第64話 横並びの登校と、二つ目の約束
電車の中。
空いていたシートに並んで腰を下ろすと、栞は静かに頭を預けてくる。そして、小さくため息をもらした。
「はぁ……涼と一緒に登校できるの、嬉しいなぁ。私ね、本当は一学期の間もずっとこうしたいって思ってたの」
「……え? 栞も?」
「ってことは、涼もなの?」
「うん。実はさ……名前で呼び合いたいって言われたくらいから、栞のこと好きだったんだけど──放課後と帰りにしか話せないの、ちょっともどかしかったんだよね」
栞は驚いたように目を丸くして、それからくすりと微笑んだ。
「そっかぁ……そんなに前から、好きになってくれてたんだね。でもね、私はそれよりももっと前から涼のこと好きだったよ?」
「……まじ? いつから?」
想いを伝え合って恋人同士になった俺たちだけれど、思い返せば、こういう話はしたことがなかった気がする。
「えっと、ね……。えへ、ないしょ」
「えぇ……俺は言ったのに」
頬を赤く染めてぽしょりと呟いた栞が、反則級に可愛らしくて──
いや。それはそれ、これはこれだ。
そんなことで、俺は誤魔化されたりしない。
……たぶん。
じっと目を見つめてみると、栞はくすぐったそうに身体を揺らした。
「もうっ、やーだぁ。そんなにされても言わないよっ」
「えー、いいじゃん。今更隠すことじゃないでしょ?」
「だってぇ、きっと涼が思ってるよりもずっと前なんだし……恥ずかしいもんっ」
「俺が思ってるよりも前って……」
え、そんなに……?
ますます気になるけれど、その先を遮るように、栞の指先がちょんと俺の唇に触れた。
「いつからとか、そんなのどうでもいいよ。これから先、いつまでもずーっと好きでいるんだから。でしょ?」
「う、うん」
そんな風に言われたら、追及なんてできなくなってしまう。
横を見ると、栞はどこか遠くを見るように、窓の外へと視線を流していた。
俺も、それに倣う。
車窓に映るのは、見慣れたはずの朝の景色。
でも今は、どこか違って見えた。
やけに明るくて、少しだけ眩しい世界。
きっと──栞が隣にいてくれるから……。
そう思うと、確かに細かいことなんてどうでもよくなってくる。
それから、学校の最寄り駅に着くまで。
俺たちはただ黙って寄り添い、電車の揺れに身を任せていた。
***
電車を降り、駅から学校までの道中。
俺の隣を歩く栞の様子が、どこか落ち着かない。
さっきまで穏やかに笑っていたはずなのに、今は目を鋭くして、しきりにあちこちを見回していた。
周りは、俺たちと同じように学校へ向かう生徒であふれている。
「えっと、栞……? どうかしたの?」
「……なんか、周りの女の子たちが涼のこと……見てる気がするんだもん」
「それでさっきからきょろきょろしてたの……?」
「だって……涼、すごくかっこよくなっちゃったからぁ……!」
「それを言うなら、栞の方がよっぽどでしょ。前髪切って、めちゃくちゃ可愛くなったし」
「か、かわっ……?! もうっ、不意打ちはダメなんだよ! 照れちゃうでしょっ!」
「栞が先に言ったんじゃん……。というか、見られてるのは、普通に目立ってるからなんじゃない……?」
朝っぱらから、こんなふうに仲良く手を繋いで登校していれば、目立たないはずがない。けれど、栞は納得がいかないらしく、首を傾げていた。
「……そうなのかなぁ?」
視線を落とすと、栞の瞳はまだ不安そうに揺れていた。
……あぁ、そっか。
そういうことか。
俺は身を屈めて、栞と目線を合わせる。そして、誰にも聞こえないように、こっそりと囁いた。
「あのね、栞。前に約束したと思うけど、俺は栞しか見てないよ。栞だけだから」
「……涼」
栞は少し困ったような顔で、俺を見上げた。
「ほら、そんな顔しないの。俺、笑ってる栞の方が好きだよ」
「……あぅ。そんなこと言われたら、私──」
「ね、いい子だから」
「うぅー……わかったよぉ。もう、やめる。その代わり──いっぱい見せつけることにするね」
俺はまだ、人前で平然とイチャつけるほど大胆にはなりきれていない。けれど、栞はこれ見よがしに俺の腕に抱きつき、肩に頬を押し付けてきた。
「いや、待って! さすがにこれは恥ずかしいって!」
「だーめっ、逃さないよ! 嬉しいことばっかり言う涼が悪いんだからねっ」
「えぇっ……俺のせいなの?」
「他にいないでしょー? 私がこうなっちゃうの、涼にだけなんだからねっ」
いつの間にか、栞は笑っていた。
俺の大好きな、最高の笑顔で。
こうなると、もうなにも言い返せない。
結局、栞に腕を取られたまま校門をくぐり、昇降口で靴を履き替えて校舎内に入り、階段を上がっていく。
やがて、俺たちの教室が目前というところで、栞はぴたりと足を止めた。
栞の身体が、小さく震えている。
だから今度は、俺が栞の手を引く。
「大丈夫だよ。俺も一緒だから」
「……うん。でも、ちょっとだけ待って」
「わかった、栞の準備ができてからでいいよ」
「……ありがと」
栞はそっと目を閉じて、すぅはぁと何度か深呼吸を繰り返す。それからゆっくりと目を開けて、しっかりと前を向いた。
「お待たせ。もう、平気」
「じゃあ──行こうか」
「うん、頑張る」
顔を見合わせて、頷く。
もう、言葉は必要なかった。
ぎゅっと手を繋ぎ、二人並んで、一歩ずつ、教室へと近付いていく。
開きっぱなしの引き戸。
そこから、すでに登校しているクラスメイトたちの話し声や笑い声が聞こえてくる。
その空間に足を踏み入れる直前、俺たちは声を揃えた。
「「……おはよう」」
たかが、朝の挨拶。
他の皆は、当たり前のようにしているものだ。
でも──俺と栞にとっては、そうじゃない。
これが、俺と栞が交わした二つ目の約束。この先、このクラスでうまく振る舞うための、最初の一歩だった。
それを今、確かに踏み出した。




