第76話 衝撃の夜と、ざわめく胸
午後十一時。
俺は自分の部屋でスマホを手に取った。
栞と約束を交わしたあの日から、この時間に通話をするのが習慣になっている。
……今日は学校で疲れただろうし、もう寝ちゃってたりしてないかな。
少しだけ不安になりつつ通話ボタンをタップした俺だったが──
『涼っ! 待ってたよぉ!』
予想に反して、栞の声は元気そうだった。
「……よかった。まだ起きててくれたんだね」
『うん、起きてるよ? 涼におやすみって言ってもらう前に寝たりしないもんっ』
「……そうだよね、そういう約束だもんね」
ちょっとだけ、うるっときた。
当たり前に待っていてくれるのが、こんなにも嬉しいんだって思って。
「俺もさ……もう栞の声聞いてからじゃないと、眠れなくなりそうだよ」
『あれぇ、まだなってくれてなかったの? しょうがないなぁ、涼は。でも安心してくれていいよ。ちゃんと、私のよしよしがないと眠れない身体にしてあげるからね』
「それはよく眠れそうだけど……さすがに不便すぎるかなぁ」
『ちぇー……。だったら、おやすみだけで我慢してあげる』
「あはは、なにそれ?」
『えへへっ、なんだろね?』
いつもと同じ、他愛のない会話。
普段なら、このまま眠くなるまで話して、おやすみを言い合って通話を切る。
でも、今日はその前に聞かないといけないことがある。
「ところでさ──今日の話って、聡さんたちから許可もらえた?」
『んふふっ。よくぞ聞いてくれました!』
さてはこの感じ……。
たぶん許可が取れたから、俺が聞くのを待ってたな?
まったく、栞はたまにお茶目なんだから。
それならそうと、早く言ってくれたらよかったのに。
『お父さんたちね、いいって言ってくれたよ!』
「おぉ! やったね栞!」
『うんっ! だからね、水希さんたちがいない間、涼のおうちにお泊りするね』
「そっかそっか、本当によかっ──」
……ん?
なんか、思ってもない単語が聞こえたような。
「……ごめん、栞。もう一回言ってくれるかな?」
『だーかーらぁっ! 涼のおうちにお泊りするの!』
「……えっと、誰が?」
『私しかいないでしょー! もうっ、大事な話ししてるんだから、寝ぼけるにはまだ早いよ!』
「ごめんごめん。……って、寝ぼけてはないんだけどさ」
……え、どういうこと?!
これって、そういう話だったっけ?
俺の認識が間違ってた?
俺の頭は情報を処理するので必死なのに、栞の話は止まらなかった。
『もうね、私すっごく嬉しくって。ずーっと涼と一緒にいられるんだよ。涼も……嬉しいって思ってくれるよね?』
「それはもちろん! なんだけど……。もう一回だけ、確認させてくれる?」
今度は、落ち着いて。
栞の一語一句を、聞き逃さないように。
『うん、いいよ』
「えっと。うちの両親が帰省中は、栞がうちに泊まりに来る……ってことであってるよね?」
『そうだよ』
「で──聡さんと文乃さんは、二人ともそれでいいって言ってくれたの?」
『だからこうして涼に話してるんだよ? さすがに私も親の許可なく外泊したりしないってば』
……なるほど。
ちゃんと許してもらってるなら、いいのかな。
というか、まじか。
栞がうちに泊まるってことは、つまり……。
そんなの、同棲みたいじゃん!
うわ、うわぁ……!
やば、さらに楽しみになったんだけど!
でも、だったら──
「じゃあ……この話、母さんにもしておかないとだね。ほら、元々栞は夕飯の後に帰る予定だったわけだし」
『あ、そうだよね。水希さんにも許可取らないとだもんね。どうする? 私から話してみようか?』
「ううん、いいよ。栞は、明日もうち来るよね?」
『そのつもりだよ』
「ならさ、一緒に話そ。だって、その……俺たち二人のこと、だから」
栞だけに、全部任せたくない。
俺も、そうしたいと思ったから。
少しだけ間を空けて、栞がくすりと笑った。
『ふふっ。やっぱり涼のそういうとこ、好きだなぁ』
「俺だって……いつもいい意味で驚かせてくれる栞が好きだよ」
二人で真剣にお願いした方が、母さんも許してくれやすくなるかなって考えがなかったわけじゃないけれど。それは、俺の心の中だけに留めておいた。
***
翌日。
栞がうちへやってくるとすぐに、二人揃って母さんの前に正座をした。そうして許しを請うたわけだが──
「ふぅん、なるほどねぇ」
母さんはじっと目を閉じて、腕を組んだ。
わずかな沈黙。
俺も栞も、黙って返事を待つ。
「ま、いいんじゃないの」
母さんの出した答えは、ものすごく軽かった。
ダメと言われたら、それなりの覚悟で頼み込もうと思っていたのに。
「い、いいの……?」
「水希さん……。冗談じゃ、ないですよね?」
「なによ二人して、せっかくいいって言ってあげてるのに。栞ちゃんのご両親が許してるんだから、私が許さない理由なんてどこにもないでしょうが」
そう言われて、俺たちは顔を見合わせた。
……これでもう、なにも問題がなくなったわけで。
「……やった。やったよぉ、涼っ!」
先に、栞が飛び上がった。
逆に俺は、身体の力が抜けて仰向けに転がった。
「はぁ……よかったぁ」
俺を見下ろす栞と、目が合った。
栞はすとんと腰を下ろして、顔を近付けてくる。
「ねぇ涼。二人きりの間、いーっぱい仲良く、しようね?」
「……うん。よろしくね、栞」
その直後。
熱く甘い吐息が、頬を撫でた。
栞の瞳は、いつもとは違う色気のようなものを宿しているような気がして──
少しだけ、胸の奥がざわついた。




