第93話 お迎えと、お出迎え
膝の上で栞を蕩けさせていると、スマホがブブッと短く震えた。画面を見てみると、遥からのメッセージが届いていた。
『もうすぐ着くぞ。すまんが迎えよろしくな』
喋る時と変わらない、遥らしい文面だった。
「栞、そろそろ着くって」
「えー、もう? もうちょっとこうしてたかったのにぃ」
「二人が帰ったらまたしてあげるから、今は我慢だよ。いい子だから、ね?」
「むー……でも、涼にそこまで言われたらしょうがないね」
栞は渋々、膝から降りた。俺としても温もりが離れていくのは寂しいが、遥たちを待ちぼうけにさせるわけにもいかない。
「それじゃ、迎えに行こっか?」
「それなんだけど──涼一人でお願いしてもいいかな?」
「え、栞は行かないの?」
少しだけ、意外だった。
栞のことだから、なにがなんでも一緒に行くと思っていたのに。
「うん。ちょっとだけやることあるから」
「……やることって?」
「んふふっ、なーいしょっ」
栞はいたずらっぽく笑って、唇の前に人差し指を立てた。
「なんか最近、内緒が多くない?」
「だって、言わないほうが楽しみが増えるでしょ? どうせすぐにわかるんだから、それまで待っててね」
「……そう? ならまぁ、とりあえず行ってこようかな」
ソファから立ち上がると、栞はきゅっと俺の手を握った。
「ついてかない代わりに、ちゃんとお見送りはするからね」
「ん、ありがと」
二人で玄関に向かい、俺だけ土間に降りて靴を履く。いつもより、わずかに栞の目線が近くなった。
「じゃあ──」
「あ。待って、涼」
「どうしたの?」
「……えっと、ね。いってらっしゃい」
んっ、と突き出された唇。
目を閉じた栞が、俺を待っていた。
……見送りって、これがしたかったのか。
なんか、めちゃくちゃ後ろ髪引かれるなぁ。
それでも──
「いってくるね。留守番、任せたよ」
リクエストに応えてキスを一つして、玄関を出る。ドアが閉まる瞬間まで、栞は手を振って見送ってくれた。
外に出たのに、顔が勝手にニヤけて戻らない。早く帰りたくて仕方のなくなった俺は、駅へと向かって速足で歩き始めた。
***
駅に着くと、すでに改札の前に遥と楓さんの姿があった。近付いていく俺に気が付いたのか、楓さんがぶんぶんと手を振って声を張り上げた。
「高原くーんっ、こっちこっちーっ!」
道中、遥からお説教を受けていたとは思えない元気っぷりだった。
「ごめん、待たせちゃったかな?」
「いんや、俺らもさっき着いたばっかだぜ」
「そっか。ならよかったよ」
ほっと安堵していると、楓さんは俺の後ろあたりをきょろきょろと見回した。
「あっれー? しおりんは? 一緒じゃないの?」
「あぁ、うん。なんかやることあるらしくって、留守番してもらってるよ」
「えーっ、残念……早くしおりんに会いたかったのになぁ」
「……おい、アホ彩。お前、まじでわかってんのか? 真面目にやらねぇと、時間作ってくれたこいつらに申し訳ねぇだろうが」
「それくらいわかってますよーだっ! あんまりアホアホ言わないでよ、バカ遥っ!」
「んだと、こらっ!」
ぎゃーぎゃーと小競り合いを始めた二人を見て、俺は苦笑した。
遥と楓さんも付き合ってるはずなのに、俺と栞とは全然違う。それがなんだか面白かった。
「ほらほら、二人とも。騒いでないで行くよ。ここにいても暑いだけだし、栞も待ってるからさ」
「……っと、すまん。そうだったな」
「あははっ、ごめんね高原くん。遥が意地悪だから、ついねっ」
「誰が意地悪だ、誰がっ!」
……まーたやってるよ。
結局、道案内をする俺の後ろで、ずっと二人は言い争ったままだった。
「ほら、着いたよ」
「おーっ! ここが高原くんちかぁっ!」
謎にはしゃぐ楓さんを無視して、玄関に鍵を差し込み、回す。カチャンと音が響いたのに合わせて、パタパタとスリッパを鳴らす音が近付いてくる。
ドアを開けると──
「おかえりなさいっ、涼っ!」
すっかり見慣れた私服姿の上にエプロンを纏った栞が、笑顔満開で出迎えてくれた。俺の後ろの二人には、一切目もくれずに。
「ただいま、栞。もしかして、料理中だった?」
「そうだよ。ちょっとお昼ご飯の仕込みをね。えへへ、ぎりぎり帰ってくるのに間に合ったよ。あ、もちろんなに作るのかは内緒だよ?」
「また内緒かぁ……。でも、楽しみにしてるよ」
「うんっ。でも、残念だなぁ」
栞はくすりと笑って俺の耳元に口を寄せた。そして、ぽしょりと囁く。
「おかえりのちゅーは、してあげられないね?」
「……そりゃ残念だね」
「ね? というわけで──いらっしゃい、彩香、柊木くん」
ようやく、栞は俺の背後に目を向けた。
それに合わせて俺も振り返ると、そこには目を丸くした遥と楓さんがいた。
「……しおりん、もう奥さんじゃん!」
「……涼。お前、もう結婚してたっけ?」
お約束のようなセリフを吐く二人に、俺と栞は揃って肩をすくめる。
「って言われちゃったけど……どうする、栞?」
「ふふっ。私の気持ち的には、今すぐなってもいいんだけどねぇ」
「さすがに気が早すぎるよね」
「ね」
自然と、手が触れ合う。栞に手を引かれて靴を脱ぐと、楓さんが吠えた。
「うわっ、うわぁっ、いきなり見せつけられたぁっ! ねぇ遥っ! これはあたしたちも負けてらんなくないっ?!」
「……なっ、バカ言えっ! 人前でなんてイチャつけるかよ!」
「ちょっとくらいいーじゃんっ! あたしもたまにはあんな感じのことしてみたーいっ!」
「おまっ! ざけんなっ、やめろって!」
楓さんは俺たちに対抗したのか遥の腕にひっついたが、にべもなく振り払われていた。けれど、遥の顔が赤くなっていたのを俺は見逃さなかった。
……なるほど?
なんだかんだ言いながら、遥もまんざらじゃないわけだ。
その様子を微笑ましく眺めていた俺とは対照的に、栞はどこか冷ややかな笑みを浮かべていた。
「賑やかなのは結構だけどね──そろそろあがったら? 特に彩香。この後みっちりしごいてあげるから、覚悟してよね?」
「……ひっ! し、しおりん……? なんか、怒ってる?」
「んふふふふっ。別に怒ってなんかないよぉ。せっかくの涼との二人きりの時間を邪魔されたーなんて、これっぽっちも思ってないんだから」
「いやいやいやっ! それ、絶対思ってるやつ! 完全に怒ってるじゃん! そんなに怒ると、可愛いお顔が台無し……だよ?」
「へぇ? そんなこと言う余裕があるなら、もっと厳しくしちゃってもいいんだぁ?」
「うっ……! ごめんなさーいっ! なるべく頑張るからぁっ、だから許してしおりーんっ!」
楓さんの情けない叫び声が、廊下に木霊した。
俺と二人の時は普通だった栞だけど、わりと本気で怒っていたらしい。それも自業自得──というか、それで課題が進むなら安いものだと思って諦めてもらうしかない。
そんな騒がしいやり取りを見ながら、思う。
……今日は、いつにも増して賑やかな一日になりそうだなぁ。




