第42話 匂いの相性と、甘い独占欲
◆side栞◆
……涼のほっぺに、ちゅー、しちゃった。
だって、どうしてもしたかったんだもん。
本当なら、唇に──
でも涼のほっぺ……意外と柔らかかったなぁ。
今もまだ、その感触が唇に残ってる。それに、キス寸前まで近付いた時にふわりと香った、涼の匂い。
優しくて、落ち着く大好きな匂い。
なのに、ドキドキする匂いなの。
思い出しただけで、顔が熱くなる。
って……。
私、いきなり攻めすぎてない?!
引かれたり、してないよね……?
『こっちは……また今度、だね?』
なんて、大胆なことも言っちゃったし。
ちらりと横目で盗み見ると、涼の顔も真っ赤になっていた。
……あ。
涼も、同じなんだ。
よかったぁ。
ホッとしたのも束の間、リビングのドアが開いて、水希さんが入ってきた。
「ただいま」
「か、母さん……おかえり」
「おかえりなさい……水希さん。お邪魔、してます」
「栞ちゃん、いらっしゃい。──あら?」
水希さんの視線が私と涼の間を行き来する。
そして、
「もしかして……」
水希さんは、にやっと笑った。
「私、お邪魔しちゃった感じかしら?」
「っ?! わかってんならいちいち言わなくてもいいんだよっ!」
「なによぉ、涼。せっかく協力してあげたのに、その言い草はないんじゃない? むしろ、ひと言報告があってもいいくらいなのに。ねぇ? 栞ちゃんもそう思うわよね?」
「え……えぇっ?! 私、ですか?!」
思わず素っ頓狂な声を上げた私に、涼が申し訳なさそうに頭を下げた。
「あー……っと。ごめん、栞。実は……栞に大事な話があるからって、母さんにはちょっと出かけててもらってたんだ。だから、その──たぶん、もうバレてる……」
「そういうわけなのよ。で、見た感じうまくいったみたいだけど──ねぇねぇ栞ちゃん。涼にはなんて言ってもらったの?」
「そ、それは……内緒ですっ!」
本当は、水希さんにも自慢したい気持ちはあるの。涼は私のこと、あんなにも想ってくれてたんですって。水希さんには、前に助言をもらったりもしたから、余計に。
でも、涼がくれた言葉は、やっぱり私だけのものなの。大切に大切に、自分の胸にしまっておきたい。
だって……私の、宝物になっちゃったから。
「母さんっ、栞が困ってるだろ! 余計なこと聞くなよ!」
「え〜……。でも、気になるじゃない」
水希さんは、面白そうに目を細める。
「だって、息子の初彼女なのよ?」
「だってじゃないって! 無事に栞とは付き合うことになった。報告はこれで終わり!」
「あら、つれないわね」
「ほら、栞。母さんなんてほっといて、俺の部屋行こ!」
そう言って、涼は私の手を取る。頷く間もなく、私はリビングから連れ出された。
そのちょっと強引なところにも、またときめいちゃう。
私って……案外チョロいのかな?
涼の部屋のベッドに並んで腰を下ろすと、なんだかさっきまでよりも緊張する。そんな私の横で、涼は大きくため息をついた。
「はぁ……、本当に母さんは。ごめん、栞。最初からここで話せばよかったね」
「う、うん……。でも私、涼のお部屋だと……落ち着かなかったかも……」
「えっ、なんで? まだ慣れてない?」
「そういうんじゃないんだけどね──ここ……すごく、涼の匂いがするから……」
このお部屋にいるだけで、全身丸ごと涼に抱きしめられてるみたいなんだもん。
でも……いきなり匂いだなんて、なんだか変態っぽくないかな?
「ご、ごめんね。急に変なこと言っちゃった……。でもね、悪い意味じゃないんだよ。私……涼の匂い、好きなの。ドキドキして、ソワソワして──だから、落ち着かなかったかなって……」
「……あ。栞も、なんだ?」
「私も、って……涼もなの?」
私たちは、じっと顔を見合わせる。でも、すぐに涼は恥ずかしそうに目を逸らした。
「あ、いや……。栞って、よくくっついてくるから……いい匂いするなー、なんて思っててさ。いっつもドキドキさせられてたよ」
「……そっか。涼も同じだったんだね」
「そりゃそうだよ。俺だって……ずっと栞のこと、好きだったわけだし」
涼が、頬を掻く。その表情を見て、ふと思い出した。
「あっ、そういえば……匂いの相性がいい相手って、遺伝子的にも相性がいいらしいって、なにかで見たことがあるんだけど──私たち、すごくお似合い、ってことなのかな?」
「……付き合い始めたのに、お似合いじゃなかったら困っちゃうよ」
「それも、そうだね。でも、なんだか夢みたいだなぁ」
まだ告白の余韻が抜けなくて、まるで雲の上にいるみたいにふわふわするの。
「じゃあ、頬でも抓ってあげようか? そしたら、現実だってわかるでしょ?」
すり、と頬を撫でられる。それだけで、じんわりと幸せな気持ちになる。
でも、まだ足りない。
もっとほしいって、思っちゃう。
「ううん。そんなことしなくてもいいから、ぎゅって、してほしいな。ちゃんと涼の彼女になれたんだって、実感させて?」
涼の顔を見上げると、くすりと微笑まれる。それから、涼は大きく腕を広げた。
「ん、いいよ。おいで、栞」
そんな優しい声でおいでなんて言われたら──もう、遠慮なんてできないよね。
私は勢いよく涼の胸に飛び込んだ。
「わっ、栞──」
ぎゅっと、抱きしめられた。
私は涼の胸元に顔を押し付け、大きく息を吸い込む。頭がくらくらするくらい、涼の匂いがした。
ドクン、ドクンと、少しだけ速い心臓の鼓動も、はっきりと聞こえる。
「ねぇ涼……。今の『おいで』っていうの、すごく好きかも。また、言ってくれる?」
「えっ、うん……。それくらいなら、いくらでも言うけど……」
「えへ……嬉しっ」
私たちは、固く抱き合った。
そうしていると、私の目から涙が溢れ出す。その雫が涼の服を濡らして、腕の力がふっと緩んだ。
「……栞、泣いてるの? もしかして、痛かった? それとも、なにか嫌だったかな……?」
「違うもん……。ただ、嬉しくって。それだけだよ。心配させて、ごめんね」
「……よかったぁ。驚いたけど、そういうことなら大丈夫。──でもね、栞」
「……なぁに?」
顔を上げると、涼の指先が涙を拭ってくれる。その手つきが優しくて、また涙がこぼれ落ちた。
「もしこの先、俺のことでも、そうじゃないことでも──栞が嫌だったり、不安だったり……なにか思うことがあったら、俺に言ってほしいんだよね。本当は察してあげられたらいいんだろうけど、まだそこまでは無理だと思うからさ……」
「……涼」
そんなの、また泣いちゃうのに。
もっともっと、好きになっちゃうのに。
どうしたら、この気持ちを伝えられるのかな。
少しだけ考えて、今度は自分で涙を拭った。
「じゃあ……一つだけ、言ってもいいかな?」
「早速っ?! いや、聞くけどさ……」
涼はビクッと肩を跳ねさせて、背筋を伸ばした。
そんなに身構えなくてもいいのにね。
今の涼に、不満なんてあるわけないんだから。
「あのね、私ね──涼のそういう、ちょっと不器用だけど優しいとこ、だーい好きっ」
「なっ……!」
「ふふっ、涼が言えって言ったんだよ?」
「そうだけど、それはずるいって!」
「ずるいのは涼だもーんっ!」
ようやく素直に好きと伝えられるようになったことが嬉しくて。
私はまた、思い切り涼に抱きついた。
恋人なんだって、何度も確かめるみたいに。
ここはもう、私の特等席だよ。
絶対に、誰にも譲らないからね。




