第25話 花火が照らす横顔と、来年の約束
「それから、前髪を伸ばして、顔を隠すようになったの。直接の原因じゃないかもしれないけど……私の容姿も、きっかけの一つな気がして」
栞はそう話を締めくくり、大きく息を吐いた。その瞳には、またうっすらと涙がにじんでいる。
俺は無意識に、栞の手を強く握りしめた。
「……そう、だったんだね。それで自己紹介の時……あんなことを?」
「うん。誰とも関わらなければ、傷付くこともないでしょ? 怖かったの。誰かを信用することが。だったら、一人でいればいいやって思った。でもね──」
栞は少しだけ視線を落としてから、俺の目をじっと覗き込んだ。
「無理だったよ。やっぱりね、一人は寂しかった。それでね、涼に近付いたの。寄りかかる場所が欲しくて……涼を利用したの。最低、だよね……私」
「利用って、そんな……」
「だって、そうなんだもん」
栞は自嘲気味に笑うけれど、俺にはどうしてもそれが本心だとは思えなかった。
時間はまだ短いかもしれないが、初めて声をかけてもらってから、俺はずっと栞を見てきた。
「じゃあさ、仲良くしようねって言ってくれたこと、あれは嘘だったの?」
栞はすぐには答えなかった。小さく唇を噛んで、躊躇いがちに首を横に振る。
「……嘘、じゃない」
何度も、何度も首を振り、栞は痛いくらいに手を握ってくる。
「嘘じゃ、ないもん。最初は打算だらけだったけど、涼と話すのはすごく楽しかったの。怖いはずなのに、嬉しくて。矛盾してるのはわかってたけど──だから、もっとって……思っちゃって」
「なら」
俺は栞の右手をそっと持ち上げ、両手で包む。
「利用されただなんて思ったこと、俺、一回もないよ」
栞が、大きく目を見開く。花火の光が横から差して、その瞳に俺が映った。
「むしろさ、俺の方が助けられてたよ」
「……え?」
「栞が隣にいてくれるの、嬉しかったから」
喉の奥まで、別の言葉が込み上げてくる。
本当は、今日伝えるはずだった言葉が。
一緒に花火を見て。
栞の過去を知って。
こうして手まで繋いで。
完璧なタイミングかもしれない。
でも──違う。
今じゃない。
俺は、好きだという言葉を静かに飲み込んだ。
「利用でもなんでも、関係ないよ」
少し笑って、続ける。
「寄りかかる場所に選んでもらえたなら、光栄っていうかさ……」
「ぷっ……なにそれ」
栞は吹き出し、口元に手を当てて笑う。
その笑顔を見て、俺は思う。
こんなふうに笑ってくれるなら、今はそれだけでいい。
この先、これが当たり前になってくれたら、もっといい。
だから──
「あのさ、栞」
「なぁに?」
「実は俺、伝言を預かってるんだ」
ほんの一瞬、言わない選択肢も浮かんだ。
でも、そっちを選んだら、たぶん俺は後悔する。
これは、チャンスだ。
「……それは、美紀からの、ってこと?」
「うん。栞と、話がしたいって言ってた」
じっと考え込むように俯く栞。
花火が打ち上がる。
光って、遅れて音が届く。
「……怖いよ」
栞は空いている手で、ぎゅっと浴衣を握りしめた。
浅い呼吸を繰り返し、最後に深く息を吐く。
「でも……会って、みようかな」
その声は、震えていた。
それでも、栞の目は確かに前を向いていた。
「じゃあ、後で伝えておくよ。連絡先、押し付けられてるからさ」
「あっ……待って」
「うん、なに?」
「えっと……あの、ね。美紀と会う時、涼も一緒にいてほしいの。ダメ……?」
ほんの少しだけ、甘えるような視線。俺はすぐに首を縦に振った。
「ダメなわけないよ。栞がそうしてほしいなら、俺は隣にいるから」
そう言うと、栞はほっとしたように頬を緩めた。
俺も、少しだけ肩の力が抜ける。
「……ありがと」
その声は、さっきまでよりも軽かった。
次の瞬間、一際明るい花火が夜空に咲いた。俺たちは、並んでそれを見上げる。繋いだ手は、もう離れない。
花火は、終わりに向かっているのか、勢いを増していく。次々に打ち上がっては、絶え間なく、いくつもいくつも花を咲かせる。
俺はちらりと、栞の横顔を盗み見た。
たくさん泣いたせいか、目が腫れぼったい。けれど、憑き物が落ちたようにすっきりとした顔。
花火に照らされる栞の横顔から、俺は目が離せなかった。
やがて、特大の花火が上がった。まるで太陽のように光を放ち、ゆっくりと夜の闇に消えていく。
夜空には、もうなにも上がらない。
火薬の匂いと、煙だけが漂う。
さっきまでの喧騒が嘘のように、静まり返っていた。
「……終わっちゃったね」
「みたいだね」
とんっ、と肩が触れ合う。
栞は寄りかかるように、俺に頭を預けてきた。
「ねぇ、涼?」
名前を呼ばれる。
それだけで、心臓が跳ねた。
「……なに?」
「来年も……見に来ようね。二人で、一緒に。今度は……最初から最後まで、ちゃんと」
「うん……絶対に」
栞はもう、来年の約束をしてくれるらしい。
そのためには、まずは目先のことを片付けないと。そして、できることなら来年は──
もっと近くで。
***
その後。
俺たちを迎えに来た母さんは、栞の顔を見て目を丸くした。
「……えっ、栞ちゃん?! どーしたのその目?!」
栞は一瞬きょとんとして、それから「あ」と小さく声をもらす。
すっかり泣き腫らした栞の目元は、まだ真っ赤なままだった。
「えーっとこれは……。えへへ、ちょっと泣いちゃいまして」
「泣いたって……。あっ、わかった! 涼になにかされたのね? そうなのね?!」
「なにもしてないからねっ?!」
俺の必死な抗議を華麗にスルーして、母さんはジトッとした目を向けてくる。
「なにもしてないのに、女の子がこんな顔になるわけないでしょうが!」
「理不尽すぎる!」
「どうせ栞ちゃんの浴衣姿が可愛すぎて、暗闇に連れ込もうと──」
「するかっ、そんなこと!」
俺が声を荒げると、栞がくすっと笑った。
「本当に、しないの?」
「しないよっ?!」
即答した俺を見て、栞はなぜかしょんぼりと眉を下げた。
「……そっかぁ。私って、魅力ないのかなぁ?」
「はぇ……?」
間の抜けた声をもらす俺。
母さんは「えっ?」なんて言いながら、ルームミラー越しに俺と栞を交互に見比べた。
「なーんてね。……水希さん。泣いたのは、私自身の問題なんです。だから、涼はなにも悪くないですよ」
「あ、そうなの? なら……よかったのかしら?」
「……はい」
栞は胸に手を当てて、ふっと微笑む。
「まぁ、そういうことなら深くは聞かないけど──もし涼になにかされたらすぐに言うのよ。私がお仕置きしてあげるからね」
「わかりました。その時はお願いしますね」
「ちょっとぉ! 俺ってそんなに信用ないわけ?!」
母さんが、ふふんと鼻を鳴らす。
「日頃の行いのせいじゃない?」
「ひどっ!」
栞と母さんのくすくすという笑い声が、車の中に満ちる。
その笑いが落ち着くと──
ちょんと、栞が俺の袖を引いた。
「……大丈夫だよ」
母さんには聞こえないくらいの、小さな声。耳に、栞の吐息が触れた。
「え?」
「私は、ちゃんとわかってるから」
前を向いたまま、でも、少しだけ俺を見る栞。
「涼は──絶対に私の嫌がることはしないって、ね」
その言葉は、からかいじゃなかった。
微笑みを浮かべながらも、栞の目は真剣だった。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
「そんなの、当たり前じゃん」
だって──
栞は、俺の好きな女の子だから。
今日のところは告白を諦めたけど、その気持ちは全く変わっていない。むしろ、強くなるばかりだ。
自然と、シートの上で手が重なった。
窓の外にはもう、花火は上がっていないのに。
それでも、俺の心臓はやけに騒がしかった。




