第97話 武骨なハートと、気まずい沈黙
ちゃちゃっとと言っていたわりに、それなりの時間が経ってから栞は戻ってきた。
といっても、呆れたり、恥ずかしがったり、笑ったりしている栞の顔を眺めていたらあっという間だったが。
こっちに向かって歩いてくる栞は、両手にそれぞれ皿を持っている。さらに、小脇にケチャップのボトルを抱えていた。
ローテーブルの上は、すでに遥と二人で片付けてある。そこにことりと皿が置かれた瞬間、俺は言葉を失った。
「ごめんね、涼。お待たせしちゃったよね?」
「……えっ。あ、いや、そこまで待ってはないけど──これって……」
二枚の皿の上には、どちらも形の綺麗な黄金色が美しいオムライスが鎮座している。
問題は、サイズが大きい方のオムライスに『りょう』の文字と、オムライス本体からはみ出さんばかりにでかでかとハートが描かれていることだった。
「これはねぇ──えへっ。私の涼への気持ちを、一皿で表現してみたの。ハートの大きさは、私の好きの大きさ、ってね。どうかなぁ? ちゃんと伝わった?」
「……それは、痛いくらいに」
こんなの、嬉しいに決まってる。
それはもう、めちゃくちゃ嬉しい。
でも、痛いのは隣にいる遥からの視線だった。
「うわっ! すっげぇな、これ。俺も彩もいるってのに、ここまでやれんのかよ」
「んふふっ。その程度で私が止まるわけないんだよ、柊木くん?」
「やっぱ黒羽さん最強か? しかも見るからに美味そうだし」
「だって、涼?」
褒めてほしそうな目で、栞が俺を見た。
栞にこんな顔されると、俺も──
「……うん、美味しそうだよ。ありがとね、栞。でもさ、栞の分って」
もう一つのオムライスには、まだケチャップはかけられていなかった。その意味に気付く前に、栞は俺の前にケチャップのボトルを差し出してくる。
「私のはね、涼にやってもらいたいの。だから、ハート、描いて? 涼が私のことを好きって思ってくれてる大きさでね」
「そんなの──」
俺はケチャップを受け取り、キャップを外した。
「こんな皿じゃ、おさまりきらないって」
「やん、もうっ! 涼ってば、私のこと好きすぎっ」
「誰のせいだと思ってるの? 俺をこんなにしたの、栞なんだからね」
「……てへっ。でも、テーブル汚しちゃダメだよ。ちゃんとお皿におさまる大きさでね?」
「わかってるよ」
迷わずに、オムライスに赤い線を引く。まずは中央に『しおり』の文字。少し歪なのは、目をつむってもらおう。
次に、皿いっぱいにハートを描いた。オムライスを縁取るように。こっちもなんだか武骨な感じになったけど──
「えへへ……涼に可愛くしてもらっちゃったぁ。これ食べちゃうの、もったいないなぁ。永遠に保存しとく方法ってないかなぁ?」
どうやら栞は満足してくれたらしい。
「いや、食べなよ。せっかく栞が作ったんだからさ」
「だってぇ……。でもぉ、涼が食べさせてくれるなら、食べよっかなぁ」
栞は俺の左隣に、ぴったりくっついて腰を下ろした。栞があまりにも二人きりの時と同じようにするから、俺までつられてしまう。
「……食う前から胸焼けしそうだぜ」
そんな遥の言葉が耳を素通りしていった直後──
「へいっ、お待ちっ! 遥のオムライスできたよーっ!」
寿司屋の大将のようなかけ声と共に、さらに二枚の皿がローテーブルに置かれた。そこに乗っかっていたのは、とてもオムライスには見えないビジュアルの物体。
「お、おい彩……? なんだ、こりゃ?」
「だからオムライスだってばぁっ! ちょーっとだけ失敗しちゃったけど」
「……これが、ちょっと、なのか?」
遥が首を傾げるのも当然だった。
真っ赤なチキンライスの丘の上に、黄色い炒り卵が積もっている。つまり、まったくもって包まれていない。
「しょうがないじゃんっ! ふわとろの作ろうと思ったのに、意外と難しかったんだからっ!」
「ふわとろどころかカチカチボロボロじゃねぇかよ! なんでできもしねぇのに難しいことやろうとしてんだよ! ったく、彩はよぉ……」
遥は、栞と楓さんが作ったものを交互に見比べて、ため息をつく。
「なによぉっ! せっかく初挑戦してみたのにっ! 文句があるなら食べなくていいよっ!」
「なっ……! 食わねぇとは言ってねぇだろ!」
「ふーんだっ! 遥なんて知らないっ、バカっ!」
喧嘩勃発。
どうしてこうなった?
いや、原因ははっきりしてる。
遥が余計なことを言ったからだ。
……言いたくなるのもしょうがない見た目だけどさぁ。
でも、そういうのがよくないってことくらい、俺でもわかる。
気まずい沈黙。
俺もつい、おろおろしてしまう。
そんな空気の中でも、通常営業な人間が一人だけいた。
「はい、涼。あーん」
「えっ、栞?! この状況で?!」
「んー? 彩香たちのこと? そんなのほっとけばいいんだよ。それよりも、涼のために作ったオムライス、美味しく食べてもらえないことの方が私には大問題だよ?」
「で、でも……」
「もう、涼はしょうがないなぁ」
困ったように笑って、栞はスプーンを皿に置いた。それから、俺の耳元に口を寄せつつ、すりすりとふともも撫で回してくる。
その刺激に、身体がびくりと反応した。
……その触り方、ちょっとやらしくない?!
栞はかなり際どいところを攻めてくる。そして、耳をくすぐる吐息に、ぞくりと背筋が震えた。
「あの二人なら、大丈夫だよ。どうせすぐに仲直りするだろうから。それに──この後も私、彩香の面倒を見ないといけないの。だからね、疲れ、癒やして?」
「……それ、逆じゃない? 俺が食べさせてもらったら、癒されるの俺じゃん」
「あっ、涼が食べさせてくれるの? 嬉しいっ」
「そ、そういうことじゃ」
「なら、涼が食べてよ。そっちでも私の疲れ、吹っ飛んじゃうんだから」
「……う、うん」
俺が頷くと、栞はまたスプーンを手に取った。
……あれ。なんかうまく丸め込まれたような?
そう思った瞬間──
「りょーう、あーん」
口の中にオムライスが入ってきた。
反射的に噛みしめると、口の中で玉子とチキンライスが混ざり合う。
内側がわずかに半熟な玉子の甘さと、チキンライスの酸味と旨味。それが絶妙なバランスで。
「美味ぁっ……! って、これ毎回言ってるような気がするけど、でも本当に美味しいよ。作ったの栞だけど──栞も食べなよ。今度は俺がしてあげるから」
「やったぁっ」
あぁ、幸せだ。
幸せだけど──
やっぱり少しだけ、無言でオムライスもどきを食べている二人のことが気にかかった。




