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第3話 『誰がために』

1


 ユンカリス共和国首都リンファ。南シナ海に面した古さと新しさが入り交じった街並み。

 ここから北にあるユンカリス第二の都市ハイユンが襲撃された際、この街も動揺した。

 それでも少しずつ日常を取り戻しつつあった。

 あの日から、数日が過ぎている。

 朝の大通りには通勤へ向かう車列が戻り、歩道を行き交う人の姿も増えた。

 交差点では制服姿の子供たちが信号を待ち、開店したばかりのベーカリーからは焼き上がったパンの匂いが漂っている。


 だが、何もかもが元通りになったわけではない。

 北のハイユン国際空港へ通じる幹線道路では、今も軍用車両や大型の回収車が頻繁に行き交っていた。

 一部の道路には規制が残り、空港方面へ向かう車線には仮設の検問所が設けられている。

 上空を飛ぶ民間機の数も、以前より少ない。

 街頭端末のニュースには、空港施設の復旧状況と運航再開予定が繰り返し表示されていた。


 戦争は、戦場だけに傷を残すものではない。

 飛ばなくなった飛行機。

 届かなくなった荷物。

 通れなくなった道路。

 仕事へ行けなくなった人間。

 予定を変えざるを得なくなった人間。

 銃声が止んでも、その影響は街のあちこちに残る。

 それでも人は朝になれば起き、店を開け、仕事へ向かう。

 戦争が終わったからではない。

 生きていくには、そうするしかないからだ。



◇


 首都リンファ郊外。首都防衛の要であるユエラン基地から歩いて数分の位置に一軒の喫茶店があった。

 喫茶ノースライト。

 古びたビルの一階にあるレトロな店。筋骨隆々の店主が淹れる珈琲の評判は頗る上々である。

 看板娘である店主の姪と二人で切り盛りをしていた。


*


 土曜日の十時過ぎ。木製の扉が開き、控えめなベルの音が店内に響いた。

「いらっしゃい」

 店主のヴォルグ・ハウゼンは入店してきた男に声をかける。

「ちーす」

 金髪の美丈夫が明るく返答した。

 扉を開いたまま押さえている。女性客でも連れてきたか。そうではなかった。

 黒髪の、奴の友人が入ってきた。ゆっくりと。まるで老人のように。身体を庇いながら。

「いてて……」

 顔をしかめている。

「ギルさん、どうしたんですか? 怪我でもしたんですか」

 姪が慌てて駆けよっていった。

 先日の戦闘に駆り出されて負傷でもしたか。だが、奴は整備兵だったはずだ。姪は本気で心配そうな顔をしている。

「ただの筋肉痛だ」

 気まずそうに金髪の士官が言い捨てた。言葉と裏腹に椅子を引いてやっている。なんだかんだ優しいのが、このデイビッド・スミスという士官だ。

「久しぶりに運動をしまして」

 黒髪の整備兵はようやく定位置の席に腰を下ろした。

「脅かさないでください! なんかあったと思ったじゃないですか」

 姪のリュミアが膨れている。本気で心配をしたのだろう。

「リュミアちゃんごめん。でも痛いのは嘘ではないのです」

「ハイユンの戦闘にでも駆り出されたのかと思いましたよ」

「……だいたい合ってる」

 黒髪の青年は困ったような笑顔を姪に向けた。

 なにかが聞こえた。駆り出されたことは事実なのか。

「もー。今日はゆっくりしてってください。無理は禁止です」

 リュミアは意外とこの男を気に入っているようだ。頼りないから心配なのだろうか。

「まだ辛そうだな」

「昨日までは靴下履くのも嫌だった」

「重症じゃねえか」

「ただの筋肉痛だよ」

 金髪と黒髪のやりとりを聞きながら豆を挽いた。

 俺にしてやれることは、美味い珈琲を淹れてやることくらいだった。


*


 デイヴが隣の席から心配そうな顔で俺を見ている。

 太ももの裏がまだ張っている。さすってみたが痛みが引くことはなかった。

 背中も痛い。肩も痛い。脇腹も。

 重力制御システムと慣性制御システムが搭載された規格外のタクティカル・プロテクター。固有名称セインヴェール。

 久しぶりにそれを身につけて少し無理をした。少しではない、かなりだったな。

 だって必死だったんだもん。ゼルカストのバカども、民間人相手になにしてくれちゃってんだよ。

 嫌な予感がしたので翌日の休みを申請しておいた。

 予感は当たった。目を覚ました際、ベッドから起き上がるという人類にとってごく一般的な行為にすら大苦戦した。とにかく身体が動かなかった。上官に泣きついて食事を持ってきてもらった。無茶をしすぎだと怒られた。

 業務に就けと言われたら泣いていたかもしれない。

「無茶しちゃ駄目ですよ」

 看板娘が優しい。

 無茶か。まあ無茶かも。アーマープレート、タクティカル・プロテクター、戦闘服の兵相手に大立ち回りをした。

 あと、デイヴの友人。綺麗な人だった。栗色の髪も金髪も。無事でよかった。怯えた顔であれだけなんだから、平時の顔はとんでもないな。

「なに笑ってんですか?」

 口元が緩んでいたようだ。

「ああいや、リュミアちゃんは優しいなと」

「なに言ってんですか、もう」

 少し表情が変わった。

「ハイユンであんなことがあったんです。心配しますよ」

 そこまで言って、彼女は口を閉じた。綺麗な緑色の瞳が憂いを湛えている。

 身近であった戦争のことを話題にすることが憚られたようだ。

 色白で艶やかな黒い髪。こちらも将来凄い美人になるんだろうなと思った。もちろん今でも美少女だ。

「とにかく、無茶は禁止です」

 少し膨れ気味にそう言われてしまった。


 何日か前、この国でたくさん人が死んだ。

 空港が戦場になった。軍人だけがぶつかり合う国境ではなく、病院にまで兵士が入り込み、銃声が響いた。

 その記憶は消えていない。

 だからこそ、こんな会話ができる時間には意味があった。

 マスターが二人分のコーヒーを運んできた。

「ほら」

「ありがとうございます」

 コーヒーが満たされたカップが置かれる。

 本日のお薦め、ブルーマウンテン。

 香ばしい匂いが、立ち上る湯気とともに鼻先をくすぐった。

 デイヴの前にも同じものを置き、店主は何も言わずにカウンターへ戻っていった。


 壁際に設置されたテレビから朝のニュースが流れていた。

『――ハイユン国際空港では、軍および関係当局による安全確認と復旧作業が続いています。

 旅客便については一部路線で運航が再開されましたが、貨物便を含め、通常運航への復帰にはなお時間を要する見通しです』

 画面が切り替わる。

 遠景から撮影された空港。立入禁止区域を示す柵。その向こうを走る軍用車両。

 さらに奥では、大型のクレーンが何かを吊り上げている。

 それがアーマープレートの残骸であることが分かった。

 綺麗に切断されていた。

 きっと。俺が斬った奴だ。

 一瞬だけ黙祷した。

 デイヴも画面を見ていたが、何も言わなかった。


 ニュースは淡々と続いている。

『空港機能の制限に伴い、一部地域では物流にも遅延が発生しています。当局は代替輸送路の確保を進めており――』

 想像以上に被害は大きかった。

 カウンター脇に置かれた小さな札にこう書かれていた。

「本日、一部メニューを変更しております」

 看板娘が書いたのであろう。可愛い文字だった。

 普段なら並んでいるはずの菓子が、今日は一種類少なかった。

 厳つい店主がカウンターの中からグラスを拭きながら答えた。

「空港だけじゃない。軍が動けば道路を使う。道路が塞がれば荷が遅れる。空港だけ直しても、すぐ元通りにはならんさ」

 それだけ言って、再び手元へ目を落とす。

 グラスを拭く布が、静かに動く。

「壊すのは一日だ。戻すのはそうはいかん」

 店主の言葉にデイヴが少しだけ目を細めた。

 店を開けるために必要なものが、きっと届かなかったのだろう。

「しばらく来られない人もいるのかな」

 残念そうにリュミアが呟いた。

「戦争っていやだね」


 店内の他の客から声が聞こえた。

 窓際の席に座った二人の男が、ニュースを見ながら話している。

「空港の戦闘、特殊部隊が入ったって話だぞ」

「どこの?」

「アウロラネクサスじゃないのか。第二十七艦隊が来てたんだろ?」

「いや、ユンカリス軍の新型部隊だって聞いたぞ」

 会話に熱がこもっている。

「新型?」

「APを一気に片付けた部隊がいたらしい」

「ACTじゃなくて?」

「だから新型なんだろ」

 珈琲を啜ると金髪の友人が無言で見つめてきた。首を傾げて見せた。

「でもよ、空港にそんなの配備されてたか?」

「極秘なんじゃないか?」

「極秘ならお前が知ってるのおかしいだろ」

「知り合いの知り合いが軍にいるんだよ」

「一番信用できねえやつじゃねえか」

 その会話に、店主が小さく鼻で笑った。


 コーヒーは美味だった。香ばしい香りが鼻に抜ける。つかの間身体の痛みを忘れた。

 金髪の上司がなにか言いたそうにこちらを見ている。やめてくれないか。

「……特殊部隊だってよ」

「そうらしいね。俺も見たかったな。最新装備」

「……」

 デイヴが複雑な顔をしていた。知ったことではない。


*


 ハイユン医療センターでの戦闘。こいつが参加したことは知っている。俺が要請した。

 こいつからの淡泊な報告と、あとから上がってくる戦果が一致していない。

「大した数じゃなかったから、なんとかなった」

 雑な報告だった。

 医療センターだけではない。空港方面の部下からも、アーマープレートを重点的に狩りまくった紺色のタクティカル・プロテクターがいたとの報告を受けている。

 ギルからは、

「アウロラネクサス軍のタクティカル・プロテクターもだいたい紺だよね」

 そんな返答があった。それは知っている。だが、我々の歩兵用レーザーソードでは、APは斬れんのだ。少なくとも一撃では。

 隠しているつもりではないのだろうが、戦果に対して胸を張ろうとしないのは少しもどかしい。


 ニュースは次の話題へ移っている。

 窓の外を路線バスが通り過ぎる。

 店の前では買い物袋を提げた女性が立ち止まり、連れの子供に何かを言って笑った。

 厨房から食器の触れ合う音が聞こえる。

 コーヒーの匂い。

 焼いたパンの匂い。

 低く流れる音楽。

 誰かの笑い声。

 それらはどれも、戦場では聞こえなかった音だった。

 友人がカップを両手で包み、息をついた。

「平和だねえ」

 猛烈に嫌な予感が走った。

「おいやめろ」

「何が?」

 ギルが困った顔をこちらに向けた。

「知らねえのか。そういうのを負けフラグって言うんだよ」

 看板娘がカウンターの中から笑った。

 次の瞬間、店内に甲高い電子音が響いた。

 本部からの呼び出しだった。

 携帯端末の画面が赤く点滅している。

 緊急招集。

「ほら見たことか」

「俺のせい?」

「たぶんな」

「ひどくない?」

 苦笑しながらギルは椅子から立ち上がった。

「いてっ」

 顔をしかめている。

「ゼルカストの野郎、俺のこと見てやがるな」

 思わずこぼしてしまった。

「人気者は辛いですね」

 看板娘が笑いかけてきた。こちらも笑ってみせる。

 残った珈琲を流し込む。

 会計を済ませ、友人を連れて店を出た。





2



 リンファの街外れ。ユエラン基地。ユンカリス軍の拠点である。

 軍港には、アウロラネクサス第27機動艦隊の旗艦空母エンタープライズ三世、主力戦艦であるトリトン級一番艦トリトン、最新鋭輸送艦ヘスティアなどが停泊していた。

 数日前まで、この基地の司令部は戦況を把握するための場所だった。

 現在は、戦争によって生じた穴を埋めるための場所になっている。

 中央指揮室の大型モニターには、共和国各地の軍施設、交通網、通信網が表示されていた。

 赤。 黄。 緑。 平時であれば緑で埋まっているはずの表示に、黄色が目立つ。

 空港。 軍施設。 道路。 通信設備。 補給拠点。

 損傷そのものは限定的な場所でも、その影響はそこだけでは終わらない。

 一つの道路が軍用車両で塞がれば、民間の物流が遅れる。

 空港の貨物処理能力が落ちれば、別の空港へ負担が移る。

 部隊を国境へ動かせば、その部隊がいた場所の警備が薄くなる。

 そして、共和国政府の中枢にも大きな穴が開いていた。


*


 アウロラネクサス第27機動艦隊司令官、ロベルト・ヴァレアは、大型モニターの前に立っていた。

 その傍らには、副官のリディア・フォルテがいる。

 ユエラン基地はユンカリス共和国軍の基地であり、ロベルトの指揮下にある施設ではない。

 だが、先日の戦闘以来、第27機動艦隊は共和国軍との共同防衛のため、ここに司令機能の一部を置いていた。

 同じ指揮室の中で、二つの軍が情報を共有している。

 それでも、指揮系統まで一つになったわけではなかった。

「カルダー主席の容体に変化は?」

「ありません。意識はあります。ただし、医師団は引き続き絶対安静を求めています」

 ロベルトは頷いた。 命に別状はない。 それ自体は朗報だった。

 しかし、国家元首が生きていることと、国家元首が通常どおり職務を行えることは同じではない。

 机上の端末には、共和国政府とユンカリス軍から共有された連絡事項が並んでいる。

 軍の再配置。 被害地域への支援。 空港復旧。 避難民への対応。

 アウロラネクサス本国への報告。 第27機動艦隊への支援要請。 国境方面の警戒。

 その一つ一つに、本来なら政府中枢、あるいはユンカリス軍司令部の判断が必要になる。

 主席が負傷したことで、代行可能なものは各担当へ権限が移されていた。

 しかし、すべてを代行できるわけではない。


「共和国政府から、共同防衛体制について追加の照会が来ています」

 リディアが手元の端末を確認した。

「ベイカー司令のユンカリス軍司令部からも、国境警戒に関する情報共有の要請が」

「政府への回答は外交担当と艦隊司令部でまとめる。ベイカー司令には、こちらの索敵情報を可能な範囲で回せ」

「了解しました」

 誰か一人が倒れただけで国家が止まる。

 そんな脆弱な体制ではない。 それでも国家元首が銃撃を受け、軍が侵入され、国際空港と医療施設が襲撃された。

 それだけの出来事が何の影響も残さないはずがなかった。

 共和国政府は動いている。 ユンカリス軍も動いている。第27機動艦隊も、その外側から共和国を支えている。市民も日常へ戻ろうとしている。

 しかし、そのすべてが普段よりわずかずつ遅い。

 そのわずかな遅れが、積み重なっていた。


「ユンカリス軍から国境方面の定時報告が共有されました」

 リディアが言った。 ロベルトが顔を向ける。

「東部、異常なし。西部も現在のところ、大規模な部隊移動は確認されていません」

「ゼルカスト側の航空戦力は?」

「通常の哨戒活動のみです」

「ACTは」

「国境付近で目立った動きはありません」

 ロベルトは大型モニターを見上げた。 何もない。

 だから安全だとは思わなかった。 むしろ 静かすぎる。

 数日前、ゼルカストは大規模な作戦を実施し、それが失敗した。

 相応の損害も出している。 ならば、次に何をするのか。

 モニターの北側を凝視した。ユンカリス第二の都市ハイユン。

 国際空港を示す小さな表示。その傍らに置かれた端末には、空港の復旧状況と、先日の現地調査に関する資料が表示されていた。

 画面に映っているのは、一機のAP。

 腰部から上を斜めに切断された、ゼルカスト軍のアーマープレート。

 ロベルトは、その切断面を見つめた。 数日前、自分の目で見た光景が、脳裏に蘇った。



◇


 戦闘が終われば、戦場は元の場所へ戻る。

 少なくとも、地図の上ではそうだった。

 ハイユン国際空港は、混乱から立ち直りつつあった。

 滑走路の一部は使用可能となり、軍用輸送機を中心に離着陸も再開されていた。旅客便についても、限定的ながら運航再開の予定が告知されている。

 しかし、そこが数日前まで戦場だった事実は、まだ消えてはいなかった。


 空港敷地の一角。ロベルト・ヴァレアは副官と同行で戦場の視察に訪れていた。

 旅客ターミナルから離れた整備地区に、破壊された兵器が集められていた。

 人の背丈を優に超える鉄の塊。

 ゼルカスト人民共和国軍が投入した軍用外骨格兵器、アーマープレート。

 APと呼ばれる兵器の残骸である。 五百キログラム近い重量を持つ機体もある。人の力だけで動かせるものではない。

 黄色い回転灯を点けた大型の作業車両が、一機のAPを吊り上げていた。太いワイヤーが張り詰める。

 軋んだ音を立てながら、焼け焦げた外骨格が地面から離れた。 右脚がない。

 左腕は肩の付け根から大きく変形している。胸部装甲には、斜めに深い切断痕が走っていた。

 吊り上げられたことで、内部から何かが落ちた。 焼けた装甲片だった。

 乾いた金属音を立て、黒く煤けた地面を転がっていく。

「……ひどいものですね」

 リディアが呟いた。

 軍服姿の女性士官の視線の先には、それだけではない。 横倒しにされたAP。

 関節を破壊され、手足を不自然な方向へ曲げたAP。

 胸部装甲を深く切り裂かれたもの。

 頭部に相当するセンサーユニットを失ったもの。

 大型銃器を握ったまま、指にあたる把持機構が焼き付いている機体もあった。

 すでに搭乗者は収容されている。

 だからこそ、兵器だけが残された光景は異様だった。

 無人の鋼鉄の殻が、墓標のように並べられている。 油。 焼けた樹脂。 金属。

 消火剤。 それらが混じった臭いが、まだ空気の中に残っていた。

 返事はとくにしなかった。 被害状況を、この目で見ておきたかった。

 そして、ゼルカスト軍の意図も。 少しでも知ることができれば御の字だった。


 少し離れた場所では、ユンカリス軍の兵士たちが残骸を調査している。

 装甲を外す者。 破損したフレームを確認する者。 機体番号を照合する者。

 ゼルカスト軍の兵器であっても、放置するわけにはいかない。

 軍用機である以上、使用されている素材、電子機器、通信装置、兵装、記録装置のすべてが情報だった。

 まして、ここは自国の国際空港である。

 撤去しなければ復旧作業そのものが進まない。

「空港に投入された敵APは十機でしたね」

 リディアが端末を確認した。

「うん」

 周囲を見回す。まるで航空機が墜落したような惨状だった。

「確認された十機は、すべてここに集めた」

 リディアの視線が残骸を追う。

「全滅……」

 その言葉だけが、妙に重く響いた。

 撃退ではない。 追い返したのでもない。

 侵入してきた十機のAPは、戦力として完全に失われている。

 空港警備部隊が撃破したものもある。 第27機動艦隊の攻撃によるものもある。

 混乱した戦場だった。

 しかし、戦闘記録を追えば追うほど、説明のつかない残骸が混じっていた。

 一機のAPの前で足を止めた。

 腰部から上が、斜めに切り裂かれている。 破断面は異様なほど綺麗だった。

 爆発による破壊ではない。 押し潰されたものでもない。

 装甲板も、その内側を走るフレームも。

 初めからそういう部品として製造されたかのように、一つの面で断ち切られている。

 屈み込んで断面を観察した。指で触れたら血が出そうなほど鋭利であった。

「これもか」

「はい」

 リディアが答える。

「こちらもです」

 隣。 さらに、その隣。 破壊のされ方に共通点がある。

「空港警備隊の火器じゃないよね」

「記録とも一致しません」

「うちの部隊は?」

「第27機動艦隊の交戦記録にも、該当する攻撃はありません」

「じゃあ、誰がやったんだろ」

「見たところ、ACTクラスの超高出力光線剣ですね」

「ACTはいなかったよね、ここ」

 副官が黙り込んだ。 風が吹き抜けていく。

 焼けた樹脂と油の臭いが流れる。 遠くで作業車両が警告音を鳴らした。

 また一機。

 数百キログラムの鋼鉄の残骸が、太いワイヤーに吊られて持ち上がる。

 重々しく宙へ浮いた、その下。 黒く焦げた舗装面だけが残った。

 戦闘の痕跡を消す作業は続いている。

 だが、空港から残骸を運び出したところで。

 そこで起きたことまで、なくなるわけではなかった。



◇


 端末から、小さな電子音が鳴った。 ロベルトの意識が、現在へ戻る。

 大型モニター。 忙しく行き交うユンカリス軍と第27機動艦隊の要員。

 絶え間なく届く報告。

 数日前の空港に漂っていた焼けた臭いは、もうここにはない。

 それでも、机上の端末には、あの日見たAPの切断面が映っていた。

「司令」

 リディアが声をかけた。 彼女もまた、あの日、空港にいた。

「スミス少佐が到着しました」

「通して」

「はい」

 ほどなく、指揮室の扉が開いた。 金髪の青年が入ってくる。

 つい先ほどまで休暇を過ごしていたとは思えない。

 軍服に着替え、青騎士としての顔に戻っていた。

「デイビッド・スミス少佐、出頭しました」

「悪いな。休暇中に」

「ご心配なく」

 デイビッドの視線が大型モニターへ向かう。

「それで。敵ですか?」

「まだ分からん」

「まだ?」

「国境方面で警戒情報が上がった。二桁クラスの機動兵器の動きを掴んだ」

「ユンカリス軍から共有された監視情報にも引っかかりました」

 リディアが続ける。

 休暇中の青騎士を遊びで呼び戻した訳ではなかった。

 何も起きなければ、それでいい。 起きてから呼び戻すのでは遅い。

 机上の端末へ目を向けた。


「その前に、一つ聞きたいんだけど」

「なんです?」

「これ」

 端末をデイビッドの方へ向けた。

 画面に、一機のAPが映っている。 腰部から上を斜めに切断された機体。

 次の画像。 胸部を切り裂かれたAP。 さらに次。

 装甲と、その内側にあるフレームまで、異様に滑らかな断面を残して切断されている。かなりな強度を誇るナノメタル複合装甲の断面が見えた。

 デイビッドの目が、わずかに細くなった。

「空港に投入された敵APは十機。当初守備側は押されていた」

 歩兵を撤退させ、ACT部隊の投入を考えたほどだ。

 それが、時計の針が16時を回ったあたりから、状況が激変する。

「苦戦の要因だった敵APが、全機、戦力として失われた」

 隣の副官が頷いている。

「空港警備隊が倒したものもある。我々が仕留めたものもある。だが、大半は説明のつかん奴だ」

 リディアが補足した。

「ユンカリス軍、第27機動艦隊。確認できる交戦記録のいずれとも一致しません」

「デイビッド」

 目の前の士官を凝視した。

「何か心当たりはないか?」

 青騎士は答えなかった。


*


 司令がこちらを怪訝な顔で見ている。

 画像を見る。 一機。 また一機。 焼けたAP。

 破断したフレーム。 切断された装甲。

 現場を自分の目では見てはいない。

 だから、知っているわけではない。 ただ。 脳裏に一人の男が浮かんだ。

 普段は整備服を着て、油にまみれた機械を弄っている。

 休みの日には喫茶店でコーヒーを飲み、筋肉痛で靴下を履くのすら嫌がる男。

 その男が、数日前。 ひどく懐かしい紺色の装備を身につけていた。


 そして、その男に要請をした。ハイユン医療センターの様子を見てきて欲しいと。

 敵が医療センターを襲撃するようであれば国境を捨てて駆けつける。そのつもりだった。

 だが、そうはならなかった。優秀なアウロラネクサスの歩兵部隊が、医療センター襲撃部隊を殲滅していた。

 シンシアと、ミレア女史からも、「アウロラネクサス」の紺色のタクティカル・プロテクター兵が活躍し、我々を解放してくれた。そう聞いている。

 かなり危ない状態だったと。

 しかし、まて。医療関係者を保護した部隊から、センター内での戦闘記録は上がってきていない。

 さきほどまで行動を共にしていた、無造作に髪を伸ばした一見うだつの上がらない青年の顔が浮かんだ。

「いや、いくら何でも」

 思い浮かんだ顔を、頭を振って追い出した。

 いや、待て。その後は。ミレア、シンシアの無事を確認したあと、奴とはなにを話した。

「あ」

 画面に映る切断面を眺めた。 鏡面かと思うほど滑らかだった。

 空港の援護に入れと、俺は親友に言った。

「……まさかな」

「何か言った?」

 司令官が眼を細めてこちらを見ている。

「いえ」

 とりあえず、こう返答しておこう。

「私は知りません」

 嘘ではない。 本人から聞いたわけではない。

 戦っているところを見たわけでもない。 証拠もない。 何より、もし想像どおりなら。

 あの馬鹿は、自分が何をしたのか、積極的に話そうとはしないだろう。

 思わず小さく息を吐いた。 司令が怪訝な顔をしている。

「この断面。ACTクラスの光線剣じゃなきゃ無理なんだよね」

「はあ」

「でも空港にACT出してないんだよね」

「ええ。知っています」

「お化けでも出たのかな」

「そうかもしれません」

 ロベルトは複雑な表情で目を細めた。

「話せるようになったら聞かせてくれ」

「はっ」

 それ以上、彼は追及しなかった。

 司令が端末を閉じている。

「今は味方だった。それだけ分かってりゃ十分だ」

 司令官の言葉にリディアが少しだけ意外そうな顔をした。

「心当たりがあるのですか?」

「整備兵が本職より強い軍隊ってあるのかな?」

「は?」

「いや何でもない。もう少しまとまったら相談に乗って」

 司令と副官のやりとりは、聞かなかったことにした。


*


 大型モニターへ視線を戻した。 国境線。 その向こう側にあるゼルカスト人民共和国。

「問題は、次だ」

 デイビッド・スミスも同様に壁のモニターに顔を向ける。

「静かですね」

「ああ」

 静かだった。 だからこそ、気に入らない。

 先日の作戦は失敗した。 AP部隊を失った。 国家主席の拘束にも失敗した。

 医療施設への攻撃も、最終的には阻止された。 相手が諦めた。

 そう考えることもできる。 だが、そうは思えなかった。

 おそらく、敵の首脳部ははらわたが煮えかえっている。

 次はどんな手を打ってくるか。


「第27艦隊各部隊、現行の警戒態勢を維持」

 副官に指示を出す。

「了解しました」

 リディアが即座に端末を操作する。

「ユンカリス軍司令部にも、こちらは警戒を継続すると伝えろ。国境監視の情報共有も引き続き要請する」

「はっ。ベイカー司令部へ送ります」

 頷いた。命令できるのは、自分の艦隊までだ。

 共和国を守るユンカリス軍には、共和国の指揮系統がある。

 だからこそ、互いの情報が途切れることだけは避けなければならない。

 指揮室の喧騒は途切れない。 通信。 報告。 端末を叩く音。

 軍靴が床を打つ音。 大型モニターの中では、国境線が静かに光っている。

 何も起きていない。 まだ。 共和国は、傷を負ったまま動き続けていた。

 そして我々は、その傍らで次の異変に備えるしかなかった。



◇


 失敗には理由がある。

 理由のない敗北など存在しない。 もし理由を見つけられないのであれば。

 それは敗北した側が、敗北から目を逸らしているだけだった。

 薄暗い作戦室。

 大型の戦術表示には、ユンカリス共和国北部の地図が映し出されていた。

 国境線。 主要道路。 軍施設。 そして、ハイユン。

 都市の一角に位置する国際空港。

 先日の作戦で、本来ならば自分たちの手に落ちているはずだった場所である。


「投入したAP部隊の損失は想定を大きく上回りました」

 報告する士官の声は硬い。 壁面のモニターに、戦闘後の映像が表示される。

 ハイユン国際空港。 黒煙。 破壊されたAP。 回収されていく兵器。

「空港施設への被害は?」

「限定的です」

  皮肉な結果だった。

 空港を可能な限り無傷で手に入れる。 だからこそ、大型兵器の投入を避けた。

 ACTによる砲撃戦を行えば、滑走路もターミナルも貨物設備も破壊しかねない。

 占領した直後から利用できる空港。 それには価値があった。

 そのために歩兵とAPを送り込んだ。 そして失敗した。


 作戦室中央。

 腕を組んだ男が、戦術表示を見つめている。

「我々は空港を壊したくなかった」

 誰に問うでもなく言った。

「はい」

「ユンカリス側も、それを理解していたか」

 士官は答えなかった。

 男も答えを求めてはいなかった。

「結果として、こちらだけが制約を受けた」

 モニターの映像が切り替わる。

 撃破されたAP。 装甲を切断された機体。

 銃撃を受け、関節を破壊された機体。

「この損傷は?」

「現在解析中です。ユンカリス側の既知の装備と一致しないものが含まれています」

「アウロラネクサスか」

「可能性はあります。ただし、第27機動艦隊から該当する部隊が投入された記録は確認できていません」

「記録がないことと、存在しないことは同じではない」

「はい」

 男はそれ以上、その話を追わなかった。 正体不明の兵士。 未知の装備。

 興味深くはある。

 だが、一人の兵士が強かったから戦争に負けました、では軍隊は存在する意味がない。

 相手が強いなら、それを含めて次の作戦を考える。 それだけだった。

「空港を無傷で奪うという条件を外す」

 作戦室の空気が変わった。

「よろしいのですか」

「奪えるなら奪う」

 男は地図上の空港を指した。

「だが、奪えないなら壊せ」

 指先が動く。 空港から都市部へ。

「滑走路」

 さらに。

「貨物施設」

 そして。

「交通網」

 一つずつ指し示す。

「ユンカリスにとって必要なものなら、それは我々にとって破壊する価値のあるものだ」

 士官たちが黙って聞いている。

「先日の作戦で、我々は手段を限定した。その結果、こちらが損害を受け、相手に時間を与えた」

 男は振り返った。

「同じ失敗を二度する必要はない」

「では、次は」

 別の士官が尋ねた。 男の視線が、作戦室の端にある表示へ移った。 機体一覧。

 そこに並んでいるのはAPではない。 二十メートル級の人型兵器。 ACT。

「使えるものを使う」

 短い言葉だった。

「APで足りなかったのなら、次はACTだ」

 誰も異を唱えなかった。


 戦術表示が切り替わる。

 ユンカリス共和国の国境線が、細い光となって浮かび上がった。

 その光の向こう側では。 数日前の戦争から立ち直ろうと、人々が働いている。

 空港では残骸が片づけられている。 道路には再び民間車両が戻り始めている。

 病院では患者の治療が続けられている。

 共和国軍は、傷ついた戦力を組み直している。

 その傍らでは、第27機動艦隊が警戒を続けている。

 そして、その国境のこちら側では、次の戦争を始めるための準備が、静かに進められていた。





3


 最初に動いたのは、東だった。

 ユンカリス共和国東部国境。

 山地と丘陵が幾重にも連なるその地域には、共和国軍の監視施設と小規模な基地が点在している。

 緩やかな斜面には草地が広がり、谷間を縫うように細い道路が走っていた。山裾には小さな集落があり、家々の屋根の向こうには畑が続いている。

 国境そのものに壁があるわけではない。

 道路があり、集落があり、その向こうにも人の暮らす土地が続いている。

 国が違っても、山の稜線が変わるわけではない。風は境界を知らず、雲の影は丘から丘へと流れていく。

 ただ、地図の上に引かれた一本の線だけが、二つの国家を分けていた。

 その土地にも、いつもと変わらない時間が流れていた。


 畑へ向かう人々。道路を行き交う車。遠くの斜面では、風に揺れる草木が午後の光を受けていた。

 数日前、北方の都市ハイユンで起きた戦闘は、ここにも伝わっている。

 だが、国境に暮らす人々にとって、生活を止めることはできない。畑の作物は待ってくれず、家畜には餌を与えなければならない。

 戦争の知らせが届いても、明日の暮らしは続いていく。

 その日常を、遠くから響く低い振動が揺らし始めた。

 初めは、風の音に紛れるほど微かなものだった。

 やがて、地面を伝わる重い響きとなり、丘陵の向こうから近づいてくる。


 その線を越えて、巨大なものが動いた。

 一機。

 二機。

 監視施設の長距離センサーが反応する。

 三機。

 五機。

 さらに増える。

 やがて確認された数は、十機前後に達した。


 二十メートル級の人型兵器。ACT。

 数日前の空港襲撃で投入されたAPとは、兵器としての規模が違う。

 その一歩が踏み込むたびに地面が沈み、土が跳ねる。

 関節を動かすアクチュエータの低い駆動音。装甲の隙間から吐き出される排熱。背部推進器が短く噴射するたび、草木が大きくなびいた。

 「国境を越えた!」

 監視所からの報告が飛ぶ。

 「ゼルカストACT部隊、侵入を確認!」

 警報が鳴った。

 ユンカリス共和国軍が動く。格納庫の扉が開く。整備員が退避する。待機していたACTが一機ずつ歩き出し、その足音が基地の地面を揺らした。

 ユンカリス軍だけではない。共和国に駐留しているアウロラネクサス第二十七機動艦隊からも、ACT部隊が出撃する。

 まだ傷は癒えていない。空港は完全復旧していない。カルダー主席も負傷したままだった。

 それでも、敵が国境を越えたなら、戦わなければならない。

 この国には、この国を守る兵士がいる。



◇


 ユエラン基地。市街地にほど近い海沿いの区画。司令部に激震が走った。

 ロベルト・ヴァレアは腕を組んだまま、戦術表示を見つめていた。

「東部国境、交戦開始!」

 中央指揮室の大型モニターに赤と青の光点が表示される。

 十数個の光が接近し、入り乱れる。通信が重なった。

 戦況報告。部隊からの支援要請。損傷報告。管制官たちの声が飛び交う。

「敵は?」

 副官のリディアに声をかける。

「現在確認できているのは九機。後方に一機。合計十機です」

「増援は」

「現在のところ確認できません」

「ユンカリス軍は」

「東部方面部隊が迎撃中。増援部隊も移動を開始しています」

 頷いた。

 十機。決して少なくない。

 二十メートル級のACTが十機である。歩兵十人ではない。

 一機ごとに装甲があり、火力があり、防御フィールドがある。

 市街地へ侵入されれば、それだけで大きな被害が出る。

 だが、共和国軍と第二十七機動艦隊を合わせれば、対処できない数でもない。

「第27艦隊第二ACT隊を東部へ」

「了解」

 命令を伝えた。

「ユンカリス軍司令部へ連絡。敵を深追いせず、国境内での迎撃を優先するよう要請してくれ」

「了解しました」

 リディアが手元の端末へ指を走らせている。

 この部隊の副官として、やるべきことを迅速に対応してくれている。長い付き合いになるが、相変わらず心強かった。


 その直後、別の管制席から声が上がった。

「西部監視網に反応!」

 そちらに顔を向けた。嫌な感じがした。

「数は」

「確認中です」

 モニターの西側に赤い光点が現れる。

 一つ。二つ。四つ。光点が増えていく。嫌な予感が当たった。

「十を超えました」

 まだ増える。

「十五」

 指揮室の空気が変わった。

「十八」

 東より多い。

「二十機前後!」

 誰かが息を呑んだ。戦術表示は無情に事実を伝えている。

 東に十。西に二十。偶然とは思わなかった。

「第二波か」

「西部国境警備隊、迎撃に入ります!」

「ユンカリス軍司令部へ増援を要請」

「はい」

「第27艦隊第三ACT隊は西へ回せ」

「了解」

 同じ増援でも、片方は要請、片方は命令だった。

 ユンカリス共和国軍と、アウロラネクサス第二十七機動艦隊。共に同じ敵と戦っていても、指揮系統まで一つになったわけではない。

 直接動かせるのは、自らの艦隊だけである。共和国軍に対して持つ影響力は大きい。

 だが、その軍を正式に指揮するのはユンカリス共和国軍司令、ジョナサン・ベイカーだった。

「ベイカー司令部から回答」

 リディアが顔を上げる。

「西部への増援派遣を決定。現在、派遣部隊を選定中」

「了解した」

 迂遠だと思ったが、それ以上何も言わなかった。

 だが戦況表示の赤い光点は、返答を待ってはくれない。

 その場にいたデイビッド・スミスが戦術表示を見上げた。

 青騎士の称号を持つ男の表情から、先ほどまでの軽さは消えていた。

「俺が行きます」

「苦労かけるね」

 デイビッドが笑った。

「いつものことです」

 敬礼をして踵を返す。

「スミス少佐」

 リディアが呼び止めた。

 振り返った男へ端末から情報を送る。

「西部方面の最新戦況と、確認済みの敵機情報を転送しました」

「助かる」

 それだけ言って、デイビッドは指揮室を出ていった。

 その背中を見送る。

 西に二十の敵影。そこへ青騎士を送る。

 戦力としては当然の判断だった。

 だが、胸の奥に、小さな引っ掛かりが残った。



◇


 西部国境の大気が震えた。

 淡緑色の閃光が地表を走り、荷電粒子の奔流が一機のACTの防御フィールドへ激突した。激しい光が弾け、茶色の装甲を持つゼルカスト軍の主力機ナグルが大きくよろめく。

 その隙を逃さず、青い機体が一気に距離を詰めた。

 追撃のビームライフル。荷電粒子の光弾が、先頭のナグルを完全に沈黙させた。

 アウロラネクサスが誇る騎士機、カサンドラ。濃青の装甲をまとった、同国を代表する旗機の一つである。

 そのコクピットで、デイビッド・スミスはすでに照準を次の敵へ移していた。

「一機」

 撃破を確認するよりも早く、別の敵が動き始める。左右から二機、さらに後方から一機。三機のACTが、互いの位置を保ちながらこちらを牽制してきた。後方からさらに別の機影も。思わず舌打ちした。

「やっぱりか」

 敵の動きには明確な意図があった。こちらが射線を確保しようとすれば散開し、追撃に移れば別の機体が射撃位置へ入る。距離を取ろうとすれば間合いを詰め、一機に攻撃を集中させれば、残る二機がその隙を突いてくる。

 上手い。少なくとも、空港へAPを突入させた連中とは違う。個々の操縦技量だけではなく、部隊としての連携が取れていた。

『少佐、右後方から二機!』

 僚機から警告が飛んだ。

「見えてる!」

 ペダルを踏み込む。カサンドラの二十メートル級の巨体が横方向へ跳び退く。直後、それまで立っていた地面に敵の砲撃が着弾した。

 炸裂弾の爆発とともに土砂が数十メートルの高さまで吹き上がった。

 機体の動きは止めない。着地した脚部が地面を捉え、足首のショックアブソーバーと膝関節が衝撃を吸収する。その動作に合わせて上体を捻り、トレースアームのグリップの向きを変える。追撃してきた敵機へ照準を合わせた。

 間髪を入れずに引き金を引く。

 一発目は盾で防がれた。電磁防御膜を貫き、盾の装甲を焼いたところで荷電粒子は止まった。続く二発目で盾に穴が開き、三発目がついに胸部装甲を砕いた。無骨な機体が火花と煙を上げ崩れ落ちる。

「二機目!」

 しかし、敵の陣形は崩れなかった。

 味方が撃破されたにもかかわらず、残るゼルカスト機は互いの位置を調整しながら、むしろこちらへの包囲を狭めてくる。

『少佐、敵がこちらへ集中しています』

「ああ」

 その意図は分かっていた。

 こいつらは、俺を倒すことだけを考えているわけじゃない。

 こちらが動けば追い、離れようとすれば進路を塞ぐ。無理に撃破を狙うのではなく、戦場の一角へ釘付けにしようとしている。

 離さない。それが目的だ。

「随分と好かれたもんだ」

 軽口を叩きながらも、戦術表示から目を離さなかった。

 敵機の射線と味方の位置関係を確かめ、周囲の地形と残弾を確認する。包囲を突破できる方向はないか。味方を危険にさらさず、敵の連携を断ち切る方法はないか。

 だが、敵もまた、こちらの動きに合わせて位置を変えていた。

 こちらの実力を知らないわけではない。むしろ、それを十分に理解したうえで、戦い方を組み立てているのだ。小癪だった。



◇


 ゼルカスト人民共和国軍の前線指揮所では、各戦域から送られてくる報告が作戦室へ次々と集まっていた。

 大型戦術表示には東西の国境付近で展開する両軍の位置が示され、刻々と変化する戦況に合わせて識別情報が更新されている。

 東部国境では、ユンカリス共和国軍とアウロラネクサス軍の部隊がゼルカスト軍を迎撃し、交戦が続いていた。一方、西部国境でも戦闘は継続しており、投入された部隊は損害を受けながらも、予定された戦域で戦闘を維持している。

 東西の戦況を確認していた士官の一人が、新たに届いた情報に目を留めた。

「青騎士を確認」

 その報告に、作戦室中央に立つ男が顔を上げた。

 大型戦術表示の西部戦域に、一機の識別情報が追加される。

 カサンドラ。

 デイビッド・スミス。

 アウロラネクサスの青騎士。

「間違いないか」

「はい。西部戦線で交戦中です」

「戦況は」

「我が部隊に損害。ただし、青騎士は現在も西部戦域内です」

 男は報告を聞きながら、戦術表示に視線を戻した。

 損害が出ることは、初めから想定されていた。相手はアウロラネクサスの最精鋭である。無傷で戦闘を維持できるなどとは、誰も考えていない。

 重要なのは、青騎士を撃破することではなかった。彼を西部戦域にとどめ、別の戦場へ向かわせないことだった。

 東部では共和国軍と第二十七機動艦隊の一部が迎撃に当たり、西部にはそれ以上の戦力が投入されている。その中には、青騎士のカサンドラも含まれていた。

 ユンカリス側は、ゼルカスト軍の攻勢に対応するため、自らの判断で戦力を東西へ振り分けたのだ。

 国境を守る軍として、それは当然の判断だった。侵入してきた敵を放置するわけにはいかず、各方面からの支援要請にも応じなければならない。

 そして、その当然の判断こそが、ゼルカスト軍の狙いだった。

 男は戦術表示から目を離さず、やがて東西の戦域に挟まれた地図の中央へ視線を移した。

 ハイユン。

「始めろ」

「了解」

 短い命令が下され、作戦は次の段階へ移った。



◇


 ユエラン基地の指揮室では、東西の国境で続く戦闘の状況が、刻々と更新されていた。

 ロベルトはモニターに映し出される戦況の変化に目をやった。

 副官が不安そうにこちらを見ている。

 その最中、北方監視網から新たな反応が報告された。

「ハイユン方面に反応!」

 管制官の声に、指揮室の空気が一変した。反射的に振り返った。

「何だと」

「国境方面から複数の機影を確認!」

 大型戦術表示が切り替わり、ユンカリス共和国第二の都市、ハイユンとその北方地域が拡大表示された。

 画面の北端に赤い光点が現れ、次々と数を増やしていく。

 五機、八機、十機。

「敵ACTと判明!」

 管制官の報告が続く間にも、新たな光点が表示に加わっていた。

「十四機!」

 思わず息を詰めた。

「十八機!」

 敵はまだ増えている。東西の戦線に続いて、これほどの戦力が中央にも投入されているというのか。

「二十機を超えました!」

 管制官の声に緊張がにじむ。

 二十三、二十六、二十八。

 赤い光点は増え続け、ついに三十に達した。

「……三十」

 近くにいた士官が、呆然とした声を漏らした。

「敵ACT、約三十機! ハイユン方面へ南下中!」

 指揮室がざわめいた。周囲から確認を求める声が上がったが、大型戦術表示から目を離せなかった。

 東部に十機。西部に二十機。そして、ハイユンへ向かう三十機。

 三つの戦域に表示された敵の配置を見比べた瞬間、ようやく相手の狙いが見えた。

「……やられた」

 思わず声が漏れた。

 最初に東部国境で攻勢を仕掛け、こちらが迎撃部隊を投入したところで西部にも攻撃を開始する。西部の敵は東部よりも多く、我々はさらに戦力を割かざるを得なかった。アウロラネクサスの青騎士までが、今も西部戦線に拘束されている。

 そして、こちらが東西への対応に追われている間に、敵は中央へ三十機ものACTを送り込んできたのだ。

「東西は陽動ですか」

 近くの士官が尋ねた。

「全部が陽動とは限らん」

 私は戦術表示を見つめたまま答えた。

 東部も西部も、決して形だけの攻撃ではなかった。もし我々の防衛線を突破できていれば、そのまま侵攻を続けるつもりだったのだろう。

 しかし、敵は最大の戦力を最後まで投入せず、こちらの対応を見極めていた。

 こちらがどこへ戦力を割き、どの部隊を動かすのか。その手札を確認してから、最後の一手を打ってきたのだ。

「第二十七艦隊の残存ACTを確認しろ!」

「はい!」

「ユンカリス軍司令部へ、ハイユンへの戦力集中を要請!」

「了解!」

「東部から戻せる部隊は!」

「第二十七艦隊第二ACT隊は現在交戦中です!」

「西部は?」

「第三ACT隊および青騎士、敵主力と交戦継続!」

 指揮室に報告と命令が飛び交う。私は各部隊の配置を確認しながら、ハイユンへ回せる戦力を探した。

 だが、東西の戦線では今も戦闘が続いている。部隊を引き抜けば、その分だけ防衛線に穴が開くことになる。

「ベイカー司令部から回答!」

 リディアの声が響いた。

「ハイユン駐留部隊へ迎撃命令。近隣部隊の増援を開始。ただし、即応可能な予備ACTは不足しています」

 奥歯を噛み締めた。

 戦力がないわけではない。

 東部にも、西部にも、我々の部隊は存在している。だが、そのどちらも敵との交戦に拘束され、今すぐハイユンへ向かわせることはできない。

 必要な戦力が、必要な場所にない。

 敵は初めから、それを狙っていたのだ。

「ハイユン駐留部隊の現在戦力は」

 返ってきた報告を聞き、言葉を失った。

 足りない。

 三十機ものACTを迎え撃つには、あまりにも戦力が不足していた。



◇


 ユエラン基地の全域に、緊急警報が鳴り響いていた。

 ギルフォード・レインは、格納庫へ続く通路を走っていた。

 本来なら、今日は休みだった。

 少し前までノースライトでコーヒーを飲みながら、筋肉痛が残っているだの、休日だからさらに休むだのと、たわいもない話をしていた。それが今では、基地全体に警報が響き渡り、兵士や整備員たちが慌ただしく通路を駆け抜けている。

 壁面表示には、各方面への緊急出撃命令が次々と流れていた。

 東部、西部、そしてハイユン。

 最後の地名が目に入った瞬間、思わず足が止まりかけた。

 ハイユン。

 頭に浮かんだのは、二人の女性だった。

 綺麗な女医と看護師。

 それに、あの幼い少女もいた。みんな、無事だろうか。

 数日前の医療センターの光景が、嫌でも思い出される。血と煙の臭いが充満した建物、床に倒れた人々、響き渡る銃声。そして、武装したAPが迫る中、巨大な盾を抱えて部屋の隅へ下がっていた女性の姿。

 あの医療センターには、今も大勢の患者がいる。

 ようやくあの惨状を乗り越えようとしている人々が、また危険にさらされようとしていた。

 彼女たちが、いったい何をしたというのか。

 腹の底から憤りが湧き上がってきた。

「……くそ」

 再び走り出し、そのまま格納庫へ飛び込んだ。

 普段なら整然と並んでいる整備機材があちこちへ移動され、作業車両が慌ただしく行き交っている。士官と整備兵たちは一団となって稼働可能なACTを探しており、損傷した機体まで確認していた。

 一機でも使えるものはないか。今すぐ動かせる機体はないか。

 誰もが必死だった。

 周囲を見渡したが、出撃可能なACTはすでにほとんど出払っている。残されているのは整備中の機体や損傷機、部品が足りずに作業が止まっているものばかりで、すぐに戦闘へ投入できそうな機体は見当たらなかった。

 自分がタクティカル・プロテクターを着てハイユンへ向かったところで、ACTを相手に何ができるだろう。

 あの装備でできることには限界がある。敵のACTと渡り合うには、やはりこちらにもACTが必要だった。


 ACTがあれば。

 動かせるのか。

 自問した。


 動かせる。


 自分の中から、やけに自信に満ちた声が返ってきた。

「イコマさん!」

 整備班の中に、現在の直接の上司であるイコマの姿を見つけた。

 声をかけると、イコマがこちらを振り返った。

「ACT、貸してください。操縦できます。人手不足なら俺、出ます」

 イコマは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに周囲を見回し、何かを考えるような表情になった。

「……残念だが余剰機ねえなあ」

 それから、ふと思い出したように続けた。

「おまえどんだけ芸達者だよ。一つに絞れ一つに」

 痛いところを突かれ、返答に困ってしまった。

「乗れるだけってやつがどうにかなるほどACT戦は甘くねえぞ」

 全くもって正論だった。

「あぶねえから、ほら」

 イコマが指さしたのは、ハンガーの片隅に駐機している戦闘艇だった。

「どうしても出るってんなら、お前が乗ってきたやつで出ろ」

 この地を訪れた際、自分が搭乗していた機体である。推進器に不調を抱えたまま、あそこに置かれていた。

「遠巻きから飛び道具なら死にゃあしないだろ」

 そう言った後、イコマは何かを思い出したように付け加えた。

「ぶっ壊れてた推進器は直しといた」

 思わず、その機体を見つめた。

 ライトグレーに塗られた戦闘艇が、一瞬、輝いて見えた。


 ユエラン基地のハンガーには、出撃可能なACTがほとんど残されていなかった。

 イコマは端末を使い、司令官のロベルトとリディアに状況を説明していた。通信越しに交わされるやり取りを聞きながら、返答を待つ。

 ハイユンへ向かう敵は約三十機。迎撃戦力は不足しており、一機でも多くの戦力が必要とされていた。

 やがて、出撃の許可が下りた。

「じゃ、行ってきます。メットだけでも借りていいですか?」

「パイロットスーツくらい、一式予備あるわ。着てけ着てけ」

 イコマが周囲の整備兵に目配せすると、数分後にはアウロラネクサス軍のパイロットスーツとヘルメットが届けられた。おそらく、こちらの体格に合うものを選んでくれたのだろう。

「ありがとうございます」

 礼を言って、その場で着替える。

 そして、もう一度イコマに声をかけた。

「あと」

「あとなんだ?」

「ありがとうございます。こいつ直してくれて」

 イコマは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに短く答えた。

「おう」


 タラップを上り、コクピットシートへ身体を滑り込ませる。

「いたたた……」

 腰を下ろした途端、太腿の裏側に痛みが走った。まだ筋肉痛が残っているらしい。

 始動スイッチを入れると、機関と電子機器がすぐに目覚め、計器類に明かりが灯った。

 開いたキャノピーの向こうから、イコマの声が聞こえてきた。

「無茶するなよ」

「はい」

「遠くから援護してろ。こいつはきっと速い。危なくなったら距離を取れ」

 合理的な指示だった。

 こちらにも異論はない。航空機でACTと格闘戦をするつもりなどなかった。

「行ってきます」

「ああ。行ってこい」

 操縦システムを起動し、機体をゆっくりと前進させる。

 開放されたハンガーのシャッターをくぐり、滑走路へ向かう途中、翼に後付けされたミサイルポッドが視界に入った。

 イコマが装備してくれたのだろう。

 その心遣いが、ありがたかった。

 キャノピーを閉じると、外部の喧騒が遮断され、機関の低い振動だけがシートを通して身体へ伝わってきた。

 パネルには、機体の状態を知らせる表示が次々と現れている。

 操縦桿を握り、滑走路の先へ目を向けた。

 ライトグレーの機体に朱色のラインをまとった戦闘艇が、滑走路を駆け抜けた。



◇


 ハイユンの街に、再び警報が鳴り響いていた。

 医療センターの廊下では、看護師たちが患者の避難誘導に追われている。

「歩ける方はこちらへ!」

「慌てないでください!」

「車椅子を!」

「エレベーターは使わないで!」

 医師も看護師も、患者もその家族も、誰もが懸命に動いていた。

 ミレア・アルシオンもまた、避難する人々の間に立っていた。

 数日前にも、同じ場所で警報を聞いた。

 あのときは、その後に銃声が響き、悲鳴が聞こえてきた。武装した兵士たちが医療センターへ押し入り、患者も、同僚も殺された。

 自分も死ぬと思った。

 あの光景を思い出した途端、指先がかすかに震えた。ほんの小さな震えだったが、胸の奥に広がる恐怖までは抑えられなかった。

「先生」

 シンシアに呼ばれ、顔を上げた。

「大丈夫です」

 口にしてから、それがシンシアに向けた言葉だったのか、自分自身に言い聞かせたものだったのか、分からなくなった。

 怖い。

 忘れられるはずがなかった。あの日、目の前で失われた命も、自分自身が死を覚悟した瞬間も、まだ鮮明に残っている。

 それでも、今は医師として動かなければならない。

「移動できない患者さんを優先してください」

 声が震えないように気をつけながら、スタッフへ指示を出した。

「窓際から離して。可能な方は地下へ」

「はい」

 シンシアが頷き、すぐに動き始めた。

 そのとき、遠くから低い爆発音が響いた。

 窓ガラスがかすかに震え、廊下にいた何人かが不安そうに立ち止まった。

「大丈夫です!」

 思わず声を張り上げた。

「まだ離れています。慌てないでください!」

 患者たちに向けた言葉であると同時に、自分自身への言い聞かせでもあった。

 まだ遠い。

 今すぐ、ここが戦場になるわけではない。

 そう考えようとしても、不安は消えなかった。二十メートル級のACT同士が戦えば、どれほど離れていれば安全だと言えるのだろう。

 ふと、窓際にいたシンシアが外を見上げた。

「先生……」

「どうしました?」

「空に」

 その視線を追って、私も窓の外を見た。

 青く晴れた空の向こうに、一つの機影が見えた。

 細身の機体が、驚くほどの速さで飛んでいる。

 ACTではない。航空機のようだった。

 ライトグレーの機体には朱色のラインが走り、陽光を受けた翼が一瞬きらめいた。

 その機体は、遠くで爆発音が響く方角へ、まっすぐに向かっていた。

「味方……でしょうか」

 シンシアが小さく呟いた。

「分かりません」

 私には、答えようがなかった。

 どこの所属なのかも、誰が操縦しているのかも分からない。

 ただ、一つだけ分かることがあった。

 あの機体は、逃げているのではない。

 自ら戦場へ向かっているのだ。


 ライトグレーと朱色の機体が、医療センターの上空を通過していく。

 私たちは窓越しに、その姿を見上げていた。

 やがて機影は次第に小さくなり、戦闘の続く空へと消えていった。





4


 ユエラン基地を飛び立って数分が経過した。ハイユンまでの距離は、音速を超えるまでもなく飛行できる程度だった。

 しかし、戦闘艇の操縦にはどうにも慣れなかった。

 なんとか機体を動かせている。今の自分の操縦を評価するなら、その程度だろう。

 操縦桿をわずかに倒すだけで、機体は敏感に反応する。ACTとはまるで勝手が違った。

 脚で地面を踏みしめる感覚もなければ、機体の重心を身体で捉える感覚も薄い。空という支えのない場所で、推力と揚力を頼りに姿勢を維持し、進路を変えていく。

 航空機なのだから当然なのだが、それがどうにも落ち着かなかった。

 はるか前方には山並みが見え、その手前から何本もの煙が立ち上っていた。晴れ渡った空へ、黒と灰色の煙が幾筋も伸びている。

 戦闘艇のセンサーが、前方の戦闘空域を捉え始めた。

 戦術表示には、ハイユン空港を襲撃しているゼルカスト軍のACTが三十機。

 コンチネンタルアクシス製の名機、ナグルが二十五機。高い汎用性を持つ同国の主力機で、様々な戦場に投入されている機体だ。

 その軽量発展型であるウルヴンが四機。

 そして、主力量産機の中でも最上級に位置するCA-M20ドラウグが一機。機体の格から考えても、この部隊の指揮官が搭乗している可能性は高かった。

 一方、友軍の戦力は心許ない。

 ユンカリス軍がかき集めた機体に、アウロラネクサス軍の予備機まで加えられていた。

 同国製のライオスが九機。上位機であるテューダーが三機。可変ACTのリュカオンが四機。そして、年代物の重装近接機ガイアスが四機。

 リュカオンまで地上戦に投入されているのか。

 可哀想に。あの機体は格闘戦に向いているとは、とても思えなかった。

 ACT好きとしては、実に興味深い顔ぶれだった。アウロラネクサスのかつての主力機と現在の主力機が肩を並べ、同じ戦場で戦っている。

 平時であれば、いつまでも眺めていたくなる光景だろう。

 だが、これは展示会ではない。


 敵は三十機、友軍は二十機。単純な機数だけでも大きく劣っているうえ、個々の性能が互角だったとしても、寄せ集めの部隊では操縦者の練度や連携に差が出るはずだった。

 すでに何機かが戦闘不能に陥っている。

 戦術表示から消失してはいないものの、動かなくなった青い光点が、戦場のあちこちに残されていた。

 その表示を見るたび、胸騒ぎが強くなっていく。

 やがて、ハイユン空港が視界に入った。

 建設からまだ十五年ほどしか経っていない、新しい空港だった。それが今では、施設のあちこちを破壊され、黒煙を上げている。

 垂直離着陸技術が確立された現代でも、滑走路を使用する旅客機は廃れていない。エネルギー効率や離着陸時の制御のしやすさを考えれば、千年以上前から使われてきたこの方式には、今なお十分な合理性があった。

 実際、自分が乗っているこの機体も、ユエラン基地の滑走路から飛び立ってきたばかりだ。

 その滑走路が、目の前では無残に破壊されている。

 舗装の一部は黒く抉れ、誘導灯が吹き飛ばされていた。駐機場の一角からは煙が上がり、周囲には破壊された設備の残骸が散乱している。

 あまりにも晴れ渡った空が、皮肉に思えた。

 その下では、今も激しい戦闘が続いている。


 戦闘空域に入った。

 周囲に友軍の航空戦力は見当たらない。今回、ゼルカスト軍が投入したのはACTのみであり、こちらも迎撃戦力の大半をACTで構成していた。

 もちろん、航空機がACTに対して何もできないわけではない。しかし、通常の戦闘機が搭載する機銃や標準的なミサイルでは、ACTの防御フィールドと装甲を突破して決定的な損害を与えることは難しい。

 それに対し、ACTは機体の姿勢や移動方向を急激に変えながら、航空機へ反撃できる。

 航空機による支援が有効な場面はあっても、ACTを確実に撃破するには、相応の武装と機動性を持つACTを投入する方が合理的だった。

 ACTにはACTをぶつける。

 この世界では、それが戦場の常識になっている。

 そんな戦場へ、慣れない戦闘艇を操縦して飛び込もうとしている。

 自分が無茶をしていることは、十分に理解していた。

 それでも、親友の友人たちを見殺しにすることなど、どうしてもできなかった。

 司令部から与えられた任務は単純だった。友軍ACT部隊の邪魔にならないよう、戦闘空域の外縁から援護射撃を行うこと。牽制に徹し、決してACT同士の戦闘へ接近しないこと。

 頭数を補うために出撃した整備兵に対する指示としては、極めて妥当だった。

『友軍の戦闘艇が一機、戦闘空域外縁から援護に入る。援護射撃があるはずだ。各自意識しておくように。また、該当機を撃墜しないことを厳命する』

 司令部から、友軍部隊への通達が聞こえてきた。

 どうやら、まともな戦力としては数えられていないらしい。

 それでも構わなかった。

 ハイユンには、ミレアさんや、確かシンシアさんという女性がいる。あの医療センターには、まだ大勢の患者たちも残っているはずだ。

 彼女たちが再び蹂躙されるのを、何もせずに眺めているなど御免だった。

 せめて飛び回って敵の注意を逸らすことくらいは、できるだろう。

 視界を確保しようと、左手をジェットヘルメットの側面へ持っていった。

 しかし、いつもの位置にスイッチがない。

「そうだった。こっちは右か」

 右手でバイザーのスイッチを押すと、自前のテクターに近い紺色のバイザーが降りてきた。

 視界の色がわずかに変わり、敵味方の識別情報や距離、高度、速度などが表示される。

 深呼吸を一つ。

 視界に必要な情報が揃うと、意識が少しずつ研ぎ澄まされていくように感じた。


「あたれ!」

 なんともありきたりな掛け声だと思いながら、正面パネル右側の操縦桿に設けられたトリガーを引いた。

 機体右脇に装着されたパルスバルカンランチャーが作動し、薄緑色の光弾を連続して放つ。電子音を思わせる発射音とともに、細かな振動が機体へ伝わってきた。

 はるか前方を移動していた黄土色のナグルに、光弾が命中する。

 オレンジ色の火花が散った。

 ディフェンサーと通称される電磁防御フィールドが、こちらの光弾を弾いたのだ。

 多少の打撃は与えたようだが、敵機は落ちない。

 その直後、地上から徹甲弾の雨が浴びせられた。

 慌てて操縦桿を傾け、旋回しながら加速する。透明金属のキャノピーの向こうを無数の曳光が流れ、機体のすぐ近くを弾丸が通過していった。

 反応が一瞬でも遅れていれば、その弾幕の中にいたはずだった。

 スラスターを吹かし、敵機との距離を取る。

 やはり、簡単にはいかない。

 翼には、イコマ整備士長が取り付けてくれたミサイルポッドがある。

 左右に十発ずつ、合計二十発。

 この機体には戦術AIも搭載されていた。これまでほとんど喋らなかったが、パネルに表示された機能を見る限り、戦闘艇としてはかなり上位のシステムを備えているようだった。

「COM、手前のナグル五機に、ミサイルをありったけ。照準と弾数は任せる」

「了解」

 口頭で出した指示に、短い返答が返ってきた。

 綺麗な声だった。

 次の瞬間、キャノピーの左右から白い火花が前方へ飛んでいくのが見えた。

 翼下から次々と離れた誘導弾が、白煙を曳きながら散開していく。

 狙ったのは、友軍の防衛線が手薄になっている一角に集まった五機のナグルだった。

 黄土色の無骨な機体が、接近するミサイルへ迎撃を開始する。

 何発かが撃ち落とされ、空中に火球が連続して咲いた。しかし、迎撃を逃れた残りのミサイルは、そのまま敵機へ突き刺さった。

 爆発が重なり、ナグルの装甲から火花が散る。

 打撃は与えた。

 だが、重装甲のナグルに対して、決定的な損害には至っていない。

 二機が火花と煙を上げていたものの、どちらも動きを止める気配はなかった。

 そして、再び反撃の徹甲弾が飛んできた。

 回避しようとした瞬間、右側のミサイルポッドに敵弾が命中した。

 すでに空になっていたポッドが破損し、金属が引き千切られるような振動が翼を通して伝わってくる。

 固定部を失ったポッドが、機体から離れて落下していった。

「左もパージ! もったいないけど」

 片側だけに装備を残した状態では、機体のバランスが悪くなる。慣れない機体で、そんな状態の空戦を続けたくはなかった。

 指示に応じて固定部が解除され、左翼から細長い直方体状のポッドが離れていく。

 その間にも、ナグルの徹甲弾がこちらの防御フィールドへ干渉していた。

 コクピットに振動が伝わり、被弾を知らせる表示が点滅する。

 落下していくポッドにも敵弾が命中した。

 次の瞬間、機体のすぐ下で爆発が起こり、翼の下面が一瞬、橙色の光に染まった。

 思わず身体を強張らせたが、機体は飛行を続けている。

 視線を戦場へ戻したとき、視界の端に信じたくない光景が飛び込んできた。

 一機のナグルが振るった実体剣が、友軍のACTを貫いていた。

 ライオスのチタンセラミック複合装甲を突き破った刃が背中へ抜け、機体の各部から激しく火花が散る。剣を引き抜かれた友軍機は、そのまま力を失ったように崩れ落ちた。

 ユンカリス・アウロラネクサス合同軍は、敵を押し返せていなかった。

 上空から見下ろす戦場では、数で勝るゼルカスト軍が各所で友軍を圧迫している。

 その一角で、ライトグリーンのテューダーが二機のウルヴンに接近を許していた。

 徹甲弾と炸裂弾が次々と撃ち込まれ、テューダーはシールドを構えて必死に防いでいる。

 そこへ、もう一機のウルヴンが実体剣を抜いた。

 刃が高熱のプラズマに包まれる。

「まずい」

 考えるより先に、操縦桿を倒していた。

 二機のウルヴンへ機首を向け、パルスバルカンランチャーのトリガーを引く。

 薄緑色の光弾を連続して浴びせながら、敵機の頭上へ突っ込んだ。

 盾を構えた二機の鋼鉄の巨人が、眼前に迫る。

 二十メートル級の人型兵器が、航空機の視点から一気に下方へ流れていった。

 ACTとその足元の地面へ光弾をばらまきながら、機首を引き起こして急上昇する。

 敵を撃破することはできなかったが、少なくとも攻撃の手を緩めさせることはできたらしい。

 視界の端で、テューダーが体勢を立て直すのが見えた。

 その直後、背後から銃弾が飛んできた。

 何発かをまともに受け、機体が激しく叩かれる。

 コクピットに衝撃が走り、防御フィールドが敵弾を弾いたことを知らせる表示が現れた。

「くそっ!」

 敵に対する怒りなのか、決め手を持たない自分への苛立ちなのか。

 あるいは、その両方なのか。

 空港への被害は広がっていた。

 そして、ここからそう遠くない場所には、ハイユン医療センターがある。

 避難は進んでいるだろうか。

 もし、間に合っていなかったら。

 考えたくもなかった。

 友軍は必死に戦っている。自分も可能な限り援護しているつもりだったが、敵機を撃破できない以上、戦況を変えることはできない。

 戦闘艇とACTの間には、これほどの差があるのだろうか。

 それとも、自分がこの機体を使いこなせていないだけなのか。

「どうすればいい」

 思わず、独り言が漏れた。


「では、戦闘空域からの離脱を推奨します」


 それまで必要最低限の応答しかしてこなかった戦術AIが、唐突に答えた。

 思わず腹が立った。

「なぜ! みんな必死に戦っている! それに、病院も危ない」

「だからです。この状態では変形できません」

「……変、形?」

 思いもよらない言葉に、耳を疑った。

「はい」

 COMは、こちらの戸惑いなど気にした様子もなく平然と応答する。

「当初の任務は、戦闘空域外縁からの遠距離支援と認識していました。しかし、ロードの戦闘行動と発言から、敵ACTの撃破が必要であると判断を更新しました」

 何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

「当機の戦闘能力を十全に発揮するには、アクティブフォーム・アーマロイド形態に移行する必要があります」

「え?」

 今、何と言った?

 アーマロイド?

 ACTの戦闘形態のことか?

「当機はカミシロ・インダストリアル・コーポレーション製、可変攻撃型ACT・SV-HMS-05、機体名称『ファランドール』です。現在の高速移動形態での戦闘は推奨しません」

 頭の中で、何かが一瞬止まったような気がした。

 ACT。

 この機体が?

 ずっと戦闘艇だと思っていた、ライトグレーの機体が?

 そして、それは今、自分が何よりも欲していたものだった。

「変形、できるのか!」

「肯定です」

 その返答を聞いた瞬間、何かが身体の中を駆け抜けた。


「早く言ってよ!」

 思わず叫んでいた。

「聞かれませんでしたので」

 あまりにもあっさりした返答に、少しだけ可笑しくなった。

 なるほど。こちらが遠距離支援を続けている間は、その必要がないと判断していたらしい。

 なんとも融通が利くような、利かないような。

「格闘戦、できるんだな」

「肯定です」

 胸の奥に、抑えきれない期待が湧き上がってくる。

 自分の声が弾んでいるのが分かった。

「なら、頼む!」

「了解です。ロード」



*


『ははは、逃げやがった。腰抜けが』

「うるさい羽虫がいなくなったか」

 ゼルカスト軍空港方面部隊。その一角で戦闘を続ける上級機ウルヴンのコクピットには、曲線を基調とした計器類が並んでいた。

 ウルヴンの赤いカメラアイは、ライトグレーの航空機が飛び去った方角を向いていた。

 パイロットは口元に嘲笑を浮かべていた。

 先ほどから戦場を飛び回り、何度も攻撃を仕掛けてきた航空機。こちらの装甲を多少削った程度で、結局は何もできずに逃げ帰っていった。

 全く、煩わしい羽虫だった。

 さて、残りのユンカリス軍ACTは何機だったか。

 パネルに表示された友軍と敵軍の光点を確認した。


*


 ファランドールは一瞬だけ音速を超え、戦闘空域から離脱した。

 敵との距離は十数キロ。もはや敵弾が届くことはなく、遠くに戦闘の閃光だけが見えている。

 先ほどまでの激しい戦闘が嘘のように、周囲の空は静まり返っていた。

 その静寂の中で、「戦闘艇」は役目を終えようとしていた。


 ファランドールのコクピット直下。頑丈なフレームによって連結された腰部で、機体内部のロック機構が次々と解除されていく。

 股関節の保持機構が外れ、そこから伸びる二本の脚部が下方へ展開した。これまで真横を向いていた膝の部分は、大腿部を軸に九十度回転し、機体の前方へ向きを変える。

 巨大な構造物が動いているにもかかわらず、一連の動作には少しの迷いもなかった。

 展開した脚部が、人体のそれを思わせる形を整えていく。

 小型の尾翼が回転し、足首の外側へ移動した。くるぶし付近のアクセントとなる位置で固定される。

 後方へまっすぐ突き出していたつま先も九十度向きを変え、足裏が展開することで、ようやく人型の足が完成した。


 続いて、胸部ユニットに密着していた両肩アーマーのロックが解除された。

 肩部装甲に半ば覆われるように収納されていた腕部が、左右へ展開していく。

 飛行形態では前方へ九十度向きを変え、胸部ユニットと端部を揃えて収まっていた肩部装甲。それが左右へ開き、本来の位置へ戻った。

 肩の輪郭が大きく張り出し、凜々しい怒り肩のシルエットが形作られる。

 前腕部では手甲の装甲が肘の方向へスライドし、その内側からマニピュレーターが姿を現した。

 一本、また一本。

 巨大な指がゆっくりと開いていく。

 指は決して太くない。繊細な印象を与えながらも、どこか力強さを感じさせる造形だった。

 掌の内側、武器や人に直接触れる部分には、高耐久の樹脂が用いられている。適度な弾力を持たせることで、対象を傷つけずに保持できる構造となっていた。


 コクピットの左右では、機首に向かって張り出していた大型の装甲板が動き始めた。

 防御フィールド発生器を兼ねるその装甲板は、腰部ユニットに連結されている。

 連結部を軸にほぼ九十度下方へ回転し、大腿部に沿う位置まで移動すると、今度は脚部を守る装甲として固定された。


 背部では、主推進ユニットのロックが解除されていた。

 ユニット全体がわずかに後方へスライドした後、中央から左右に分割される。

 分かれた二基の推進ユニットは、胸部ユニットから伸びる可動式フレームに支持され、それぞれ独立して姿勢を変えられるフレキシブル推進ユニットとなった。


 左右に分割された背部推進ユニットが、さらに大きく開いていく。

 その間で、背部フレームに沿うように後方へ反らせて収納されていた頭部ユニットが動き始めた。

 頭部は前方へ起き上がり、まるで頷くような動きで、本来、人の顔があるべき位置へ収まった。

 紺色のバイザーアイと、コンパクトなとさか状のサブカメラが、頼もしい光を放つ。

 頭部の移動に必要な空間を確保するため、一時的に位置を変えていた垂直尾翼も、再び背部へ密着した。


 頭部の移動後、機体の中心を貫く背骨フレームが動き始めた。

 首の付け根から腰部まで、飛行形態では水平に近い緩やかな曲線を描いていた強固なフレーム。胸部、腹部、腰部の各ユニットを連結し、機体全体を支える中核構造である。

 そのフレームが、各ユニットの位置関係を変えながら垂直方向へ展開していく。

 

 胴体の変形に合わせ、腹部ユニットに収められたコクピットも後ろに移動を開始した。

 透明金属製のキャノピー越しに、周囲の構造物が動いていくのが見える。

 コクピットが後方へスライドし、腹部ユニットの内部へ収まっていくと、それまで収納されていた装甲板がせり出し、キャノピーの前面を覆った。

 ライトグレーの装甲が視界を塞ぎ、コクピットは闇に包まれた。

 ほんのわずかな時間。

 計器とパネルに設けられた小型モニターだけが、室内を照らしている。

 周囲では機械の作動音が響き、装甲を通して微かな振動が伝わってきた。


*


 束の間の暗がりの中。ふと、ある言葉を思い出した。

「可変機というものを、変形できるだけで偉いと思ってはいけません。でも、利点があるなら価値はあります」


 ずいぶん前に聞いた言葉だ。

 利点か。この機体がACTだった。俺にとってそれは最大の利点だ。

 それも、慣れ親しんだKIC製の可変ACTだという。

 もう一度、戦える。

 そう思うだけで、胸の奥が熱くなった。


*


 最後に、機体の重心が移動し、胴体が起き上がった。

 長く水平に伸びていた機体は、ほぼ人間を思わせるシルエットへと変貌していた。

 「戦闘艇」ファランドール。

 その姿は今、優美な騎士へと変貌していた。


 三つの羽を持つ騎士。


 従来の可変ACTは、高速飛行形態を成立させるために機体各部へ数多くの可動部分を設け、その代償として機体強度や格闘戦能力を犠牲にする傾向があった。

 だが、ファランドールは違っていた。

 その人型形態には、変形機構を備えた機体特有の華奢さが感じられない。

 細身でありながら、力強い。

 高速飛行のために人型を妥協したのではなく、まるで騎士として戦うことを前提に設計されたかのような姿だった。


*


 腹部の装甲に覆われたコクピットでは、透明金属のキャノピーだった部分に外部映像が投影され始めた。

 頭部のカメラが捉えた映像である。

 束の間の暗闇が終わり、コクピットに明るさが戻った。

 ハイユン近郊の青空が広がり、その向こうには今も戦闘の続く空域が見えている。

 視界の左右には、透過処理された肩部装甲の輪郭。正面モニターの下部には、鋭角な胸部装甲の先端が映っていた。

 ライトグレーの装甲には、細い朱色のラインが走っている。

 先ほどまで航空機のキャノピー越しに眺めていた空とは、まるで違って見えた。

 今、自分が見ているのは、ファランドールの「眼」が捉えた景色だった。

 そして、自分はこの二十一メートルの巨人を、自らの身体のように動かすことができる。


 コクピット内部でも、変化が始まっていた。

 アラート表示に従い、握っていた操縦桿から手を離す。

 シートが動き始め、リクライニングに近かった姿勢から、腰を起点に上半身がやや前傾するポジションへと移行した。

 乗用車のように前方へ投げ出す位置にあった操作ペダルが、腰の真下へ移動する。

 シートの回転に合わせて、両足の間からニーグリップ用のパネルがせり上がってきた。

 人型の機体を俊敏に操作し、同時に機体の状態を操縦者へ伝えるための構造。

 膨大な情報を扱いながら、直感的な操作を可能にする。現在のACT操縦システムにおける、一つの最適解だった。


 知らない操縦席から、知っている場所へ戻ってきた。

 こんな状況だというのに、胸が高鳴っていた。


 続いて、シート後部からACT乗りには馴染み深いブレストプレートが現れた。

 支持部を軸に回転し、前方から被さるように胸部を覆う。

 パイロットの身体を支え、保護するための装備であると同時に、上半身の微妙な動きを読み取るトレースセンサーの役割も担っていた。

 さらに、シート背部の接触面が約三分の一に分割され、その部分が可動状態へ移行する。

 背中を押さえつけられている感覚が薄れ、上半身をある程度自由に動かせるようになった。

 この可動部分そのものも、機体を操作するための重要なコントローラーとなる。

 パイロットの身体を半ば浮かせるように支えるシート。その肩下部分に連結されていたトレースアームが、左右からせり上がってきた。

 まるで「私を握れ」とでも言いたげだった。

 ACTの両腕を微細に制御するための操作端末。

 末端の操縦桿へ、そっと手を添える。

 滑り止め樹脂の柔らかな感触が、掌に伝わってきた。

 よく知っている感覚だった。


 左グリップに設けられたクラッチレバーを握り込む。

 このレバーを握っている間は、身体の動きを機体へ伝えるトレース系統が遮断される。同様の機能を持つペダルスイッチも左右の足元に備わっていたが、自分は使いやすい左グリップのクラッチを常用していた。

 モニター中央下部に、クラッチ使用中を示すアラートが表示される。

 これで、身体の動きは機体に伝わらない。トレース系統を遮断した状態なら、操作を確認するために身体を動かしても、機体が反応することはなかった。

 プログラム変更用のファンクションスイッチ。

 各種モーション実行ボタン。

 ウエポントリガー。

 一つずつ、指先で感触を確かめていく。

 扱い慣れたKIC製の機体だった。

 ボタンやスイッチの遊び、押し込む際の硬さ、指を離したときの戻り具合。その一つ一つを確かめ、操作感覚を身体へ刻み直していく。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 呼吸が落ち着いた。


「これで。戦える」


 改めて、機体の武装を確認した。

 決して豊富とはいえない。

 携行武器は、標準的な威力を持つ電磁光弾発射装置、パルスバルカンランチャーが一門。そして、小型のシールドが一つ。

 どちらも腰部から伸びるウエポンマウントに懸架されている。

 シールドを左腕へ移した。

 内蔵兵装としては、頭部パルスレーザーが二門。

 重装甲と強力な防御フィールドを備えるACTを相手にするには、いささか心許ない装備だった。

 だが、不思議と不安はなかった。

 腰部の防御装甲、その内側に一対の剣が収納されていたからだ。

 モニターに武装のグラフィックが表示される。


 剣は。使える。


 しかも、セレスティアヴェール騎士団で使用されている高出力の騎士剣だった。

 機体と同じ白に近いライトグレー。標準的なACT携行光剣よりも大きく、長い。フィールドを発生させる柄部分も立派だ。細部には凝った意匠が施されている。

 本来、可変機には似つかわしくない過剰な装備だろう。

 なぜ、そんなものが搭載されているのか。

 きっと、これから分かるはずだった。


 コクピット左上方には、機体の状態を映し出すホログラムが浮かんでいる。

 そこには、変形を終えたファランドールの全身が表示されていた。

 白に近いライトグレーの装甲。

 細身でありながら、肩や胸部、脚部には力強い意匠が見られる。全身の随所を、細い朱色のラインが彩っていた。

 そして、紺色のカメラアイ。

 端正な姿だった。

 その機体を見つめながら、自分がすっかり昂揚していることに気づいた。

 先ほどまでの、思うように戦えないもどかしさが嘘のようだった。

 機体をどう動かせばいいのか、今なら分かる。

 何ができるのかも、手に取るように感じられる。

 思わず、口元が緩んだ。

「ここからは、俺の領域だ」


 口にしてから、少し気恥ずかしくなった。

 自分には似つかわしくない台詞だ。

 そう思った。



◇


 また一機。

 アウロラネクサスのライオスとかいう機体を、鉄屑に変えた。

 名機と聞いているが、残念なことだ。

 乗り手の技量が、あまりにも稚拙すぎる。

 もっとも、そんな連中まで戦場に出さなければならない状況を作り出したのは、こちらなのだが。

 当初は、もっと穏便な手段で空港を手に入れるつもりだった。

 だが、抗ったのは貴様らだ。

 ならば、今回は容赦しない。


 コンチネンタルアクシス製、主力量産機の最上位に位置するACT。

 ドラウグ。

 重装甲に包まれた暗灰色の機体。その左肩には、弧を描く二本の牙を象ったマーキングが施されている。

 コンチネンタルアクシスの有力傘下国、ゼルカスト人民共和国。その最精鋭である鋼牙部隊の所属を示すものだった。


 戦術モニターに、新たな反応が現れた。

 戦闘空域へ向かって、高速で接近してくる機影がある。

「速いな。さっきのやつが戻ってきたか」

 だが、戻ってきたところで何ができる。

 こちらの残存戦力は二十六機。対する敵は十六機。

 あの航空機を加えても、十七機にしかならない。

 戦力差は依然として大きい。

 さて、お手並み拝見といこうか。

 手にした大口径レールガンを、間近の敵機へ向けた。



◇


『データなしの機体、高速接近!』

『識別信号はアウロラネクサス!』

『迎撃しろ! 墜とせ!』

 地面すれすれを、ライトグレーのACTが高速で接近してくる。

 どこかで見たような機体だった。

 いや、違う。見たことがあるのは、この機体の色だ。

 そうだ。

 先ほどまで上空を飛び回っていた航空機。小賢しく豆鉄砲を撃ち込んできた、あの煩わしい機体だ。

 まさか、可変ACTだったとは。

 だが、可変機の格闘戦能力など、たかが知れている。

 変形機構に機体内部の容積や構造を割かなければならず、人型本来の自由な動きが犠牲になる。

 それは当然の理だった。

「可変機ごときで! 死にに来たか!」

 ガトリングガンの引き金を引いた。

 銃身が回転し、無数の弾丸がライトグレーの機体へ殺到する。

 弾幕が進路を塞いだ。

 ところが、敵機は速度を緩めない。

 左腕に構えた小型のシールド。その表面に白い光が広がり、盾の輪郭を越えて迫る弾丸を次々と弾き返している。

 防御フィールドか。

 それも、かなり強力な。

 高級機なのか?

 こんな場所に?

 敵機からの反撃はなかった。

 砲撃してこないなら、こちらが撃ち続ければいい。

 周囲の味方と包囲し、蜂の巣にしてやる。


 そう考えた瞬間だった。

 ライトグレーの機体が、右足を地面へついた。

 二十メートルを超える巨体が、わずかに沈み込む。

 その右脚を支点に、機体が一気に踏み込んできた。


 白い光剣が抜き放たれる。

 速い。


 コクピットモニターいっぱいに、敵機の姿が広がった。

 ライトグレーの装甲。

 そこを走る、細い朱色のマーキング。

 その一本一本まで、はっきりと見えた。

 次の瞬間。

 視界が、真っ白な光に包まれた。


*


『ナグル五番機、撃破!』

「なんだと?」

 友軍からの通信に、耳を疑った。

 あいつは、そこそこ腕の立つパイロットだった。

 先ほども敵機を一機、仕留めたばかりだ。

 それが、撃破されたというのか。


 ライトグレーのACTが迫ってくる。

 その手には、長大な白い光剣が握られていた。

 剣ならば負けない。

 こちらも、それなりのものを持っている。

 刃にプラズマエネルギーを纏わせ、斬撃の威力を高めるプラズマ・エッジ・アシスト。

 これまで、この剣で何機もの敵を斬り伏せてきた。

 貴様も、その仲間入りだ。

 踏み込んだ。

 赤い剣を振り下ろす。

 白い光刃が動いた。

 弾かれた。

 なんだ、この切り返しの速さは。

 敵機の剣が、すでに次の軌道を描いていた。

 逆袈裟。

 白い光刃が、斜め下から跳ね上がってくる。

 残像にはわずかな水色の光が見えた。


 認識できたのは、そこまでだった。



*


「つ、強え……」

 一度光刃を消した。右腕のグリップと、モニターに映る機体の右腕を交互に見た。

「すごいな。こいつは」

 殺し合いの真っ只中だというのに、ギルフォード・レインは高揚していた。

 思いどおりに動く。

 操縦に対する機体の反応が驚くほど素直だった。ほとんどタイムラグを感じることなく、思い描いた軌道で剣撃を繰り出すことができる。

「まるでセインヴェールを着ているようだ」

 そして、収束率の極めて高いレーザーソード。セレスティアヴェールの上位機種で使用される騎士剣。尋常じゃない切れ味はいま確認したばかりだ。


 先日の戦いを思い出した。

 あのときも、久しぶりの実戦だったというのに、身体は思いのほかよく動いた。

 そして、今も。

「軽い。とにかく軽い。いい機体だ。嬉しい」

 思わず本音が漏れた。

 こんなときに、何を喜んでいるのだろう。

 そう思いながらも、機体を動かす楽しさを抑えられなかった。


 モニターに、友軍機が映った。

 細身の人型。明るいブルーの装甲。

「おお、人型形態のリュカオンだ」

 珍しい。

 可変ACTであるリュカオンの人型形態を、実戦で目にする機会などそうそうない。

 直線基調の細身の機体。戦闘機というか、戦闘ヘリの胴体を縦にしてACTの手足と頭をつけました、といった機体。

 戦場への早期展開では非常に役に立つ機体だ。

 良いものを見せてもらった。

 だが、様子がおかしい。

 敵に押されている。

 格闘戦に出しちゃ駄目だろ。

 危険だ。


 左足のコントロールペダルを左へ捻り、そのまま踏み込んだ。

 機体の重心が移動する。

 背部のフレキシブル推進ユニットが短く噴射し、ファランドールの巨体が滑るように加速した。

 身体の動きに、機体が遅れずについてくる。

 心地よいダッシュだった。


*


「やめろ! 来るな! 来るな!」

 ユンカリス軍の可変ACT、リュカオン。

 そのコクピットで、パイロットは絶望していた。

 手にしていた荷電粒子バルカンのエネルギーは尽き、ミサイルもすべて撃ち果たしている。

 残された武器は、右手に握った荷電粒子ビーム剣だけだった。

 眼前では、ゼルカスト軍のドラウグがゆっくりと距離を詰めてくる。

 暗灰色の重装甲。

 その手には、プラズマを纏った剣。

 こちらより一回りも横幅の大きい機体が、圧倒的な威圧感を放っていた。

 格闘戦を行うため、やむなく人型形態へ変形した。

 だが、実際に剣を交えてみて、その戦闘能力の差に愕然としていた。


 士官学校時代、教官から言われた言葉が蘇る。

「可変機の光剣は気休めだ。使用することのないように。お守りだと思え」

 その言葉の意味を、今になって痛感していた。

 右手のビーム剣が、緑色の光を放っている。

 だが、こちらの斬撃はすべて避けられた。

 機体の動きが、あまりにもぎこちない。

 それは、自分の操縦技量だけが原因ではなかった。

 可変機は変形機構に多くの構造的な制約を抱えている。そのしわ寄せは、人型形態での関節可動域や運動性能に現れる。

 仕方のないことだった。

 そのため、敵の斬撃を受け流すだけで、集中力のすべてを使い果たしてしまう。

 嬲られている。

 その事実が、痛いほど理解できた。

 相手には、こちらをすぐに仕留められるだけの力量がある。

 それなのに、あえて間合いを詰め、こちらの反応を見ているようだった。


 ほんの一瞬、集中が途切れた。

 ドラウグの剣が動く。

 赤熱した刃が、眼前に迫った。

 終わった。

 そう思った。


 その瞬間、白っぽい何かがモニターへ飛び込んできた。

 ACTの背中だった。

 大きく張り出した推進ユニットと、三つの羽。

 細身でありながら力強い、スタイリッシュな機体。

 ライトグレーの装甲には、鮮やかな朱色のラインが走っている。

 その機体が、ドラウグのプラズマ光刃を押し返していた。

 火花が散る。

 白と赤。

 二本の光が、目の前で激しく噛み合っている。


 紺色のカメラアイを収めた流麗な頭部が、わずかにこちらを向いた。

『その機体では不利です。離脱してください』

 通信から聞こえてきた声。

 どこかで聞いたことがあるような気がした。

『無駄死には、誰も喜びません』

「……すまん」

 そう答えるのが精いっぱいだった。

 武装を使い果たしたのは事実だ。

 敵の指揮官機を相手にできるだけの力量が、自分にないことも分かっている。

 今は、命を繋ごう。

 そう思った。



*


 ギルフォード・レインは、モニターいっぱいに映し出された暗灰色の機体へ目を向けた。

 曲線基調だが所々ごつごつした突起がある。アンテナが兜の装飾のようだ。

 ぬるりとした形状の真っ赤なカメラアイと、視線が合う。

「確か、コンチネンタルアクシスのドラウグ。けっこうな機体だ」

 COMのデータベースにアクセスするまでもなかった。機体の特徴は、よく知っている。

 この戦域に一機だけ配備された上位機種。

 おそらく、この戦場の指揮官機だ。


 眼の高さまで持ち上げたトレースアームのグリップ。チャコールグレーの滑り止め樹脂。そこには、レバーと、彩度の抑えられた色とりどりのボタンが並んでいる。

 視線の先のモニターには、トレースアームと連動して動くファランドールの右腕が映し出されている。

 握られているのは、白く輝く騎士剣。立派な柄。作り込まれた発光部。よく見ればセレスティアヴェールの刻印があった。

 機体の眼の高さで、その光刃がドラウグの実体剣を受け止めている。

 見た目の強靱さでは敵機には到底及ばない。だがこの機体は、易々と受けとめている。そしてまだまだ余力があった。

 レーザー刃とプラズマ刃の接触部から、激しい火花が散っていた。


 剣同士の防御フィールドが干渉し、刃を交えたまま押し合うことを可能にしている。

 剣を使う者にとって、ありがたい機能だった。

 二十メートル級の巨体が互いに力を加えるたび、足元の地面が沈み込む。

 エンジンからアクチュエーターへ莫大な電力が供給され、両機は姿勢を崩すことなく、力を掛け合っていた。


 モニターの端で、リュカオンが離脱するのを確認した。

 もう、守る必要はない。

 ファランドールの剣を押し出す。

 火花が増しドラウグの重装甲に包まれた巨体が、数歩後退した。

 直後、暗灰色の胸部からガトリング砲が火を噴いた。

 予測していた。

 上半身を左へ反らす。

 その動きを、可変機とは思えない柔軟性でファランドールが正確になぞった。

 二十一メートルの巨体が、まるで人間のように上体を傾ける。

 砲弾が右肩すれすれを通り過ぎ、虚空へ消えた。

「やる!」

 間合いを取り、互いに向き合った。

 相手は相当な手練れだ。

 機体の性能も高い。

 だが、こちらも負けるつもりはなかった。


 自分がこいつを引きつけていれば、ほかの味方は多少なりとも楽になるだろうか。

 そう考えたときだった。

 ハイユン医療センターの近くで、爆発が起こった。


*


 ライトグレーの未確認ACT。

 あっという間に友軍二機を仕留め、今度は目の前に割り込んできた。

 せっかく追い詰めていた獲物まで逃がされた。忌々しい。

 不意を突いたつもりの胸部ガトリング砲も、あっさり躱された。

 手慣れている。そう感じた。

 戦闘範囲は、徐々に広がっていた。

 味方の一部は、とうとうハイユン医療センターの近辺まで進撃したらしい。

 空港と病院。

 この二拠点を押さえれば、我が軍の勝利はより確かなものになる。


 そのとき、目の前の機体に妙な動きがあった。

「……今、何を見た?」

 こちらと睨み合っていたライトグレーのACTが、頭部を医療センターの方向へ向けたのだ。

 そして、ほんのわずかな時間、動きを止めた。


 認めたくはないが、この機体は強い。

 パイロットの技量か。

 それとも、機体そのものの性能か。

 おそらく、どちらも相当なものだろう。

 このまま正面からやり合うのは、得策ではない。

 ならば、使えるものは使わせてもらう。

 あの病院に、何かあるのか。

 関係者でもいるのだろうか。

 先ほどの反応は、明らかな動揺だった。

 利用させてもらう。


 胸部ガトリング砲を再び斉射した。

 炸裂弾が地面に着弾し、次々と爆発を引き起こす。

 土砂が巻き上がり、濃い煙が両機の間に広がった。

 視界が遮られる。

 その向こうへ。

 医療センターを目指し、ドラウグを跳躍させた。


*


 ギルフォード・レインは、自分の迂闊さを呪った。

 一瞬だった。

 ほんの一瞬、気を取られた。

 ミレアとシンシアの顔が、脳裏に浮かぶ。

 敵は手練れだ。

 こちらの動揺を読まれたことは、疑いようがなかった。

「くそっ!」

 病院の避難は、もう完了しているだろうか。

 いや、期待はできない。

 あの人たちが、入院患者を見捨てて逃げるはずがなかった。


 暗灰色の巨体が、遠ざかっていく。

 病院へ。

 間に合わない。

 また、間に合わない。

 背筋を、冷たいものが走った。



◇


「先生、敵がそこまで……!」

 明るい金髪のおかっぱを揺らし、シンシアは敬愛する女医へ声を上げた。

「分かっています。でも、患者さんを置いていくことはできません」

 そういう人だ。

 分かってはいた。

 先生なら、きっとそう答えるだろうと思っていた。

 病院がACTに攻撃される。

 そんなこと、あり得ないと思いたかった。

 だが、ゼルカスト軍は、そのあり得ないことを実際に行っている。

 つい先日、自分たちはそれを身をもって思い知らされたばかりだった。

 ならば、どうすればいいのだろう。

 助けを呼ぶ?

 誰に?

 ユンカリス軍もアウロラネクサス軍も、今は必死に戦っている。

 こちらを守るために駆けつけてくれる余力が、どれほど残っているというのか。

 それでも、信じるしかなかった。

 あのときのように、彼らがここを守ってくれることを。

 テレビには、空港周辺の戦闘が映し出されていた。

 超望遠カメラが捉えた映像だ。

 戦闘は今も続いている。

 そして、こちらへ迫ってくる敵機の姿も、はっきりと映っていた。

「……人の気も知らないで」

 思わず、吐き捨てた。


 そのとき、窓の向こうに何かが見えた。

 暗灰色の巨人。

 距離があるはずなのに、その巨大さに遠近感が狂いそうになる。

 それがこちらへ向かってくる。



◇


 地を蹴るファランドールの足は、決して遅くなかった。

 だが、先行するドラウグとの距離が縮まらない。

 また、病院が襲われる。

 悪寒が、身体を支配していた。

『ロード。提案。高速推進が可能です』

 ファランドールの戦術AIが、何かを告げている。

 機体移動用のペダルは、すでに限界まで踏み込んでいた。

 焦っている。

 それは、自分でもよく分かっていた。

「追いつけるなら何でもいい! 任せる!」

「了解」

 正面のパネルに表示された機体状況図。

 背部と脹脛に配置されたスラスターが、赤く点灯した。

 飛行時と同等の推力が解放される。

 次の瞬間。

 背中を蹴り飛ばされたような加速が、身体をシートへ押しつけた。

 視界の景色が、凄まじい勢いで後方へ流れていく。

 一般家屋を破壊しない高度まで浮き上がったファランドールは、圧倒的な速度でドラウグを追い抜いた。


 そして、暗灰色の巨体と医療センターの建物との間へ、飛び込んだ。


*


 朱色のライン。

 白っぽい、しなやかな肢体。

 そんな巨人が、突然、視界に飛び込んできた。

 駐車場の車が、何台か犠牲になった。

 猛烈な風圧に煽られ、何台もの車体が揺れている。

 あちこちで警報装置が鳴り響いた。

 その巨人は、暗灰色の機体から医療センターを守っていた。

 ミレア・アルシオンは、自分に身を寄せている金髪の看護師の手を取りながら、二階の窓の外を見据えていた。


 暗灰色の機体が放つ砲撃。

 それを、白っぽい巨人は手にした盾と、機体全身から発する光の膜で弾き返している。

 電磁フィールド、とか呼ばれる技術だっただろうか。

 詳しいことは分からない。

 光が弾けるたび、窓ガラスが震えた。

 数日前の記憶と重なる。

 持っていることを忘れてしまいそうになるほど、大きな盾。

 それを手渡してくれた、紺色のタクティカル・プロテクター。


 色も姿も、全く違う。

 けれど、今あの巨人がしてくれていることは、ひどく似ていると思った。

 自分たちと、危険の間にいる。

 怖くて、震えていたはずなのに。

 ほんの少し。

 少しだけ、安心した。


*


 紙一重だった。

 間に合った。

 モニターに映る暗灰色の機体。

 その胸元で、砲口が瞬いていた。徹甲弾と炸裂弾が入り交じって降り注ぐ。

 左手のグリップ。人差し指のトリガー限界まで引きこむ。盾の防御フィールドと機体のディフェンサーを全開にした。

 小ぶりな盾と、機械各部から発生する白い防御光が、ファランドールの前面を覆った。

 そこへ、ドラウグの砲弾が次々と叩き込まれる。

 重い衝撃が、コクピットまで届いた。

 背後には、ハイユン医療センターの建物がある。

 会話を交わしたことは、ほとんどない。

 それでも、死なせたくないと思える人たちが、あそこにはいる。

「そうやって、人より優位なところから!」

 また一発。

 防御フィールドが軋んだ。

 医療センターには届いていない。

「抵抗できない人を踏みにじって! そんなに楽しいか!」

 思わず叫んでいた。


 眼前の暗灰色の機体は、左腕に装備した大口径レールガンからも弾丸を放ち続けている。

 避けることはできない。

 そのつもりも、毛頭なかった。

 この機体の防御が悲鳴を上げるか。

 敵の弾が尽きるか。

 奥歯を食いしばった。


 トレースアームのグリップを握る、グローブに包まれた掌が汗ばんでいる。

 そして。

 ドラウグの砲撃が止まった。

 弾切れ。

 フェイントであっても構わない。

 今度は脹脛のスラスターだけを全開にし、暗灰色の機体へ踏み込んだ。

 ドラウグも動いた。

 赤熱した光を纏う黒鉄色の実体剣が迫る。

 待っていた。

 そう言わんばかりの一撃だった。ディフェンサーはきっと保たない。絶妙のタイミング。避けられない。

 脳天から両断される。モニターを見据えた。


 白い光刃。

 その周囲には、わずかに青いオーラが揺らめいていた。

 ドラウグが振り下ろした剣よりも、はるかに速く。

 白い光刃が、暗灰色の機体を切り裂いた。強固なナノメタル複合装甲を。

 防御フィールドもろとも。

 切り上げたこちらの光刃は、敵機の剣も切り飛ばしていた。

 分厚い胸部装甲と、その内側に収められた強固なコクピット。

 そこを正確に断たれ、ゼルカスト軍の精鋭機は動きを止めた。

 動力部である荷電粒子励起炉には、傷一つつけていない。

 暗灰色の巨体から、力が抜け膝を折った。

 火花が吹き出て、止まった。

 ドラウグは、その場に崩れ落ちた。



◇


 指揮官機が討ち取られ、空港方面のゼルカスト軍の戦列が崩れ始めた。

 ファランドールのコクピット。正面のパネルに戦域の情報が表示されていた。

 それまで連携して動いていた機体群に、わずかな乱れが生じる。

 その、わずかな乱れが大きくなった。

 数で押され続けていたユンカリス・アウロラネクサス合同軍には、それが十分な好機となった。


 敵機を示す赤い光点が、北へ移動を始めた。

 そして。

 一つ、また一つと消えていく。

 モニターの向こうでは、テューダーとライオスがゼルカスト軍を押し返していた。

 味方が追撃している。

 先ほどまで押されていた防衛線が、少しずつ前へ進んでいく。

 最初から一人で戦っていたわけではなかった。

 ここには、この場所を守ろうとして戦っていた兵士たちがいた。

 大きく息をついた。

 足のコントローラーを使いファランドールを振り向かせる。

 ハイユン医療センター。

 建物の窓が、いくつか割れていた。

 今回の戦闘で破損したものだろうか。

 それとも、先日の被害をまだ修復しきれていないのか。

 後者であってほしい。

 そう思いながら、建物の窓を見回した。

 COMがこちらの意図を察したのか、人影のある窓を拡大表示してくれた。

 いた。

 二階の窓。

 窓際に立ち、こちらを見上げている二人の女性。

 栗色の髪と、明るい金髪。金髪の方が、こちらに軽く手を上げているのが分かった。

 ミレアとシンシアだった。

 無事だった。

 肩から、余計な力が抜けていく。

「……せっかくだから」

 デイヴへの報告用に、二人の姿を記録しておくことにした。

 COMに指示し、拡大した映像をデータとして保存する。

「本当に美人だね」

 思わず、そんな言葉が漏れた。

 二人の姿を目に焼き付けると、ファランドールを旋回させ、味方が追撃を続ける戦場へ向かった。

 


◇


 白っぽい、端正な姿のACT。

 その紺色のカメラアイと、目が合ったような気がした。

「かっこ良かったですね」

 シンシアは、隣に立つ栗色の髪の女医に声をかけた。

「そうですね」

 尊敬する女医は、なぜか少しおかしそうだった。

「シンシアがACTのデザインを褒めるなんて」

 ひどい言われようだ。

 誰が見たって、あの無骨なゼルカスト製の機体より、さっきの白っぽい装甲に朱色のラインが入った機体の方が、ずっとかっこいいと思う。

「でも、私もそう思います」

 ミレア先生が、そう答えた。

 なぜだろう。なんだか、嬉しかった。

 とりあえず、今日の危機は、去ったらしい。



◇


 空港から数キロ離れた、小高い丘。

 そこからは、ハイユンの街が一望できた。

 夕刻が近づいている。

 戦闘による煙は、まだ消えていなかった。

 それでも、先ほどまで絶え間なく続いていた閃光と爆発音は、すでに止んでいた。


 ギルフォード・レインは、ファランドールのCOMに周辺の索敵を任せながら、一息ついていた。

 撤退した敵機が、反転してくる様子はない。

 東と西の戦場も、戦闘は終わったようだ。


 緊張が解けた途端、身体が急に重くなった。

「COM……」

「はい、ロード」

 澄んだ女声だった。

「今日は、いろいろ助かった」

「いえ」

 控えめな返答だった。

 そういえば、このCOMには名前があるのだろうか。

「君には、固有名はないの?」

「はい。搭乗者権限で名付けていただけます。もちろん、COMという呼称でも結構です」

「それは味気ないよね」

 少し、頭を回してみる。

 だが、戦闘を終えたばかりの頭は、どうにも冴えなかった。

「ファランドール。いい名前だと思う」

 改めて、機体の名前を口にしてみた。

「縮めて、ファル。どうかな」

「捻りはないですね。でも、気に入りました」

「……え?」

 一瞬、驚いた。

 今、少しだけ本音が聞こえたような気がした。

 それが、なんだか嬉しかった。

「じゃあ、これからよろしく。ファル」

「了解です。ロード」

 そこで、ふと思い出したことがあった。

「あ、そういえば。お礼を言ってなかったね」

 返答はなかった。

 何を言われているのか分からない。

 そんな様子で、COMは黙っていた。


 構わず続けた。

 自分をロードと認め、今日一日、支えてくれた相手へ。

「助けてくれて。ここまで連れてきてくれて。ありがとう。ファル」

 ほんのわずかな間があった。

 そして、少しだけトーンの上がった電子音声が返ってきた。


「はい。ロード」





5


◇


 ハイユン医療センター。

 戦闘が終わっても、病院に静けさが戻ることはなかった。

 廊下を行き交う人の数は、むしろ増えていた。

 戦闘地域から避難してきた市民。

 軽傷を負った兵士。

 飛散した破片で怪我をした空港職員。

 次々と運び込まれる負傷者を受け入れるため、医師や看護師たちは休む間もなく動き続けていた。

 担架が運ばれ、車椅子が行き交う。

 医療用カートを押す職員の脇を、警備兵が駆け抜けていった。

 爆発の衝撃で割れた窓には、応急処置として透明な保護板が取り付けられ始めている。

 その作業がまだ終わらない窓からは、夕方の風が吹き込んでいた。

 風に混じる、かすかな焦げ臭さ。

 数日前にも、この病院を包んでいた臭いだった。



◇


 ようやく一段落したのは、日が傾き始めた頃だった。

 ミレア・アルシオンは診察室の椅子に腰を下ろし、白衣の袖口に目を落とした。薄く血が付いている。自分のものではないことを確かめてから、ようやく長い息を吐いた。

「……少し、疲れましたね」

 声に出した途端、それまで忘れていた身体の重さが一度に戻ってきたようだった。

 向かいの椅子には、シンシアが座っている。いつもはきれいに整えられている明るい金髪のおかっぱも、今日は少し乱れていた。

「私もです。もう、足が棒になりそう」

「今日はずいぶん走っていましたからね」

「先生こそ、人のこと言えませんよ」

 思わず顔を見合わせた。そう言われてみれば、自分も病棟と診察室を何度往復したか覚えていない。

「……そうでしたか」

「そうですよ」

 二人で笑った。

 笑い話にできるような一日ではなかった。それでも、こうして笑い合えることが、今は何よりありがたかった。


 診察室の外から、遠く人の声が聞こえてくる。廊下を行き交う足音や、何かを運ぶ台車の音も混じっていた。

 病院の仕事は、まだ終わっていない。

 今日も大勢の人がここで働き、患者たちが治療を受けている。

 いつもと変わらない営みが続いていることに、少しだけ救われる思いがした。


 窓の向こうには、穏やかな夕空が広がっていた。

 ほんの数時間前まで、あの空の下で巨大な人型兵器が戦っていたなど、嘘のようだった。

「……怖かったですね」

 シンシアがぽつりと言った。

 すぐには返事ができなかった。

 あの暗灰色の巨人が窓の向こうに現れたときのことを、まだ鮮明に覚えている。

「ええ。本当に」

「警報が鳴ったとき、またあの兵士たちが入ってくるんだって思いました。患者さんに声をかけながら、ずっと廊下の奥を見ていました」

 シンシアの両手が、膝の上で固く握られた。

 私も、足音が近づくたびに振り返っていた。

 運ばなければならない患者がいる。けれど、担架も、それを運ぶ手も足りない。

 焦るほど、一人を移動させる時間が長く感じられた。

「先生は……逃げようと思いました?」

「思いましたよ。あなたの手を引いて、そのまま外へ走っていけたらって」

 シンシアが顔を上げた。

「でも、病室から呼ばれると、そちらへ足が向いてしまうんです」

 白衣の袖口に残った血へ目を落とした。

 立派な覚悟があったわけではない。

 目の前で助けを求められれば、背を向けられなかった。

「私も、先生だけ置いていくなんて無理です」

「……次は、残っている患者さんと一緒に避難してください。私を待たずに」

「先生も来てください。それなら行けます」

 言葉に詰まった。

 自分ができなかったことを、彼女にだけ求めている。

「二人とも逃げ遅れたら、あとで誰が患者さんを診るんですか」

 今度は私が、言い返せなかった。

「……避難の手順を、見直さないといけませんね」

「担架の置き場所も。取りに戻るだけで大変でした」

「ええ。それも」

 シンシアの指が、ようやくほどけた。

 どうか次などありませんように。

 そう願いながらも、今日、間に合わなかったことは覚えておかなければならないと思った。

 しばらくして、シンシアが窓へ目を向けた。

「でも、今日は助けてもらえましたね」

 私も同じ方角を見る。


 白に近いライトグレーの装甲。

 鮮やかな朱色のライン。

 紺色の瞳。

 盾を構え、病院と暗灰色の巨人との間に立ちはだかった機体の姿が、今も目に焼き付いている。

「ええ。助けてもらいましたね」

「この前も、そうでした」


 あのときは、紺色のタクティカル・プロテクターだった。

 姿も、大きさも、まるで違う。

 けれど、してくれたことは同じだった。

 自分たちと、危険の間に立ってくれた。

 そのことが、胸の奥に静かに残っていた。


「やっぱり、かっこよかったです」

 シンシアが、どこか嬉しそうに呟いた。

「ふふ。結局、そこに戻るんですね」

「大事なことですから」

「そうですか」

「はい。とっても大事です」


 今度は、私も素直に笑った。

 窓の外では、夕日がゆっくりと街を染め始めていた。

 長かった今日という一日が、ようやく終わろうとしていた。



◇


 夕闇につつまれたユエラン基地。

 大型ハンガーには、戦いを終えた機体たちが次々と帰還していた。

 高い天井から吊るされた作業灯が、広い空間を白く照らしている。

 工具の音。整備員たちの声。冷却設備の低い唸り。

 油と金属、焼けた樹脂の臭い。

 戦闘を終えた機械だけが持つ、独特の空気がハンガーを満たしていた。


 その一角に、二機のACTが並んでいた。

 一機は、深い青。

 重厚でありながら、洗練された装甲。

 騎士の威容を備えた、アウロラネクサスの上級ACT。カサンドラ。

 青騎士デイビッド・スミスの愛機だった。

 肩部、盾、脚部。

 その装甲には、今日の戦闘で受けた弾痕や焦げ跡がいくつも残されている。

 それでも、機体は堂々と立っていた。

 傷を負いながら帰還した、一人の騎士のように。


 そして、その隣。

 白に近いライトグレーの巨体。

 細身の胴体と、しなやかな四肢。

 全身を流れるように走る朱色のライン。

 大きく張り出した背部推進ユニットと、そこから伸びる短い翼。

 鋭角的な腰部装甲。

 細く、それでいて力強い脚部。

 上方へ跳ね上がった肩部装甲。

 航空機を思わせる意匠を随所に残しながら、その姿は完全な人型を形作っていた。

 ファランドール。

 青いカサンドラの隣に立つことで、その異質さは、いっそう際立っていた。


 一方は、アウロラネクサスが長年積み重ねてきた、騎士機としての完成形。

 もう一方は、可変機という枠そのものを押し広げるかのように生み出された、カミシロ・インダストリーの最新鋭機。

 深い青と、ライトグレー。

 重厚な洗練と、軽快な鋭さ。

 長い年月をかけて磨き上げられたものと、まだその真価を知られていないもの。

 二機の巨大な騎士が、同じハンガーに並んでいた。


*


 ギルフォード・レインは、少し離れた場所から、その二機を見上げていた。

 カサンドラの周囲では、整備員たちが装甲の損傷を確認している。

 ファランドールの方にも、いつの間にか大勢の整備員が集まっていた。


「本当に変形したのか、これ?」

「ここが動くのか?」

「いや、待て。そこを外す前にデータを取れ」

「おい! 勝手に触るな!」


 次々と声が飛ぶ。

 思わず、少し笑ってしまった。

 無理もない。

 数時間前まで、自分だって、この機体がACTに変形するとは知らなかったのだから。

「人気者だな」

 背後から、聞き慣れた声がした。

 振り返ると、デイヴが立っていた。

 パイロットスーツの上半身を腰まで脱ぎ、インナー姿になっている。

 さすがに疲れた様子だったが、表情はいつもと変わらなかった。

「お疲れ」

「ああ。お前もな」

 親友が隣に並んだ。

 二人で、しばらく機体を見上げる。

 カサンドラ。

 ファランドール。

 今日、自分たちの命を預けた二機。

 その足元を、整備員たちが忙しく行き交っていた。


「派手にやったみたいだね」

 カサンドラの傷だらけの装甲を見ながら言うと、デイヴは呆れたように笑った。

「お前に言われたくねえよ」

「俺はそんなに……」

「聞いたぞ」

「何を?」

「ハイユン方面の連中から、いろいろとな」

 嫌な予感がした。

 今日、何をやってしまっただろう。

 敵機の撃破数は三機。別に、大したことはしていないはずだ。

 デイヴはファランドールを見上げ、口元を緩めた。

「見たこともねえライトグレーのACTが突然現れて、敵をぶった斬って回ったらしいじゃねえか」

「……人聞きが悪い」

「なんでだよ」

「困る」

「何が?」

「目立つ」

 デイヴが鼻で笑った。

「今さらかよ」

「今さらだよ」

 もう一度、ファランドールを見上げた。

 腰部装甲には、あの騎士剣が収められている。

 自分を含め、何人もの命を救ってくれた剣。

 ライトグレーの装甲に走る、細い朱色のライン。

 戦闘で付いた、いくつかの傷。

 その姿は、数時間前まで自分が操縦していた航空機とは、まるで違って見えた。


「……いい機体だった」

「らしいな」

「すごく軽いんだ。動きが」

「お前、嬉しそうだな」

「うん」

 即答してしまった。

 デイヴが横目でこちらを見る。

「そういうところは変わらねえな」

「何が?」

「ACTに乗って喜んでるところだよ」

 少し考えたが、否定できなかった。

「楽しいものは楽しいからね」

「戦争が?」

「ACTが」

 念を押した。

「戦争は嫌いだ」

 こっちも念を押した。デイヴが笑う。

「知ってるよ」

 それきり、しばらく言葉が途切れた。

 ハンガーのどこかで、工具が床に落ちる甲高い音が響いた。

 ファランドールの胸部装甲が、整備のためにゆっくりと開かれていく。新品にほど近い金属の輝きがあった。

 その隣では、カサンドラの損傷した装甲が取り外され始めていた。

 二機とも、まだしばらく整備に時間がかかりそうだった。

「……お前の機体を見ていた連中から、詳しい話を聞いた」

 デイヴが、ふいに口を開いた。

「戦闘データも見せてもらった。正体不明のACTが、剣一本でゼルカストの機体と渡り合ってたってな」

「……そう」

 さっきまでとは、少し声が違っていた。

 茶化すような調子ではない。

 静かで、どこか懐かしそうな声だった。


「腕は落ちてねえんじゃねえか」

 思いがけない言葉だった。

 けれど、その意味はすぐに分かった。

 今日の戦果だけを褒めているのではない。

 昔の自分を知っている男が、あの頃と比べて、そう言ってくれている。

 自然と、口元が緩んだ。

 デイヴには顔を向けず、目の前のファランドールを見上げたまま答えた。

「……そう言ってくれる?」

「ああ」

 デイヴも、隣で二機を見上げていた。


 深い青のカサンドラ。

 ライトグレーと朱色のファランドール。

 二機の騎士が、静かに並んでいた。



TRIARCH 第3話 完



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