第53話 デートの余韻と、夜の通話
帰りのバスの中。
相変わらず左腕にべったりの栞がスマホをポチポチと操作すると、俺のズボンの右ポケットの中身がブブッと震えた。
「さっきの写真、送ったよ」
「あぁ、もう送ってくれたんだ」
「だって私たちの大切な思い出だもん、早い方がいいでしょ? というわけで──」
栞は満面の笑みで、俺の前に手を差し出した。
「涼のスマホ、ちょっと貸して?」
「というわけでって、どういうわけ?!」
まったくもって文脈が繋がっていないと思うのは、俺だけだろうか。
「い い か ら っ ! ねぇ、お願ぁい。貸して?」
とにかく栞の笑顔の圧が強い。
しかも、近い。また頬にキスされるんじゃないかってくらい、近い。
逃げ場のない俺は、呆気なく白旗をあげることになった。
どうせ見られて困るものも入ってないし、構わないけど。
「わかった、わかったから!」
「素直でよろしいっ! あ、ロックは解除しといてね」
「……はいはい。まったく、強引なんだから」
スマホを取り出しロックを解除すると、ひょいっと奪われる。そしてなにやらいじくり回されて、俺の手元に戻ってきた。
いったい、なにをし──
……てくれてんの、栞?!
ロック画面の壁紙が、栞から頬キスされてる俺の写真になっていた。
「ちょっとぉっ?!」
「えへっ。これでいつでも、あのちゅーを思い出してくれるでしょ?」
「いやっ! こんなのうっかり母さんに見られでもしたら、なんて言われるか……」
……そもそも、こんなことしなくても忘れるわけないのに!
慌てまくっていると、またスマホを取り上げられた。栞、俺のスマホを好き勝手しすぎじゃないだろうか。
「まったく、涼はしょうがないなぁ」
……今度は、なにした?
再び戻ってきたスマホを見ると、違う写真に変更されていた。俺と栞が寄り添って笑っている写真に。
さらに栞は、自分のスマホの画面を見せてきた。
「私のもね、同じ写真にしたの。お揃い、だよ? ね、いいでしょ?」
「これなら……まぁ、いいのかな」
「本当っ? じゃあ、勝手に変えたらダメだよ」
「……わかったって」
「んふふっ、ありがと。涼、だーい好きっ」
耳元で囁かれて、俺は戦意を喪失した。
敵わない。敵うわけがない。
どうやら俺は、とことん栞に甘いらしい。
でも──
俺は手元に視線を落とす。
……やっぱりこの写真、いいなぁ。
自分で見ても幸せそうで──栞が隣にいてくれるからこそ、できる表情だった。
だから、俺は栞の小さな手を、少しだけ強く握る。
「俺も……栞が大好きだよ」
囁き返すと、栞の頬がだらしなく緩んだ。
そんな顔を見せてくれるところも、たまらなく愛おしい。
俺たちはお互いに身体を預け合って、心地よい疲労感を感じながらバスに揺られる。
……って俺、栞の策にまんまとハメられたんじゃ?
それに気が付いたのは、バスを降り、「また明日」と言って別れた後だった。
けれど、悪い気はしない。
むしろ、顔がニヤける。
スマホを開くたび、栞と繋がっている実感を得られるから。
なのに──
帰宅直後の母さんの言葉が、浮ついた気持ちを一気に地に叩き落とした。
***
その夜。
寝支度を整えた俺は、珍しく栞に通話をかけた。
なんとなく、今日のお礼が言いたくて。
ついでに、愚痴りたいことも。
『はーい。涼がこんな時間にかけてくるなんて、初めてだよね?』
「ごめん、いきなりで。もしかして、もう寝るところだった?」
スマホ越しの栞の声が、どこか眠そうに聞こえる。あの日のほにゃほにゃ声に比べればだいぶマシだが、甘えるような無防備さがあった。
「んーん、大丈夫だよ。ちょうどお風呂出たところだから。それで、どうかしたの?」
「うん、ちょっとね。今日、すごい楽しかったからさ……ありがと、って言いたくて」
「ふふっ。涼って、やっぱり律儀だよね。お礼を言わないといけないのは、私の方なのに。いっぱいわがまま聞いてくれて、ありがとね」
「全然わがままなんて思ってないって。それとね──栞が選んでくれた服、母さんが褒めてた。さすが栞ちゃんね、だって」
『本当っ? よかったぁ。じゃあ、これからも涼の服は私に任せてもらっちゃおーっと』
「あはは。そうしてくれると俺も嬉しいよ。でもさぁ……」
俺は腹の奥にたまったもやもやを全部吐き出すように、大きくため息をついた。
『んー? なにかあったの?』
「母さんがひどいんだよ。服がまともになったら、髪形のダサさが際立つ、とか言ってさ。あんまりじゃない?」
俺だって、デートに向けてそれなりに整えていったつもりなのに。息子の頑張りを、少しくらい褒めてくれてもバチは当たらないと思う。
『あー……水希さんらしいね。でも、そうだねぇ……』
「え……もしかして、栞もダサいって思ってる?」
だとしたら、立ち直れないかもしれない。
母さんだけなら、腹が立つだけで、軽く流しておける。でも、栞からだとかなりの致命傷だ。
『あっ、違うよ? 別にダサいなんて思ってないんだけど──えっとね。涼も髪……切ってみるつもりない?』
「……どういうこと?」
『涼の髪、だいぶ伸びてきてるでしょ? だからね、さっぱりしたら水希さんもなにも言えなくなるかなぁって。それに私もね、もっとかっこよくなった涼のこと、見てみたいなぁ?』
「まぁ、伸びてるのは確かだし……栞がそう言うなら、切ってみようかな」
もう、ダサいとか、ダサくないとか、そんなことはどうでもよくなってしまった。
栞が、俺に期待してくれてる。
なら、それに応えたい。
『じゃあさ、私の行ってる美容室、行こ! 実はお母さんのお友達が美容師さんでね、私も昔からお世話になってるんだけど、いつか涼のこと連れておいでって言われてるの! どうかな?』
栞の声が、急激にしゃっきりしたような気がした。たぶん、だいぶ前のめりになってると思う。
その姿が容易に想像できて、俺は苦笑する。
「特にこだわりとかないから、いいよ」
どうせ、いつも行ってるところは安さメインの床屋だったし。
『やったぁ! そうと決まれば、早速明日の朝一番で予約取れるか聞いてみるね! それと、涼にはどんな髪型が似合うかなぁ。今から楽しみだよぉ』
「あの、栞……?」
『あ、ごめんね。私、これから男の子の髪形の参考資料探さなきゃだから、もう切るよ。おやすみ、涼。また明日ねっ!』
「え、あ、うん。おやす──」
──プツッ。
言い終わる前に、通話は途切れた。
いやいや、いくらなんでも張り切りすぎでしょ。というか、服に続いて髪型も栞が決めるってこと?
……まぁ、栞が楽しそうなら、なんでもいいか。
俺はすっかり沈黙したスマホを置いて、ベッドに横になって目を閉じる。そして、今日見た栞の笑顔をいくつもいくつも思い浮かべながら──
そのまま、眠りに落ちていった。




