第24話 明かされた、心の傷跡
しばらく頭を撫でていると、栞の肩の震えは徐々におさまっていった。
腕を解いた瞬間、胸の奥がひりつく。
……もう少しだけ、こうしていたかったな。
そんなことを思う自分に、苦笑する。
けれど栞は、なにも気にしていないみたいに、俺の横に並んだ。そして、そっと手を握ってくる。
相変わらず、ひんやりした指先。
俺たちは言葉もないまま、ただ夜空を見上げた。
大輪の花が空に咲き、咲いては闇に溶けていく。次の花火が上がるまでの、妙に長い静けさ。
先に口を開いたのは、栞だった。
「……ごめんね、涼」
「気にしないでよ。それより、俺まで泣いてごめん」
「ううん。涼が泣いてくれたの、嬉しかったよ」
栞が冗談めかして笑い、ふっと気持ちが軽くなった。
「……そっか」
また、沈黙。
花火は中盤の盛り上がりに差し掛かったのか、次々と色とりどりの花を咲かせていく。左手の中には、栞の華奢な手がしっかりと握られている。
だから、今度は俺から沈黙を破った。
「花火、ちゃんと見れたね」
「うん……。涼が、追いかけてきてくれたから」
「そんなの、当たり前じゃん」
「涼は……そうかもね。でも、あの時は──」
栞の指先に、きゅっと力が入る。夜空から視線を外した栞は、ゆっくりと俺の方を向いた。その瞳は、花火の光に照らされながら揺れている。
「ねぇ……。涼は、なにも聞かないの?」
さっきまでの、泣き崩れていた顔とは、少し違う。すぐには、返事ができなかった。
それでも、栞は俺を見上げたままだった。
「栞が……話してくれるなら聞くよ。でも、無理してるなら──」
「無理、してないよ」
栞は、静かに俺の言葉を遮った。
「涼にね……聞いてほしいの。私のこと、知ってほしい」
「わかったよ。じゃあ、聞かせて」
栞は、覚悟を決めている。
なら、俺も。
真っ直ぐ目を見て頷くと、栞はまた夜空に目を向けた。そして、深く息を吸い込む。
「さっきのあの人ね──」
もう、栞の声は震えていなかった。
「私の、親友だったの。美紀って、いうんだけどね」
栞はぽつりぽつりと、一つずつ事実を確認するように話し始めた。
◆side栞◆
私と美紀が出会ったのは、小学校の入学式の日だった。新品のランドセルの肩紐が硬くて、少し痛かったのをよく覚えてる。
当時はとても内向的で、引っ込み思案だった私は、自分の席で小さくなっていたっけ。初めて顔を合わせるクラスメイトを前にして、おどおどしていた。
そんな私に、真っ先に声をかけてくれたのが美紀だった。
「ねぇねぇっ! あなた、おなまえは?」
人好きにする笑顔と、明るい声。
この時の私は、たぶん、すごくビビってた。
だって、すごくグイグイくるから。
「えっと、その……くろは、しおり、です……」
どうにか名前を絞り出すと、美紀はさらに笑顔を深めた。
「かわいいなまえっ! うんとね。あたし、みき! しんざき、みきだよ。よろしくねっ!」
「う、うん。よろしく、ね?」
よくわからなかったけど、この瞬間、私と美紀は友達になったんだと思う。それからは、なにをするのも美紀と一緒だった。
休み時間におしゃべりするのも、給食を食べる時も、下校して遊ぶのも。帰り道は、よく手を繋いで歩いた。
美紀は社交的で、私以外にも友達はたくさんいた。でも、私が一番近くにいたし、私の一番近くには美紀がいた。
はっきりと言葉で確認はしなかったけど、私は美紀のことを親友だって思ってた。
美紀がいれば毎日が楽しかった。
本当に、それだけで良かったの。
その関係が少しだけ変わり始めたのは、中学二年になってから。それまではずっと同じクラスだったのに、初めて違うクラスになった。
休み時間に美紀がいない。
下校は一緒だったけど、少しだけ寂しかった。
美紀以外に友達のいなかった私が、クラスで孤立していったのは、もしかすると必然だったのかもしれない。
休み時間を一人で過ごす私。本を読んだり、予習復習にあてたり。
そんなことをしていると、くすくすと笑い声が聞こえ始める。明らかに、私を見て笑っていた。
最初は気のせいかなって思ってた。
私が教室に入るとピタリと止まる会話も、それくらいはよくあることだよねって。
けど、違った。
それはしだいに、はっきりとした陰口へと変わっていった。しかも、わざと私に聞こえるような声量で。
『ちょっと可愛いからって、調子に乗ってる』
『勉強ができるからって、お高くとまって』
こんなのは、ただの嫉妬。
私は、聞こえないふりをした。
心の中で、くだらない人たちだって、断じたりもした。
だって、私には美紀がいたから。
クラスは違っても、親友だったから。
美紀には、全部を話してた。そのたびに、負けるなって励ましてくれて、笑ってくれた。
それだけで、十分だった。
「なにそれ? ってかさ、栞が可愛いの認めちゃってるじゃん。ま、そりゃそうだよねぇ。誰も栞の可愛さを否定なんてできるわけないし」
「もう……やめてよ美紀。恥ずかしいよ」
「だって事実だもーん! 栞はさ、堂々としてればいいんだよ。やっかみなんて、言わせとけばいーのっ!」
「……うん、わかってるよ。ありがとね、美紀」
「あははっ。いーの、いーのっ! あたしと栞の仲じゃん?」
そう言って、美紀はよく、明るく笑ってた。
でも、その時、ほんの一瞬だけ。
美紀の声が掠れたような気がした。
気のせいだろうって、私は笑い返したけど。
全てが変わってしまったのは、二学期が始まってしばらく経った頃。夏休みを挟んでも、飽きもせずに私への陰口は継続されていた。
その日、私は日直だった。
下校の前に、職員室に日誌を届ける必要があった。美紀には、教室で待ってもらっていた。
そこに、私の陰口を主導していたグループが戻ってくるとは知らずに。
職員室から戻ると、教室の中から話し声が響いてきた。
「新崎ってさぁ、黒羽と仲いいの?」
どこか圧のある声だった。
でも、私は美紀の答えを確信してた。
親友だって、そう言ってくれるって。
でも、違った。
「……え、なに、いきなり」
美紀にしては、弱々しい声だった。
「なんであんなのとつるんでんのかなって、ちょっと気になっちゃってさぁ」
「……そんな、仲がいいわけじゃないって」
「えー? でもいつも一緒じゃん」
「いや、それは向こうから勝手に来るだけで」
「ふぅん。ならさ、あいつがいなくなっても困らないんだ?」
少しだけ。
ほんの少しだけ、間があった。
……お願い。
心のどこかで、祈ってた。
なのに──
「……うん、別に」
直後、教室から無遠慮な笑い声が漏れる。
引き戸の取っ手にかけた指先が、冷たい。
感覚が薄くなるようで。
……私だけだったんだ。
ガラリと、音がした。
教室の中の視線が、私に向く。
誰も、なにも言わなかった。
耳が痛くなるほどの静寂の中、私はただ、真っ直ぐに自分の席に向かい、机の上の鞄を掴み取る。それから、踵を返して教室から離れた。
背後で、椅子の脚が床を擦る音がした気がした。
でも、足音は聞こえてこなかった。
追いかけてきてくれるって、期待したのに。
それから、どうやって家に帰ったのかは、全く覚えていない。
お母さんに具合が悪いとだけ言って、自分の部屋に引きこもった。仮病を使って、何日休んだのかは、よく覚えていない。
でも、そんなのは長く続かない。
私は両親を心配させたくない一心で、学校生活に戻った。
一度だけ、美紀からの視線を感じた。
振り向くと、すぐに逸らされた。
それが、美紀との最後になった。




