第75話 お許しと、未来の話
◆side栞◆
約束通り、涼にいっぱい甘えて、涼を甘やかして、またそれ以上に甘やかされて。心も身体も満たされた帰り道。
「……んふふっ」
勝手に口から笑いがもれた。
……三日間も涼にご飯を作ってあげられるなんて、夢みたいだよぉ。
なにを作ってあげようかなぁ。
涼はお豆腐が好きだから、豆腐料理がいいかな?
なにかリクエストがあったら、聞いてあげるっていうのもありだなぁ。
その日が来るのが今から待ち遠しくて、ほっぺが緩むのを止められない。こんなにニヤけてたら、すれ違う人に変な人だって思われちゃうかも。
なのに、自然と足取りが弾む。
そうして、そろそろ自宅が見えてくるという頃になって──
私はふと、足を止めた。
……ちょっと待って。
もしかしてこれって、チャンスなんじゃない?
涼のご両親の帰省は、お盆──具体的には、十四日から十六日の三日間。
その間、私は午前中に涼のおうちに行って、夜に帰る。次の日も、その繰り返しで……。
なら──
私、家に帰る必要なくない?!
どうせ帰っても寝るだけなんだし、泊まり込みにしちゃえば、ずっと二人だけの時間にできるよね?
うわぁ……どうしよ。
すごいこと思い付いちゃったかも。
問題は、お父さんとお母さんが許してくれるかどうかなんだけど──
ダメって、言われそうだなぁ。
……。
って、話す前から弱気になっちゃダメだよね。
絶対に説得してみせるんだから!
だって、こんな機会めったにないし。
それになにより、涼にはもっと私に夢中になってもらいたいもん。
***
夜。遅くに仕事から帰ってきたお父さんのご飯が済むのを待って、私は話を切り出した。
「──というわけなんだけど……どうかなぁ?」
「いいんじゃない、別に」
「……え、いいの?」
私は思わず耳を疑った。
まさか、こんなにあっさりお母さんが許してくれるなんて思ってなかったから。
せっかくどうやって言いくるめようか考えてたのに。でも、許してくれるなら、それはそれで──
「いやいや、さすがにそれは早すぎるんじゃないか?」
難色を示したのは、お父さんだった。
……うん、そうなるよね。
こういうのが普通の反応だもん。
「あら、あなたは反対なの?」
「そりゃそうだよ。いやまぁ、涼くんのことを信用していないわけじゃないんだけど、高校生の男女が三日間も二人きりというのは常識的に考えて──」
「世間の常識なんてどうでもいいじゃない。あなただって見たでしょ? 涼くんといる時の、栞の様子。私はね、栞が幸せでいられるなら、なんだってしてあげたいの。なにも悪事を働こうってわけじゃないんだし、これくらい許してあげなくちゃ」
「そうは言っても……」
反論を失っても、お父さんはなかなか首を縦には振らなかった。困ったように眉を寄せるお父さんを見て、私はそっと口を開いた。
「あのね、お父さん。お泊りが無理でも、私、絶対に涼のご飯係はするよ。でもね──」
ここで俯いて、少しだけ鼻をすする。
「帰りは涼が送ってくれることになってるけど……そこから涼は一人でおうちに帰るんだよ? その間に、もしもなにかあったりしたら、私……」
ダメ押しで、手の甲で目元を拭う。
こんなのは、ただの交渉材料。
……だったはずなのに。
万が一のことを想像したら、本当に涙がにじんできた。
お母さんは優しく微笑んで、ティッシュを数枚手渡してくれる。それもあっという間にびしょびしょになった。
「そうよ。男の子だからって、夜道が危険じゃないことにはならないんだから。それにほら、栞もこう言ってることだし、許してあげましょうよ。栞にとって、涼くんはそれほど大事な人なのよ?」
「……む」
泣き落としまでするつもりはなかったけど、お父さんには効果があったみたい。小さくため息をついて、私の頭に手を置いた。
「まったく……敵わないなぁ。栞は一度言い出したら聞かないんだから。わかった……栞の好きなようにしなさい。ただし、やるからには任されたことをしっかりやること。それと──」
お父さんは私の顔を見て、ふっと表情を緩めた。
「向こうのご両親が帰ってきたら、ちゃんと栞もうちに帰ってくること。この二つ、約束できるかい?」
一瞬で、涙が引っ込んだ。
代わりに、胸の鼓動が弾んで、
「うんっ、わかった! 約束するね。ありがとう、お父さんっ! だーい好きっ!」
私はお父さんに抱きついた。お父さんも驚きながらも受け止めてくれて。
涼とは違う、でも、すごく安心する感じ。
「……栞? お母さんにはなにもなしなの?」
「もーっ、順番っ! えへへ、お母さんもありがとぉ。大好きだよ!」
今度は、お母さんにも。
お父さんとお母さん、それから、私。三人の笑い声が、リビングに広がる。
こういうの、なんだか久しぶりな気がするなぁ。
私が心配させてたせいなんだろうけど……。
その後。寝支度を整えて、涼との毎夜の通話に備えて部屋に戻ろうとしたところで、お母さんに呼び止められた。
「栞、少しいい?」
「うん。どうしたの、お母さん?」
「お泊りのお話のことで、ちょっとね」
そう言うお母さんの顔は、さっきよりもどこか真剣だった。
「わかった、聞くよ」
お父さんは、お風呂中。リビングのソファに、お母さんと並んで腰を下ろした。
「それで……どんなお話?」
まさか、ここに来て手の平を返されるとは思わないけど緊張する。お母さんは、ゆっくりと話し始めた。
「あのね。たった数日とはいえ、栞は涼くんと二人だけで生活することになるでしょ?」
「……そうだね」
「そうするとね、これまで見えなかったものが見えてくることもあるかもしれない。それがいいところならなにも問題はないけど──悪い部分が見えちゃうこともあると思うのよ」
「涼の……悪いところ?」
そんなの、あるはずないのに。
「もちろんね、涼くんが誠実で真面目な子だってことは、私も知ってるわよ。でもね、些細なことが気になっちゃうことってよくあるのよ」
話の意図が見えずに、私は首を傾げた。
お母さんは、小さく笑って続ける。
「悪いところが見えた時に、それでも一緒にい続けることを選択しようとするなら、どこかで折り合いをつけなきゃいけないでしょ? 涼くんと話し合うのか、栞が我慢するのか──とかね」
あぁ、そっか。
お母さんは、ずっと未来の話をしてたんだ。
ようやく理解できた。
私の涼への気持ちは、たぶんずっと冷めることはない。でも、だからこそ壁にぶつかった時に、それを乗り越えなきゃいけないってことなんだよね。
……涼のいやなところ。
そんなの見つからないとは思うけどね。
「まだ栞には早いかもしれないけど、これも大切なことだから。頭の片隅にでも置いておいてね。もっとも栞のことだから、さらに涼くん大好きになって終わるだけかもしれないけど」
「それは……確かにそうなる気がするけど。でも、わかったよ。話してくれてありがとう」
「えぇ。私も、栞と涼くんがいつまでも仲良しでいてくれることを願ってるわ」
「……うん」
こんなに応援されちゃったら、ますます頑張らないといけないなぁ。浮かれてばかりじゃいられないもん。
だから、まずはお泊りのことを涼に伝えて──
ふふっ。
涼、どんな反応するかなぁ。
びっくりするかな?
喜んでくれるといいなぁ。
……あっ。
お泊りになるなら、いろいろと準備もしなくっちゃ。
とりあえず、可愛いパジャマは必須だよね。
それと……下着も新しいの、あった方がいいかな。
なーんて──
きゃーっ!
私、なに考えてるの?!
でもでも、もしかしたらもしかするかもだし。
……うん。備えあれば憂いなしって言うもんね。
そんなことを考えながら、私は涼からの着信を待った。




