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1話『夜明け前』

1


 雲海の上を、一機の人型兵器が北へ向かっていた。

 白い雲の上、深い青に染められた装甲が、陽光を受けて鈍く輝く。

 無骨さとは異なる。だが、優美という言葉だけでも足りない。

 直線を基調とした鋭い輪郭と、肩から胸部へ流れる装甲線は、研ぎ澄まされた刃物のような緊張感を漂わせていた。

 人型機動兵器――ACT(エーシーティー)。

 その中でも、機体の持つ意味は特別だった。

 地球圏を統治する中枢国のひとつ、アウロラネクサス王国。その近衛兵団、青騎士団所属機。

 王国が誇る最上位機の一つ。

 AN-R07――カサンドラ。

 前方へ長く張り出した頭部の庇。その奥で、横に流れる緑色のバイザーアイが静かに光っている。

 濃青の装甲を縁取るように、淡い緑の識別ラインが各部へ走り、関節部には暗い金属色のフレームが露出していた。

 左腕には機体と同色の大型の盾。

 右手には、機体全高の三分の二にも届く長銃身の荷電粒子ビームライフル。こちらは文字通りガンメタリックの輝きを見せている。

 背部飛行ユニットから伸びた短い翼が微細に角度を変え、カサンドラの巨体を空中で安定させていた。


 二十二メートルの巨体。

 それを支える飛行ユニットは、単純に推力を与えるだけではない。

 姿勢制御と機体制御を絶えず調整し、巨大な人型機を空中へ留めている。

 その動きには、不自然な揺れがほとんどなかった。


*


 眼下に広がるのは、ユンカリス共和国北部の山岳地帯だった。

 アウロラネクサス王国の傘下国であるユンカリス共和国。その北側には、ゼルカスト人民共和国との長い国境線が横たわっている。

 両国は正式な戦争状態にはなかった。

 少なくとも、書類の上では。

「目標空域まで、残り百二十秒」

 女性の声が、コクピット内へ静かに響いた。

 カサンドラの戦術支援AI。世界共通の略称でCOMと称されているユニット。

 この機体専用の戦術AI――RZ。

 搭乗者からは、リズの愛称で呼ばれている。

「ユンカリス国境警備隊より追加情報。国境を越えた機体は三。機種はゼルカスト軍制式ACT、CA-M02ナグル」

 世界で一番生産数が多いといわれる、コンチネンタルアクシス製の汎用型ACT。

 ずんぐりとしたシルエットと厚い装甲。耐久性の高いコンポーネントは、製造から三十年たった今でも現役であった。

「三機だけか」

「確認されている範囲では」

「偵察だな」

「同意します」

 デイビッド・スミスは、正面モニターに展開された地形図へ目を走らせた。


 金髪碧眼。

 整った顔立ちは軍人というより、舞台俳優か貴族の肖像画を思わせる。だが、その青い瞳に浮かぶ光は柔らかくとも、決して鈍くはなかった。

 顔面部分が大きく開いたフルフェイス型ヘルメットを装着しているが、バイザーはまだ上げられていた。

 国境線を示す黄色い表示。その南側へ、赤い光点が三つ入り込んでいる。

 さらに南東。

 迎撃に向かったユンカリス軍機を示す緑の光点も三つ。

 それらはすでに、互いへ重なるほど接近していた。

「監視網の反応速度、出動機数、通信周波数。それに、俺たちがどこまで出てくるかの確認か」

「ナグル三機のうち一機は、通常型と異なる通信装置を搭載している可能性があります」

「通信傍受用か?」

「断定はできません。ただし、国境侵犯後の移動経路に不自然な蛇行があります。複数方向から電波を収集しているものと推測します」

「随分と熱心な観光客だ」

「ユンカリス共和国の観光当局には、事前申請されていません」

 デイビッドは一瞬だけ黙り、口元を緩めた。

「そういう冗談も言えるようになったのか」

「事実を述べました」

「それを冗談と言うんだ」

 返答はなかった。


 正面モニターの端で、通信表示が点灯する。

『スミス少佐』

 落ち着いた女性の声だった。

 アウロラネクサス派遣部隊の作戦指揮を補佐する、リディア・ハーシェル副官。

『ユンカリス軍三機が接敵しました。現地部隊から救援要請が入っています』

 落ち着いた低い女声が、状況を正確に伝えてくる。

「戦況は?」

『一機が中破以上。もう一機も駆動系に損傷。残る一機が後退を援護しています』

 デイビッドの表情から、わずかな笑みが消えた。

「敵は?」

『損傷なし』

「ナグル相手にか」

 責める意図はなかった。少し驚いただけだった。

 ユンカリス共和国主力ACT、AX-M03ライオスの機体性能は、ナグルに劣るものではない。むしろ総合性能ならば上回っている。

 中枢国アウロラネクサスで長年製造された、直線基調の中肉中背のシルエット。コストと性能のバランスが抜群に良い機体である。

 問題は搭乗者だった。

 ユンカリス軍は近年、トップが変わり、急速な軍備拡張を進めている。そのため、機体数に対して熟練搭乗員の育成が追いついていない。

 新型機を与えれば、すぐに軍が強くなるわけではない。

 兵器は人間の技量を補うが、経験そのものを代わってはくれない。


 リディアが司令部からの指示を搭乗者に伝える。

『ロベルト司令より命令です。敵機を国境外へ排除。ただし、可能な限り撃墜は避けるように、と』

「相変わらず難しい注文をする」

『少佐なら可能だと判断されています』

「買いかぶりだよ」

『司令は、そうは考えていません』

 デイビッドは小さく息を吐いた。

「了解。間に合わせる」

『御武運を』

 通信が切れる。

 デイビッドはヘルメットのバイザーを下ろした。

 紺色の硬質樹脂が、端正な顔の半分を隠す。

 視界へ照準情報と機体状態が重ねて表示された。

 その表示の一部が、デイビッドの視線に合わせて細かく動く。


 照準補正はする。

 だが、照準を勝手に決めるわけではない。

 続いて、シート後ろに格納されていた、パイロットの胸部保護装甲――ブレストプレートが、半自動で降りてくる。

 固定音。

 パイロットの保護と、機体に上半身の動きを伝えるセンサーの役目を果たす。

 同時に、膝下に設けられたニーグリッププレートがせり上がり固定される。

 高負荷時、操縦者が不安定にならないための保持機構だ。

 パイロットの身体を座席へ押しつけるのではなく、操縦姿勢そのものを安定させるための装備である。

 これにより、上半身は、自分の動作を機体に伝えることに専念できる。


 操縦席が戦闘状態へ移行した。同時に、CAM――半自動の戦闘モードから、マニュアル戦闘モードのMDMに切り替わる。

「リズ。兵装確認」

「ロングレンジビームライフル、正常。腰部マウントビームソード01、02、正常。ハイブリッドシールド接続、正常。飛行ユニット出力、五十二パーセント」

「ライフルだけで済ませる」

「推奨します」

「照準補正は最小限。撃つのは俺だ」

「了解。射撃諸元のみ提示します」

 デイビッドはシートの肩部下方から伸びるトレースアームのグリップを握り直した。

 搭乗者の腕の動きを正確に機体に伝達する機構である。

 コクピット前方パネルの脇に、半自動モード時の操縦桿は存在するが、マニュアル戦闘時に使用する「操縦桿」と呼べる存在はこちらである。

 グリップの滑り止め樹脂に力を加える。ほどよい弾力がグローブ越しに伝わる。


 右手を握れば、機体の右腕も握る。

 視線を動かせば、照準が追従する。

 だが、最終的な射撃操作は自分の指で行う。

「行くぞ、リズ」

「了解。カサンドラ、戦闘空域へ進入します」

 背部ユニットの推力が上昇する。

 青い機体は機首をわずかに沈め、一気に雲海を突き抜けた。


     

◇


 警報音が鳴り続けていた。

 青緑とグレーに塗られた機体。ユンカリスの国防カラーである。

 その機体のコクピットの中で、耳障りな高音が何度も反響する。パイロットは動揺していた。

「二番機、返事をしろ! おい!」

『……駆動……右脚、動かない……』

 通信先では途切れ途切れの声。

 まだ生きている。

 その事実に安堵する暇もなく、正面モニターを赤い光が走った。

「くそっ!」

 搭乗するライオスを横へ跳ばす。

 左足のペダルを踏み込む。

 機体が即座に横へ流れる。

 直後、先ほどまで機体が立っていた地面が爆ぜた。敵の銃器より放たれた炸裂弾頭が着弾した。

 土砂と岩片が吹き上がり、装甲へ激しく叩きつけられる。

 ゼルカスト軍のナグル。

 オリーブ色の分厚い装甲を持つ、量産型ACT。

 丸みを抑えた重厚な胴体。太い四肢。頭部の赤いバイザーアイが、砂煙の向こうで不気味に光っている。

 機体そのものは、ライオスより明確に優れているわけではない。

 分かっている。

 訓練でも、教官から何度も聞かされた。

 機動性はこちらが上。

 火器管制も、センサー性能も、アウロラネクサス製のライオスが勝っている。

 それでも、この戦場ではこちらが一方的に押されていた。

 敵は三機で連携していた。

 一機が撃ち、もう一機が移動先を塞ぎ、残る一機が側面へ回る。

 こちらが教本通りに動くたび、相手はその先へ弾を置いた。

 最初の一撃で一番機が倒れた。敵機のレールガンから放たれた徹甲弾。

 電磁場でつくられた防御フィールドが抜かれ、チタンセラミックアーマーが砕かれた。

 脛から火花が散り、内部のフレームが損傷しているのが見えた。

 次に二番機が右脚を撃ち抜かれた。足の甲の装甲が爆散する。辛うじて踏みとどまったのはおそらく戦術AIの仕事だろう。

 残って動けるのは、自分だけだった。

 その自分のライオスも、左肩装甲が吹き飛び、腕部の出力が低下している。

 戦闘用のACTには、もれなくディフェンサーと通称される防御フィールドが装備されている。

 機体の防御力を高め、パイロットの死亡率を低下させる重要な機構だ。

 だが万能ではない。負荷を与え続ければ性能は低下する。

 そして、防御力以上の打撃が加われば、当然貫通する。装甲の強度が負ければ、やはり破損する。


 コクピットの左上方。機体の状況を示すホログラム。その損傷部位が赤く点滅していた。

「こちら三番機! 救援はまだか!」

『アウロラネクサス所属機が接近中! 到着まで――』

 通信士の声がノイズに飲まれる。

 目の前の無骨な機体が、レールガンを構えた。

 長い砲身が、動けないライオス二番機へ向けられている。

「やめろ!」

 自分の機体を前へ出そうと試みる。

 しかし、敵の別機がこちらへ銃口を向けた。

 動けば撃たれる。

 動かなければ、仲間が撃たれる。

 迷った。

 ほんの一瞬だった。

 だが、実戦では、その一瞬が致命的だった。

 ナグルのレールガンが発射態勢へ入る。銃口がこちらを向いた。コクピットモニターにアラートが表示される。

 砲身周囲へ光が走る。

 二番機のパイロットが、通信回線の向こうでなにか叫んでいる。

 間に合わない。

 そう思った。

 次の瞬間。

 空を、緑色の閃光が貫いた。

 ナグルの頭部が弾け飛ぶ。

 赤いバイザーアイが砕け、オリーブ色のチタンセラミック複合装甲の破片が宙を舞った。

 レールガンを構えていた機体が、糸を切られたように上体を揺らす。

「……何だ?」

 ライオスのパイロットは、無意識に空を見上げた。

 低い雲を裂いて、青い機体が舞い降りる。

 濃青の装甲。

 淡い緑のライン。

 巨大な長銃身ライフル。

 左腕の盾。

 子供の頃、映像で何度も見た。

 軍の広報番組で。

 玩具店のショーケースで。

 王国の記念式典で。

「カサンドラ……」

 アウロラネクサス青騎士のフラッグシップ。

 その機体が、友軍と敵軍の間へ降り立った。

 着地と同時に、土煙が円状に広がる。

 青い巨体は片膝すらつかない。

 まるで初めからそこに立っていたかのように、静かに長銃を構えていた。

     

*


「第一目標、頭部センサー喪失。機体反応あり」

「搭乗者は?」

「生体反応を確認。負傷の可能性はありますが、生命活動は維持されています」

 友軍機のCOMから情報を拾っているのだろう。愛機のリズの回答に淀みはなかった。

「よし」

 カサンドラの足元から土煙が流れていく。

 デイビッドは、残る二機のナグルを視界へ収めた。

 敵機も、こちらを認識した。

 動きが変わる。

 一機が後退しながらレールガンを向け、もう一機が側面へ回ろうとする。

 アウロラネクサスのフラッグシップ相手にも萎縮しない。いいパイロットだ。そんなことを思った。

 デイビッドはモニター上の情報を追った。

 距離。

 風向。

 機体速度。

 銃口の角度。

 相手の視線。

「第二目標、照準中」

「分かってる」

 オリーブの重装機体が発砲する。

 電磁加速された弾体が、砂煙を切り裂いて飛んできた。


 デイビッドはグリップを強く握り、同時に上体を右へ逸らした。

 トレースシステムがその動きを拾う。

 カサンドラの上半身が、人間の動きとほぼ同じ軌道で傾いた。

 その下で脚部アクチュエータが姿勢を補正し、巨大な機体全体が一瞬だけ右へ滑る。


 砲弾が左肩の脇を抜けていく。

 風圧が装甲表面を叩いた。


 デイビッドの視線が敵機頭部へ向く。

 照準枠が追従する。

 右腕のトレースアームに連動した照準が重なる。

 引き金へかけた人差し指が、わずかに沈んだ。


 発射。


 長大な砲から緑色の荷電粒子ビームが走る。

 細く収束された射線が、砂煙を焼き払いながら一直線に伸びた。

 二機目の重装ACTの頭部が正確に撃ち抜かれた。

 高出力荷電粒子に対し、ナグルの防御フィールドはわずかな抵抗しか示さなかった。

 カメラアイの透明金属が飛び散る。爆発は小さい。

 内部の主センサーと火器管制装置だけが破壊され、胴体部分にはほとんど損傷がない。

「第二目標、主映像機構喪失。戦闘力大幅減」

「残り一機」

 最後のナグルが、動きを止めた。

 頭部の赤いバイザーがカサンドラを見つめる。カメラアイ周辺のセンサーが光を湛えている。

 逃げるか。

 撃つか。

 中枢国コンチネンタルアクシス製。標準型のレールガン。決して悪い装備ではない。

 だが、カサンドラの防御フィールドであれば、数発、いやそれ以上の着弾に耐える。

 フラッグシップとは、そういうものだ。国の威信を背負っている。


 搭乗者が迷っているのが、機体のわずかな姿勢変化から分かった。

 やがて、最後まで対峙していたゼルカスト機は、手にしたレールガンの銃口を青い機体に向けた。

「第三目標、発砲動作」

「遅い」

 デイビッドはトリガーを引いた。

 放たれた緑色の光線はナグルの手元へ吸い込まれた。

 レールガンの機関部が貫かれ、砲身が中央から折れる。反射的に武器を手放した。

 地面へ落下した重砲が土煙を上げる。

 カサンドラは次弾を撃たなかった。

 銃口だけを敵機へ向けたまま、静止する。

「第三目標、攻撃手段を喪失」

「通信を開け」

「敵軍共通周波数へ接続」

 デイビッドは短く告げた。

「戦闘は終わりだ。機体を回収して、国境の外へ戻れ」

 公用語が先方のコクピットに伝わったはずだ。

 返答はない。

 頭部を失った二機が、不安定な動作で立ち上がる。

 頭部の主センサーを失っても、機体各部のカメラで映像は拾えるはずだ。酷く見にくいが。

 国元の基地には無事にたどり着けるだろう。

 最後まで無傷だった一機が、仲間の腕を取った。

 三機はゆっくりと北へ向き直る。

 背部のスラスターが光る。三機とも、自力での移動には支障がないようだ。

 デイビッドは追わなかった。

 国境線の手前まで、カサンドラの照準を向け続ける。

 三つの機影が低空飛行で山間へ消えていった。


「全敵機、国境線北側へ移動」

「周辺警戒を継続。別働隊がいるかもしれない」

「了解。広域走査を開始します」

 デイビッドはライフルを下げた。

 ようやく、倒れた友軍機へ視線を向ける。

 一機は地面へ伏し、背部から黒煙を上げている。

 もう一機は片脚を損傷し、岩壁へ背を預けていた。

 残る一機も、左肩を大きく損傷している。

 だが、三機ともコクピット周辺に致命的な破壊は見られない。

「全友軍機から生体反応を確認」

「通信をつないでくれ」

「接続します」

 デイビッドはブレストプレートの固定を解除した。

 胸部装甲を押し上げ、続いてヘルメットのバイザーを開く。

 張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。

「聞こえるか?」

『は、はい!』

 若い声が返ってきた。

 緊張と混乱で裏返っている。

 デイビッドは小さく笑った。

「生きてるか?」

『……はい』

「他の二人は?」

『一番機、応答あります。二番機も負傷していますが、意識はあります』

「そうか」

 デイビッドは息を吐いた。

 表情に、初めてはっきりとした安堵が浮かぶ。

「よく持ちこたえた。救難隊が来るまで、こちらで周囲を警戒する」

『あの……助けていただいて、ありがとうございます』

「礼は帰ってからでいい。まずは機体の電源を落とすな。火災が広がったら、すぐに脱出しろ」

『了解しました』

 通信を終える。

 デイビッドは再び視線を北へ向けた。

 敵の姿はすでにない。

 だが、遠く離れた山々の向こうには、ゼルカスト人民共和国がある。


 今回の侵犯は小規模だった。

 死者も出ていない。

 国境線も守られた。


 報告書の上では、それで終わる出来事かもしれない。


 だが――本当に、それだけなのか。


 デイビッドには、ゼルカスト側が最初からライオスの撃破を狙っていたとは思えなかった。

 国境を侵犯し、警備隊を誘い出す。

 どれほどの時間で部隊が動き、どの程度の戦力が投入されるのか。

 そして増援として現れたカサンドラが、どのように戦うのか。


 もし、それを見ること自体が目的だったとすれば。

「リズ」

「はい」

「カサンドラも見られたと思うか?」

「その可能性は高いと判断します」

 デイビッドは小さく息を吐いた。

「やっぱりか」

 カサンドラの出動時刻。武装。射撃精度。

 どこまで持ち帰られたのかは分からない。

 だが、三機を逃がした以上、何も知られなかったとは考えにくい。


「三機を逃がしたのは、失敗だったかな」

「撃墜した場合、軍事的緊張が高まる可能性がありました」

「まあな」

 デイビッドは苦く笑った。

「戦わずに済ませようとすると、相手に情報を渡す。情報を渡さないようにすると、人を殺すことになる。国境っていうのは面倒だな」

「回答が必要ですか?」

「いや」


 デイビッドは損傷した友軍機を見下ろした。

「今は、三人とも生きていた。それでいい」


*


 濃青のカサンドラは、傷ついた三機のライオスを守るように立ち続けた。

 北の空から、風が吹いてくる。

 その風が運び始めた異変が、やがてユンカリス共和国全土を巻き込み、三つの大国を揺るがすことになる。

 まだ、この場にいる誰も知らなかった。




2


 ユンカリス共和国首都近郊。ユエラン基地の滑走路へ、濃青のACTカサンドラが飛来する。

 一般的な航空機と異なり、路面とタイヤで減速することはなく、降下を滑走路上で行い、着地ポイントで急減速。

 路面に触れる寸前に、一度ふわりと上昇し、立ち姿勢のまま着地する。足首のサスペンションが沈み込む。

 着地の衝撃はほとんどない。

 二十二メートルの鋼鉄の巨体とは思えないほど自然な接地。

 高度な重力制御と慣性制御システムのなせる技だった。

 基地の大型ハンガーへは、徒歩で移動する。滑らかな青い装甲が肩を揺らす。

 建屋内に入ると、所定の駐機ポイントに機体を向かわせる。こちらはほぼCOMの仕事であった。

 

 白い作業服を着た誘導員が赤い誘導灯を掲げる。

 その指示に従い、カサンドラは寸分の狂いもなく後退し、壁際の所定位置へと機体を収めた。

 周囲にはユンカリス軍のライオスやテューダー、そしてアウロラネクサス第二十七艦隊所属のACTが整然と並ぶ。

 航空機形態の可変ACTも、緊急発進に備えて待機していた。

 大型ハンガーの天井ではクレーンがゆっくりと移動し、どこかでは工具を叩く乾いた音が響いている。

 雑音はあるが、帰投したばかりの基地には不思議な静けさがあった。


 カサンドラの前方へ駐機ユニットが滑り込む。

 胸部を囲むように整備用タラップが展開され、機体のパイロットを迎え入れる形へ移行した。

 デイビッドはコンソールのスイッチを押す。

 カサンドラの胸元にある、コクピットハッチ。分厚い胸部装甲が空に向かって持ち上がる。

 胸部の先端側にあるヒンジを使用し、ハッチが垂直に持ち上がる。

 カサンドラの頭部とハッチの間に、パイロット乗降用のスペースができた。


 さらにその下。コクピットシェル自体の、二枚目のハッチも開く。

 その内側は、外部の映像を映し出すモニターとなっているが、駐機ユニットと接触したタイミングで消灯した。

 コクピット内は昼白色の室内灯に切り替わる。

 ハッチのオープンとともに、薄暗かったコクピットへ、ハンガーの白い照明が差し込んだ。

 ブレストプレートはすでに解除され、シートも降機姿勢へ移行している。

 デイビッドは軽く立ち上がると、慣れた動作で機体の胸部装甲へ降り立った。

 両腕を伸ばし、小さく背筋を反らす。

「……ふぅ」

 首を回す。

 振り向いた視線の先には、濃青の愛機の顔部。

 鋭い額、無駄のない輪郭。

 何百時間も共に戦ってきた相棒だった。アウロラネクサスのフラッグシップの一角。それを抜きにしても気に入っていた。

「今日も助かった」

 誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。

 その時だった。

 胸部タラップのエレベーターがゆっくりと上昇する。

 白い作業服。

 肩には少しくたびれた水色のタオル。

 工具箱を片手に乗せた、一人の整備兵が上がってきた。

 年齢は二十代前半。

 黒髪は伸び、前髪が目元へ落ちている。

 髪を切る余裕がないのか、それとも気にしていないのか。

 どちらともつかない。その表情にはどこか力がなかった。

 まだ若いはずなのに、瞳だけが少し遠くを見ている。

 だが、その歩き方に迷いはない。

 工具箱を持つ手も、機体を見る視線も、整備兵としてのそれだった。

「お疲れさまです。被弾はなさそうですね」

 柔らかな声だった。

「おう」

 短く返事を返す。それで十分だった。

 二人には、それ以上の挨拶はいらない。


 整備兵――ギルフォード・レインは、機体の胸部装甲を見上げながら軽く頷く。

「外装も綺麗ですね。装甲温度も正常そうです」

 そう言うと、機体へ手を添えた。

「リズさん、いつもデイヴのフォローありがとう」

 呼びかけると同時に、コクピットから女性の電子音声が響く。

「ごきげんよう、レイン准尉。お心遣い感謝いたします」

 若き整備兵は少しだけ口元を緩めた。

 機体の主としては少々納得がいかない。

「おい、リズ。お前、ギルの前だと妙に喋るな?」

「ロード。その質問に対する回答は――否です」

「なんだその塩対応」

 整備兵は思わず吹き出していた。

 この男が笑った顔を見るのは久しぶりだった。

「被弾もありませんし……各部装甲も綺麗です。整備AIとリンクさせますね」

「おう」

「お願いいたします。レイン准尉」

「だから、なんでギルにはそんな丁寧なんだよ」

「対応に差異はありません」

「あるだろ」

 デイビッドは苦笑して肩を竦めた。


 黒髪の整備兵は、面白そうな表情で携帯端末を取り出し、カサンドラの整備システムへ接続を開始した。

 手元は淀みなく動いている。その手元をちらりと覗く。

 配線、各部温度、関節負荷、推進器、電磁防御フィールド。

 画面に流れる数値を見つめるその横顔だけは、不思議なほど生気が宿っていた。


 整備をしている時だけは、彼の瞳から陰りが少しだけ薄れる。

 デイビッドはその様子を横目で見ながら、小さく息をついた。

「……明日、休みだろ」

 ギルは端末から目を離さない。

「そうですけど」

「飯付き合え」

「急ですね」

「だから誘ってんだ」

 少しだけ間が空く。

 ギルはようやく顔を上げ、小さく笑った。

「分かりました」

「昼な」

「はい」

 その返事を聞いたデイビッドは満足そうに頷くと、ヘルメットを小脇へ抱え、昇降機に乗った。

「……さて。仕事を始めよう」

 背後から、ギルの声が聞こえた。

 先ほどより、ほんの少しだけ張りが戻っていた。


 デイビッドは振り返らず、小さく笑った。




3


 ユンカリス共和国首都リンファ。

 ユエラン基地から歩いて十分ほどの場所に、一軒の喫茶店があった。

 カフェ・ノースライト。

 古びた四階建てビルの一階。

 深い飴色へと変わった重厚な木製ドアには、小さな真鍮のプレートが掛けられている。

 店構えは決して派手ではない。

 それでも、この店には不思議と人が集まった。

 ドアを開ければ、焙煎したコーヒー豆の香りが静かに迎えてくれる。

 柔らかな照明。

 磨き込まれた木目のカウンター。

 壁に並ぶ年代物のカップ。

 小さなスピーカーから流れる穏やかなジャズ。

 忙しなく働く人間はいない。

 誰もが少しだけ歩調を緩め、コーヒーを片手に時間を忘れていく。

 この店を切り盛りするのは、熊のような体格をした店主ヴォルグ・ハウゼン。

 豪快な笑顔とは裏腹に、淹れるコーヒーは驚くほど繊細だった。

 そして、店内を軽やかに動き回る看板娘リュミア。

 彼女が笑うだけで、この店の空気は少しだけ明るくなる。

 だから常連たちは言う。

「ここへ来ると、肩の力が抜ける」

 それが、ノースライトだった。


*


 窓から柔らかな陽射しが差し込んでいる。

 カウンター席では、二人の青年がコーヒーカップを手にしていた。

「少しは馴染んだか」

 金髪の士官は尋ねた。

「……うん。まあ、良くしてもらってる」

 黒髪の青年は、小さく頷き、上官の言葉を肯定した。

 髪は伸びたまま。

 前髪が目元へかかり、瞳のほとんどを隠している。

 顔色は決して良くない。

 あまり眠れていないのだろう。

 それでも制服はきちんと整えられ、汚れ一つ残していない。

 守るべきところは、今も変わらず守っていた。

「きな臭くなりそうだからな」

 デイビッドはカップを置く。

「休める時には休め」

「ああ。そうさせてもらうよ」

 短いやり取りだった。

 それで十分だった。


 彼とは数年来の友人である。

 国籍は違う。

 階級はさらに違う。

 軍ではデイビッドがはるかに上官だった。

 だから基地では必ず敬語を使ってくる。

 だが休日だけは違う。

「友人相手に敬語は禁止だ。命令だ」

 そう言って笑ったのはデイビッド本人だった。

 以来、ノースライトでは二人とも肩書きを置いてくる。

 そんな気軽なやり取りが、デイビッドには心地良かった。

「給料入ったら、たまには豪勢なもん食いに行くか」

「いいね」

 自分の提案に友人が乗ってきた。

 本当に小さな笑みだった。

 だが、その顔を見られただけでも誘った甲斐はあった。


 母国を離れて二か月余り。ユンカリスでの生活はまだ短い。

 基地と宿舎を往復するだけの日々。

 そんな中、この店だけが少しずつ彼の「日常」になり始めているように思えた。

 いまは、それで十分だった。


*


 カウンターを磨きながら、ヴォルグは二人を眺める。

 金髪の士官は相変わらず豪快だ。

 よく笑い、よく食べる。

 店の空気を明るくしてくれる。

 一方、隣の黒髪の青年は静かだった。

 初めて来店した時もそうだった。

 礼儀正しい。

 物腰も柔らかい。

 だが、笑っていても、どこか影が差しているように見えた。


 長年、人を見てきた。

 抱えているものがあることくらいは、なんとなく分かる。

 だが、聞く必要はない。

 ここは戦場ではなく、喫茶店だ。

 だからヴォルグは今日も笑う。

「お待たせ」

 皿へサンドイッチを置く。

「腹が減ってる時は、難しい話は禁止だ」

 デイビッドが笑った。

「助かる」

「腹が減ると、人間ろくなこと考えねぇからな」

 その言葉に、ギルも少しだけ口元を緩めた。

 それだけでよかった。


*


 店の隅に置かれたテレビでは昼のニュースが流れていた。

 リュミアは空いた皿を片付けながら、何気なく画面へ目を向けた。

『先日、ユンカリス共和国国境付近において――』

 カウンターの黒髪の青年は、何気なく画面を見ていた。

 国境でのACT戦。

 ゼルカスト人民共和国。

 国境侵犯。

 警戒態勢。

 隣の金髪の上官は苦笑している。

「俺が追い返してきたやつだ」

「追い返すって……」

 リュミアが目を丸くした。近所にお使いに行ったかのような口調が可笑しかった。

 それとは別に、隣国の行動が不穏だった。

「怖いね、おじさん」

「まあな」

 自分の保護者が太い腕を組む。

「ガス抜きで済めばいいが」

 デイビッドも頷いていた。

「向こうとしては、ユンカリスを手に入れたいんだろ」

 店主が少し考える素振りをした。

「観光も産業もあるからな」

「でも親玉がアウロラだ」

 金髪の美丈夫が、コーヒーを一口ふくむ。

「そう簡単にいくかよ」

 隣の青年も静かに頷いていた。

 リュミアも、どうかこの平和が続いてほしいと思った。


 ニュース映像が切り替わる。

『続いて、セレスティアヴェール王国――』

 その国名がテレビから聞こえたとき。

 黒髪の青年の指先が止まった。

 リュミアは何気なく、そちらに目を向けてしまった。


 画面を見ていない。

 ギルフォード・レイン。金髪の士官の友人。その様子が明らかに変だと思えた。

『二か月前に発生した首都ルクシア大規模テロ――』

 報道は続く。

 リュミアは思い出した。

 そうだ。

 彼は、あの国の出身だと言っていた。

 以前、ユンカリスにきた理由を訪ねたとき、

「失恋をして」困ったように笑いながらそう答えていた。

 その時は笑い話だと思った。

 

 陶器が擦れる小さな音がした。

 彼の持つコーヒーカップが震えていた。

 右手が止まらない。

 白い指先が震え、

 コーヒーが静かに波打つ。

 顔色がみるみる失われていく。

 呼吸が浅い。

 冷や汗が頬を伝っていた。

 リュミアは慌てて立ち上がった。

 ギルの手へ触れ、震える指からカップを受け取る。

 そして、彼の冷え切った右手を、

 自分の両手で包み込んだ。

「あ……リュミアちゃん、ごめん」

 黒髪の青年は、ようやく気がついたようにリュミアに視線を向けた。

 伸びた前髪の隙間から覗く瞳には、気まずそうというよりも、恐怖とも後悔ともつかない色が宿っていた。

「コーヒー、こぼれちゃいますから」

 それだけだった。なにも追求する気になれない雰囲気があった。

 リュミアが笑うと、ギルは小さく頷いた。

 

 カウンターの向こうでは、

 叔父が黙ってコーヒーミルを回している。

 金髪の士官も何も言わない。

 親友の背中を一瞥し、静かにコーヒーを一口飲んだ。

 誰も励まさない。

 誰も問い詰めない。

 ただ、

 その青年が一人ではないことだけが、

 ノースライトという小さな店に、

 静かに満ちていた。




4


 その日の業務が終わるころには、ユエラン基地の巨大なハンガーから、昼間の喧騒はほとんど消えていた。

 天井近くに設置された照明は、すでに半分ほどが落とされている。

 広大な空間のあちこちに残された作業灯だけが、整然と並ぶ機体や整備機材の輪郭を淡く照らしていた。

 昼間であれば、工具が金属を叩く音や、整備員同士の怒鳴り声、牽引車両の警告音が絶え間なく響いている。

 だが今は、遠くから聞こえる空調設備の低い唸りと、ときおり機体の装甲が冷えて鳴らす小さな音だけが、天井の高いハンガーに反響していた。


 そんな薄暗い空間の壁際に、ギルフォード・レインは一人で座っていた。

 そこは、いつの間にか彼の定位置となっていた。

 作業の邪魔にならず、格納されている機体からも適度に離れ、他の兵士が好んで近づくような場所でもない。

 なにより、その場所からなら、すぐ近くに駐機されている一機の戦闘艇を見ることができた。

 ギルを乗せ、セレスティアヴェールからユンカリスまで飛んできた戦闘艇である。名前はなんだったか。

 全長は二十メートル。ライトグレーに塗られ複雑なラインで構成された機体は、今はエンジンを止めたまま、羽を休める鳥のように静かに佇んでいた。

 各部には検査用のカバーが取り付けられ、脚部には固定具が噛ませてある。機体表面に走る細い朱色の識別線も、落とされた照明の下ではほとんど色を失っていた。

 この機体が、再び空へ上がる予定は、いまのところない。

 ギルはその事実を知っていた。

 それでも、仕事を終えた後にここへ来ると、自然とこの機体の近くを選んでしまう。

 

 ギルの足元には、一枚の敷物が広げられていた。

 一見すれば、東洋の民具を模した、ごく普通の茣蓙にしか見えない。

 だが実際には、耐弾、耐爆、耐衝撃、耐熱性能を備えた特殊繊維を、茣蓙風に編み上げた携帯用多目的シートである。

 小銃弾程度であれば防ぐことができ、火災時には簡易防火幕としても使用できる。

 正式名称は、汎用野外作業区域形成シート。どういう構造なのか、座り心地は非常に良かった。

 

 その上に一本の剣が置かれていた。正確には柄だけである。磁器を思わせる真っ白な柄。

 軍の兵士などが使用する、歩兵用のレーザーソードである。

 戦闘時、スイッチを入れると、所属の国や部隊に応じた、様々な色の光の刃が形成される。


 ギルフォード・レインの所持するそれは、全長は三十センチほど。

 発光部を保護する一対の突起と、戦闘機の翼を思わせる鍔を備えている。

 柄の中心部には、サファイアにも似た透明金属が埋め込まれていた。

 フォルセイン。

 ギルが母国を離れる際に手にしていた武器だった。

 その名前の持つ意味は、残念ながら思い出せなかった。


 ギルは柔らかな布を指へ巻き、フォルセインの柄を丁寧に拭いていた。

 この地で使用したわけではない。

 汚れているわけでもなかった。

 それでも、少しずつ角度を変えながら、白い柄の表面を何度も磨いていく。

 小さな溝に汚れが残っていないか。

 透明金属の表面に曇りがないか。

 発光部に異常はないか。

 確認する必要などないほど、愛剣の状態は良好だった。

 それでもギルは手を止めなかった。

 磨いている間だけは、余計なことを考えずに済む。

 そう思った。


 ギルは布を持つ手を止めた。

 しばらく、白い柄を見つめる。

 やめておけばいい。

 そう思った。

 ここはユンカリス軍の基地である。

 業務時間は終わっているとはいえ、人が完全にいなくなったわけではない。

 それに、光剣の刃は目立つ。

 分かっていた。

 それでも右手は、柄に設けられた起動部へ伸びていた。

 小さな駆動音が鳴る。

 次の瞬間。

 純白の柄から、一条の光が静かに伸びた。


 薄暗いハンガーの一角が、青く染まる。

 アウロラネクサスと、その傘下国でよく使用されるのは、緑系の光刃をもったもの。

 コンチネンタルアクシス系の国々で使用されるのは赤系の光剣。

 そしてセレスティアヴェール関連で多く用いられている白い光剣とも違う。

 深く澄んだ青。

 夜が終わり、太陽が昇る寸前。

 まだ地上には闇が残りながら、遠い空だけが光の到来を告げる――そんな夜明け前の空の色を凝縮したような光だった。


 青い光刃は、ほとんど揺らぐことなく伸びている。

 柄の末端から光刃の先端まで、百五十八センチ。

 通常使用される光剣よりも、若干長い設定だった。

 技術的制約により、青い光剣は出力を出すことが難しかった。

 一番出力を出しやすいのが、光の三原色でいうところの赤。

 次点に位置するのが緑。

 青は残念ながら、出力の向上に尋常ではないコストが必要であった。

 綺麗な色であることは間違いないので、式典の儀礼用として製造されていた。俗語として玩具と言われることもあった。

 ギルは青い光を見つめた。

 わずかに目を細める。

 気がつくと、口元に小さな笑みが浮かんでいた。

 本当に、ほんの少しだけだった。

 今の彼を知る人間が見れば、それが笑顔だと気づかないかもしれない。

 それでも確かに、ギルは笑っていた。


「おい」

 背後から声がした。

 ギルの表情が消えた。

 反射的に振り返る。

 いつの間に近づいていたのか、四人のユンカリス兵が彼を囲むように立っていた。

 いずれも若い。

 作業を終えたばかりなのか、軍服の上着を肩に引っかけている者もいる。

 酒の匂いはしない。

 だが、退屈を持て余している者特有の、嫌な笑みが顔に浮かんでいた。

 中心に立つ男が、青い光刃を眺める。

「お前、なんで光剣なんか持ってんだよ」

 視線が、ギルの作業服へ移った。

「整備兵だろ」

「あ……」

 ギルは慌てて光剣を停止させた。

 青い光が消え、周囲が元の薄暗さへ戻る。

 立ち上がりながら、白い柄を両手で強く握りしめた。

「これは……」

 どんな言い訳をしよう、そう思ったが遮られた。

「どこからかっぱらってきたんだよ」

 別の兵士が笑った。

「手癖の悪い野郎だな」

「違います。これは俺の――」

「おら、没収だ」

 中心の男が手を伸ばした。

 ギルは考えるより先に、その手をかわしていた。

 大きく動いたわけではない。

 半歩だけ身体を引き、掴もうとした指先からフォルセインを外しただけだった。

 男の手が空を切る。

 一瞬、周囲が静かになった。

「……何だ、お前」

「いや、これ、俺のなんで」

 ギルは愛剣を胸元へ寄せた。

 穏やかな口調を心がけた。

 相手を挑発する意図もなかった。

 むしろ、これ以上騒ぎにしたくなかった。

 だが、それが男には気に入らなかったらしい。

「返せよ」

「俺のです」

「整備兵が持つもんじゃねえって言ってんだよ」

 再び手が伸びる。

 ギルはそれも避けた。

 今度は先ほどよりも大きく身体を引いた。

 男の顔が歪む。

「調子に乗るな!」

 拳が飛んできた。

 避けようと思えば、避けられた。

 だが、ギルの身体は動かなかった。

 ここで避ければ、相手はさらに意地になる。

 反撃すれば問題になる。

 自分は外から流れ着いた整備兵で、相手はこの国の正規兵だ。

 そう考えた、次の瞬間。

 拳が頬へ当たった。

 鈍い音がした。

 視界が横へ揺れる。

 口の中に、鉄の味が広がった。

 わずかに身体がよろめく。

 その隙を、男は見逃さなかった。

 ギルの手から、愛剣が奪い取られた。

「あ……!」

 白い柄が、他人の手に渡る。

 その光景を目にした瞬間、頬の痛みは消えた。

「なんだよ」

 男はフォルセインを片手で持ち上げた。

 予想していたよりも軽かったのか、眉を寄せる。

「玩具のくせに、やたら凝った作りしてやがるな」

 フォルセインを裏返し、透明金属へ目を近づける。

「中身、すっからかんなんじゃねえのか」

 周囲から下卑た笑い声が上がった。

 ギルの指が震えた。

 怒りではなかった。

 恐怖に近い。

 他人の手の中で、フォルセインが無造作に振り回されている。

 白い柄が壁や床へ当たるのではないか。

 発光部を傷つけられるのではないか。

 そのことしか考えられなかった。

「返してください」

 一歩、男へ近づいた。

「それを返してください」

 先ほどより、声が低くなっていた。

 男の顔から笑みが少し消える。

 反抗されたことに腹を立てたようだ。

 奪われた愛剣へ手を伸ばす。

 今度は、殴られるような勢いで胸を強く押された。

 身体が後ろへ飛ばされる。

 敷物の端へ踵が引っかかり、尻餅をついた。

「俺らが使ってやるよ」

 ユンカリス兵のリーダーは見下ろすように言った。

「整備兵には必要ねえだろ」

「それとも何か?」

 別の兵士が口を挟む。

「そいつ、実は工具なのか?」

 笑いが広がった。

 ギルは何も答えなかった。

 答える余裕がなかった。

 男の親指が、フォルセインの起動部へ触れている。

 カチッ。

 小さな音がした。

 だが、光刃は現れない。

「なんだよ」

 もう一度、男が起動部を押す。

 カチッ。

 やはり何も起こらない。

「不良品かよ」

 男は苛立ったようにフォルセインを振った。

 ギルは立ち上がろうとした。

 フォルセインには、使用者識別機能が組み込まれている。

 登録された者以外には起動できない。セイフティーは徹底されていた。

 だから、光刃が突然発生して相手を傷つける心配はない。

 それでも安心などできなかった。

 どうする。

 奪い返すか。

 だが、ここで問題を起こせば今の生活を失うかもしれない。

 デイビッドにも迷惑がかかる。それはとてつもなく嫌だった。


 黒髪の整備兵が沈黙していると、ハンガーの奥から声がした。

「何をやっている」

 大声ではなかった。

 だが、その場にいた全員の動きが止まった。

 四人の兵士が振り返る。

 照明の落ちた通路の向こうから、一人の軍人が歩いてきた。

 整った金髪。

 深い青と黒を基調としたアウロラネクサス軍の制服。

 肩には少佐の階級章がある。

 中枢国アウロラネクサスからユンカリス軍支援のため派遣されている第二十七機動艦隊。

 その実戦部隊を率いる男。

 青騎士のエース、デイビッド・スミスだった。

 彼の顔は、ユンカリス兵たちにも知られていた。

 先ほどまで笑っていた兵士たちの表情が、露骨に強張るのがわかった。


*


 定位置にいるであろう友人を探しに来た。思わぬシーンに遭遇してしまった。

 軍である以上、やんちゃな者も存在する。それは仕方がなかった。

 だが。おれの連れに手を出すな。

 デイビッド・スミスは、若いユンカリス兵にその視線を向けた。

「いや、少佐」

 ギルの剣を持った男が、慌てて笑みを作った。

「そこの整備兵が、不釣り合いなものを持っていたんで」

 自分たちの行為を正当化する言葉を探している。不愉快だった。

「俺らが実戦で使ってやろうかと思いまして」

 デイビッドは男の手にある白い柄を見た。いつも親友が大事そうに磨いている剣だった。

 次に、しゃがみ込んでいるギルを見る。

 頬が赤く腫れ始めている。

 口元には、わずかに血が滲んでいた。

 自分が腹を立てていることに、デイビッドは気づいた。

「そうか」

 できる限り平静を保った。

「残念だったな」

 兵士たちが顔を見合わせる。

「そいつの帯剣は、正式に認められている」

 デイビッドはギルを殴った兵士をまっすぐ見据えた。

「司令も許可を出している」

 穏やかな口調をつくった。

 怒鳴るつもりも威嚇するつもりもなかった。

 だが、引き下がるつもりは微塵もなかった。

「返してやれ」

 強い口調ではないつもりだったが、兵士たちは明らかに気圧された様子だった。

 まとめ役の兵士が唇を噛んだのが見えた。

「……分かりましたよ」

 負け惜しみのように吐き捨てる。

 そして、フォルセインをギルへ手渡すのではなく、無造作に放った。

 白い柄が宙を舞う。

 乾いた音を立てて、白い剣が床へ落ちた。

 ギルの息が一瞬止まった。即座にしゃがみ込む。

「……っ!」

 

 兵士たちの存在も、自分の視線も忘れ、必死な形相で愛剣を拾い上げる。

 顔が青ざめていた。

 白い柄を裏返す。

 鍔を見る。

 発光部を見る。

 透明金属を見る。

 目を近づけ、傷がないか何度も確かめる。

「そんなに大事なら、見せびらかしてんじゃねえ」

 剣を投げた男が吐き捨てた。

 ギルは返事をしなかった。


 四人の兵士が文句を言いながら去っていく。

 足音が遠ざかり、やがてハンガーの静けさへ溶けた。

 デイビッドはその背中を厳しい目で見送っていた。

 追いかけて処分を命じることはできる。

 所属と氏名を確認し、上官へ報告することもできた。

 だが今は、それより先に確かめなければならないことがあった。

 ギルはまだ床にしゃがみ込んでいた。

 フォルセインを両手で持ち、小さな傷を探している。

「ギル」

 呼びかけると、ようやく顔を上げた。

 腫れ始めた頬よりも、その目の方が痛々しかった。

「あ……デイヴ」

 黒髪の友人は立ち上がった。

 慌てて表情を取り繕う様が、デイビッドの胸に刺さった。

「ありがとう。助かった」

「気にするな」

 短く答える。

「ああいう馬鹿もいる」

 デイビッドの視線は、無意識に親友が抱える愛剣へ向いた。

 ギルは反射的に、白い柄を胸元へ引き寄せた。守るような素振りだった。

「今度何かあったら、すぐに言え」

「ああ。すまない」

「謝るな」

「でも……」

「お前は何もしていない」

 親友を責めるつもりはなかった。

 ギルはしばらく黙り、やがて小さく頷いた。

「分かった」

 デイビッドは頬の傷へ目をやった。

「医務室へ行くか?」

「いや。これくらいなら大丈夫だよ」

「お前の大丈夫は信用ならん」

「そこまで酷くないって」

 ギルが困ったように笑う。

 いつもの、自分を安心させるための笑い方だった。

 デイビッドは納得していなかったが、それ以上は言わなかった。

「それで」

 ギルは話題を変えるように尋ねた。

「何でここへ?」

「一緒に飯でもどうかと思ったんだ」

「ああ」

 ギルは愛剣を見た。

 もう一度、傷がないことを確認する。

「じゃあ、ぜひ」

 ギルは茣蓙を丁寧に畳み、フォルセインを専用の保持具へ収める。

 その一つひとつの動作を、デイビッドは何も言わずに待っていた。



◇


 その夜。

 ギルは基地からほど近い宿泊棟の自室に戻っていた。

 部屋は狭い。

 壁際に置かれた簡素なベッド。

 小さなデスクと椅子。

 備え付けの収納棚。

 生活に必要なものは一通り揃っているが、それ以上のものは何もない。

 新しくはない。

 かといって、気が滅入るほど古びてもいない。

 長期滞在用のビジネスホテル。

 そう表現するのが一番近かった。


 デスクの隅には、支給された端末と数冊の整備資料が重ねてある。

 そして、モーターサイクルの雑誌と漫画雑誌。どちらもわざわざ紙で手に入れたものだ。

 棚には着替え。

 床には小さな工具箱。

 私物と呼べるものは、ほとんどなかった。


 ギルはベッドの上に座り、フォルセインを膝へ載せていた。

 夕食を終えて部屋へ戻ると、まず頬を冷やした。

 その後、シャワーも浴びた。

 明日の準備も済ませた。

 眠るだけの状態になってから、ようやく専用の保持具からフォルセインを取り出した。

 ハンガーで一度確認した。

 食事へ向かう前にも確認した。

 部屋へ戻った直後にも確認した。

 それでも、もう一度見なければならなかった。

 デスクの照明をベッドの方へ向ける。

 白い光の下で、純白の柄をゆっくりと回した。

 鍔。

 発光部。

 保護突起。

 透明金属。

 床へ落とされた時、最初に触れたであろう箇所。

 何度確認しても、傷は見つからなかった。

 純白の外装は、変わらぬ滑らかさを保っている。

 サファイアのような透明金属にも、曇り一つない。

 奇跡的に。

 本当に、奇跡的に傷はついていなかった。

 ギルは長く息を吐いた。

 張り詰めていた肩から、わずかに力が抜ける。

「よかった……」

 小さく呟いた声が、狭い部屋に落ちた。


 誰も答えない。

 当然だった。

 ギルは柔らかな布を取り出し、再びフォルセインを磨き始めた。

 汚れてはいない。

 それでも床へ落ちた箇所を、何度も拭った。

 優しく。

 壊れ物を扱うように。

 しばらくして、手が止まった。

 フォルセインの鍔は、戦闘機の翼を思わせる形をしている。

 使用時には、ここから光学兵器を弾くための防御場が展開される。

 剣そのものを守り、同時に使用者の手を護るための機構。

 ギルは、その優美な形をしばらく見つめていた。

 不意に、胸の奥から何かが込み上げてきた。

「ごめん……」

 

 ギルはフォルセインを胸元へ引き寄せた。

 白い柄を両腕で抱く。

 三十センチほどしかない、冷たい金属の塊。

 だが、胸へ抱いた瞬間。

 それが剣であることを忘れた。

 純白の柄が胸骨へ当たり、わずかな痛みが走る。

 それでも力を緩めなかった。

 泣きたいと思った。

 なにかが胸の奥を駆け巡った。

 涙は、一滴も出なかった。

 ギルはフォルセインを抱いたまま、ベッドの上で動かなかった。

 

*


 窓の外では、ユエラン基地の誘導灯が規則正しく明滅していた。

 夜はまだ深い。

 夜明けまでは、遠かった。




5


 カサンドラのコクピットモニターに、乾いた大地が流れていた。

 赤茶けた荒野。低い岩山。ところどころに残る白い雪。

 ユンカリス共和国北部、ゼルカスト人民共和国との国境地帯は、春を迎えた今もなお冬の名残を引きずっている。

 上空には薄い雲が広がり、その下を五機のACTが東へ向かって飛行していた。

 先頭を行くのは、深い青に塗られたカサンドラ。

 左右後方には、二機ずつのテューダーが随伴している。

 アウロラネクサス第二十七艦隊所属のACT。ライトグリーンの細身の機体である。

「当隊の接敵予想時刻、三分二十秒」

 戦術支援COM、リズの声がコクピットに響いた。

「敵機数、再確認」

 デイビッド・スミスは操縦桿を握ったまま言った。

「ナグル十機、ウルヴン一機。合計十一機。進行速度に変化なし。依然として陸上移動を継続しています」

「指揮官機はウルヴンか」

「その可能性が高いと判断します」

 コンチネンタルアクシス製ACT。ナグルの上位機種。ナグルよりはるかに洗練されたデザインを持つ。

 デイビッドは正面モニターへ視線を向けた。

 レーダー上に、十一の赤い光点が並んでいる。

 動きは遅い。

 飛行能力を持たないわけではない。それでも地上を進んでいるということは、身を隠すつもりがないのだ。

 むしろ、見せつけている。

 自分たちはここにいる。

 いつでも国境を越えられる。

 止められるものなら、止めてみろ。

 そう言っているように見えた。

「露骨だな」

 デイビッドは呟いた。

 眼下では、荒野が何事もないように流れていく。

 遠くの山肌には、まだ雪が残っていた。

 これから戦闘が始まるとは思えないほど、地上は静かだった。


 前回、ゼルカスト軍が国境を侵犯した地点から、さらに百キロほど東。

 規模も前回より大きい。

 単なる威力偵察ではない。

 ユンカリス軍の対応能力を測る意図がある。

 あるいは、もっと別の目的がある。

「先行部隊は」

『ユンカリス共和国軍ライオス十五機。敵部隊との距離、十八キロ』

 性能ではライオスが勝る。

 数でも十五対十一。

 兵器の能力だけを比べれば、負ける理由はなかった。

 だが、戦場では機体性能だけで勝敗は決まらない。

 デイビッドはユンカリス軍の練度を知っている。

 平時の飛行訓練は行っている。

 射撃訓練もしている。

 編隊飛行もできる。

 それでも、実戦になると話は別だった。

 命を奪われる恐怖。

 自分が引き金を引けば、相手が死ぬという重さ。

 爆発音。

 通信に混じる悲鳴。

 訓練では決して再現できないものがある。

「こちらの到着まで待てと、もう一度伝えてくれ」

「すでに三度、同様の要請を送信しています」

「四度目だ」

「了解しました」

 短い通信音。

 リズがユンカリス軍へ要請を送る。

 デイビッドは小さく息を吐いた。

 本来なら、敵の倍以上の数を揃えて迎撃するべきだった。

 ゼルカスト軍は越境を繰り返している。

 ならば一度の戦闘で確実に撃退し、これ以上の侵入には大きな代償が伴うと理解させなければならない。

 デイビッドはユンカリス軍司令部へ、三十機規模での迎撃と短期決着を進言した。

 却下された。

 理由は単純だった。

 大部隊を動かせば、ゼルカストを刺激する。

 あくまで局地的な問題として処理したい。

 国境紛争へ発展させてはならない。

 言っていることは理解できる。

 だが、相手が同じ理屈で動いてくれる保証はない。

 もどかしかった。


「ユンカリス軍先行部隊、速度上昇」

 リズの声で、デイビッドは眉を寄せた。

「何をしている」

「ライオス部隊、フライトユニットを展開。敵部隊へ向けて加速しています」

「通信を開け」

「接続します」

 ノイズの向こうから、若い男の声が聞こえた。

『こちらユンカリス共和国軍第十二ACT中隊。敵部隊を確認した。これより排除する』

「待て。こちらが到着するまで交戦するな」

『数ではこちらが上です。今のうちに叩きます』

「数だけで判断するな。ウルヴンは指揮官機だ。後方に別働隊がいる可能性もある」

『敵は国境を侵犯しています。見逃すわけにはいきません』

「見逃せと言っているんじゃない。隊列を維持して――」

『全機、攻撃開始!』

 通信が切れた。

 レーダー上の青い光点が、一斉に赤い光点へ殺到する。


 デイビッドはヘルメットの上から、無意識にこめかみを押さえた。

「こっちの到着を待てと言ったのに……」

「命令権限がありません」

「分かってる」

 第二十七艦隊はユンカリス防衛支援のために派遣されている。

 だが、ユンカリス共和国軍は独立国の軍隊だ。

 デイビッドにできるのは要請まで。

 命令はできない。

 戦闘が始まった。

 遠方で、いくつもの閃光が瞬く。

 光条が荒野を走り、爆煙が舞い上がった。

 レーダー上で機影が激しく交錯する。

「全機、最大戦速」

『了解』

 カサンドラの推進器が強く光った。

 青い機体が加速する。

 四機のテューダーも続く。

「到着まで」

「一分五十秒」

「長いな」


 その一分五十秒で、何機が落ちる。

 デイビッドが奥歯を噛んだ直後だった。

「ロード!」

 リズの声が変わった。

 先ほどまでの事務的な響きではない。

 緊急報告を告げる声だった。

「どうした」

「第二十七艦隊司令部より通信。ハイユン国際空港方面に、ゼルカスト軍地上部隊を確認」

 デイビッドの目が細くなる。

「規模は」

「歩兵多数。APを伴っています。現在も南下中」

「空港へ向かっているのか」

「進路から判断して、その可能性が高いと思われます」

 国境でACT部隊が陽動を行い、その隙に空港を襲う。

 目的は何だ。

 空港の占拠か。

 破壊か。

 あるいは、空港に到着する誰かを狙っているのか。

「ロベルト司令は」

「第二十七艦隊所属歩兵部隊およびユンカリス軍部隊を、空港方面へ向かわせています」

「間に合うのか」

「現時点では不明です」

「ACTは出していないんだな」

「肯定です。双方とも施設の大規模破壊を嫌ってのことと思われます」

「そうか」

 デイビッドは正面モニターを睨んだ。

 戻ることはできない。

 目の前では、ユンカリス軍のACTがすでに戦闘を始めている。

 こちらまで引き返せば、十五機を見捨てることになる。

 だが。


 ハイユン。

 その名を聞いた瞬間、別の顔が脳裏をよぎった。

 ハイユン医療センター。

 友人が。ミレアとシンシアが勤務している。

 二人とも民間人だ。

 戦場で身を守る術など持っていない。

「大丈夫だ」

 デイビッドは誰にともなく呟いた。

 第二十七艦隊の歩兵が向かっている。

 ユンカリス軍もいる。

 空港周辺には警備隊も配備されているはずだ。

 大丈夫だ。

 大丈夫なはずだ。

「ロード」

「何だ」

「心拍数が上昇しています」

「余計な報告をするな」

「医療センターに連絡しますか」

「いや」

 連絡したところで、どうなる。

 不安を煽るだけだ。

 それに、戦闘中の軍用回線を私用に使うわけにはいかない。

 今は自分の仕事に集中するべきだ。

 そう思う。

 だが、嫌な予感だけが消えない。

「人員が足りないな」

「はい」

「医療センターへ向かわせられる者は」

 余計な心配であると、自分に言い聞かせた。

 それでも不安が沸き起こる。

「現在、ユエラン基地で即時出動可能な戦闘員を検索します」

 戦術AIが自分の言葉に応えた。


「いや、待て」

 デイビッドは言いかけて、止まった。

 頭の中に、一人の男が浮かんだ。

 正規の戦闘員ではない。

 少なくとも、今はそういうことになっている。

 整備員として基地に居候し、ハンガーの隅で機体を眺めている男。

 普段は頼りなさそうに見える。

 目には覇気がなく、髪も伸びたまま。

 人と目を合わせるのも苦手で、何か頼めば、困ったように眉を下げる。

「……いた」

「該当者を特定できません」

「ギルだ」

 リズが一瞬、沈黙した。

「ギルフォード・レイン准尉」

「ああ」

「現在、ユエラン基地ハンガーで勤務中」

 デイビッドは通信回線を切り替えた。

「ユエラン基地へ繋げ」

「了解」

 通信接続を待つ間にも、遠方で閃光が瞬いている。

 青い光点が一つ、レーダーから消えた。


 デイビッドの表情が険しくなる。

「急げ」


「接続しました」



◇   


「なんで整備兵に、そんな指示が来るんだ?」

 ユエラン基地ハンガー。

 整備責任者のイコマは、通信端末の前で露骨に顔をしかめた。

 整備士用の帽子を一度取り、すっかり灰色となった頭髪を掻き上げる。

 大型機材の作動音が響くハンガーでは、数人の整備員が手を止め、こちらを見ている。

 端末の向こうに映っているのは、カサンドラのコクピットにいるデイビッドだった。

 背景が細かく振動している。

 高速飛行中なのだろう。

『人が足りない』

「それは聞いた」

『ハイユン国際空港方面へ、ゼルカストの歩兵部隊が進行中だ。医療センターの状況を確認してほしい』


「偵察なら、無人機を飛ばせばいいだろう」

『妨害電波が出ている。低空では通信も不安定だ』

「だからって、なんでレインなんだ」

 イコマは少し離れた場所に立つ覇気のない青年を横目で見た。

 二か月前にこの基地にやって来た。ACTの知識を多少持っており、整備経験もある。

 なので自分の下に置き、ACTの整備をさせている。正式な免許は持っていなかったが、これから取らせればいい。少なくとも、素人の技量ではなかった。


 ギルフォード・レインは、自分の名前が出ているにもかかわらず、どこか他人事のような顔で通信を聞いていた。

 ただし、ハイユン医療センターという言葉が出た瞬間だけ、わずかに視線が動いていた。

『俺が頼んでいる』

 デイビッドの声が低くなる。

『責任は全て俺が持つ。戦闘は避けろ。あくまで病院の状況確認だ。危険なら引き返して構わない』

「戦闘区域へ近づくんだぞ」

 整備兵に戦闘をさせる。それには納得がいかなかった。

『分かっている』

「こいつは戦闘員じゃない」

『それも分かっている』

「なら――」

『イコマ』

 デイビッドの声が途切れる。

 通信の向こうで警報音が鳴った。

『悪い。戦闘に入る』

「おい」

『ギルに代わってくれ』

 イコマは舌打ちし、受話器型の端末をギルへ差し出した。

「ご指名だ」

 黒髪の整備兵は少し戸惑ってから端末を受け取った。

「デイビッド、少佐」

『悪いな』

「医療センターですね」

『ああ。空港の東側だ。正面から近づくな。北東の旧貨物道路を使え』

「分かりました」

『ギル』

 デイビッドが一度、言葉を切る。

『無理はするな』

 ギルは答えなかった。

 代わりに、ほんの少しだけ目を伏せる。

『俺が全責任を持つ。悪いが、病院の様子を見に行ってくれ』

 この部隊のエースから、聞いたことがない声を聞いた。

『もし、医療センターが戦闘に巻き込まれるようだったら、すぐに連絡をくれ!』

 俺が向かう。そう聞こえた気がした。そして、眼前の整備兵も、そう解釈をしたのだろう。


「……分かりました」

 通信が切れた。

 イコマは腕を組み、ギルを見た。

「簡単に引き受けるなよ」

「人がいないそうです」

「それは軍の都合だ」

「医療センターには、少佐の友人がいます」

「だからって、お前が行く理由にはならん」

 ギルは端末を戻した。

「心配していました」

「だから?」

「友人が心配しているので」


 平坦な声だった。

 だが、妙に断りづらい。

 イコマは深く息を吐いた。

 それ以上追及せず、近くの整備員を呼びつけた。

「アウロラ製のTPを出せ。予備のM型だ」

「了解」

「それから軍用バイクを一台。燃料満タンのやつ」

「はい」

 整備員たちが慌ただしく動き始める。

 イコマはギルへ向き直った。

「様子を見に行くだけだ。撃ち合いなんかするなよ」

 黒髪の整備兵は、はにかんだように笑った。


 しばらくして、ハンガー脇の更衣区画からギルが出てきた。

 イコマはその姿を見るなり、眉をひそめた。

 紺と灰色を基調としたアウロラネクサス軍制式タクティカル・プロテクター。

 軟質素材でつくられたアンダースーツ。

 その上へ取り付けられる硬質素材のアウターアーマー。

 身体を守るための装備であり、身体を強化するための、大型の外骨格と動力を持つAPとは異なる。

 性能に問題はない。

 だが。

「……似合わんな」

「そう、ですか」

 ギルは両腕を少し広げ、自分の身体を見下ろした。

 若干細身のギルには、装甲の幅が合っていない。

 胸部がわずかに浮き、肩の位置もずれている。

 体格の良い兵士を想定した装備なのだろう。

 見栄えそのものは悪くない。

 だが、どこか借り物めいていた。

 実際、借り物なのだが。

 ギルは一歩動いた。

 ぎこちない。

 もう一歩。

 さらにぎこちない。

「……重いです」

「TPだからな」

「動きづらいです」

「贅沢言うな。こんなもんだ」

「腰も痛いです」

「老人か、お前は」


 ギルは困ったように周囲を見回した。

 その視線が、ハンガーの隅で止まる。

 なにか思い出したようだ。

 そこには一機の戦闘艇が駐機されていた。

 淡い灰色の機体。

 細身の胴体。

 可変翼を思わせる主翼。

 奴を乗せてこの地まで飛んできた機体だ。

 何を思いだしたのか。

「どうした」

 ギルはしばらくその機体を見つめていた。おもむろに近づく。

 機体側面へ手を掛けた。

 簡易昇降用のステップが展開する。

 コクピット脇の装甲に器用に上り、慣れた動きでコクピットへ近づく。キャノピーを開いた。

 中へ上半身を潜り込ませる。

「何してる」

「探しています」

「それは見れば分かる」

 メインシートの後方には、荷物を収めるための狭い空間がある。

 整備と修理を行う際に、一通り確認した。


 数十秒の格闘の後、若き整備士は大型のスーツケースを引っ張り出していた。

 灰色で頑丈に見えた。おそらく軍用のものであろう。角にはわずかな擦り傷があった。

 それをハンガーの床に、大事そうに置く。

「……入れてくれてた」

 小さな声だった。

 イコマには、その言葉に含まれた感情までは分からなかった。


 ギルフォード・レインはしゃがみ込み、スーツケースの表面を手で撫でた。

 それから、急に立ち上がった。

「イコマさん」

「何だ」

「これ、脱ぎます」

「は?」

 返事を待たず、借り物のTPを外し始めた。

 肩部装甲。

 胸部ユニット。

 腰部装甲。

 脚部。

 次々と解除する。

「待て待て待て。こんな所で脱ぐな」

「下に服は着ています」

「そういう問題じゃない」

「急いでいるので」

 数分後。

 床には、アウロラネクサス軍のTP一式が整然と並べられていた。

 ギルはTシャツとトランクス、ソックスのみの姿のまま、灰色スーツケースのロックへ指を置く。

 短い認証音。

 ケースが開いた。

 内部に収められていたものを覗き込み、イコマは言葉を止めた。


 深い紺色のアンダースーツ。

 そして、分割された装甲。

 脚部は足先から膝、腿までが一体化されている。

 腰部、背部、胸部、肩部はフレームで連結され、身体へ密着する構造になっていた。

 両の手甲。

 背部には折り畳まれた大型の装備。

 最後に、凝った形のヘルメット。角のようなアンテナが見える。

 アウロラネクサスの制式品とは明らかに設計思想が違う。

 おそらく量産装備ではない。

 装着者のために、身体へ合わせて作られたものだと、一目で分かった。

 ギルは紺色のアンダースーツへ袖を通した。

 先ほどまでとは違う。

 軟質素材が身体へ吸いつくように馴染んでいる。

 脚部ユニットへ足を入れる。

 装甲が自動的に閉じ、内部機構がギルの脚へ固定された。

 腰部。

 背部。

 胸部。

 肩部。

 装着するたびに短い作動音が鳴る。

 外部動力を駆動させるような大きな音はない。

 それでも、装甲の各部が静かに位置を合わせ、装着者の身体へ追従する。

 最後に手甲を装着し、指を開閉する。

 動きに一切の窮屈さがない。

 ギルはヘルメットを持ち上げた。

 紺色の外装。

 側面には幾筋もの白い傷が残っている。

 使用された形跡はある。

 だが、装甲表面には新品に近い艶が残っていた。

 ギルは一度だけ、ヘルメットを真正面から見つめた。

 そして、向きを変え、静かに被る。

 認証音。

 首元の装甲とヘルメットが接続された。

 フェイスガードは開いたままだ。


 イコマは目の前の青年を見つめた。

 同じ男のはずだった。

 髪も同じ。

 顔も同じ。

 それなのに。

 猫背気味の立ち方が、タクティカル・プロテクターの姿勢補正のためか、まっすぐ伸びている。

 先ほどの借り物姿とは、明らかに雰囲気が違っていた。

 装備が身体に合っているから、というだけでは説明できない。

 紺色のテクターは、その男の一部に見えた。

 まるで、長く離れていた本来の姿へ戻ったように。

 ギルはケースの脇へ手を伸ばす。

 そこに置かれた、純白の剣の柄を手にとった。

 無駄な装飾はないが、防御用のプレートがせり出している、大柄の光剣の柄だった。

 それを左腰のソードマウントへ装着する。

 固定音が鳴った。

 紺色の全身。その中で、左腰の一角だけ、まっ白なアクセントが入った。

「自前のがありました」

 ギルはそう言った。

 いつもと変わらない、少し頼りない声だった。

 イコマはしばらく返事ができなかった。

「……それは、何だ」

「ああ、俺のタクティカル・プロテクターです」

「俺の?」

「前の職場で使ってました」

 イコマはそれ以上問わず、一歩近づいた。

 装甲に刻まれた細かな傷を見る。

 装飾ではない。

 実際に何かがぶつかり、削れた跡だ。

 白く残る傷の中には、刃物で切り裂かれたようなものもある。

「軍用品じゃないな」

「はい」

「どこのだ」

 ギルは少し考えた。

「個人制作に近いです」

「個人制作で、こんなものを作るのか」

「試作品だと聞いてます」

 短い答えだった。

 それ以上聞くな、と拒絶しているわけではない。

 ただ、続きを言葉にできないように見えた。

 イコマは黙った。

 ギルは開いたケースの中を確認する。

「シールドもあります」

 身長の三分の二に迫る大きさの盾がスーツケースから出てきた。

 ACTの防御フィールド発生装置に酷似した部品が見えた。

 イコマは少しだけ呆れた。

「まさか、それも持っていくつもりか」

「念のためです」

「病院の様子を見に行くだけだぞ」

「はい」

「戦争をしに行く格好だ、それは」

 ギルの動きが止まった。

 ほんの一瞬だけ。


「……戦争は嫌いです」


 そう答え、背部ユニットへ大型のシールドを接続した。

 いかにも堅牢そうな大型盾が、背中のウエポンマウントへ接続される。

 装着と同時に、背部フレームが微細に位置を調整する。

 装甲そのものは重いはずなのに、ギルの身体へ引きずるような負荷はほとんどかかっていないようだ。


 装着が完了すると、タクティカル・プロテクター全体のシステムが起動したのが分かった。

 頭部センサーシステムに、ごく淡い光が宿る。

 イコマには、その装備が何なのか分からない。

 だが、ただの防弾装備でないことだけは理解できた。

 整備員の一人が、ハンガー入口から声を上げた。

「イコマさん! バイク、準備できました!」

「分かった!」

 イコマは返事をし、ギルへ向き直る。

「本当に行くのか」

「頼まれましたので」

「それだけか」

 ギルは少し黙った。そして何も言わず笑顔を向けてきた。

 ヘルメット左側頭部にあるスイッチへ指を置く。

「バイクだけ、お借りしますね」

「ああ」

 スイッチを押す。

 フェイスガードが下降する。

 ギルの顔が、紺色の装甲の奥へ隠れていく。


 その瞬間だった。


 イコマは見逃さなかった。

 閉じる直前。

 フェイスガードの隙間から見えた、ギルフォード・レインの目。

 数分前までとは違う。

 困ったように揺れ、何かから逃げるように伏せられていた目ではない。

 冷たくもない。

 怒りに染まっているわけでもない。

 ただ、鋭い。

 周囲の全てを捉え、どこに危険があるのかを測る目だった。

 

 イコマは息を呑んだ。


 誰だ。

 自分がずっと整備員だと思っていた、この男は。

「行きます」

 紺色の鎧に身を包んだ、先ほどまで整備兵だった男は、ハンガー入口へ向かって歩く。

 足取りに迷いはない。

 装甲が照明を反射する。

 左腰には、純白の光剣。

 背中には大型のシールド。

 その姿を、イコマは見送った。

 周囲の整備員たちも、興味深げにその背中を見送っていた。



 ハンガーの外では、軍用バイクのエンジンが始動している。

 低い排気音が空気を震わせた。

 ギルは車体へ跨がる。

 計器を確認。

 通信装置を起動。

 ヘルメットのバイザーに、ハイユンまでの進路が表示される。

 北。

 空港と、医療センターがある街。

 そのさらに向こうでは、国境の戦闘が始まっている。

 エンジン回転数が上がった。

 水素エンジンの鼓動に、思わず笑みが零れる。

 クラッチをミート。

 軍用バイクが走り出す。

 基地のゲートを抜け、昼下がりの幹線道路へ飛び出した。


 乾いたアスファルト。一台の軍用バイクが駆け抜けていく。

 背後で、ユエラン基地の灯りが遠ざかる。

 前方には、雲に覆われた北の空。

 その一角が、微かに赤く染まっていた。

 遠くで何かが燃えている。

 戦火は、すでに国境だけのものではなくなっていた。

 紺色のテクター――セインヴェールを身に纏ったギルフォード・レインを乗せ、軍用バイクは速度を上げる。

 冷たい風を切り裂きながら。

 戦場になろうとしている街へ。

 北へ。

 ただ一人、走っていった。



第1話 完


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