第43話 変化した関係と、変わらないもの
晴れて俺と栞が恋人同士になった翌日。
昼過ぎにインターホンが鳴る。俺は誰が来たかも確認せずに、玄関へと急いだ。
ドアを開けると、夏の日差しで小柄な影が落ちる。そこに立っていたのは、もちろん栞だった。
「いらっしゃい、栞。待ってたよ」
「お待たせっ、涼。今日も……来ちゃったっ」
「……っ?!」
栞の笑顔が眩しすぎて、俺は一瞬言葉に詰まった。じっと見つめると、栞はこてんと小首を傾げた。
「どしたの、涼?」
「えっ……いや、なんでもないよ。暑かったでしょ、あがってよ」
「はぁい。お邪魔しまーすっ」
栞は靴を脱いで家にあがり、俺の横に立った。そして、はにかむような笑顔で見上げてくる。
それから、きゅっと俺に抱きついた。
「えへへ……涼、ぎゅーっ!」
……やっぱり俺の彼女、可愛すぎるだろ。
どうにかこうにか俺からも抱き寄せると、今度は胸元にすりすりと頬擦りをされる。
「はぁ……幸せだなぁ」
栞はうっとりと呟いた。
幸せなのは俺の方なんだが?
幸せすぎて、これ以上は心臓が持たないんだが?!
顔を合わせて数分で、俺はノックアウト寸前に追い込まれることになった。
でもまぁ──
なんというか、その後はいつも通りだった。
リビングで二人並んで課題のノルマを終わらせて、俺の部屋に移動してダラダラと過ごす。昨日までとなにも変わらない、この夏休みの日常だった。
最初の数時間は、俺もなにも思わなかった。
栞が寄りかかってくるのは前からだし、あまり会話がなくても心地よい、穏やかな時間。
なのに、しだいに焦りに似た感情が押し寄せてくる。
……あれ?
俺たちって、付き合い始めたはずだよね。
でも、今までとあんまり変わってなくないか?
「……涼? 難しい顔してるけど、なにかあった? もしかして、具合でも悪い?」
つい考え込んでいると、いつの間にか栞が俺の顔を覗き込んでいた。
「あぁ、いや……。ちょっと考え事してただけっていうか……」
「考え事って?」
「それは……。あのさ、栞」
「なぁに?」
「俺たちって、昨日から付き合い始めたじゃない?」
「う、うん。そう、だね──って、もうっ! 急にそんなこと言われたら、また意識しちゃうじゃん。ずっとほっぺが緩みそうなの我慢してたのにぃっ!」
そう言うと同時に、栞はデレッと表情を崩し、慌てて両手を頬に当てた。
「……意識、してたの?」
「するに決まってるよぉ。だって、私も涼が初彼氏なんだもん……。そういう涼は、私のこと意識してくれないの?」
「めちゃくちゃしてるって! 正直、栞が来た直後からやばかったよ」
「本当っ?! えへっ、お揃いだね。嬉しいっ」
栞の顔が、ぱあっと輝いた。それがまた、俺の胸を射抜く。
……栞がさらに可愛くなった理由、わかっちゃったかも。また一段と、笑顔が明るくなったんだ。
じゃなくてっ!
「それでさ……。付き合うって、どうしたらいいのかなって思って。ほら、今日の俺たち、昨日までとあんまり変わってなくない?」
「そういえば……。私も同じようにしちゃってたし──うーん……」
栞はしばらく腕を組んで首をひねっていたが、不意にぽんっと手を叩いた。
「あっ、そうだ!」
「なに?」
「あのね──今度、一緒にお出かけしよ?」
「お出かけって?」
「実は私ね、新しい服を買おうかなって思ってるんだけど……涼に選んでもらえたら嬉しいなぁって。どうかな?」
「栞の服を……俺が?!」
「うんっ! デートだよ、デートっ!」
栞は、楽しそうに笑った。
「……デート」
俺は栞の言葉を繰り返す。
それは、恋人同士であれば当たり前にしているものだ。
でも。
「いやいやっ! 俺が栞の服を選ぶとか、役立たずにもほどがあるでしょ!」
「そんなことないもんっ! 涼はただ、私に着せてみたい衣服を探してくれるだけでいいのっ! それにね──」
栞は突然声のトーンを落として、真剣な表情になった。
「私たちの初デートって、途中で邪魔が入っちゃったでしょ。だからね……ちゃんとやり直したいの。それでも、ダメかなぁ?」
「うっ……」
潤んだ瞳と上目遣いのコンボは、威力抜群だった。そんな顔をされて、ノーと言える俺じゃない。
「別に、デートが嫌ってわけじゃないし……。わかった。ファッションセンスには自信ないけど、頑張るよ」
「やったぁ! けどね、これはデートなんだよ。私が付き合ってもらうだけじゃなくて、涼にも楽しんでもらわないといけないと思うの。だから、私も頑張るねっ」
むんっと気合を入れる仕草が、たまらなく愛らしい。気付けば俺は、また栞を抱きしめていた。
「俺は栞といるだけで十分なんだけどね。でも、せっかくだし、二人で楽しもっか」
「うんっ! だから涼好きっ!」
栞は俺の胸にぐりぐりと額を押し付けてくる。あんまり変わっていないかと思っていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。
遠慮がなくなったというか……。
明らかに、甘え具合が進化してる。
そして、それはきっと俺も──
俺はそっと、栞の髪に手を滑らせた。さらさらと、指の隙間をすり抜けていく感触を確かめるように。これまでよりも、たぶん自然な手つきで。
「じゃあ……いつ行こうか? 俺はいつでも大丈夫だから、栞に合わせるよ」
「なら、明日っ! 明日はどうかな?」
「そりゃまた急だね」
「思い立ったが吉日って言うでしょ? それとも、善は急げ、かな? こういうのはね、早い方がいいんだよっ」
得意げに胸を張る栞に、俺は思わず苦笑した。
「いいよ、明日だね。それで、服を買うなら……どこに行くのがいいのかな? ごめん。俺、そういの詳しくなくて」
「んー……そうだねぇ。色んなお店を見るならショッピングモール、かなぁ。たまにお母さんと行くんだけどね、うちの最寄り駅からバスが出てるよ」
「おぉ、それなら行きやすいね」
「というわけでっ、明日はバス停で待ち合わせね! できればいっぱい涼と一緒にいたいし……九時半に集合でどうかな?」
「問題ないよ。それで決まりだね」
「うんっ。涼の服も見てみようねっ。えへへ……楽しみっ」
……お、俺のも?!
いや……もうなにも言うまい。
こんなにはしゃいでる栞を、俺が止められるわけがないんだ。
だって──
こんなふうに笑う栞を見ること。
それがきっと、俺の一番の望みだから。
でも、明日のデート……。
また、心臓を酷使することになるんだろうなぁ。




