士がいる。 医師がいる。

 民間人がいる。 そして。

 国家元首がいる。

 ロベルトの通信端末が鳴った。

「噂をすれば、かな」

 回線を開く。

「こちらユエラン司令部。ロベルトだ」

 返ってきたのは、聞き慣れた男の声だった。

『司令。こっちはもう少しで片付きます』  

 同時に、通信の向こうから轟音が響いた。



◇


 大地が爆ぜた。

 数十トンの土砂が、爆風に巻き上げられる。

 濃青の巨体が、その中を突き抜けた。

 AN-R07、カサンドラ。

 頭頂高、二十二メートル。

 機体重量、四十八トン。

 アウロラネクサスが誇る騎士団用ACT。

 その全身を包む濃青の装甲が、舞い上がった土埃の中で鈍い光を返す。

 巨大でありながら、鈍重さを感じさせない。

 長い四肢。  

 引き締まった胴体。

 左腕には大型のハイブリッドシールド。

 背部には大口径荷電粒子ビーム砲。

 そして右手には、長大なビームライフル。

 兵器でありながら、その立ち姿には騎士を思わせる美しさがあった。

 だが。今、その騎士が立っているのは式典会場ではない。

 戦場だった。

 カサンドラの足元を砲弾が掠める。  

 爆発。

 土砂が装甲へ叩きつけられた。

 デイビッド・スミスは、それをほとんど意識していなかった。



◇


 コクピット。

 外観同様、内部も直線を基調とした設計だった。

 余計な装飾はない。

 身体を深く包み込むシート。

 左右へ伸びる操作系。

 正面から側面へ連続する表示パネル。

 戦況情報。  

 機体状態。

 火器管制。  

 友軍識別。

 それらが、視界を邪魔しない位置へ整理されている。

 空調された空気には、電子機器特有のわずかな熱と、長時間身体を預けてきたシート材の匂いが混じっていた。

 機体が急制動をかける。

 身体に、シートへ押されるようなわずかな荷重がかかった。

 だが、その衝撃は小さい。

 カサンドラの制御系が、二十二メートル、四十八トンという巨体の運動を瞬時に補正している。

『右前方。敵機、照準行動』 

 女性の声が響いた。

 カサンドラ搭載COM。リズ。

「見えてる」

 デイビッドが操縦桿を倒す。  

 敵ACTが撃った。

 荷電粒子ビームが大気を貫く。

 カサンドラは横へ滑った。

 四十八トンの巨体が動いたとは思えない。

 背部と脚部の推進器が瞬間的に噴射し、地表の砂礫が扇状に吹き飛ぶ。

 光条が、つい一瞬前までカサンドラの胸部があった空間を貫いた。

「テューダー隊、右を抑えろ!」

『了解!』

 数百メートル後方。

 ライトグリーンのACTが一斉に散開する。



◇


 AN-M10、テューダー。

 二十メートルを超える機体が地面を蹴るたび、重い振動が大地を伝った。

 一般兵用ACTとしては高い完成度を持つ機体。

 癖が少なく、扱いやすい。

 その素直な機動性を生かし、複数のテューダーが互いの死角を補いながら射線を形成する。

 ミドルレンジビームライフルが火を噴いた。

 幾筋もの光が国境の荒野を走る。

 ゼルカスト軍ACTが散開した。

 茶褐色の太く丸みを帯びた機体。 ナグル。

 頭頂高二十メートル。 六十八トン。

 決して新しい機体ではない。 むしろ古い。

 厚い装甲。 太い四肢。

 巨大な胴体。

 洗練という言葉からは遠い、武骨な人型兵器。

 だが、前線では今なお使われ続けている。

 壊れにくい。 直しやすい。

 そして、厚い。

 テューダーの荷電粒子砲撃を、一機のナグルが円形のシールドで受ける。

 防御フィールドの電磁場が明滅する。

 さらに実体盾へ光弾が叩き込まれた。

 鈍い爆発。 巨体が一歩、後退する。

 それでも倒れない。

 足裏が地面を抉り、六十八トンの質量を受け止める。

「相変わらず頑丈だな」  

 デイビッドが呟いた。

 ロベルトの声が通信へ返ってくる。

『そっちは派手だねえ』

「見物に来ます?」

『遠慮しとくよ。腰が痛くなりそうだ』

 デイビッドは苦笑した。  

 だが。

 目は笑っていない。

「司令。空港は?」

『まだやってる』

「病院は」  

 一拍。

『カルダー主席が運び込まれた』

 デイビッドの表情が変わった。

「……は?」

『空港で負傷。側近が脱出させて、ハイユン医療センターへ収容した』

「ちょっと待ってくださいよ」  

 敵機を示す警告表示。

 デイビッドは会話を切らないまま、機体を旋回させた。

 ナグルがハンドレールガンを構えている。

 照準。  

 発射。

 カサンドラの左腕が上がった。

 モニターの向こう。ハイブリッドシールドの裏側が映った。

 砲弾が防御面へ激突する。

 轟音。

 徹甲弾は、盾の装甲に触れることなく、弾かれ地面に落ちた。

 コクピットへ低い振動が伝わった。

 ブレストプレートから伝わってくる。

 防御フィールドが衝撃を散らし、その奥で実体盾が残余の運動エネルギーを受け止める。

 デイビッドは眉一つ動かさない。

「そこ、ミレアとシンシアがいるんですけど」

 優秀な医師と看護師だった。

 ユンカリスでの大切な友人だった。

『知ってる』

 何度も兵士の治療をしてもらった。

「俺の友達ですよ」

 助からないと思った部下を救ってもらったこともあった。

『それも知ってる』  

 二人とも、とても綺麗な容姿をしていた。

「だったら――」  

 別の敵機。  

 右。

 近い。

 リズの警告より先に、デイビッドの手が動いた。

 カサンドラが踏み込む。  

 地面が陥没した。

 二十二メートルの濃青の巨体が、一気に間合いを詰める。

 敵機がビームソードを抜く。  

 遅い。

 カサンドラの右腕が背へ回った。

 ビームライフルをマウント。

 同時に高出力ビームソードを抜刀する。

 直線的なナックルガードが装備された、機体と同色の光剣の柄。

 荷電粒子が収束。  

 明るいグリーンの刀身が形成された。

 鮮烈な光が、濃青の装甲を照らす。

 敵機が剣を振り下ろす。

 デイビッドは正面から受けなかった。  

 半歩。カサンドラが敵の懐へ滑り込む。

 巨大な二機が交錯した。  

 光が走る。

 次の瞬間。

 ゼルカスト軍ACTの片腕が宙を舞った。

 ナグルのディフェンサーも装甲も、力が及ばなかった。

 切断面から火花と融解した装甲材が飛び散る。

 巨腕が地面へ落下。

 轟音とともに土煙が上がった。

 デイビッドは追撃しない。  

 機体を離脱させる。

「共和国軍と、うちの歩兵は空港ですよね」

『そう』

「病院まで十分な兵を回せますか?」

『厳しいね』

「ですよねえ……」

 デイビッドが奥歯を噛む。  

 嫌な感じがする。

 理由を説明しろと言われても困る。

 空港には兵を出した。

 カルダー主席は脱出し、病院へ運び込まれた。

 敵が主席の移送先を知らなければ、それで終わる。

 知らなければ。

「…………」

 デイビッドは前方を睨んだ。

 敵ACTが、まだいる。

 自分はここを離れられない。

 国境を放置して空港へ飛べば、今度はこちらから敵が雪崩れ込む。

 空港には正規部隊が向かっている。

 医療センターにも、今できる手は打った。

 ギルフォード・レイン。  

 戦闘員ではない。

 だから頼んだのは、あくまで病院の状況確認だけだった。

 危険なら引き返せとも伝えてある。  

 それでも。

 何もないなら、それでいい。

 何もないことを確認して帰ってくるだけなら、それが一番いい。

 もしも危機が訪れていたら。

 部下には申し訳ないが、俺が飛ぶ。

 デイビッドは息を吐いた。  

 これで一つ。

 やれることはやった。 ならば。

 自分がやるべきことも、決まっている。

 正面を見る。  

 敵ACT。

 まだ複数。  

 敵機の動きに目を凝らした。

 遊んでいるつもりはなかった。だが、もう手加減をする余裕はないのだと、理解した。


「司令」

『何だい』

「予定変更します」

『何を?』

 カサンドラがビームソードを収める。

 代わって背部マウントが動いた。

 巨大な砲身が腋下部からせり上がる。

 大口径荷電粒子ビーム砲。

 機体各部から低い駆動音が響く。

 砲身内部で荷電粒子が収束を始めた。

 空気が震える。

 照準表示が次々と敵機を捉える。

『デイビッド?』

「ここを早く終わらせます」

『今までは終わらせてなかったのかい』

「追い返せればいいと思ってましたから」

 敵機が散開を始める。

 デイビッドはそれを見る。

 いつもなら、それでいい。

 国境の向こうへ戻るなら追わない。

 戦闘能力を失った機体へ、とどめを刺す必要もない。

 だが今日は。 空港が襲われている。

 病院には友人がいる。

 そして国家主席まで運び込まれた。

 時間がない。

「悪いな」  

 デイビッドが呟いた。

 誰に向けた言葉なのか。

 自分でも分からなかった。

「今日は手加減できない」

 照準が重なる。  

 ロック。

『荷電粒子収束率、規定値到達』  

 リズの声。

 デイビッドの指がトリガーへ掛かる。

「撃破する」

 引いた。  

 瞬間。

 カサンドラの手にする砲口から、わずかに緑を帯びた、白熱する光が迸った。

 大口径荷電粒子ビーム。

 放たれた奔流が大気を灼き、一直線に戦場を貫く。

 轟音ではなかった。  

 それよりも鋭く、重い。

 空気そのものが引き裂かれたような衝撃が、大地を震わせた。

 光が消える。  

 遅れて爆発。

 巨大な火球が国境の荒野に膨れ上がった。

 爆風が土砂を巻き上げる。

 一対の光の濁流が、ゼルカスト軍ACT数機を葬った。


 テューダー隊のパイロットたちが、一瞬だけ動きを止めた。

 その前を、濃青のカサンドラが進む。

 巨大な足が大地を踏むたび、

 重い振動が地面を走った。

 デイビッドは笑っていなかった。

「テューダー隊、前へ」

『了解!』

「こいつら片付けて――」

 濃青の騎士が、再びビームソードを抜く。

「空港へ行くぞ」




3


 軍用バイクが、ハイユンへ続く国道を疾走していた。

 風を切る音が、フェイスガード越しに低く響く。

 ギルフォード・レインは上体をわずかに伏せ、流れていく路面の先を見据えていた。

 ハイユンへ近づくにつれ、対向車は目に見えて増えていた。

 反対に、ギルと同じ方向へ走る車はほとんどない。

 家族を乗せた乗用車。

 荷台へ荷物を積み込んだ商用車。

 緊急灯を点滅させながら走る救急車。

 誰もが同じ方向へ逃げている。

 その流れに逆らって、ギルだけがハイユンへ向かっていた。

 ヘルメット内部に通信着信音が鳴る。

『ギル、聞こえるか』

 デイビッドだった。

「聞こえてるよ」

『今どの辺だ』

「ハイユンまで、もうそんなにかからないと思う」

『了解だ』

 通信の向こうでは、断続的にノイズが混じっている。

 遠くで何かが爆発したような低い音。

 デイビッドは今も国境でACT戦の最中だ。

 それなのに、声だけ聞けば、いつもと大して変わらない。

『様子を見てきてほしいのは二人だ。ミレア・アルシオンとシンシア・カーディル』

「特徴は?」

『ミレアは栗髪のロング。シンシアは金髪のおかっぱ』

 一拍置いて。

『美人二人だから見りゃ分かる』

「雑だなあ」

『大丈夫だって。あと――ちょっと待て』  

 短いノイズ。

 通信の向こうで、轟音が鳴った。

 それきり数秒、デイビッドの声が途切れる。

「……デイビッド?」

『……よし』

「今なんかしてた?」

『一機落とした』

「…………」

『それより、お前のTPの識別信号、AX側に変えとけよ。味方に撃たれるぞ』

「そっちが『それより』なのかよ」

『大事だぞ』

「もうやってる」

『早いな』

「撃たれたくないからね」

『賢明だ』  

 ギルは小さく息を吐いた。

 ギルフォード・レインのプライベートTP、セインヴェールのIFF――敵味方識別装置は、すでにアウロラネクサス軍の友軍識別へ変更してある。

 正式なアウロラネクサス装備ではない。

 まして、紺色という外見だけなら、現場の兵士が一瞬で所属を判別できる保証もない。

 戦場では、その一瞬が致命的になる。

『装備は?』

「セインヴェール着てる」

『ああ。あれか』

「剣と盾も持ってる」

『ならいい』

 デイビッドの声が少しだけ軽くなった。

『悪いな。こっちが片付けば俺もすぐ向かう』

「別にいいよ。様子見てくるだけだろ」

『……まあな』

 ほんのわずかな間があった。

 ギルは気づいたが、何も聞かなかった。

『頼んだぞ』

「ああ」

 通信が切れる。  

 再び、風の音だけが残った。

 ギルはアクセルを開く。  

 前方。

 遠くの空へ、黒い煙が上がっている。

 一本ではない。 幾筋も。

 ハイユンの街が、見え始めていた。



◇


 政府専用機の車輪が、ハイユン国際空港の滑走路へ接地した。

 長い減速。 逆噴射。

 巨大な機体は滑走路を走り抜け、やがて誘導路へ入った。

 その時点では、空港はまだ空港だった。

 旅客機が並び。 牽引車が行き交い。

 整備員が働き。

 到着ロビーでは、誰かを迎える人々が待っていた。

 政府専用機が指定位置へ到着する。

 機体が完全に停止した。  それを待っていた。

 最初の銃声が響いた。

 空港職員の一人が、何が起きたのか理解できないまま身体を伏せた。

 続けて連続する発砲音。

 ターミナル側の窓ガラスが砕け散る。

 悲鳴が上がった。

「襲撃!」  

 誰かが叫んだ。

 その声を合図にしたかのように、空港各所から武装した兵士たちが姿を現す。

 ゼルカスト人民共和国軍。

 ユンカリスの民間人を装っていた兵士たちが上着を脱ぎ捨て、その下から戦闘服と防護装備を露出させる。

 貨物車両の後部扉が開いた。

 内部からアーマープレートが姿を現す。

 二メートルを超える、人間の形をした軍用外骨格。

 大型関節。  

 太い腕部。

 装甲された脚部が地面へ降りる。

 高出力アクチュエータの駆動音が、空港の喧噪へ混じった。

 ユンカリス軍守備兵が応射する。

 銃弾が飛び交う。  

 コンクリートへ火花が散る。

 政府専用機周辺にいた護衛部隊が即座に展開した。

「主席を機内へ戻せ!」

「駄目だ! 機体が狙われている!」

 ラウル・カルダーは搭乗口付近で身を低くしていた。

 護衛がその周囲を囲む。  

 銃撃。

 一人の護衛が倒れる。

「主席!」

 カルダーの身体がわずかに揺れた。  

 左腕。

 スーツの袖が裂ける。  鮮血が滲んだ。

「大丈夫だ。掠っただけだ」

「下がってください!」

 護衛がカルダーの身体を押し込むようにして遮蔽物へ移動させる。

 政府専用機の近くに留まることはできない。

 敵はこちらの位置を知っている。

 しかも、狙いも明白だった。  

 国家主席。

 殺害ではない。 捕らえるつもりだ。

「車を!」

 一台の警備車両が横付けされた。

 護衛兵が扉を開く。

「主席、こちらへ!」

 カルダーが乗り込む。

 負傷した随行員も押し込まれる。

「行け!」

 車両が急発進した。  

 その後方。

 守備兵たちが必死に射線を維持する。

 撤退ではない。

 国家元首を逃がすため、その場へ残る。

 空港の各所で戦闘は拡大していた。

 逃げ惑う民間人。  

 倒れた荷物。

 放置されたカート。  

 割れたガラス。

 自動放送だけが、異様なほど平静な声で避難を呼びかけ続けている。

 政府車両は空港を離れた。

 向かう先は、近郊にある大規模医療施設。

 ハイユン医療センター。

 カルダー自身の傷は軽い。

 だが、随行者にも負傷者が出ていた。

 まず安全な場所へ逃れ、処置を受ける。

 その判断自体は間違っていなかった。

 

*


 その頃。

 別方向から、新たな兵員輸送車が空港へ到着しつつあった。

 車体に刻まれた識別。  

 アウロラネクサス。

 第二十七機動艦隊所属歩兵部隊。

 ユンカリス軍とゼルカスト軍の衝突へ、第三の戦力が加わる。

 空港は完全に戦場へ変わった。



◇


「弾は抜けていますね」

 ミレア・アルシオンは、落ち着いた声で言った。

「骨にも当たっていません。縫合すれば問題ありませんよ」

 処置台に座るラウル・カルダーが苦笑する。

「国家主席を前にしても、ずいぶん平然としているな」

「怪我は肩書きを見てくれませんので」

 ミレアはさらりと答えた。

 長い栗色の髪はまとめられ、左肩へ流している。

 暗い青の瞳。

 柔らかな顔立ちと穏やかな口調だけを見れば、少しおっとりした女性にも見える。

 だが、手元に迷いはなかった。  

 消毒。

 確認。  

 局所麻酔。  

 傷口の処置。

 必要な作業が淀みなく進んでいく。

「先生、こっち」

 傍らから声。  

 シンシア・カーディル。

 明るい金髪を短く整えた看護師だった。

 必要な器具を、ミレアが言葉にするよりわずかに早く差し出してくる。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 長年組んできた者同士の動きだった。

 国家主席だろうと、一般患者だろうと。

 処置そのものは変わらない。

 ミレアにとって、カルダーの傷は難しいものではなかった。

 むしろ気になっていたのは、その周囲。

 護衛の何人かにも負傷者がいる。

 病院の外は騒がしい。

 そして先ほどから、遠くで断続的に響く音。

 銃声。  

 聞き間違いであってほしかった。

「はい」  

 ミレアは最後の処置を終える。

「終わりました」

「もうか?」

「もうです」  

 カルダーが左腕を見下ろす。

 しっかりと固定されている。

「しばらく無理に動かさないでください」

「善処しよう」

「患者さんが『善処する』と言うときは、大体守らないんですよね」

 シンシアが横から口を挟んだ。

 カルダーがわずかに笑う。

「手厳しいな」

「看護師ですから」

 そのときだった。  

 遠くで。

 はっきりと。  

 銃声が響いた。

 三人の表情が止まる。  

 続けて。

 今度は近い。

 廊下の向こうで、悲鳴が上がった。

 最初は、何かが落ちた音だと思った。

 次の瞬間。  

 壁へ銃弾が撃ち込まれた。

「伏せろ!」  

 男の声。

 看護師は反射的に床へ身を投げた。

 頭上で照明器具が砕ける。

 破片が白い床へ散らばった。

 廊下の向こうから、武装した兵士が駆け込んでくる。

 ゼルカスト兵。

「動くな!」

 訛りのある共用語。  

 銃口がこちらを向く。

 誰かが悲鳴を上げる。

 患者が逃げようとして転んだ。

 点滴台が倒れる。

 金属製の支柱が床へ転がった。

「走るな!」

 威嚇射撃。

 だが、病院の廊下は射撃場ではない。  

 壁。

 床。  

 金属製の設備。

 弾丸が跳ねる。  

 背後で誰かが倒れた。

 甲高い女性の叫び声。  

 看護師が振り返る。  

 白衣。

 血。  

 それしか見えなかった。

 逃げる患者を庇おうとする医師。

 泣き叫ぶ子供。  

 車椅子から転げ落ちる老人。

 スタッフが名前を呼び合う。

 誰がどこにいるのか。  

 何をすればいいのか。

 誰にも分からない。  

 病院だった場所が。

 ほんの数十秒で戦場へ変わっていた。

「主席を連れていけ!」

 処置室へゼルカスト兵が雪崩れ込んできた。

 銃口。  

 怒号。

 ミレアは両手を上げるしかなかった。

「待ってください。処置したばかりです」  

 思わず声が出た。

 兵士がこちらを見る。

「左腕を動かさないでください。傷が開きます」

 自分でも妙なことを言っていると思った。

 国家主席を拉致しようとしている兵士へ、医師としての注意をしている。

 だが、それ以外に何ができる。

 カルダー自身は抵抗しなかった。

 ここで抵抗すれば、周囲の医療関係者が撃たれる。

 それを理解している顔だった。

「君たちは手を出すな」

 カルダーが言った。

「主席――」

「いい」

 ミレアを見る。

「治療、感謝する」

 兵士がカルダーを立たせる。

 左腕を庇いながら、国家主席は処置室から連れ出されていった。

 ミレアは動けなかった。

 自分が治療した患者が。

 数分前まで目の前にいた患者が。

 武装した兵士に連れていかれる。

 医師である自分には何もできない。

「先生」

 シンシアが小さく呼んだ。  

 ミレアは振り返る。

 彼女の顔も青ざめていた。

 廊下から、さらに大勢の足音が近づいてくる。

 次々とゼルカスト兵が侵入してきた。  

 戦闘服。

 タクティカル・プロテクター。  

 そして。

 その向こう。

 廊下の幅いっぱいに感じられるほど大きな影が二つ現れた。

 アーマープレート。

 二メートルを超える、鋼鉄の外骨格。

 太い脚部。  

 大型関節。

 人間の腕とは比べものにならないほど巨大な装甲腕。

 機械の駆動音を響かせながら、病院の白い廊下を進んでくる。

 ミレアは、息を呑んだ。

 武器など持っていない。  

 抵抗する術もない。

 それなのに。

 相手は、ここまでの兵器を持ち込んでいる。

「女を分けろ」

 兵士の一人が言った。

 ミレアの背筋に、冷たいものが走った。



◇


 ハイユン市街へ入った頃には、避難する車両すら少なくなっていた。

 軍用バイクが交差点を抜ける。

 路上には乗り捨てられた車。

 開いたままのドア。  

 道路脇へ転がった荷物。

 遠くから銃声が聞こえてくる。

 黒煙が上がっている。  ギルは速度を落とした。

 目的地。  

 ハイユン医療センター。

 その周辺が見え始める。

「…………」

 アクセルを戻す。

 軍用バイクを道路脇へ寄せた。  

 停車。

 エンジンを切り、昔ながらの物理キーを抜く。

 さっきまで身体へ伝わっていた振動が消えた。

 代わりに聞こえてきたのは、遠くの銃声。

 そして時折響く、大口径火器の発砲音。

 ギルはバイクから降りた。  

 背中の大盾を左手に持ち替える。

 セインヴェールの望遠機能を起動。

 ヘッドアップディスプレイ上に遠方の映像が拡大される。

 医療センター正面。  

 複数のゼルカスト兵。

 アーマープレート。

 遮蔽物に釘付けにされたユンカリス兵。

 アウロラネクサス軍と思われるTP兵。

 破壊された車両。  

 割れた窓。

 煙。  

 どう見ても。

 デイビッドが言っていた。

 友人の様子を見てきてほしい。

 そんな程度の状況ではなかった。

 ギルはしばらく画面を見つめていた。

 それから。

「……なんかえらいことになってるなあ」

 小さく呟いた。




4


 ラウル・カルダーは拘束した。

 すでにゼルカスト本国へ向かって護送中だ。

 最大の手柄を立てた連中は、主席を確保するや否や、一目散にこの場所から離れていった。

 安全なところへ逃げやがった。

 医療センター正面に展開するアーマープレートの操縦席で、ゼルカスト兵は舌打ちした。

 残された自分たちは、追撃してくるユンカリス軍とアウロラネクサス軍を押さえる役目だ。

 完全な貧乏くじだった。

 むしろ医療センターを占拠した連中が羨ましい。

 あちらはユンカリスの女たちを集めているらしい。

 医師、看護師、事務職員。

 若い女も少なくないという。

 正面モニターへ視線を戻す。

 医療センター前の道路には、乗り捨てられた車両が何台も残されていた。

 窓ガラスは砕け、アスファルトには銃弾によって穿たれた跡が無数に走っている。

 その向こう。

 遮蔽物から出ることのできないアウロラネクサス兵の姿が見えた。

「馬鹿な奴らだ」  

 口元が歪む。

 二メートルを優に超えるAPの右腕には、大口径ガトリング砲が連結されていた。

 人間が携行することなど到底不可能な火器。

 重量数百キログラムに達する軍用外骨格だからこそ扱える歩兵用重火器である。

 砲身を向ける。  

 引き金を絞った。

 連続した発砲音が響き、銃口から火炎が噴き出す。

 アスファルトが抉れた。

 コンクリート片が飛び散る。

 アウロラネクサスのTP兵たちが、蜘蛛の子を散らすように遮蔽物へ飛び込んでいった。

 笑いが漏れた。

 いくらタクティカル・プロテクターを着込んでいようと、人間は人間だ。

 筋力を増強することもなければ、大口径弾の直撃に耐えられるものでもない。

 対してこちらは、二百キログラムをはるかに超える装甲と高出力アクチュエータに守られている。

 TP兵ごときで、何ができる。  

 そう思った。


 ――何か来る。

 モニターの隅に、動くものが映った。

「……なんだ?」

 一人。  たった一人だった。

 紺色のタクティカル・プロテクター。

 片手には大きな盾。

 もう一方の手には、青い光を放つ剣。

 遮蔽物から遮蔽物へ移動することさえせず、こちらへ向かってくる。

「馬鹿な奴だ」

 自然と、先ほどと同じ言葉が口をついた。

 照準を合わせる。  

 ガトリング砲を構える。

 照準環の中央へ、紺色の人影を――。  

 いない。

「な――」  

 視界が傾いた。  

 いや。

 モニターが傾いたのではない。

 世界そのものが、斜めに滑っていく。

 自分のAPの脚部が見えた。

 右腕に取り付けられた、愛用のガトリング砲も見えた。

 なぜ、自分の脚が目の前にある。

 そう考えたところで、意識が途切れた。


 ゼルカスト軍は多数のAPを投入していた。

 ユンカリス歩兵部隊に対して、その火力と防御力は圧倒的な優位を生み出していた。

 練度の高いアウロラネクサス兵は多少の抵抗を見せていたが、それだけだった。

 少なくとも、つい先ほどまでは。

 医療センター正面を担当するゼルカスト歩兵隊長の通信機へ、妙な声が飛び込んできた。

『紺色のテクター兵――』  

 雑音。  

 銃声。

『一人だ! こっちへ突っ込んで来る!』

「一人?」

 隊長は眉を寄せた。  

 続けて別の声。

『青い剣――』

『防げ!』  

 激しい発砲音。

『抜けない!』

『防御が――』  

 そして、悲鳴。

 

 通信が途絶えた。

「……何が起こっている?」  

 隊長は隣にいたTP兵へ尋ねた。

 答えは返ってこない。

 その兵士もまた、医療センター前の戦場を凝視していた。

 銃声。  

 怒号。  

 砲撃。

 その間を縫うように、一つの影が迫ってくる。

 紺色。  

 人間大。

 タクティカル・プロテクター。

 眩く輝く青い光剣を片手に、APへ向かって真正面から突っ込んでいく。

『馬鹿め! そんな玩具でAPが斬れるか!』

 通信から、AP兵の自信に満ちた声が聞こえた。

 次の瞬間。

 二メートルを超える人型の装甲兵器が、斜めにずれた。

 上半身が滑り落ちる。

 切断された金属部品が路面へ散乱し、内部から火花が噴き出した。

 誰も声を出さなかった。

 理解が追いつかなかった。

「……何が起こった?」

 隊長自身の口から、そんな言葉が漏れた。

「だが、まだだ! APはまだある!」  

 別のAPが前へ出る。

 腕部の重火器が紺色の兵士へ向けられた。

 砲撃。  

 今度こそ捉えた。

 そう見えた。

 だが、紺色の兵士は避けなかった。

 左手に装着した大きな盾を正面へ構えた。

 着弾。TPの盾であれば耐えられる威力ではない。

 だが、倒れない。

 APの火器から放たれた徹甲弾を、青い光を纏った盾が受け止めている。

「馬鹿な……APの徹甲弾だぞ」

 砲撃したAP兵自身が戸惑っていた。

「馬鹿! 止まるな!」

 隊長が叫ぶ。  

 遅かった。

 滑るように迫った青い光が、振り下ろされた。

 APが、縦に割れた。  

 装甲。

 内部フレーム。  

 駆動系。

 人間を包むために組み上げられた重装甲外骨格が、一振りで左右へ分かれて崩れ落ちた。

「囲め!」  

 三体のAPが動いた。

 一体では駄目なら三体。正しい判断だった。

 前方、左右。  

 逃げ道を潰す。

「これで終わりだ!」  

 三方向から火線が集中した。

 大量の弾丸が紺色の人影へ殺到する。

 今度こそ――。  

 いない。

「上だ!」

 誰かが叫んだ。  

 紺色の鎧は、頭上にいた。

 人間が装着するだけの防護装備が、APの頭を越える高さまで跳躍している。

「なぜそんな動きができる!」  

 青い光が落ちた。

 一体。  

 着地と同時に向きを変える。

 二体。

 最後のAPが腕を上げきるより早く、紺色の影が懐へ入った。

 三体。

 重量数百キログラムの装甲兵器が、次々と地面へ崩れていく。

 APの厚い装甲に守られているはずだった。

 だが、あの青い剣には意味がない。

 装甲の厚みも。  

 強度も。

 重量も。

 あの剣の前では、何の意味も持っていない。

 そして、速い。  

 こちらの銃口が追いつかない。

 本来、人を狩る側の兵器が、完全に狩られる側となっていた。


 光剣を構えた友軍のTP兵が斬りかかる。  

 届かない。

 銃を撃つ。  

 そこにはもういない。

 こちらの銃撃は盾で止められる。

 向こうの剣撃を辛うじて避ける。

 凄まじい速度で、今度は別の方向から青い光が走る。

 一人。  

 また一人。

 友軍の兵が倒れていく。

「なんなんだ……」

 隊長は後ずさった。  

 これは戦闘なのか。

 こちらにはAPがいる。  

 重火器がある。

 数でも勝っている。  

 それなのに。

 攻撃が届かない。

 仲間は、すでにほとんど動かなくなっていた。

 これは――。

「悪夢か……?」

 紺色のテクター兵がこちらを向いた。

 顔は見えない。  

 紺色のバイザー。

 そこに人間の表情はなかった。

 笑っている?

 死に神の笑顔?  

 来る。

「撃て!」

 銃口を向ける。  

 遅い。

 紺色の影が視界いっぱいに広がった。

 青い斬撃。

 意識はそこまでだった。


*


 医療センター正面に展開していたゼルカスト兵を排除し、ギルは建物を見上げた。

 セインヴェールの胸部装甲には、何本もの白い傷が走っている。

 先ほどまで浴びていた銃撃の痕だった。

 指先で胸部装甲へ触れる。  傷はある。

 だが、装甲そのものに大きな損傷はない。

「……助かったよ」

 小さく呟いた。  

 今はそれだけでいい。

 ギルは大盾を構え直し、医療センターへ足を踏み入れた。

 入口のガラスは砕け散っていた。

 装甲された靴底が、床一面に散乱するガラス片を踏む。

 硬質な音が静かなロビーに響いた。

 外気導入状態にしてあるフェイスガードから、様々な臭気が伝わってきた。

 血の匂い。  

 薬品の匂い。  

 硝煙。

 その全てが混じり合っている。  

 倒れた医師。

 看護師。  

 患者。

 壁には銃痕が残り、白い床には赤黒い血が広がっていた。

「……惨いことを」  

 ギルは足を止めた。

 右手に持った、まだ光刃を展開していない剣の柄を胸元へ寄せる。

 ほんのわずかな時間だけ目を閉じた。

 祈ったところで、死者が戻ってくるわけではない。

 それでも、何もせずに通り過ぎることはできなかった。

 目を開く。  

 立ち止まっている時間はない。

 助けられる命は、一人でも多く助ける。

 歩き出そうとした、そのときだった。

「いや……!」

 子供の声が聞こえた。  

 続いて、荒い足音。

 ギルは反射的に振り向いた。

 廊下の奥から、小さな少女が走ってくる。

 十歳にも満たないだろう。

 アジア圏で多い黒髪。病院着姿。  

 裸足だった。

 涙で顔を濡らし、何度も後ろを振り返りながら必死に走っている。

 その後ろ。

 戦闘服姿のゼルカスト兵が一人、少女を追っていた。

「待て!」  

 男が怒鳴る。  

 少女が悲鳴を上げた。

 身体が咄嗟に動いた。

 純白の柄から青い光刃が伸びる。

 ゼルカスト兵がこちらに気づいた。

 一瞬だけ足を止める。  

 銃口が上がる。

 遅い。

 青い光が先だった。  

 兵士の身体が崩れ落ちる。


 少女が立ち止まった。

 目の前に倒れた兵士を見る。

 そして、その向こうに立つ紺色の兵士を見る。

 青い光剣。  

 大きな盾。

 全身を覆う装甲。

 少女の顔が強張った。明らかに怯えている。

「…………」

 ギルはその視線に気づいた。  

 しまった。怖がらせた。

 当然だった。

 少女にとっては、追ってきた兵士を目の前で斬った、別の武装した兵士に過ぎない。

 ギルはすぐに光刃を収めた。

 愛剣をホルダーに戻す。

 それから、ヘルメットのフェイスガードを静かに上げた。

 紺色のバイザーの下から、人間の顔が現れる。

 できる限り笑顔をつくった。

 少女の大きく見開かれていた目が、わずかに動いた。

 ギルはその場で腰を落とした。

 できるだけ少女と目線の高さを合わせる。

「大丈夫」

 声を落とした。

「もう追ってこないから」

 少女は答えなかった。

 肩が大きく上下している。

 息を吸うたび、喉から小さな音が漏れていた。

 それでも、目の前の男が自分を傷つけるつもりではないと理解し始めたのだろう。

 張り詰めていた肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

「怪我は?」  

 少女は首を横に振った。

「そっか。よかった」

 ギルは小さく息を吐いた。  

 少女の唇が震えた。

「か、看護師さん……」

「うん?」

「みんな……」

 涙がまた溢れた。

「二階に……連れていかれたの……」

 ギルの表情が変わった。  

 二階。

 フェイスガードから放たれた黒い瞳が、わずかに鋭くなる。

「……何人くらい?」  

 少女は首を振った。

 分からないのだろう。

 それ以上聞く必要はなかった。

「教えてくれてありがとう」

 ギルは少女を安心させるように、もう一度穏やかに声をかけた。

「もうすぐ、いい兵隊さんが助けに来る」

 少女がこちらを見る。

「それまで、安全なところに隠れてて」

 自分の胸部装甲を指先で軽く叩いた。

「ほら。こんな色の鎧を着た人たちが来るから」

 アウロラネクサス軍の色を思い出し、少し言い直す。

「俺とはちょっと違うけど、味方の兵隊さんだから。その人たちなら大丈夫」

 少女が、小さく頷いた。  

 よかった。

 ギルもわずかに笑った。


 あることを思い出した。バックパックのコンテナ。

 そんなに容量は入らない。だが、緊急時の栄養補給用に、レーションが入っていることを思い出した。

 甘い、レアチーズケーキのような味のブロック状のレーション。

 子供もきっと好きな味だ。賞味期限は二年ほどあるので、まだ大丈夫だろう。

 ギルは器用に背中へ手を回し、バックパックのコンテナからそれを取り出した。

 少女に渡す。  

「これ食べながら、隠れててね」

 フェイスガードを下ろす。

 紺色のバイザーが、再びその表情を覆った。

 立ち上がる。  二階へ続く階段を見る。

「みんなを迎えに行ってくる」  

 少女が顔を上げた。

 ギルは走り出した。  

 今度は迷わなかった。

 装甲された足が床を蹴る。

 少女はその後ろ姿を、じっと見つめていた。



◇


 ハイユン医療センターの病棟に、医療関係者たちが押し込められていた。

 ミレアは、怯える看護師や事務担当者を庇うように前へ出ていた。

 誰かに命じられたわけではない。

 気がつけば、そうしていた。

 男性医師や男性看護師たちから完全に隔離され、このフロアには女性だけが集められている。

 その事実が、ひどく不安だった。


 周囲を見渡す。

 ゼルカスト兵は二十名を超えていた。

 半数ほどがタクティカル・プロテクターを身につけている。

 人体を覆う無骨な装甲。  

 厚い胸部装甲。

 肩を守るプレート。

 関節部から覗く強靱な繊維素材。

 残りの兵士たちは、防護プレートの取り付けられた戦闘服とヘルメット姿だった。

 そして、その向こう。

 二体のアーマープレートが立っている。

 二メートルを優に超える金属の人型。

 人間の身体を内側へ取り込み、その力を何倍にも増幅する軍用外骨格。

 太い脚部。  

 張り出した肩。

 人間とは比較にならないほど巨大な腕。

 そこに立っているだけで、床が狭く感じられた。

 武器を持たない医療関係者にとって、それは兵器というより恐怖そのものだった。

 逃げられない。  

 抵抗もできない。

 国家主席の拉致という当初の目的を果たしたからなのだろう。

 ゼルカスト兵たちからは、明らかに緊張感が失われていた。

 戦闘服の兵士も、TPを装着した兵士も、何人かはすでにヘルメットを脱いでいる。

 汗に濡れた髪。 疲労と興奮の残る顔。

 何かを話すたび、周囲の兵士が笑う。

 その中でも何人かは、明らかに他の兵士から気を遣われていた。

 おそらく階級が上なのだろう。

 ――交渉の余地はないのだろうか。

 ミレアは考えた。  

 医師として。

 この場で最も年長の人間の一人として。

 何とかしなければならない。

 だが同時に、これから起こり得ることも想像してしまう。

 見せしめとして、この場で殺される。

 暴行を受ける。

 ゼルカスト本国へ連れ去られる。

 望まない婚姻を強要され、その後は過酷な生活と労働、子育てを強いられる。

 これまで聞いたことのある話が、ひとつずつ頭の中へ浮かんでくる。

 どれも受け入れ難かった。

 どれも、自分の身に起こることだとは考えたくなかった。


 押し殺した嗚咽が聞こえた。

 一人の看護師が泣いている。

 今年採用されたばかりの若い看護師だった。

 いつも明るい娘だった。

 患者に優しく、老人から冗談を言われれば笑って返し、子供の患者には目線を合わせて話しかける。

 その面影は、もうなかった。

 肩を震わせ、涙を拭うこともできずに泣いている。

 とうとう耐えきれなくなったのだろう。

 声が大きくなった。

 一人のゼルカスト兵が顔をしかめた。

 歩み寄る。  

 若い看護師の腕を掴んだ。

「黙れと言っている」  

 訛りのある共用語だった。

 怒鳴り声を浴びた看護師が目を見開く。

 身体が硬直した。  

 助けに入らなければ。

 ミレアが動こうとした、そのときだった。

 明るい金髪が視界を横切った。

「怖がるなってほうが無理でしょう」  

 シンシアだった。

 後輩看護師の肩へ手を置く。

 いつもの勢いのある声ではない。

 相手を刺激しないよう、懸命に感情を抑えている。

 それでも抗議せずにはいられなかったのだろう。

「みんな怖いんです。少しくらい――」

 最後まで言わせてもらえなかった。

 一人の兵士が前へ出た。

 三十代前半ほどだろうか。  

 太い首。戦闘服越しにも分かるほど発達した肩と腕。

 戦闘で流した汗が乾ききっていないのか、肌には脂と埃が浮いていた。

 大きな手が、シンシアのナース服の胸元を掴んだ。

「……っ」

 シンシアの顔に冷や汗が浮かぶ。

 それでも目を逸らさなかった。

 凜とした視線で、兵士を見返している。

 それが相手の癇に障った。  

 腕が動いた。

 シンシアの身体が床へ投げ出される。

 肩から床へ落ちた。

「痛っ……!」  

 苦痛の声。

 金色の髪が揺れ動いた。

 周囲から小さな悲鳴が上がる。

 兵士の顔が歪んだ。

 怯え、痛がる相手を見たことで、何か別の感情が刺激されたのだろう。

 シンシアへ手を伸ばす。

 その身体へ覆い被さろうとした。

「やめて! やめてください」

 気づけば、ミレアは動いていた。


 学生時代から一緒だった。

 長い付き合いだった。

 医師と看護師という関係になる前から知っている。

 自分を慕ってくれる、妹のような存在だった。

 屈強な兵士と倒れたシンシアの間へ、身体をねじ込む。

 怖くないと言えば嘘になる。  

 膝が震えている。

 喉が乾いている。

 心臓が痛いほど脈打っている。  

 逃げたい。

 それでも。

 何もせず、自分を慕う人間が嬲られるところを見ているなど、耐えられなかった。

「先生!」  

 シンシアの悲鳴。

 太い腕が伸びた。

 今度はミレアの腕が掴まれる。  

 痛い。

 指が食い込む。  

 だが――。

 ほんのわずかに。  

 安堵している自分がいた。

 獲物が自分に変わった。

 シンシアではなくなった。

 それだけで、少しだけ。本当に少しだけ安心した。


 大きな顔が迫る。

 興奮した目が自分を睨みつけている。

 刺激してはいけない。  

 怒らせてはいけない。

 笑わなければ。

 せめて敵意がないことを示さなければ。

 口元を持ち上げようとした。  

 だが、動かない。

 恐怖に強張った頬を無理に動かす。

 出来上がったものが笑顔だったのか、ミレア自身にも分からなかった。

 ただ、酷く歪んだ笑みになったことだけは分かった。

 諦めに似た笑顔だった。


 なぜ、こんなことができるのだろう。

 私たちは武器すら持っていない。

 抵抗することも、逃げることもできない。

 もう、この人たちに脅威を与えることなどできないのに。

 それでも、この人は――。

 白衣の襟元を掴まれた。  

 強く引かれる。

 羽織っていた白衣が、肩から引き剥がされた。

 冷たい空気が身体へ触れた。

 絶望の足音が、はっきりと聞こえた。



◇


 少女から聞いた言葉が、頭に残っていた。

 ――みんな、二階に連れていかれたの。

 ギルは階段を駆け上がった。

 医療センター内部の見張りは手薄だった。

 外にあれだけの数のAPを配置していたのだ。

 当然と言えば当然なのだろう。

 それにしても、外の状況は伝わっていないのだろうか。

 先ほど少女を追い回していた兵士もそうだった。

 医療センターを制圧したゼルカスト軍は、明らかに緩みきっている。

 それがありがたいとは思えなかった。

 嫌な予感しかしない。


 ギルは周囲へ意識を配りながら、二階への階段を登りきった。

 セインヴェールの複合センサーが建物内部の情報を拾い続けている。

 空気の流れ。  

 熱源。  

 音。

 人間の動き。  

 正面。  

 病棟。

 そこへ複数の反応が集中していた。  

 敵兵。

 そして、それ以上の民間人。

「…………」

 嫌な感じがする。


 頭部突起部に内蔵された複合センサーで捉えた映像を、ヘッドアップディスプレイ上へ拡大した。

 視界の一角に、病棟内部の様子が映し出される。

 ギルの呼吸が止まった。  

 女性ばかりだった。

 壁際へ追いやられた医療関係者。

 泣いている者。  

 身を寄せ合う者。

 その前に、武装したゼルカスト兵たちがいる。

 そして。

 栗色の髪の女性が、一人の兵士に押さえられていた。

 羽織っていた白衣が引き剥がされる。

 それでも悲鳴を上げていない。

 気丈に振る舞おうとしている。  

 だが。

 唇が――。  

 笑う形のまま、震えていた。


 何かが。  

 頭の中へ落ちてきた。


 ライトブラウンの長い髪。

 血塗られた、真っ白な腕。

 明るい桃色のルージュが引かれた、薄い唇。

 笑っていた。


「…………」  

 ギルフォード・レインは深く息を吸い込んだ。

 肺へ入った空気が冷たかった。  鼓動が速い。

 胸の奥で、心臓が強く脈打っている。

 目の前の光景。  

 いつか見た悪い夢。

 二つが重なる。


「……もう、たくさんだ」

 絶望なのか、激情なのか、よく分からなかった。

 左手首にある、セインヴェールのコントロールスイッチ。

 無意識のうちにそこに指が動いた。


 ヘルメット内部に、感情を持たない電子音声が響いた。

『GCS、マキシマムレベル』  

 HUD上で表示が切り替わる。

『ICS、マキシマムレベル』

 複数の制御値が、一斉に上限へ達する。

 最後に。

『フルドライブ』

 セインヴェールの重力制御と慣性制御が、同時に最大稼働へ移行した。

 身体を包んでいた鎧の存在感が、さらに希薄になっていく。

 重量だけではない。  

 踏み出す。

 止まる。  

 跳ぶ。  

 向きを変える。

 人間の身体が高速運動を行うとき、必ずその肉体へ牙を剥くはずの慣性さえ、遠ざかっていく。

 二十一キログラム。

 本来なら、人間の身体へ確かな負担を与える重量である。

 だが今。

 その紺色のタクティカル・プロテクターは――。

 人が身に纏う鎧としての限界領域へ踏み込んだ。

 その装着者は、床を蹴った。

 

 

◇


 興奮した兵士の背後。

 視界の向こうから、一人の兵士が飛び込んできた。

 ミレアは目を見開いた。  

 たった一人。

 紺色の装甲服を着込んでいる。

 片手には、身体のかなりの部分を隠せるほど大きな盾。

 アウロラネクサスのTPとは、少し違う。

 こんな状況だというのに、どこか優美な意匠だと感じた。


 だが――。  

 蛮勇だと思った。

 何をしに来たのか。

 助けに来てくれたのかもしれない。  

 それでも。

 無理だ。

 ここには二十名を超えるゼルカスト兵がいる。

 TP装着者だけでも十人近い。  

 さらに二体のAP。

 たった一人でどうにかできる戦力ではない。

 また犠牲者が増える。

 それが痛いほど分かった。

 飛び込んできた兵士が銃撃を浴びる。

 あるいは光剣で斬られる。  

 床へ倒れる。

 そんな未来が、ありありと見えた気がした。

 何も変わらない。  

 絶望的な状況は変わらない。

 ただ少しだけ。


 自分に訪れる絶望の時間が、ほんの少しだけ遅くなった。

 それだけ。  

 そう思った。


 そして。

 

 夜が明けた。

 青かった。  

 ただ青かった。



 紺色の兵士の姿が、視界から消えた。

 そう見えた。

 次の瞬間には、ミレアの腕を握っていた兵士のすぐ近くにいた。

 青い光が走る。  

 兵士の首が宙へ浮いた。

 何が起きたのか分からなかった。

 兵士の身体が床へ崩れる。

 切断面は光剣の熱によって焼かれたのか、想像していたほどの血は噴き出さなかった。

 さらに青い光。  

 右。  

 左。

 ミレアとシンシアの近くにいた二人の兵士が、ほとんど同時に崩れ落ちる。

 一人は胸部装甲ごと。

 もう一人は胴を深く断たれていた。

 そこでようやく、ミレアは理解した。

 紺色の兵士の右手。  

 そこに剣があった。

 真っ青な光の剣。  

 夜明け前の空を思わせる青。

 その光だけが、さっきまで絶望しかなかった病棟を照らしていた。


「これ構えて、部屋の隅でちっちゃくなってて」  

 声がした。

 くぐもっている。

 ヘルメット越しの、若い男の声だった。

「……え?」

 ミレアは反応できなかった。

 紺色の兵士が、自分へ大きな盾を差し出している。

 さっきまで蛮勇だと思っていた男。

 シンシアを背後に庇ったまま、ミレアは反射的にそれを受け取った。

 軽い。  

 驚くほど軽かった。

 これほど大きな盾なのに、腕へかかる負担がほとんどない。

 表面には、うっすらと青い光膜が浮かんでいた。

「すぐ終わるから」  

 耳を疑った。

 戦場とは思えないほど穏やかな口調だった。

 直後。 銃声が響いた。

「――っ!」

 ミレアは身を縮めた。

「先生!」

 シンシアの手を掴む。

 震える身体を叱咤しながら、二人で壁際へ移動する。

 拘束されている関係者の盾になることも、一瞬思い浮かんだ。

 だが、全員を覆い隠すことなどできない。

 であれば、防御から外れた人を、あえて危険に晒す。

 であれば、こちらはあえて、離れた場所で。

 祈っていよう。


 病棟の壁際。盾を正面へ。

 その後ろへ、二人で身体を小さくしてうずくまった。

 銃弾が飛んでくる。

 盾の表面に広がった青い光膜が弾丸を受け止めた。

 グリップを握る掌へ、小さな振動が返ってくる。

 だが、それだけだった。

 腕を持っていかれるような衝撃はない。

 何発も。  

 何発も。

 撃ち込まれている。

 それなのに、盾は揺るがない。

「なに……これ……」

 隣でシンシアが呟いた。  

 答えられなかった。

 銃声。  

 怒声。

 医療関係者たちの悲鳴。  

 軍靴が床を蹴る音。

 硬質な装甲同士が接触する音。  

 そして。

 兵士たちの苦悶の声。  

 鼻を刺す硝煙。

 血の匂い。  

 焼けた金属。

 光剣の高熱によって切断された装甲と、その内側にあった人体。

 病院では嗅いだことのない種類の臭気が、決して狭くない病棟に充満していく。

 ミレアは盾の陰から顔を上げた。


 そこで目にしたものは。

 果たして現実だったのだろうか。

 あまりの恐怖とストレスで、脳が幻覚を見せている。

 そう言われても、納得できたかもしれない。


 紺色の兵士が跳んだ。

 まるで体重など存在しないかのように。

 二メートルを超えるAPの頭上へ。  青い瞬き。

 光剣が振り下ろされる。

 分厚い装甲に刃が食い込んだ――ようには見えなかった。

 抵抗がない。

 硬いものを斬ったという感触すら感じさせない。

 ただ。  そこに突然、切断面が生まれた。

 一番の脅威と思われたAPが崩れ落ちる。

 続けて、もう一体。

 向きを変えた紺色の兵士が、床を蹴る。

 青い光が真横へ走った。  

 分厚い腹部装甲。

 内部フレーム。  

 駆動機構。

 そのすべてが、文字どおり真一文字に両断された。

 二体目のAPが崩れる。  

 速い。

 凄まじい、としか形容できなかった。

 紺色の兵士は次々とゼルカスト兵へ斬りかかっていく。

 AP。  

 タクティカル・プロテクター。

 戦闘服。

 彼の持つ青い光の剣にとって、その違いなどないに等しかった。

 装甲が厚いから。  

 身体が大きいから。

 強い武器を持っているから。

 そんなものは何の意味も持たない。

 一閃ごとに。  

 平等に。

 青い光が、死神の抱擁を振りまいていた。


*


 ユンカリス共和国国家主席は拘束した。

 目的は果たした。

 見目麗しいユンカリスの女たちも集めることができた。

 全て順調だった。

 国へ戻れば昇進も期待できる。

 今回手に入れた女の一人を妻として持ち帰ることができれば、言うことはない。

 そう思っていた。  

 ほんの少し前まで。


 突然、紺色のテクター兵が一人で突入してきた。

 最初は笑いそうになった。

 愚かな奴がいたものだ。

 女を取り戻しに来たのか。

 自分の女でもいたのか。  

 哀れな話だ。

 お前は今から、その女の目の前で死体になる。

 そうなるはずだった。  

 視界の端に、自分がこの中で一番美しいと見積もっていた、栗色の髪の女の姿があった。

 その女を押さえていた兵士の首が飛んだ。

「……は?」

 左右にいた二人も倒れた。  

 何が起きている。

 銃を向ける。  

 だが、もうそこにいない。

「撃て! 撃て!」  

 怒号が飛ぶ。

 だが問題はない。  

 こちらにはAPが二体いる。

 二百キログラムをはるかに超える軍用外骨格。

 人間が身につけるだけのタクティカル・プロテクターなど、正面から戦える相手ではない。

 紺色の塊が跳躍した。  

 APの上へ。

 青。  

 一体目が裂けた。

「…………」

 直後。  

 二体目が、腹部から真っ二つになった。

「何が起こっている!」  

 誰かが叫んだ。

 銃声が病棟を埋め尽くす。

 青い光が、その間を縫って動く。  

 また一人。

 隣にいた兵士が倒れた。  

 青い光剣。

 青。  

 儀礼用。  

 弱い光剣。

 誰でも知っている。

 青い光剣など、実戦で恐れるものではない。

 自分のほうが上だ。  

 腰の剣へ手を伸ばした。

 赤い光刃が展開する。  

 お気に入りだった。

 出力も高い。

 何度も手入れしてきた、自慢の一品。

 紺色の兵士が迫る。

「来い!」

 赤い光剣を構えた。  

 青い刃が来る。

 受ける。  

 弾き返す。

 ――弾き返した。  

 そのつもりだった。

 弾き返したはずだった。  

 赤と青。

 二つの光刃が交差した。  

 一瞬。

 赤い光が途切れた。

「……え?」  青い光の刃は。

 何事もなかったかのように。

 赤いレーザー光刃を、刀身ごと断ち切っていた。

 理解できなかった。  

 青い剣だぞ。

 弱いはずだ。  

 儀礼用の――。

 激しい衝撃。  

 息ができない。

 視界が暗くなる。  

 最後に見えたものは。

 自慢だった赤い光剣だったもの。高密度のエネルギーに晒され、抗い、破壊されたその柄が転がっていた。


 青い瞬きが繰り返される。

 一振りごとに、一人。  

 時には二人。

 兵士が倒れていく。  

 容赦はなかった。

 ミレアは盾を握り締めたまま、その光景を見ていた。

 恐ろしかった。

 目の前で起きていることは、救済などという美しい言葉だけで語れるものではない。

 人が死んでいる。  

 一人。

 また一人。  

 命が消えていく。

 医師として。

 人の命を救うことを仕事としてきた者として。

 目を逸らしたくなる光景だった。  

 それでも。

 分かってしまった。

 紺色の兵士。その容赦のなさは。  

 きっと。

 私たちを護るためなのだ。

 あの男が一度躊躇すれば。  

 一人を見逃せば。

 その一人が銃を撃つかもしれない。

 誰かへ光剣を向けるかもしれない。

 自分たちの誰かを盾に取るかもしれない。

 だから止まらない。

 だから一瞬で終わらせようとしている。

 現実に行われているのは、無慈悲な命のやり取りだった。

 なのに。


 ミレアの目には、違うものが見えていた。

 青空。  

 そこから差し込む日の光。

 そんな情景が、青い光の向こうに見えた。

 錯覚なのは分かっている。

 病棟の窓の外に、そんな景色が広がっているわけではない。

 それでも。

 胸の中へ広がっていく、この感覚は何なのだろう。

 安堵。  

 そうだ。  

 安堵している。

 さっきまで、絶望しかなかったのに。

 ミレアでも知っている。  

 青い光剣。

 儀礼用。

 弱い剣。  

 実戦では赤や緑の光剣に劣る。

 そう言われている色。  

 その青い剣が。

 ゼルカスト兵の赤い光剣をものともせず、刀身ごと断ち切る。

 その使い手を、いとも簡単に斬り伏せる。

 ひとり。  

 またひとり。

 青い光が走るたび。  

 絶望が散っていく。


 明るかった。  

 ただひたすら明るかった。

 さっきまでそこにあった絶望が。

 日の光に晒された氷のように、少しずつ形を失っていく。

 居場所をなくしていく。  

 そして。

 消えた。


 静かになった。  

 青い光の乱舞が収まっている。

 立っている紺色の兵士。  

 その周囲。

 動いているゼルカスト兵は――。

 もう、一人もいなかった。


*


 ギルは周囲を確認した。  

 一度。

 二度。  

 動く敵はいない。

 銃口をこちらへ向ける者もいない。

 戦意どころか、生命を維持しているゼルカスト兵はもういなかった。

 右手の剣を下ろす。  

 光刃を収めた。

 青い光が消える。部屋に薄暗さが戻った。

 純白の柄だけになった愛剣を、左腰のソードホルダーへ戻した。

 ようやく、大きく息を吐いた。

 フェイスガード内部で呼吸を整える。

 吸い込んだ空気には、血と硝煙の臭いが混じっていた。

 焼けた金属。  

 焦げた合成素材。

 戦場の臭い。  

 嫌いな臭いだった。

 拘束されていた医療関係者たちへ目を向ける。

 泣いている人がいる。  

 抱き合っている人も。

 血を流している人もいる。  

 間に合わなかった。

 ゼルカスト兵による銃撃の犠牲者を、ゼロにはできなかった。

 あと少し早ければ。

 そんなことを考えても仕方がないことくらい、分かっている。

 それでも。

 自分が斬った兵士たちの死体が転がる部屋で、自分だけが感謝されるようなことになったら。

 たぶん、耐えられない。

 助けられなかった人がいる。

 それだけで、この場所に立ち続けるのが酷く居心地悪く感じられた。


 ――盾。  

 返してもらわないと。

 ギルは思い出した。  

 ゆっくりと歩く。

 先ほど盾を預けた二人の女性。  

 栗色の髪。

 そして金髪。

 近づきながら、栗色の髪の女性を見る。

 綺麗な人だ。  

 素直に、そう思った。

 ――少佐の言ってたとおりだ。

 こんな状況なのに、妙におかしかった。

 あれだけ言っていたのだから、多少は贔屓目も入っているのだろうと思っていた。

 見れば分かる。  本当に綺麗な人だった。

 その女性が、自分を見上げている。  

 いや。

 見上げているというより、固まっている。

 後ろにいる金髪の女性も同じだった。

「…………」

 ギルは少し困った。  

 当然か。

 ついさっきまで目の前で人間を何人も斬っていた。

 彼女たちにしてみれば、助けに来た人間というより。

 何人も斬り殺した、得体の知れない男。

 そう見えていても不思議ではない。

 できるだけ怖がらせないよう、声を柔らかくした。

「返してもらいますね」  

 栗色の髪の女性が、わずかに反応した。

「あ……」  

 それだけだった。

 放心したまま、抱えるようにしていた大盾を差し出してくる。

 ギルは盾のグリップを掴んだ。

「ありがとうございます」

 盾を受け取る。  

 金髪の女性も、何も言わない。

 呆けたような顔で、こちらを見ている。

 そのとき、目が合った。

「…………」  

 気まずい。

 超強度樹脂製の紺色のバイザーが顔を隠してくれていることが、今だけはありがたかった。


 そのとき。

 セインヴェールのセンサーが反応した。

 目元に力が入る。

 HUDへ複数の光点が現れた。  

 集団。

 こちらへ近づいてくる。

 身体に緊張が戻る。  

 盾を握り直す。

 だが、次の表示を見た瞬間、その必要がないことが分かった。

 識別情報が表示される。  

 アウロラネクサス。

 第二十七機動艦隊所属歩兵部隊。  

 多数。

「……よかった」  

 小さく呟いた。

 ほどなくして、武装した兵士たちが病棟へ入ってきた。

 彼らも戦闘を潜り抜けてきたのだろう。

 装備は汚れ、何人かは負傷している。

 それでも。

 拘束されていた民間人たちを安心させるには、十分な人数だった。

 泣き声が変わった。

 恐怖を押し殺していた泣き声から。

 助かったことを理解した人間の泣き声へ。

 アウロラネクサス兵の中には女性兵もいた。

 TPを装着したまま武器を下ろし、医療関係者へ声をかけている。

「もう大丈夫です」

「我々はアウロラネクサス軍です」

「負傷している方から確認します。慌てないでください」

 張り詰めていた病棟の空気が、ようやく緩み始めた。

 そのとき。

 セインヴェールの端末へ通信が入った。

『ギル、無事か。応答しろ』  

 聞き慣れた声。

 ACTに乗っている親友だった。

「ええ。こちらはなんとか」

 一度、栗色の髪の女性を見る。

「少佐の友人と思われる人も、無事です」  

 作戦中だ。

 普段のような言葉遣いではなく、少しだけ言葉を選んだ。

 通信の向こうで、息を吐く気配がした。

『助かった』

 短い言葉。  

 そこに込められた安堵が分かった。

『すまんが、空港の援護に向かってくれるか』

「空港、まだですか」

『数が多い。押し返せてない』

「了解」  

 通信を切る。

 自分一人が行ったところで。

 そう思わないでもなかった。  

 だが。

 この場所から離れられることに、少しだけ安堵している自分もいた。


 ギルは踵を返した。

 一度だけ振り返る。

 TPを着た女性兵が、医療関係者たちへ声をかけている。

 泣いている若い看護師の肩を抱く者。

 負傷者を確認する者。


 ようやく。

 ここから離れられる。


 栗色の髪の女性が、こちらを見たような気がした。

 ギルは軽く頷いた。

 それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。


 兵士たちの間をすり抜ける。

 今度は小走りだった。

 病棟を出て、階段へ向かう。


 次に行かなければならない場所がある。

 ハイユン国際空港。


 まだ、戦闘は終わっていない。




5


 見つけた。

 カサンドラの超望遠映像が、ハイユンから北へ向かう車列を捉えていた。

 民間車両に偽装している。

 だが、どう見ても異様だった。

 中央に一台のマイクロバス。

 その前後を、装甲車両が固めている。

 市街地から避難する民間車両にしては、統制が取れすぎていた。

 そして何より、一般車両の避難経路から外れている。

 デイビッド・スミスは、モニター上の映像を拡大した。

「リズ」

『解析中です、ロード』

 カサンドラの戦術COM、リズの落ち着いた声がコクピット内に響く。

 車列が拡大される。  

 熱源。

 搭乗人数。  

 車両の装甲構造。

 随伴車両に隠された武装。

 次々と情報が表示されていく。

『対象車列、ゼルカスト軍による偽装輸送部隊と判断します』

「主席は?」

 わずかな間。

『中央車両内部に複数の生体反応。照合中』

 デイビッドは目を細めた。

 カサンドラは国境方面からハイユンへ向かっている。

 対して、ゼルカスト軍の車列はハイユンから北へ向かっている。

 互いに正面から接近する形だった。

『ラウル・カルダー国家主席と推定される生体反応を確認』

「よし」

 デイビッドは操縦桿を倒した。

 濃青の巨体が高度を落とす。  二十二メートル。

 四十八トン。

 人間の尺度からすれば巨大建造物に等しい人型兵器が、逃走車列の前方へ降下していく。

『GCS、着地制御へ移行』

 重力制御システムが出力を調整する。

 カサンドラの脚部が国道へ触れた。

 巨体の荷重は大幅に軽減されている。

 それでも、完全には消えない。

 足裏装甲がアスファルトの表面をわずかに削り、細かな破片が周囲へ散った。

 巨大な影が、道路を塞ぐ。

 車列の運転手から見れば、突然、二十メートルを超える濃青の騎士が進路上へ降り立ったように見えただろう。

 デイビッドは愛用のビームライフルを構えた。

 巨大な銃口が、車列へ向けられる。

「止まれ」

 外部スピーカーから声を飛ばす。

 先頭の装甲車が急制動をかけた。

 続いて中央のマイクロバス。

 後続車両も停止する。  

 驚くほど従順だった。


 デイビッドが、そう思った直後だった。

 マイクロバスの側面扉が開いた。

 一人のゼルカスト兵が降りてくる。

 その腕には、人質。

 左腕に白い包帯を巻いた男。

 ラウル・カルダー。

「それ以上近づくな!」

 兵士が叫ぶ。

 短銃の銃口が、カルダーのこめかみに押し当てられた。

 その顔には、自信があった。

 ACTが相手でも、人質が国家主席なら手出しはできない。

 そう信じている顔だった。

 通常なら、間違いではない。

「リズ」

『すでに解析を開始しています』

 カサンドラのバイザーアイが対象を捉える。

 兵士。  

 カルダー。  

 銃口。

 指。  

 二人の身体の揺れ。  

 風。

 距離。  

 カサンドラ自身の姿勢。

 頭部パルスレーザーから対象までの射線。

 高性能センサーが情報を収集し、ACS――超高性能電子制御システムが機体姿勢を微細に補正する。

 リズの演算結果がHUDへ重なった。

『射線確保』

 照準点が一つに収束した。

『主席への危険なし』

「撃つ」

 デイビッドに迷いはなかった。

 カサンドラのバイザーアイ。

 その左右上部に設けられた一対のパルスレーザー砲。

 片方が、一瞬だけ光を放った。

 淡緑色の極細レーザーに眉間を貫かれ、兵士の身体から力が抜けた。

 握っていた短銃が落ちる。

 カルダーを抱えていた腕がほどけた。

 自信に満ちていた男は、自分に何が起きたのか理解する暇さえなかった。

 直後。

「グレイソン少尉」

『了解!』

 僚機のテューダーが前へ出る。

 ライトグリーンの軽快な機体が、手にしたミドルレンジビームライフルを構えた。

 荷電粒子の光条が二度、走る。

 逃走を図ろうとしていた随伴車両二台が炎に包まれる。

 ただし、兵士のいるマイクロバスは撃たない。

 退路だけを潰す。

「抵抗するな!」

 デイビッドが再び警告する。

 ゼルカスト兵たちは、巨大なカサンドラとテューダーを見上げた。

 さらに後方。

 ユンカリス軍の装甲車両が近づいてくる。

 もう逃げられない。  

 一人が銃を地面へ置いた。

 続いて別の兵士。  

 また一人。

 武器を捨て、両手を上げる。

 抵抗は、そこまでだった。


『最初からそうしておけばよいものを』

 通信回線から、テューダーのパイロット、ノア・グレイソン少尉の声が聞こえた。

「まあ、そう言うな」

 デイビッドはカサンドラのモニター越しにカルダーを見た。

 グレーのスーツ姿。  

 ダークブラウンの髪。

 顔には疲労が見える。  

 左腕には、白い包帯。

 だが、自分の足で立っている。

 命に別状はなさそうだった。

 ユンカリス軍の装甲車が到着する。

 後部扉が開き、兵士たちが次々と飛び出してきた。

 カルダーの周囲を確保する。

 別の兵士たちは、投降したゼルカスト兵の拘束へ向かった。

 ようやく、一つの危機が終わった。

『ロード』

 リズの声。

「ん?」

『ハイユン国際空港守備隊より入電』

 デイビッドは顔を上げた。

『ゼルカスト軍撃退に成功。空港周辺の戦闘は終息へ向かっているとのことです』

「……終わったか」  

 デイビッドは大きく息を吐いた。

 ヘルメットのバイザーを上げる。

 長時間張り詰めていた額へ、冷えた空気が触れた。

 だが。  

 まだ一つ。

 自分の目で確認しなければならないことが残っていた。



◇


 戦闘が終わった医療センターには、別の種類の喧騒が戻っていた。

 担架が行き交っている。

 負傷者の名前を呼ぶ声。

 医療器具を載せたワゴンの車輪。

 割れた窓から風が入り、カーテンが揺れていた。

 壁には銃痕。

 床には、まだ拭い切れていない血の跡。

 薬品の匂いに、硝煙と焦げた臭いが混じっている。 

 だが、もう銃声は聞こえない。

 ミレアは壁際の椅子へ腰を下ろしていた。

 今になって、身体が震えていた。

 先ほどまでは、震えている暇さえなかったのだろう。

 両手を見る。  指先がわずかに震えている。

「先生」  

 隣から声がした。  

 シンシアだった。

 明るい金髪も乱れている。

 ナース服には、床へ投げ出されたときについた汚れが残っていた。

「大丈夫?」

「それ、私が聞こうと思っていました」

「私は大丈夫」

「私もです」  

 二人とも嘘だった。  

 目が合った。

 シンシアの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

 ミレアも笑おうとした。  

 その瞬間。

 張り詰めていた何かが切れた。

「……怖かった」

 シンシアの声が震えた。

「うん」

 それしか言えなかった。

 金髪の看護師が身体を寄せてくる。

 ミレアはその肩を抱いた。

 さっきのように守るためではない。

 互いがここにいることを、確かめるためだった。

 廊下から足音が近づいてきた。  

 軍靴。

 その音に、ミレアの肩が強張る。

 腕の中で、シンシアも息を呑んだ。

 身体の方が先に反応していた。

「ミレアさん!」

 聞き慣れた声。  

 ミレアが顔を上げる。

 アウロラネクサス軍のパイロットスーツを着た男が、こちらへ向かってきていた。

「……デイビッドさん」  

 デイビッド・スミス。

 見慣れた顔だった。

 それだけで、胸の奥へ少しだけ温かいものが戻ってくる。

 デイビッドは二人の前まで来ると、足を止めた。

「ミレアさん、怪我は?」

「私は大丈夫です」

「シンシアは?」

「……私も大丈夫」  

 シンシアの返事は短かった。

 デイビッドは何か言いかけたように見えた。

 だが、口を閉じた。

 それ以上、何も聞かなかった。

「そうですか」

 少し間を置いて。

「よかった」

 その言葉だけだった。  

 ミレアは小さく頷いた。

「……デイヴ少佐」  

 シンシアが呼んだ。

「ん?」

「来るの遅い」  

 声は小さかった。

 いつものような、からかう調子ではない。

 責める口調でもなかった。  

 ただ。最後の一言だけが震えていた。

 デイビッドは少しだけ黙った。

「……悪かった」

「ほんとだよ」

「ああ」  

 シンシアが俯く。

 ミレアはもう一度、その肩を抱いた。

 しばらく誰も話さなかった。

 目の前を担架が通り過ぎる。  

 負傷した患者。

 付き添う医師。

 その姿を、三人で黙って見送った。

「国家主席は?」

 ミレアが尋ねる。

「無事です」

 デイビッドが答えた。

「奪還しました。命に別状もありません」

「そう……」

 ミレアの肩から、わずかに力が抜けた。

「左腕の処置、綺麗でしたよ」  

 デイビッドが少しだけ笑った。

「ミレア先生の仕事でしょう」

「仕事ですから」

 ミレアも小さく笑った。  

 ほんの一瞬。いつもの空気が戻った気がした。

 ミレアの中で、何かが胸に引っかかった。

「少佐」

「はい」

「あの……」  

 言葉が止まった。

 視線が、無意識に廊下の奥へ向いた。  

 青。

 病棟を駆け抜けた光。  

 兵士の首。

 倒れていく人間。  

 銃声。  

 血。

 硝煙。  

 引き剥がされた白衣。

 そして。  

 自分へ差し出された大きな盾。

『これ構えて、部屋の隅でちっちゃくなってて』

 若い男の、くぐもった声。

『すぐ終わるから』

 指先が震えた。  

 ミレアは自分の手を握る。

「……ミレアさん?」

「あの、紺色の……」

 そこから先が出てこなかった。

 何を聞こうとしていたのだろう。

 あの兵士は誰なのか。  

 どこの部隊なのか。

 名前は。  

 なぜ、あの場所へ来たのか。

 聞きたいことはいくつもあった。

 だが、その一つを口にしようとするたびに、あの病棟が一緒に蘇る。

 掴まれた腕。  

 迫った顔。

 白衣を引き剥がされた感触。  

 悲鳴。

 血の匂い。  

 青い光。

「…………」

 喉が閉じた。  

 ミレアは首を横に振った。

「……ごめんなさい。なんでもありません」

 デイビッドは少しだけこちらを見た。  

 だが。

「そうですか」  

 それだけだった。

 続きを聞こうとはしなかった。

 シンシアも黙っていた。

 腕に触れる彼女の指に、わずかに力が入った。

 ミレアはその手へ、自分の手を重ねた。

 命を救われた。  

 それだけは確かだった。

 だが。今はまだ、あの出来事を思い出して笑えるほどの時間は経っていなかった。

「……仕事に戻らないと」  

 ミレアは立ち上がった。

「ミレアさん」

「大丈夫です」  

 言ってから。

 自分でも少しだけ困ったように笑った。

「たぶん」

 デイビッドは何も言わなかった。

 シンシアも立ち上がる。

「デイビッドさん」

「はい」

「来てくれて、ありがとうございます」

「……はい」

「デイヴ少佐」

「ん?」

 シンシアが、ほんの少しだけいつもの顔を取り戻した。

「あとで、コーヒー奢って」

「分かった」

「高いやつ」

「分かったって」

 小さな笑みが浮かぶ。  

 それだけでよかった。

 ミレアはシンシアと一緒に歩き出した。

 数歩進む。  

 一度だけ振り返った。

 誰もいない廊下。

 紺色の兵士の姿は、もうない。

 名前も知らない。  

 顔も知らない。

 ただ。 あの青い光だけが。

 まだ瞼の裏に、焼き付いていた。


*


 二人の背中が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。

 デイビッドは、その姿を黙って見送っていた。

 無事だった。

 ミレアも。

 シンシアも。

 生きている。

 それでいい。 そう思った。

 少なくとも今は。

 医療センターの廊下では、多くの人間が動き回っている。

 兵士。 医師。 看護師。負傷者。 破壊された設備。血の跡。

 戦闘が終わっても、戦争がここを通り過ぎた痕跡は消えていなかった。

「…………」  

 デイビッドは小さく息を吐いた。

 シンシアの声が耳に残っている。

『来るの遅い』

 あのシンシアが。

 普段なら、こちらがうんざりするほどよく喋る女が。

 あれしか言わなかった。

 その事実の方が、どんな説明よりも重かった。

「……悪かったな」  

 もう二人には届かない。

 デイビッドは視線を落とす。

 自分は国境にいた。

 離れるわけにはいかなかった。

 それは軍人として間違った判断ではない。

 その後もカルダー主席の追跡と救出に動いた。

 やるべきことはやった。  

 それでも。

 友人から「来るのが遅い」と言われれば。

 言い訳をする気にはならなかった。  

 そして。もう一つ。

『あの、紺色の……』

 ミレアが言いかけた言葉。

「……紺色?」

 何のことだったのだろう。 一瞬だけ考えた。

 だが、それ以上は追わなかった。

 聞こうと思えば、あとで聞ける。

 必要なら正式な戦闘報告も上がってくるだろう。

 今、あの二人から聞き出すことではない。

 顔を上げる。

 医療関係者たちの中へ戻っていく二人が見えた。

 ミレアは、もう誰かの傷を見ている。

 シンシアもその隣へ付いていた。

「……強いなあ」

 思わず口から漏れた。  

 強い。

 たぶん。  

 でも。

 強いから平気なのではない。

 あの二人の顔を見れば、そのくらいは分かる。

 デイビッドは踵を返した。

 自分にも、まだやることが残っていた。



◇


 薄暗いハンガー。

 ライトグレーの戦闘艇近くの壁際。

 ほぼ定位置となっている場所で、ギルフォード・レインは店を広げていた。

 床に敷かれているのは、旧ニホン国、現在はアマト国と呼ばれる国に古くから伝わる敷物。

 茣蓙。

 最先端兵器が並ぶ軍用ハンガーの中では、ひどく場違いな品だった。

 編み込まれた植物繊維。 それによく似た質感。

 技術的洗練とはかけ離れた見た目。

 ギルはその上に腰を下ろし、マイクロファイバーの布を手にしていた。

 いつもであれば、磨くのは愛剣フォルセインくらいである。

 今日は違った。

 タクティカル・プロテクターのヘルメット。

 胸部装甲。 バックパック。

 手甲。 ブーツ。

 腰部プロテクター。

 そして大型のハイパーシールド。

 セルディアという固有名がつけられていた。


 取り外したセインヴェールの各部装備が、茣蓙の上へ並べられている。

 ギルは洗浄と表面コーティング性能を持つケミカルを布へ馴染ませた。

 一つずつ。 丁寧に。

 汚れを拭い取っていく。  

 土埃。煤。 乾いた血。

 戦場で付着したものが、布へ移っていく。

 紺色の胸部装甲には、何本もの白い傷が残されていた。

 弾丸が当たった跡。

 装甲表面の塗膜が削れ、下地の色が露出している。

 その一つ一つが。

 この鎧が自分の命を守った証だった。

「すまんな」

 胸部装甲を磨きながら、ギルは呟いた。

 何人目かのゼルカスト兵を斬ったとき。

 至近距離から浴びた銃撃。 その痕だ。

 へこみはない。 大きく削れてもいない。

 ただ、真っ白な傷だけがはっきりと残っている。

 軍用装備だ。 戦いに出れば傷つく。

 分かっている。 仕方がない。

 それでも。 残念なものは残念だった。

「けっこう喰らったな。俺もまだまだだな」

 もし、最初に渡されそうになったアウロラネクサス軍の一般用TPを着ていたら。

 間違いなく、途中で死んでいた。

 冗談ではない。 ギルは布を動かす手を止めた。

 胸に続いて、セインヴェールのヘルメットを手に取る。

 紺色の装甲。 同じく紺色のバイザー。

「……地味だよなあ」  

 思わず呟いた。

 色だけを見れば、そうだった。  ただ。

 デザインそのものは、アウロラネクサス一般兵用のTPと比べれば、明らかに凝っている。

 人間の頭部へ沿う装甲線。

 バイザー周辺の形状。

 その上に覆い被さる猛禽類の嘴のような追加装甲。

 頭頂部へ伸びる複合センサーブロック。

 口元を覆う、凝った形の鋭角的なフェイスガード。

 そして。

 耳の辺りから、空へ向かって斜めに伸びる左右一対のアンテナ。

 ギルは正面からヘルメットを見つめた。

「…………」

 角みたいだ。 ふと、そう思った。

 角。

 そこから、古いアマト文化で語られる異形の存在が頭に浮かぶ。

 鬼。 「……鬼、か」  口にした瞬間。

 別の言葉へ思考が繋がった。  

 殺人鬼。

「…………」

 ギルはヘルメットのバイザーと見つめ合った。

 病棟。 青い光。

 自分が斬った人間。  

 一人。また一人。  

 あの場にいた医療関係者たち。

 壁際で身を寄せ合っていた女性たち。

 栗色の髪の女医。 金髪の看護師。

 彼女たちから見れば、自分はどう見えたのだろう。  

 助けに来た兵士。

 そう思ってくれただろうか。  

 それとも。

 紺色の角を持つ鎧を着て。 青い剣を振り回し。

 目の前で何人もの人間を斬り殺した。

 得体の知れない何か。


「怖かっただろうな……」

 ギルは小さく呟いた。 誰に聞かせるでもない。

 ヘルメットを少し傾ける。 頭頂部。

 複合センサーを収めたクリアパーツに、汚れが残っている。

「お前もありがとな」  

 今度はヘルメットへ言った。

 布を当てる。 丁寧に磨いていく。

 透明なパーツが、少しずつ本来の光沢を取り戻した。

 背後から、足音が聞こえた。

「おう、お疲れ」

 聞き慣れた声。  

 ギルは顔を上げる。

 自分の上司。 そして親友。

 デイビッド・スミスが立っていた。

 片手に缶を二本持っている。

 ギルは茣蓙の上で、少しだけ右へ腰をずらした。

 それだけ。 デイビッドも何も言わない。

 空いた場所へ腰を下ろした。

「ほら」

 缶を一本差し出される。

「ありがと」

 受け取った。 冷たい。

 掌へ伝わる冷たさが心地よかった。

「今日はずいぶん広げてるな」

 デイビッドが、茣蓙の上へ並んだセインヴェールのパーツと、はみ出た大型シールドを見回す。

 少し呆れた顔。

「整備しないと、いざというときに怖いからね」

「まあな」

「それに」  

 ギルは胸部装甲を布で撫でる。

「今回、世話になったから」  

 正直な感想だった。

 この装備がなければ。

 自分は帰ってこられなかった。

「お前らしいや」

 デイビッドが笑う。  

 缶のプルタブを起こした。

 小さな音が、静かなハンガーへ響いた。

 ギルも缶を開ける。  

 一口。

 冷えたコーヒーが喉を通った。

 デイビッドが、急に少し真面目な顔になった。

 視線を遠くへ向ける。

「ミレアさんとシンシア、無事だった」

 医療センターにいる友人の名前。

 ギルは、バイザーの向こうで見た二人の女性を思い出した。

 栗色の髪。 金髪。

「そう、よかった」

 それだけ答えた。 本当に。

 よかったと思った。

 犠牲をゼロにはできなかった。

 自分が誇れるようなことではない。 ただ。

 少なくとも。

 デイビッドが心配していた二人は、生きていた。

 デイビッドが缶コーヒーを一口飲む。

 それから。 ギルの顔を、まじまじと見た。

「なに?」

「いや」  

 デイビッドは少しだけ笑った。

「今日は助かった」

 ギルは缶を持ったまま、わずかに視線を落とした。


「ああ」

 それだけ答えた。  

 ハンガーには。

 整備機器の低い作動音だけが続いていた。

 ギルは再び布を手に取った。

 紺色の鎧を磨き始める。  



第2話 完


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