第52話 テディベアと、ツーショット
俺と栞の手にはそれぞれ、家から着てきた服が入った紙袋が握られている。それが歩みに合わせてゆらゆらと揺れた。
お互いにお互いの服を選んで、今日の目的は達成された。なのに、俺たちの足はショッピングモールの出口には向かわなかった。まるで、最初から示し合わせていたみたいに。
「さて、これからどうしよっか?」
少しだけ、栞と繋いだ手に力を込める。栞は甘えるように上目遣いをして、俺の肩に頬を擦り付けた。
「まだ帰りたくないなぁ?」
「……うん、俺もそう思ってたよ。だからそういうことじゃなくてね、なにか他に見たいものとかないかなって」
近くにあったフロアガイドへ視線を流しながら答えつつも、心臓はありえないくらいに悲鳴を上げていた。
たかが服が変わっただけ。しかし、それは完全に俺の好みに合わせたもの。そんな姿から繰り出される甘えは、これまでより何倍も破壊力が高かった。
そんな俺の内心を見透かしたように、栞はまた、思い切り身体を押し付けてくる。
「私は涼と一緒ならなんでもいいよ。でも、服ばっかり見てたからそれ以外がいいかなぁ?」
「じゃあ……適当にうろうろしようか」
「うんっ!」
正直なところ、理性は尽きかけているし、慣れない場所を歩き回ったせいで疲れもある。できれば、今すぐ布団に潜り込んで休みたい。
でも──栞が笑ってくれるから。
もっと栞と一緒にいたいから。
俺は栞の手を引いて、また歩き出した。
「あ、ここ見たいかも! いい?」
そう言って栞が足を止めたのは、雑貨屋の前だった。入り口付近にはアクセサリーや小物が並べられ、淡い照明を受けてキラキラと輝いていた。
いかにも女の子が好きそうな店。居心地はあまりよくないが、栞の服を見た店に比べればなんてことはない。
「もちろん。好きなだけ見といで」
「ダメだよっ。涼も一緒に見るんだもんっ。ほら、こっち来て!」
「わわっ……! そんな引っ張らなくてもついてくって」
まったく、栞は。
俺が栞から離れるわけないのに。
そもそも……栞といないと、ここじゃ浮きまくるし。
「わぁ……可愛いのがいっぱいあるねぇ」
栞はアクセサリー類を手に取っては戻しを繰り返す。なにか欲しいものがあるというよりも、見て楽しんでいるという感じだった。
そうして店内を回っていると、不意に栞の動きがぴたりと止まった。俺の腕からも、するりと離れていく。
「気になるものでもあった?」
「……この子、似てるかも」
俺の問いかけには答えずに、栞が手を伸ばしたのはクマのぬいぐるみ。いわゆるテディベアと呼ばれるものだった。
「それ……欲しいの?」
「あ──ううん、そういうんじゃなくてね。ただ、昔持ってた子に似てるなぁって」
「持ってた、ってことは……今は、もうないの?」
「……うん。もう、ないよ」
栞の声には、どこか寂しそうな響きがあった。
「……そっか」
こういう時、なんて声をかけるのが正解なんだろう。少しだけ考える。
「それって、大事にしてたやつ?」
「そう、だね。小学生の頃にね、美紀から……もらったものだったから」
栞の手が、慈しむようにそのテディベアを撫でる。それだけで、なんとなく察してしまった。
「すごく可愛い子でね、寝る時はいつも一緒だったの。ずっと大事にしてたのに──私、捨てちゃった。あの子は、なにも悪くないのにね」
栞は一度だけテディベアをぎゅっと抱きしめて、そっと棚に戻した。思い出を、大切にしまい込むように。
「なんか……可哀想なことしちゃったなぁ」
「……栞」
栞は後悔しているのだろう。
でもこれは、栞がしっかりと美紀さんと向き合った結果でもある。
まだ自覚はないのかもしれないけれど、たぶん栞は、ちゃんと美紀さんを許そうとしている。そうじゃなければ、後悔なんてしないはずだから。
いい傾向なんだと思う。栞のトラウマが、確実に回復に向かっている証だ。
なのに、少しだけ歯がゆい。
俺の知らない栞がいることが。
そんなの、当たり前なはずなのに。
だから──
俺が上書きしてしまいたい。
後悔も、それを上回るなにかで塗り替えてしまえばいい。
でも、それは今じゃない。
もっともっと、栞との関係を、思い出を積み上げて──いつか、必ず。
こんな嫉妬みたいな感情を、理由にしたくはないから。
代わりに、栞と手を繋ぎ直す。指と指を絡めて、解けないように。
栞は俺を見上げて、微笑んだ。
「ごめんね、涼。急に立ち止まって、変なこと言って」
「ううん、全然だよ。それより、もういいの?」
「うん。気は済んだから……他のお店、見に行こ」
俺たちは雑貨屋を出て、再び歩き出した。手はしっかりと繋いだまま、栞に腕を絡め取られて。
二人でゆっくりと、今日のデートの終わりへと向かっていく。
◆side栞◆
あらかた回り終えてショッピングモールを出ると、太陽はすっかり西に傾いていた。オレンジ色の陽射しを受けて、私たちの影が一つになって長く伸びる。
楽しかったデートも、もうすぐ終わり。
あとは帰るだけ。
そう思うと、ちょっぴり寂しい。
だから、今日という日の記念を残したくて、私はスマホを取り出した。
「ねぇ、涼。帰る前に、写真撮らない? せっかく服も新しくなったことだし」
次にお揃いで着る日が、いつになるかわからないから。でも、涼は少しだけ困ったような顔をした。
「……俺、写真ってちょっと苦手なんだよね。どんな顔すればいいのかわからないっていうかさ」
「そんなの簡単だよ。笑ってくれたらいいのっ!」
「それが難しいんだけど……まぁ栞が撮りたいっていうならいいけど」
「やった! えっと、じゃあこうして──」
カメラを起動して、インカメラに切り替える。それから精一杯腕を伸ばして、シャッターを切った。
スマホに切り取られた瞬間は、涼の両目が完全に閉じているものだった。しかも、表情が固い。
「もうっ、涼ってば全然笑えてないよ! それに目も閉じちゃってるし」
「しょうがないじゃん! だから苦手だって言ったのに……」
本当に困った人だよね。せっかくかっこよくなったのに、もったいないなぁ。
まぁ、そんな不器用な涼も私は大好きだけどね。
でも、このままじゃうまく撮れないし──
どうしたらいいんだろ?
途方に暮れていると、背後から声をかけられた。
「なにかお困りですか? もしよろしければ、お手伝いしますよ」
振り返ってみれば、見覚えのある顔がそこにあった。
「やっぱりさっきのお客様でしたね。全身うちのお店で揃えてくださったので、すぐにわかりましたよ」
私の服を買ったお店の、店員のお姉さんだった。
「あ、その……実は二人で写真を撮ろうと思ってたんですけど、うまくいかなくて」
「あぁ、そういうことだったんですね。よろしければ、私が撮りましょうか?」
「え。そんな、悪いですよ……」
「構いませんよ。その代わりと言ってはなんですが、またご来店いただけたら嬉しいです」
抜け目ないなぁ。
ちゃっかりしてるっていうか。
でも、涼の好みに合うお店だもんね。これから何度もお世話になるかもしれないし──
「そういうことなら、お願いします。いいよね、涼?」
「う、うん……」
カメラを起動したままスマホを手渡すと、お姉さんは私たちから数歩離れた。
「それじゃ──お二人とも、もっとくっついてくださーい!」
「はいっ!」
短く返事をして、涼の腕に抱きつく。それでも、涼の顔はガチガチのままだった。
「ほら涼。カメラは気にしなくていいから、私のことだけ意識して?」
「そ、そう言われても……。さっきより恥ずかしくなったんだけど……」
「もうっ……! そんなこと言ってると、こうなんだからっ!」
思いっきり背伸びをして、涼の頬に顔を寄せる。
私だって本当は、こんなことするの恥ずかしいんだよ?
でも、笑ってくれない涼が悪いんだから。
そんな言い訳をしながら、愛おしくてたまらないほっぺに、ちゅっ、と唇を押しつけた。
「おっ! シャッターチャンス!」
「し、栞っ?! 人前でなにしてんのっ?!」
「えへへ。だって、涼のせいだもんっ。そんな怖い顔してると、またちゅーしちゃうよ?」
「いやいや、ダメだってば!」
「もう一回撮りますよー! 今度はカメラ目線でお願いしまーす!」
「あ、少しだけ待ってもらえますか」
お姉さんに断りを入れてから、涼に向き直る。
「ねぇ涼。私の目、見て」
「……こう?」
涼の真っ黒な瞳に、私が映り込む。
私ね──
いつもの優しい顔をした涼との、ツーショットが欲しいの。
願いを込めて見つめていると、少しずつ、涼の表情が柔らかくなってきた。
私の大好きな、涼の顔だった。その顔を見ると、自然と私も頬が緩む。
「うん、いい感じ。そのまま、カメラ向いて」
「……わかったよ」
涼が前を向いたのを見届けて、私も涼に寄り添い直す。しっかりと腕を抱きしめて、肩に頭を預けた。
「あ、いいですね! 撮っちゃいますよ!」
「はい、お願いします!」
カシャリと、シャッターが切られる音がした。それから、お姉さんが駆け寄ってきて、スマホを返してくれた。
「たぶんきれいに撮れたと思いますけど、念のため確認してみてください」
「ありがとうございます。涼、一緒に見よ」
「……うん」
二人で画面を覗き込むと、そこに映し出されていたのは──
少しだけ照れくさそうで、でもちゃんと笑っている涼と、そんな涼に寄り添う私の姿だった。
「……俺って、こんな顔できたんだ」
「私の知ってる涼は、いつもこうだよ? ちゃんとね……私のことを見ててくれる時の顔」
「え……そう、なの?」
「そうだよ」
自覚、なかったのかな?
涼は黙って、じっと写真を見続けていた。改めてお姉さんにお礼を告げて、去っていく背中を見送っている間も、ずっと。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……そっか。そうなんだ」
その意味はよくわからなかったけど、いい写真を撮ってもらえたと思う。
この思い出を、今度はなくしたりしないように、ロックをかけて大切に保存した。
「涼。今の写真、あとで送るね。消したりしたらダメだからね?」
「消すわけないよ。だってこれ、初めての栞の写真だしさ」
「うんっ!」
でも、ごめんね。
私、少し前から涼の写真を持ってるの。
こっそり撮った、涼の寝顔の写真。
あのあとすぐにプリントして、枕元に飾ってある。
毎日寝る前には、その写真におやすみを言って。そうすると、よく眠れるんだよ。
今日の写真も、飾っちゃおうかな。いつか、部屋が涼の写真でいっぱいになったら──すごく幸せだよね。
なんて……涼に見られたら、引かれちゃうかな。
でも、この写真は──
これからずっと、私の宝物だよ。




