第41話 重なる想い
ピンポーン。
インターホンの電子音が、やけに大きく響いた。
ソファに座っていた俺は、思わず背筋を伸ばし、目を開いた。
……来た。
心臓がどくんと、強く跳ねた。
立ち上がって、玄関に向かう。たった数メートルの距離が、妙に長く感じる。
鍵を回す。
それから、ゆっくりと深呼吸を一つ。
ドアを開けると、そこには栞が立っていた。
「……栞、いらっしゃ──」
最後まで、声にならなかった。
少しだけ緊張した様子の栞。
服装も、髪型も、いつもと同じはずなのに──
なぜか今日は、さらに可愛らしく、それでいて大人っぽくも見える。
「……涼。お待たせ」
栞の発する声に合わせて、その唇がほんのり艶めいた。
……あれ?
なんだろう。栞の唇に、視線が吸い寄せられる。
「あの……栞? 唇……なにかつけてる?」
「えへ……バレちゃった」
栞は微笑んで、指先で自分の唇にちょんと触れた。
「リップグロス……。お母さんにね、塗ってもらったの。どう、かな……?」
「どうって、そんなの──似合ってるし、可愛いとしか……」
「そっか……嬉しい」
栞は照れくさそうに頬を染めた。それから、靴を脱いで丁寧に揃える。
その後ろ姿を見下ろしながら、俺は額に手を当てた。
あぁ、もう。
告白前だっていうのに、こんなにドキッとさせられるなんて。
でも──俺のすることは変わらない。
「ごめん、栞。急に会いたいなんて言って」
「ううん。私も、涼に会えるのは嬉しいから。もし涼が会いたいって言ってくれてなかったら……今日は、お部屋に引きこもってたかもしれないし。だからね──」
栞の手が、真っ直ぐに伸びてくる。俺は迷わず、その手を取った。
「うん。……とりあえず、リビング、行こうか。母さん、今はいないからさ」
「……は、はい」
栞の手を引いて、リビングへ。
いつもは少しひんやりしている栞の手が、今はかすかに熱を持っている。たぶん、俺の手も同じだ。
ソファに腰を下ろすまでの沈黙が、苦しくもあり、心地よくもあった。このまま、今の関係に甘えていたいような気もする。
でも、今日は──
ここから、もう一歩踏み出すと決めている。栞の伝えてくれた気持ちに、応えたいって。
だから、俺は少しだけ手に力を込めた。
「あのさ……栞。早速なんだけど、俺の話、聞いてもらっても……いいかな?」
「うん、もちろん──って言いたいところなんだけどね。もう一回、先に私から言わせてもらってもいいかな? 昨日は恥ずかしくなって逃げちゃったから……やり直させてほしいの」
栞の大きな瞳が、じっと俺を見ていた。その眼差しがあまりにも真剣で、俺は考えるよりも前に頷いていた。
それに、きっかけを作ってくれたのは栞だから。
「……わかったよ。聞かせて」
「ありがと。じゃあ、改めて……って、昨日も言った通りなんだけど──私ね、涼が好き。大好きなの。お友達としてなんかじゃなくて……男の子として、大好きになったの」
そう言うと、栞は身体ごと俺に向き直り、潤んだ瞳で見上げてくる。
「前にも話したけど、最初は打算だったの。でもね、私は、涼の言葉にたくさん助けられた。お友達になってくれて……美紀のことも、涼がいたから向き合えたんだよ。涼のおかげで、私は笑えるの。──涼、大好きだよ」
栞の告白が、ゆっくりと沁みていく。胸がいっぱいで、すぐには声が出なかった。
でも、栞は俺の返事を待っている。俺は無意識に、栞の手を両手で包み込んでいた。
「栞……俺も、好きだよ。ずっと、好きだった。大好き……なんて言うのは、まだ照れくさいけど」
もう……ダメだ。
これ以上は、我慢できない。
俺は、栞の華奢な肩をぎゅっと抱きしめた。
「俺もさ、栞と似たようなもんなんだ。栞が隣にいてくれて、救われたよ。あの時、栞が話しかけてくれなかったら……たぶん俺、今も一人でつまらない夏休みを過ごしてたと思う。それにさ──」
「……うん」
小さく頷いて、栞も抱きしめ返してくれた。その温もりが、柔らかさが、愛おしくてたまらない。
「……花火大会の日、泣いてる栞を見て思ったんだ。栞には、いつも笑っていてほしいって。だから俺、そうできるように頑張るから──俺と、付き合ってくれないかな?」
腕の中で、栞の身体が小さく震える。
「……いいの?」
俺の胸元で、栞が顔を上げた。
「涼は……私でいいの? 自分で言うのも変だけど──たぶん私、すごく重いよ? これからもきっと、涼を困らせることもあるかもだし……それで涼が私から離れていっちゃったら……」
「バカだなぁ、栞は」
俺はそっと、栞の髪を撫でた。
「俺は、栞がいいんだよ。栞じゃなきゃ、ダメなんだ。もしかすると、この先喧嘩したりすることもあるかもしれないけど……不思議とさ、栞とならなんとかなるって思えるんだよ」
栞の瞳に、じわりと涙がにじんだ。
「……本当に?」
「本当だよ」
「ずっと、一緒にいてくれなきゃヤダよ?」
「うん、ずっと一緒にいよう。俺も、栞と離れたくないから」
「……じゃあ」
栞は、するりと俺の腕から抜け出した。居住まいを正して、ちょこんと座り直す。
そして、
「私からも、お願いしなくちゃね。あのね、涼──」
照れたように笑ってから、言った。
「私を、涼の彼女にしてください」
「うん……喜んで」
俺は即答した。
同時に、栞が胸に飛び込んでくる。
「涼っ! だーい好きっ!」
「俺も大好きだよ、栞」
視線がぶつかり、絡み合う。
なんだか気恥ずかしいのに、目が逸らせない。
「ねぇ……涼」
甘えるような栞の声が、理性を溶かす。栞に魅了されているような、そんな感覚だった。
「うん……なに?」
「ううん。ただね……涼が、私の彼氏になってくれたんだなぁって」
「うん、なったよ。それで、栞は俺の彼女になったんだよ」
「えへへ……嬉しいね」
「そうだね」
言葉を交わすたびに、自然と顔の距離が近付く。
熱に浮かされたように赤く染まる、栞の頬。
とろんとした瞳。
それから、艶めく唇。
鼻先が触れ合いそうになって、栞は静かに目を閉じた。まるで、キスをねだるみたいに。
ドキンと、痛いくらいに心臓が跳ねた。
……いいのかな。
このまま、しちゃっても。
栞は、目を閉じたまま動かない。俺はごくりと喉を鳴らし、栞の頬に手を添えた。
こんな顔されたら……。
もう、無理だ。
ドキドキとうるさい心臓をなだめながら、ゆっくりと栞に引き寄せられていく。
そして、ついに──
唇同士が触れ合おうかという時だった。
カチャン。
玄関の方から、小さな音が響いてきた。続いて、今最も聞きたくなかった声が。
「ただいまー!」
俺は、弾かれるように栞から離れた。
栞も、どこか不服そうな顔で目を開く。
まったく、間の悪い母さんもいたもんだ。俺が憎々しくリビングのドアを睨みつけた瞬間。
ちゅっ。
頬に、柔らかくて温かい感触。
慌てて振り返ると、栞は人差し指で唇に触れ、いたずらっぽく笑っていた。
「こっちは……また今度、だね?」
ちょ……!
付き合い始めたばっかりで、それはずるいって……。
栞の表情のあまりの破壊力に、俺の頭は真っ白になった。




