第3話 独りきりの反省会
◆side栞◆
高原くんが図書室を出ていったことを確認した私は、肺の中に溜まった重たい空気を一気に吐き出した。
「っぷはぁ! 緊張したぁ……」
久しぶりの他人との会話に、私の心臓はバクバクしっぱなしだった。
何度も何度も、事前にシミュレーションしたはずなのになぁ……。
高原くんに言った気まぐれなんてのは、真っ赤な嘘。今日、あのタイミングで声をかけることは前々から予定していたことなの。
始まりはたぶん、入学から一ヶ月くらい経った頃だった──
***
最近の私は、どこかおかしい。壊れていると言ってもいい。人として、一番大事なもの。
心が。
だって、自分から「関わるな」なんて言っておきながら、人恋しいなんて思ってしまっているのだから。
そもそも、私が人恋しいと思うこと自体がどうかしてるよね。あんな目にあったくせに──
思い出しかけて、私は頭を振った。
今は、考えたくない。
でも、やっぱり独りは寂しいよ……。
その気持から目を背けようとすればするほど、より一層孤独は私の心と身体を蝕むの。誰かと過ごす時間というものを知っているから尚更。
孤独が、じわじわと私の心を削っていく。気付いた時には、呼吸もままならなくなっている。
教室の喧騒の中、ぽっかりと穴の空いたようになっている自分の周囲。季節は春から夏へと向かっているはずなのに、そこだけが異様に温度が低く感じることがあるの。
自分で望んだことだけど、クラスのみんなは私のことを腫れ物のように扱う。でも、楽しそうに話す声が聞こえてくると、思わず耳を塞ぎたくなる。
自分勝手なのは、もちろんわかってる。ただ、そんな私が気を紛らわせたくなってしまったのも、仕方がないことだと思う。
……誰か、いないかな。
少しでいいから、話し相手になってくれる人。
しだいに私は、そんなことばかりを考えるようになっていた。
誰でもいいわけじゃない。
リスクは、少ない方がいい。
苦しいのを我慢して、私はクラス全体に意識を向けるようになった。そうしていると、外部の情報を遮断していた時には気付けなかったものが見えてくる。
つまり、それが高原くんだったの。
私みたいに拒絶したわけでもないのに、いつも一人で退屈そうにしている男の子。
お昼休み、高原くんはいつも窓際の端の席でお弁当を開く。周りの笑い声には気づいているはずなのに、視線だけは手元に落としたまま。その横顔に、見覚えのある表情を見つけた時──
ああ、この人だ、と思った。
似てる、と本能的に感じた。
高原くんなら、もしかすると──
高原くんも孤独を感じているのなら、私の気持ちを理解してくれるかもしれない。きっかけは違っても、今の境遇は同じなんだもの。
狙いを定めた日から、私は彼の行動を観察するようになった。
何時に登校してくるのか。
休み時間をどう過ごしているのか。
授業中の態度とか、姿勢や歩き方。
たぶん、クラスの誰よりも私が高原くんのことを知っている。そう思えるようになるまで。
そこで私は、一つの問題にぶち当たることになる。
私の頭を悩ませたのは、そのコミュ障っぷりだった。たまに誰かに話しかけられると、アワアワして逃げてしまう。
これはまずい。せっかく勇気を出して話しかけても、逃げられてしまったら元も子もない。
計画は入念に、失敗は許されない。
幸運なことに、高原くんは毎日放課後に図書室へ通っていることを私は知っていた。半ば押しつけられるようにしてなった図書委員、その当番の日に図書室にいるのを見ていたから。
さらに都合が良いことに、普段図書室にはほとんど人が来ない。こんなにたくさん本があるのに、もったいないよね。でも、おかげでチャンスが生まれた。
高原くんはいつも、図書室で勉強をしている。それは私の得意分野でもある。教えてあげるという口実で近付けば、そうそう逃げられることはないだろう。
あとは不意を突くことができれば完璧。私は次の自分の当番の日を決行の時に定めた。
その結果はと言えば、半分成功ってところかな……?
ひたすら私が勉強を見てあげただけだけど、逃げられることもなかったし、それなりに会話もできたと思う。
背後からこっそり忍び寄って、手元を覗き込んで。悩み始めたタイミングを狙えたのは、我ながらうまくいきすぎたと思った。
だけど、だけどっ……!
「あぁもうっ、私のバカぁっ! あんなにツンケンするつもりなんてなかったのにぃっ!」
思わず手をカウンターに叩きつけた音が、私一人っきりになった図書室に虚しく響き渡る。
心臓が破裂してしまいそうな極度の緊張状態にあった私は、出方を間違えた。自分でも驚くくらい、低くて冷たい声が出てしまったの。口調もなんだかおかしくなって。
おかげで、いきなり明るい声を出すのも変かなーなんて思って、最後までそれを貫き通すハメになっちゃった。
本当は、もっと優しくするつもりだったのになぁ。
あんなの、絶対感じ悪かったよね。
冷酷な女だって思われてないかな?
嫌われたり、してないよね?
今回っきりになっちゃったらどうしよう……。
心が不安に飲み込まれかけたその瞬間、ふと、去り際の高原くんの言葉が頭に蘇った。
『黒羽さん、また明日』
それは、あまりにもありきたりな別れの挨拶。まさか最後に声をかけてくれるなんて思っていなくて、その時はびっくりしただけだけど──
そっか……。
まだ諦めなくてもいいんだ。
明日は私の当番じゃないから話すことはできないかもしれないけど、一週間後ならまた。
高原くんが最後に残していった言葉は、まるで降り積もった雪を溶かす春の陽射しのように、私の胸に小さな光を灯してくれた。
私はふらりとカウンターの奥から出て、さっきまで高原くんが座っていた席に向かう。椅子に腰を下ろすと、そこにはまだ、高原くんの体温が残っているような気がした。
彼がここにいた証拠が、スカート越しに私の中に染み込んでくるみたいで──少しだけ心臓の音が速くなる。
やっぱり、高原くんにしてよかったな。
…………。
でもでもっ!
あんな態度取っちゃって、次はどんな顔してお話すればいいのぉっ!
結局、思考が振り出しに戻った私は、それからしばらくの間、一人図書室でジタバタと悶えていた。




