第7話 本気と冗談の境界線
どうにか黒羽さんと和解をすることができた俺だったが、胸の奥に、なにか小さな引っかかりを覚えていた。
その正体はわからない。
言葉にもできない。
そんな曖昧な感覚を抱いたまま、翌日の放課後を迎えた。
そして俺は──
また、図書室にいた。
なぜか、黒羽さんと一緒に。
いつも通りに教科書を開いていると、黒羽さんがやってきて、迷うことなく俺の隣に座ったのだ。
「えーっと、黒羽さん?」
「なに?」
「それはその……なんで今日もいるのかなぁ、って」
「昨日、明日もって言ったじゃない。それとも、私がいると困ることでもあるの?」
長い前髪の奥からじっと見つめられる。睨まれているわけでもないのに、妙に圧がある。
「いやっ、そんなことないよっ!」
「ならいいじゃない。私こう見えて、言ったことは最後まできっちりやる方なの」
そう言って、黒羽さんは開かれた俺の教科書に視線を落とす。
「きっちり結果を出してもらうって、言ってあったでしょ。それまではちゃんと付き合うわよ。というわけで、さっさと手を動かしなさい」
「あっ、はい……」
昨日のあれが、まさかこんな結果に繋がるとは。週に一日、黒羽さんの当番の日限定だけ──そんなふうに思い込んでいた俺は、少しだけ驚いた。
けれど、それ以上に胸の奥が熱くなる。
それから数日。同じような放課後が続いた。
嬉しい。
楽しい。
でも、それと同時に違和感も膨らんでいく。その原因は、図書委員の不在だった。
そもそも誰もいない日も珍しくはなかった。けれど、こうも連日だとさすがの俺もおかしいと気付く。
「あのさ、黒羽さん」
「……なに? わからないことでもあった?」
「いや、そうじゃなくて……。もしかしてなんだけど、図書委員の当番、押し付けられたりしてない?」
意を決して問うと、黒羽さんは小さくくすりと笑った。
「あら、心配してくれるのかしら?」
「そりゃまぁ……こんだけお世話になってるわけだし」
「そうね。本当、世話が焼けるのよ。できの悪い教え子を持つと苦労するわ」
「悪かったよ、出来が悪くて……」
「ふふっ、冗談よ」
そう前置きをして、黒羽さんはあっさりと言った。
「安心してちょうだい。高原くんは結構優秀よ。それから、当番のこともね」
「というと……?」
「当番は、私が全部引き受けたの。サボってる人がいるのも知ってたし、どうせ私は放課後暇だから。それに、高原くんも私と気兼ねなくお話できるようになって嬉しいでしょ?」
……あ、そうか。
引っかかってたのは、これなんだ。
でも、なんで全部引き受ける必要が──
黒羽さんが、じっと俺を見つめているのがわかる。これまで鉄壁を誇っていた前髪の隙間から、俺の反応を伺うような、深く黒い瞳が覗いていた。
なんだろう、この感じ。
もしかして、からかわれてる?
そう理解した瞬間、ドキリと心臓が跳ねた。それが顔に出てしまったのか、黒羽さんは口元をニヤリとさせて、楽しそうに笑う。
これはさしずめ、俺が動揺したのが面白いといったところだろうか。
「ふふっ、冗談よ。あんまり心配させても可哀想かなぁって、茶化しちゃった」
「やめてよ、そういうの……。心臓に悪いって」
口ではそう言いながらも、不思議と嫌じゃなかった。
「でも、黒羽さんもそんな冗談言うんだね。もっとお堅い人かと思ってたよ」
「失礼ね。私だって冗談くらい言うわよ」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らす黒羽さんを見ていると、なんだか悔しくなる。
「ふぅん、そっか。じゃあ俺も──さっきの答えなんだけどさ、俺は黒羽さんと話せるの、嬉しいよ」
「は? えっ……? なに言って……。そんなの冗談に決まって──」
「冗談じゃないよ。本気でそう思ってる」
今度は、俺が真っ直ぐ黒羽さんを見つめる番だった。また前髪に隠れてしまった瞳を覗き込むように。
「面倒見はいいし、優しいしさ。こうやって一緒にいると楽しいから」
「あ、あの、えっと……それって……」
耳まで真っ赤にして、わかりやすく狼狽える黒羽さんを見て、なんだかくすぐったくなる。気付けば、口元が緩んでいた。
「──あっ! やっぱり冗談だったんじゃない! ひどいっ、弄ばれた!」
「いや、ごめんって。ちょっとした仕返しのつもりはあったけど、本当に冗談じゃないから!」
「〜〜〜〜っっ! 生意気っ! 高原くんのくせに仕返しなんて生意気よ! 私、もう誰も信じられないっ!」
「待って待って! そんなに怒ると思わなかったんだよ。ちゃんと謝るから、そんなこと言わないでよ」
あぁ、情けないなぁ俺。
これでお相子のはずなのに、謝ることしかできないなんて。
でも、もう喧嘩はしたくない。
突き放されたくないし、今の関係をずっと続けていきたいって思う。
なら、謝るしかないのだ。
必死で頭をペコペコと下げていると、少しずつ黒羽さんの怒りは収まってきたようだった。
「……本気で悪いと思ってるの?」
「思ってます。もうしないので許してください……」
「なら、チャンスをあげる。今度の期末試験で、私と勝負しなさい。もし高原くんが私に勝てたら、許してあげる」
「えぇ……そんな無茶な」
俺も決して、成績は悪くない。むしろ、上位に食い込んでいる方だと思う。それでも、黒羽さんとの差は歴然だろう。
「なによ、やる前からもう諦めてるの? ちなみに、私が勝ったらなにか一つ言うこと聞いてもらうから、そのつもりでね」
「そんなぁ……」
きっぱりと言い切られて、俺はがっくりと肩を落とした。ただでさえ俺に不利な条件なのに。
こんなにも怒っている黒羽さんだ。どんな無茶振りを言い渡されるのかと思うと、今から胃が痛む。
「……そんなに落ち込まなくても」
「だって、許してもらえないし……」
ここで「やってやろうじゃんか!」なんて言えれば格好いいのだろうが、俺にはとても無理だ。そんな俺を見かねたのか、黒羽さんは小さくため息をついた。
「まったくもう。そんな顔されたら、私がいじめてるみたいじゃない。わかったわよ、少しだけ条件を緩めてあげる」
「……具体的には?」
「そうねぇ……。前回よりも最低10位は順位を上げること。これでどう?」
「それなら……やれそうかも」
「なら決まりっ。まぁ勝負の話はそのままだけど、試験まではしっかりサポートしてあげるから、一緒に頑張りましょ」
そう言って笑う黒羽さんの表情は、どこか優しかった。結局、なんで全部引き受けたのかは聞けなかったけど──
まぁ、いいか。
◆side栞◆
高原くんに勉強を教えながら、私はほっと息を吐いた。
うん。
上出来、かな。
高原くんに仕返しされたのは予定外だったけど、勝負の形には持ち込めた。
回数を重ねるごとに、この図書室での時間が私の心の拠り所になっていく。
今の関係は、とても曖昧で、不安定で。
だからこそ、確かなものにしたかったの。
この勝負は、その第一歩。
私が勝つのは、ほぼ確定路線。
その時は──
高原くんに、一つお願いをする。
友達になってほしい、って。
回りくどいし、不器用だとは思うけど、この気持ちは本物なの。今よりも、もっと隣にいたいから。そのための、権利がほしい。
こんなやり方しか知らなくて、ごめんね。
心の中で謝って、私はそっと一生懸命に問題を解く高原くんの横顔を盗み見た。




