第40話 戦の前の静寂と、乙女のパニック
セットした時間通りに、アラームが鳴った。
それを止めて、ベッドを抜け出す。カーテンを開け、真昼の眩しい日光を受け止めながら、俺は大きく伸びをした。
いつもよりやや睡眠時間は短いが、目覚めは悪くない。
さて──
いつ栞が来てもいいように、準備しとかなきゃ。
今日はたぶん、俺と栞にとって特別な日になる。寝起き同然の格好で迎えるわけにはいかない。
部屋を出て、まずは浴室へ向かう。頭からシャワーを浴びて寝汗を流す。身体の隅々まで、入念に。
……そういえばこないだ、栞が俺の匂いがどうとかって言ってたような。
でも……まぁ、いいか。もう洗っちゃったし。
それから、髪を乾かす。
普段は適当に乾かすだけだが、今日はちょっとだけ整えてみたりして。
「……変じゃ、ないよね?」
鏡に映る自分に、つい尋ねてしまった。返事はもちろんない。
服は、なるべく新し目なものを選んだ。よれよれなTシャツは見苦しいし、上半身裸でお出迎えなんてもってのほかだ。
とりあえず、身嗜みは……こんなものだろう。
洗面所を出ると、リビングから母さんが顔を出した。
「……涼。今日はずいぶんとゆっくりじゃない。そろそろ──って……あんた、どうしたの?」
「え……なんで?」
「なんでって……いつもより妙にまともじゃない」
「……他に言い方ないわけ? 別にいいけどさぁ」
相変わらず扱いが雑というか、なんというか。
息子の頑張りをなんだと思っているんだか。
「それに、夜中もずっとゴトゴトやってたし。もしかして、昨日栞ちゃんとなんかあった?」
「……なにも──いや。あった、かな。それで、母さんにお願いがあってさ」
「とりあえず聞くだけ聞きましょうか」
「……うん。栞さ、今日は夕方に来るんだけど──母さんには、ちょっとだけ家を空けといてもらいたいんだよね」
「あら。私を追い出して、栞ちゃんになにするつもりかしら?」
「なにもしないって……。ただ、大事な話があるだけだよ」
「ふぅん。大事な話……ねぇ。しょうがない、わかったわよ。どっかで適当に時間つぶしてきてあげる。たまの息子のお願いだものね」
母さんはなにかを察したように、にやりと笑って俺に背を向けた。
「そういうことなら、とりあえずお昼ご飯食べちゃいなさい。すぐ用意してあげるから。腹が減っては戦はできぬ、よ」
「ん……ありがと」
ここまで言ってしまえばバレバレだろうが、構うことはない。途中で邪魔が入る方が、よっぽど一大事なんだから。
昼食後、俺は心を落ち着けるように静かに過ごし、母さんは頃合いを見計らって出かけていった。
やがて、栞からのメッセージが届いた。
『お待たせ、涼。これから向かうね。朝は寝惚けてて変なこと言っちゃったかもだけど……今はちゃんと目が覚めてるから。涼も、寝れたかな? まだ寝てたり、しないよね?』
『大丈夫。もう起きてるから、いつでも大丈夫だよ。待ってるから、気を付けて来てよ』
返信をした俺は、リビングのソファに深く腰かけ、目を閉じてその時を待つ。
栞が来るまで……あともう少し。
ようやく、栞に俺の気持ちを伝えられる。
◆side栞◆
朝の涼との通話を終えた私は、寝落ち同然に眠りについた。涼の声で安心しちゃったのか、それとも、ただ本当に限界だったのか。
そのどちらかはわからないけど、ぐっすり眠れて、頭はスッキリ。
……って──
「ちょっと待って!!」
目覚めた私は、勢いよく飛び起きた。
えっ、えっ……?!
なんか、通話中の涼、めちゃくちゃ格好良くなかった?!
『俺が──栞に会いたいんだ。会って、話したいことがあるんだよ。だから、少しでもいいから……時間を作ってくれないかな?』
寝ても、起きても、耳に残っている涼の言葉。
……あんなの、ずるだよぉ。
スマホ越しでこれなのに、直接顔を合わせたりしたら。
私、どうなっちゃうんだろ……?
胸が、苦しい。
涼のあの感じからすると、たぶんいい返事がもらえるはず、だよね。
なら……。
のんびりしてらんないっ!
私は部屋を飛び出した。
まずはシャワーを浴びて、全身くまなく、隅々まで磨き上げる。それから、ちょっとだけ気合の入った下着を身に着けた。
……ここまで見せることにはならないだろうけど、念のために、ね。
ひとまず、その上から部屋着を着ておいた。
それから、スキンケアをして、髪を乾かしながら整える。洗面所での用事を終えた私は、自室へと駆け戻った。
髪はヘアオイルでしっとりさらさらに仕上げた。
お肌の調子も、たぶん悪くない。
残る問題は──
なにを着ていくか、なんだけど。
どうしよう……。
普段の私の服装はラフさに特化していて、お世辞にも可愛いとは言えないと思うの。ジーンズにTシャツ、サマーパーカーとか、そんな感じなんだもん。
今日はきっと、私たちにとって特別な日になる。
なら、見た目にだっていつも以上に気を使いたくなっちゃうよ。
私はクローゼットを開いて、中を漁り始めた。
次々に服を引っ張り出してみるけど、どれも似たようなものばかり。
気が付けば、ベッドの上も床も服だらけ。
なのにこれだっていうのは見つからない。
そりゃ当然だよね。
美紀との一件があってから、可愛い服なんて全然買ってないんだから。
じゃあ……その前の服はどうかな?
確か、いいのがあったはずだよね。
さらにクローゼットの奥に潜り込んで、昔の服を引っ張り出す。お気に入りだったワンピースを見つけて、嬉々として袖を通した私は──
愕然とした。
……は、はち切れそう。
丈はかなり危ういし、なにより胸回りがパツパツ。
そんなに体型は変わってないと思ってたけど、私も成長してたんだねぇ。
なんて、物思いに耽ってる場合じゃないのにぃっ!
ワンピースを脱ぎ捨てて、またベッドに放り投げた──
その時。
ドアが開いて、お母さんがひょいっと顔を覗かせた。
「栞、起きたならご飯くらい──」
言葉を失ったお母さんが、ぽかんと口を開けて私を見つめていた。
「……な、なにしてるの? お部屋ぐちゃぐちゃじゃない。それに、服も着ないで……」
「あっ、お母さんっ! お願い、助けてぇ……」
私は渡りに船とばかりに、お母さんに縋りついた。もちろん、下着姿のままで。
「……まずは、どういうことなのか説明してくれる?」
「えっとね、涼が私に会いたいって言ってくれたのっ! だからっ……どうしたらいいかなぁ?」
「言ってることはさっぱりだけど……なんとなくわかったわ」
お母さんは部屋の惨状をもう一度見渡してから、天を仰いで小さくため息をついた。
「つまり、涼くんに可愛く見られたい──そういうことでいいのよね?」
「はわっ……! そんなストレートに言わないでよぉっ! 合ってるけどさぁ……」
「はいはい、ごめんなさいね。じゃあ、とりあえず結論から言うけど──」
まるで先生みたいな口ぶりで、お母さんは私の鼻先に人差し指を突きつけた。
「服は諦めて、あるもので我慢しなさい」
「えぇっ?! そんなぁ……」
「だって、しょうがないじゃない。ないものはないんだから。これだけ散らかしても満足するのが見つからないんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「どうしてもって言うなら、それを口実にデートにでも誘ってみたら? そうしたら、涼くんに選んでもらえるでしょ?」
「……確かに!」
それは、名案かも。
涼の好みもわかるかもしれないし、一石二鳥だよね。
さすがお母さん。
なんだけど……。
それじゃ、なんにも解決してないよぉ。
そんな私の心中を察したのか、お母さんはくすりと笑う。
「大丈夫よ。栞はそのままでもとっても可愛いんだから。自信持ちなさい」
「でもぉ……」
「まったく、困った子ねぇ。ならこうしましょうか。出かける前に、私が一つ、魔法をかけてあげる」
「……魔法って?」
「それは後のお楽しみ。でも、きっと涼くんもドキッとしてくれると思うわよ」
意味ありげに微笑んで、お母さんはそっと私の肩に手を置いた。
「どう? 試してみる?」
「……お母さんがそこまで言うなら」
「決まりね。じゃあ、服選びはそこそこにして、お昼にしましょ。なんといっても、食事が一番の可愛さの秘訣なのよ」
お母さんはパチリとウインクをして、部屋を出ていった。
お母さんって、いくつになっても綺麗で可愛いんだよね。お父さんとも、ずっと仲良しだし。
私も……あんなふうになれるかな?
なれるといいなぁ。
その後はお昼ご飯を食べて、静かに気持ちを整えて過ごした。
そして夕方。
約束通り、お母さんに魔法をかけてもらった私は、涼に連絡を入れてから家を出た。
なるべく汗をかかないようにゆっくりと歩いて、たどり着いた涼のおうち。
私は期待に震える指先を、インターホンのボタンに向けた。
これまでのどんな時よりも、胸を高鳴らせながら。
……気付いて、くれるといいなぁ。




