第51話 試着室の攻防と、自慢の彼女
いくつも並ぶ服の中で、ふと目に留まったのは、真っ白なワンピースだった。
選択としてはベタすぎるのだろうが──
これを着た栞は、絶対可愛い。
そんな確信があった。
「栞、これなんてどうかな?」
「白ワンピ? ふふっ、いいよ。じゃあ、試着してみよっか」
「あの……感想はないの?」
「あっても言わないよ? だって、余計な情報はない方がいいでしょ?」
「少しくらいあった方が助かるけど?!」
「だーめっ。それは涼が見て考えるのーっ! というわけで、着てみるからちょっと待っててね」
「……うん」
栞の徹底っぷりに、俺はなすすべもなく小さく肩を落とした。
ワンピースを抱えた栞は、試着室へと入っていった。すぐにしゅるしゅると衣擦れの音が聞こえ始める。
薄い布を一枚隔てて、栞が着替えをしている。
そう思うだけで、心臓が騒がしくなる。それに、女性ばかりの空間に男は俺一人。
そんな居心地の悪さを感じながら、落ち着かないまま待っていると──カーテンの向こう側から、栞の呼ぶ声がした。
「涼、そこにいる?」
「うん、いるよ。なにかあった?」
「えっと、あのね……お願いがあって。中、入ってきてくれる……?」
「いや……それはダメでしょ」
「いいからっ!」
カーテンの隙間から栞の腕だけがにゅっと伸びてきて──
「わっ、ちょっと?!」
驚きよろめいた隙を突かれて、俺は試着室の中へと引きずり込まれた。
幸か不幸か、栞は下着姿というわけじゃなかった。けれど、試着室に二人で入っているという状況に変わりない。
白ワンピースを着た栞があまりに可愛いすぎることも、俺の動揺に拍車をかける。
「ま、まずいって、こんなの……!」
「大丈夫、心配しすぎだって。それよりもこのワンピ、背中側にファスナーがあって自分じゃ最後まで上げられないの。だからね、お願い涼。後ろ、閉めて?」
甘えるような口調でそう言って、栞はくるりと俺に背を向けた。
栞の指先が髪をかき分けると、白くほっそりとしたうなじが現れた。あまり見ちゃいけないと思うほど、視線が釘付けになる。見惚れるというのは、たぶんこういう時に使う言葉なんだろう。
薄っすらと浮かんだ肩甲骨のラインが、半開きになったファスナーの奥へと消えている。
スカートの丈は、膝の少し上くらい。そこから伸びるすらりとした脚に目がいったところで、栞が首だけを回してこちらを向いた。
俺の顔を見て、どこか嬉しそうにくすりと笑う。それから俺の手を取って、自分の背中に寄せた。
「ほーら、早く。こんなこと、涼にしか頼めないんだから」
「う、うん……」
いくらなんでも流されすぎなのはわかってる。でも、退路はない。栞の言葉に、逆らえない。
抗えないまま、俺はファスナーに手をかける。指先が栞の素肌に触れそうなくらい近くて、自分でも驚くくらい鼓動が速い。それでも可能な限り素早くファスナーを引き上げた。
小さくジジッと音がして、肩甲骨のラインはすっかり隠れてしまった。
「……ありがと、涼」
「もういいけど……あんまりこういうことしちゃダメだよ?」
「えへっ、ごめんなさぁい」
ようやく俺に正面を向けた栞は、少しだけ頬を赤くしていた。
「それで……どうかな? 似合ってる? 可愛い、かな?」
「正直……他の誰にも見せたくないって思うくらいには可愛いよ」
栞の顔が、ぱぁっと輝く。
けれど、俺は静かに首を横に振った。
「でも、その服はダメだね」
「えっ、なんで?」
一瞬にして、表情が固まる。栞はまったく意味がわかっていないみたいに小首を傾げた。
「なんでって……一人で着られないんじゃ困るでしょ」
「……あ」
「だから、別の服を探してみるよ。栞に似合いそうなのはいくらでもあるだろうからね」
「そっかぁ、残念。自分でもいいかなぁって思ったけど、着るたびに涼を呼ぶわけにはいかないもんね」
「そういうこと。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「あ、待って!」
カーテンを開けて試着室を出ようとすると、呼び止められた。栞の手が、俺の服をきゅっと摘む。栞は、照れ笑いを浮かべていた。
「ん? どうしたの?」
「えっとね……えへへ。その前に、ファスナー下ろして?」
「……まったくもう」
また栞の背中にドキッとさせられて、やっと俺は一時的に解放された。
「はぁ……どっと疲れた」
ため息をつき、改めて店内を見渡す。
さっきは、隣に栞がいた。
でも、今は一人だ。
あまり挙動不審にならないように気を付けて、服を見ていく。どれも栞に似合いそうで、逆に決めきれない。
悩みに悩んだ末に俺が手に取ったのは、マネキンが身に着けていた一式だった。
白いブラウスに、ふんわりとした淡いピンクのスカート。店側がこうして飾っているなら、まず間違いはないだろう。
それを手に、試着室へ戻る。ちょうど栞が元の服に着替え終わったところだった。
「あれ? もう次の持ってきてくれたの?」
「もうって言うほど早くはなかったと思うけど……一応ね。はい、これ」
「うん、ありがと」
栞は俺の渡した服を両手に抱え、ふわりと微笑む。それから、うきうきと試着室に入っていった。
また引き込まれるなんてこと……ないよね?
念のため警戒して待っていたが、無事に着替えが済んだらしい。
ぴょこんと、栞の顔だけが外に出てきた。なぜか、真っ赤に染まりながら。
「あ、あのね……着替えてみたんだけどね……」
「うん。どうだった?」
「それはその……うぅ……」
栞はもじもじするばかりで、要領を得ない。痺れを切らした俺は、カーテンに手をかけた。
「着替えたなら、開けるよ? 見ないとわかんないじゃん」
「あ、まっ──」
栞がなにか言いかけたが、俺の手はすでにシャッとカーテンを開いていた。
栞の全身が目に飛び込んできた瞬間──俺は思わず息を呑んだ。
いやまぁ、毎回見惚れすぎだろとは思うけど、こればっかりはどうしようもない。
さっきのワンピースも良かったけど──
これも……めちゃくちゃいい!
ノースリーブの袖口からあらわになった華奢な肩。襟元にあしらわれた控えめなフリルが可愛らしい。さっきよりも少しだけ丈の短いスカート。その下には、きれいに揃った膝がちょこんと並んでいる。
そしてなにより、恥ずかしそうに立つ栞の姿が、俺の心をくすぐった。
「うわ、やば……可愛っ!」
無意識にそうこぼした俺を、栞がわずかに目を細めてじっと見つめてくる。
「ふぅん。こういうのが好きなんだ……涼のえっち」
「えぇっ?! なんでそうなるの?!」
「だってぇ……肩とか全部出てるし、スカートもなんだか短いし。ちょっと恥ずかしいよぉ」
「いやでもっ! すごく似合ってるし、可愛い──と思うんだけど……」
「……本当に?」
確かめるみたいに、栞が言う。
俺は全力で首を縦に振った。
「……私がこれ着てたら、涼は嬉しい?」
「嬉しい!」
「……もっと私のこと、好きになってくれる?」
「なるって!」
「……思わず脱がしたくなっちゃったり、する?」
「するよ! ──って、えぇっ?!」
……つい勢いで、とんでもない質問に頷いたような。
気のせいかとも思ったが、聞き返せるような雰囲気じゃない。栞の目がますます細くなり──にっこりと笑う。
「……なら、これにしちゃおうかなぁ」
「え、いいの……?」
「だって、涼がすごく褒めてくれるんだもん。あんなふうに言われたら、即決しちゃうよ。でも──」
栞は自分の体を抱きしめるようにして、両肩を手で擦る。
「やっぱり肩丸出しは恥ずかしいし……冷房が少し寒いから、重ね着できるものもほしいなぁ」
「そ、そうだよね。じゃあそれも探しに──」
「でしたら、これなんていかがでしょう?」
「うわっ……!」
突然横から知らない声が飛んできて、俺は思いっきり仰け反った。
「あ、驚かせてしまってすみません。お話が聞こえてきたので、つい」
いつの間にか、俺の真横には店員のお姉さんが立っていた。
「それでですね、羽織物をということでしたので、こちらお持ちしたのですが──よろしければお試しくださいね」
そう言って、栞に薄いブルーのカーディガンを手渡した。
「わぁ、きれいな色……。ねぇ涼、これも着てみていい?」
「うん、もちろん」
栞がカーディガンを身に纏うと、また雰囲気が変わった。涼やかで、でも、ブラウスとの隙間からちらりと肌が見えて色気もある。
「あ……いい。すごくいいよ」
「とてもお似合いですよ。彼女さん、ですよね? すごく可愛いです」
「そう、ですね。俺にはもったいないくらいの、自慢の彼女です」
「涼?! 違うよ、今のは服の話だよっ!」
「えっ、そうなの?」
店員さんにくすりと笑われる。
「ふふ、とっても仲良しですね。なんだか羨ましくなっちゃいます。ちなみに、可愛いと申し上げたのは──両方のこと、ですよ?」
「あぅ……」
俺と栞は、揃って真っ赤になって俯いた。そして、栞がちょこんと俺の手を取る。
「……これにする。これがいい」
「もう決めちゃっていいの?」
俺の服選びの時は、いろんな店を回ったのに。
「うん。これ、買う」
「じゃあ──」
俺の時と同じようにタグを取ってもらい、そのまま着ていくことに。会計をして店を出ると、また栞は俺の腕に抱きついた。
「ねぇ、涼」
「……なに?」
「あのね……もう一回だけ、感想聞かせてほしいな?」
その瞳は真剣で、どこか切実で、引き込まれそうになる。
「……可愛いよ、栞」
素直に答えると、栞の表情がふっと緩む。
「えへへ、そっか。ありがと、嬉しいっ」
別にどんな服を着ていても、なんて思っていたけど、今の栞はいつもより一段と眩しい。
でも、やっぱりそんなこととは関係なしに──
栞は俺の自慢の、最高の彼女だった。




