第59話 寝起きの混乱と、『おやすみ』の効果
◆side栞◆
気が付くと、私は自分のベッドの上に横になっていた。窓から差し込む日差しが、部屋の中をオレンジ色に染めている。
……あれ?
私って、継実さんの美容室にいたはずじゃ?
確か、涼のカットが終わるのを待ってたはずで──
なのに、なんで私寝てるの?!
記憶が途中からすっぽりと抜け落ちていて、寝惚けた頭が混乱し始めた。
え、待って待って。
もしかして、全部私の夢……?
なら、どこから?
涼と私、ちゃんと付き合ってるよね?
それは、夢じゃないよね……?
急に不安がこみ上げてきて、慌ててベッドから飛び降りた。すると、なにか紙のようなものがひらりと舞って、床に落ちた。
拾い上げてみると、そこには見覚えのある涼の文字が並んでいた。
『よく寝てるから、起こさずに帰るよ。
ゆっくり休んで。
また夜に、通話でね。 涼』
安堵で、涙が出そうになる。
でも、別の衝撃がそれを打ち消した。
……やらかしたぁっ!!
私の記憶は夢なんかじゃなくて、全部が現実。
ということは、涼を待ってる間に寝ちゃってて。それはつまり──
寝顔を見られたってことで……。
前回は狸寝入りだったけど、今度は正真正銘の寝顔を。
あわわっ……!
私、いびきかいたりしてないよね?!
よだれ垂らしたりとか、変な顔とかしてないよね?!
……涼に幻滅されちゃってたらどうしよぉ。
いや、その前にっ!!
寝ちゃったこと、謝らなきゃ。
「……あれ、スマホどこだろ」
普段の寝る時は枕元に置いてあるはずなのに、見つからない。部屋中探し回って、結局、ズボンのポケットから見つかった。
「はぁ……何してるんだろ、私」
画面を点灯させると、涼とのツーショットが映し出される。それと同時に、通知が一件入っていることに気付く。
よくわからないけど、継実さんから画像が送られてきていた。何気なくそれをタップした私は、思わず固まった。
……な、なにこれ?!
それは、私が涼に抱っこされている写真だった。
しかもこれって……お姫様抱っこじゃないっ?!
頭が一瞬で茹で上がって、私はベッドに逆戻りした。タオルケットを胸に抱えて、じたばたと悶える。
「あぁもうっ! 私のバカっ! バカバカバカぁっ!」
なんてもったいないことしちゃったのぉっ!
せっかく涼がお姫様抱っこしてくれたのに、そんな美味しい状況でぐうすか寝てるなんてぇ……。
なんで起きなかったのよぉっ!
それに──
もう一度、写真を見てみる。
今度は私じゃなくて、涼を。
すっごくかっこよくなってるーっ!
短く切り揃えられた髪。ちゃんとスタイリングまでしてもらったのか、わずかに遊ばせた毛先。
ちょっとだけ照れくさそうにしてるけど……まるで、私の理想そのままみたいで。
この涼を見られなかったことが、なによりも悔しかった。打ちひしがれたまま、涼に謝らなきゃいけないことも忘れて、気付けば夜になっていた。
夕ごはんの時にお母さんから少し説教されたけど、それも上の空で。そして、寝る支度を整えたところで、スマホがブルブルと震えた。
涼からの着信だった。
ようやく我に返った私は、慌てて通話ボタンをタップして、スマホを耳に押し当てる。
「あ、あの……涼、途中で寝ちゃってごめんねっ!」
開口一番、叫ぶように謝った。涼からは見えないだろうけど、勝手に身体が動いて、頭まで下げていた。
『あはは、気にしなくていいって。それより、元気そうで安心したよ』
「……涼」
勝手に暴走して、夜更かししたあげく、涼をほったらかしにして寝ちゃったのに──
優しすぎるよぉ。それに、ちゃんと約束守って通話してくれてるし。
本当、大好き。もっと好きになっちゃう。
「おかげさまで……たくさん寝たから」
『ならよかったよ。ところでさ……継実さんから、なにか送られてきてたりって……してる?』
「あ、うん。来てたよ。ごめんね、運んでもらっちゃって……重かったよね?」
『そんなことないけど……俺の方こそごめん』
「え、なんで涼が謝るの?」
『いや、だってさ……。文乃さんたちに言われてどうしようもなかったからだけど、寝てるところを勝手に触っちゃったし……』
……なにを言ってるのかな、涼は?
涼は私の彼氏なんだから、そんなの気にすることないのにね。どこでも好きに触れてくれていい……というか、むしろもっと触れてほしいっていうか。
涼に撫でられるのが好き。
抱きしめてもらうのは、もっと好き。
……キスだって、してみたいし。
なんて──ほっぺには、もうしちゃったけど。
というか、こないだのキス未遂……思い出しちゃって。
「ううん、全然。涼になら、平気だよ」
『……よかったぁ』
心底、安心したような声。
それだけで、大事にしてもらってるんだって実感できる。
それがすごく嬉しくて、少しだけもどかしい。
かといって、さすがにまだお強請りみたいなことは言えないんだけどね。だって、恥ずかしいし……最初は涼から、してほしいもん。
だから、涼にはもう少し積極的になってもらわなきゃ。
「そういえば涼──髪、すごく素敵になったね。写真見たけど、かっこよかったよ」
『あ、ありがと。本当は……あの時見てほしかったんだけど、起こすに起こせなくて。というか、起こしても起きなかったっていうか……』
「あぅ……それはごめんってばぁ。でも、それなら──明日、見せてもらうよ。私が行くまでに、ちゃんとセットしておいてね」
『頑張るよ……。一応、継実さんにやり方は聞いてるからさ』
「うんっ、期待してるからね」
あぁ、どうしよ。
写真だけでもドキドキしたのに、実際に見たら──
直視、できるのかな……?
心臓、壊れちゃうかも。
それからしばらくの間、私たちは他愛のない話を続けた。
涼の声を聞いていると、心が安らぐ。私は思わず、あくびをかみ殺した。
お昼寝、したはずなのになぁ。
『栞、眠たくなっちゃった?』
「うん……ちょっとだけ」
『じゃあ、今日はこれくらいにしておこうか』
「んー……やぁ」
もっともっと、お話したいのに──
『ダメだよ。眠いなら、無理せず寝ないと。ね、栞?』
そんな優しい声で言われたら、わがまま言えなくなっちゃう。
「……わかったよぉ。ベッド行くから、ちょっとだけ待って」
『うん、待つよ』
明かりを消して、ころんと横になる。また、あくびが一つもれた。
「えへへ、これでいつ寝落ちしても大丈夫だよぉ」
『寝落ちって……』
「冗談、ちゃんと寝るから……だから、最後にね──」
『なに?』
「……おやすみって言って、寝かし付けて?」
少しだけ、間があった。呼吸を整えるような息遣いが聞こえて。
『おやすみ、栞。……好きだよ』
きゅぅっと、胸が締め付けられた。涼が自分から好きって言ってくれるなんて、思ってなかったから。
「私もね、涼が大好きっ。おやすみ、涼。また……明日ね?」
『……うん、また明日』
そうして、静かに通話は途切れた。
一人きりの部屋なのに、涼が隣にいてくれているような気がして。ふわりと温かな光が灯ったようで。
涼の『おやすみ』の効果は絶大で、私はそのまま幸せな眠りに落ちていく。
私の頭の中はもう涼でいっぱいなのに、眠りの質まで涼に握られちゃったかも。




